2019/08/12

動物は子別れ人間は物別れ

子供たちに惜しみない愛情を注いでいた親狐が
まるで縄張りを荒らす敵に攻撃するかのように
手塩にかけた子供たちを巣から
容赦なく追い出すのを見たのは
確か「キタキツネ物語」だったように思う
(映画館で見た。サントラも買った)

ノンフィクションということで
その物語は野生の動物たちのおかれた現実
自然の厳しさと無情さというものを
強烈なインパクトとともに教えてくれた






その道の先輩で
著名な占星術師でオカルティストの某氏は
研究会のようなものを立ち上げては突然に終了させ
また別の場所で似たようなことを始めてはまた壊し
その都度メンバーは入れ代わり立ち代わりというか
残る人もいるし卒業していく人もいる

私自身はご当人とお会いしたことはないのだけれど
友人知人が関わっていたり参加者の中にいたので
聞いたことがあるという程度

そんなんでご当人の考えや詳細は知らないのだけど
なんか分かるような気がする…という話

理想としては
師匠と弟子 先生と生徒みたいな
教える立場と教えを乞う立場であるときに
一生そのよき関係が持続できればよいのだけど
それぞれが対等な立場での集まりとは異なり
カリスマ的な存在に対して
憧憬や崇拝的な気持を抱いているファン心理の人や
依存傾向の強い人が一定数混じっての集まりだと
なんていうか妙な雰囲気が生まれてしまったり
変な方向に流れてしまうことがあるから

なんていうのかしら 
時間が経てば経つほど水は淀んでしまうというか
腐敗したものが涌きやすいというところかも
(マンネリ化とは違うもののよう)

なので
どこかで時期を見てリセットせざるを得ないというか
「はい、ここで終わり!」
としたほうがいい場合もあったりする

そりゃ お商売として考えたとき
長く通い続けて頂いたほうがいいわけですが
生徒(教え子)を一人前にするという観点からは
ある程度の知識を習得してもらったならば
独り立ちして巣立っていって頂く…
というのが望ましいことなんですよね

「いつまでも頼っていないで、
 あとは自分で頑張んなさい
 それだけのことは教えました」

と自立を促すのも師たる先生の仕事

まるで子供を群れや巣から追い出す
野生の動物たちのように




切りたい縁などそうそうないけど
切らなくてはならない縁はそれなりにあります

とかくこのような仕事においては

いつまでもこちらに
寄りかからせておくわけにはいかないし
返る場所 頼る人がいる環境が
本人にとって毒になる場合もある

一定の時期が来て 
学ぶ姿勢に難ありだったり
依存的な関係になりそうだと感じたり
信頼関係が築けていなかったり
あらゆる面で望ましくない影響下にあると判断したなら

手を放して 突き放すべき時もある


まあそれ以前に
「期待外れだった」
「ちょっと違う」
「こんな人から教えを乞うのはゴメンた!
 (教わりたい人間じゃない)」
と学ぶ側がそうした判断で立ち去ることもあるでしょう

でもそれはそれで必然なんです

そういう人は
「教わりたい誰か」
のところに辿り着く旅が必要なんですから
色々と巡り巡る必要があるわけです

反発も反抗も結構
子供にも反抗期があります

そして疑問を持たなければ人は成長しません

与えられた情報を鵜呑みにする人は
それ以上は伸びないんです
自分で考えて感じて行動して
始めて知識というのは身に付くし
智慧になっていきます
人生の糧になってその人の実になるんです

何事も経験しないといけません

そして自分で経験するまでは
どんなことも信じてはいけません

誰々がそういっていたから
先生にそう教えられたから

人の言葉を借りて自分のものとしているうちは
そんな知識は何の役にも立ちません
学んだことにもなりません
それでは言葉を繰り返すオウムと一緒です

疑うことは大事です
猜疑心は捨ててはいけません

「私を信じるな
 私の言うことを信じるな
 私が教える知識は信じても
 私という人間をその知識とイコールと思うな
 私の人間性と教えている内容は別物で
 絶対に一緒のものと考えてはいけない
 だが
 私の事を信頼することができないのであれば
 あなたは何も学ぶことができないだろう」

教えの始めにお伝えしていることです

この矛盾の気付くことが出来る人でないと
知識を本当に理解したことにはならないのです


グループレッスンは集団での学びで
エソテリックな知識や
サイキカルなテクニックを学ぶところではありましたが
人との関わり合いを通じて協調性や社会性
人間関係を一番に学ぶところ
慈悲と慈愛の精神 助け合いと奉仕の精神
仲間意識を超えた共同体意識を育む場所

なぜならスピリチュアリティの基本は人間力で
スピリチュアルな能力を伸ばしたいなら
そしてそのような本当の叡智を身に着けたいなら
人としてのエゴイズムを捨てるための「お試し」
洗礼のような最初の振り分けを
通過儀礼として通り抜けないといけないから

それが白いロープを身にまとう資格


そこに至るまでに
自らのエゴイズムと直面させられて
自滅していく人は数あれど
謙虚に向き合える人は極僅か


その過程で起こってしまう決別は
「巣立ち」という自立であるのか
「絶縁」という物別れであるのか

さてどちらなんでしょう





そうですね
生徒さんにしてもクライアントさんにしても
精神的にも人間的にも健康になって
通院やケアサポートが
不必要な状態になるのか望ましいわけですから
いつまでも通っている状況は望ましくありません

問題が解決したり状況が改善されて
自分で自分のことを解決できるところまで
自分の力を取り戻したならば
あとは何かあったときにという程度で
「便りがないのは元気な証拠」という距離か
ベストだったりします

健康的な利用の仕方ができる人や
依存ではない学び方やメンテナンスであれば
ビジネスとしては拒む理由なく大歓迎ですけど
そうではなく不健康な距離を維持しようとする人には
自立を促すためにも
突き放すことはよくあります(私の場合は)

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