2019/08/26

霊的成長を阻むエゴイズム①


中学高校とアマチュアで
クラスメイトの相談に乗ることを初めて
24歳の時に占い師として店に出るようになって
その後サボリ?というか休業というか
他の仕事に逃避しながらもダラダラ続けて
40歳になってからヒーリングとか
過去生リーディングやらヒプノやるようになって
今のセッションスタイルになって
生徒さんに教えるようになって

派遣の仕事をしながらの片手間で
そんなに忙しくしていたわけではないけど
なんだかんだ40年くらいは
カタチを変えつつも
他人の人生を視る仕事をしているのですが

40年以上やっているわけですから
それなりに膨大な事例数を扱ってきたというか
たくさんの人を視てきたってことになりますかね


そうした活動の過程の中で
大勢のクライアントさんと出会い
様々なケース、多種多様な問題を
見させて頂いてきたわけですが

そのような中で改めて実感させられることは

結局
その人の身に起こっていることは
それが痛みや苦しみを伴う問題にしても
人生上の障害やトラブルにしても
どれもこれも
その人にとって必要不可欠だからこそ
起こっているのだということ


主にそれはその人自身が
成長するためだったりするのですが

これら一見すると障害と思えることを
本人を楽にするために
第三者が関与して取り除こうとすることは
実のところ
その人のためにはならないのだということ

当人が気付くべきことから視点を遠ざけさせ
成長をするためのチャンスを阻むばかりで
せっかくの機会を奪っているんだなって

改めて気付かされるのです

その人の人生に起こる障害とかトラブルとか
壁のように立ちはだかる大きな問題は
ある意味でその人の行動を抑制させ
その場所に留めるための重石のようなもの
であるな...とホント痛感させられます

それがコンプレックスにしても痛みにしても
それらはその人がきちんと真正面から
向き合わないといけないことであり
熟考して気付きを得ないといけないんですね
考えて悩んでとことん向き合って
乗り越えようと努力して克服して
絶望の中から這い上がろうと
そうやって自分を磨いて人間力を蓄えて
力も知恵も身に着けないといけない

そのために起きていることがほとんどだから

これは魂が自分自身に架したことであり
レッスンでもあるが当人の望みであり
意思として決めたことなんですよね


ちなみに聖書では占いや予言は悪とされています
なんで悪なのかって?
それは未来は自分で創るものだから
未来とは知るものではなく
当人が望んで創造していかないといけないから
与えられるものを待ち望むのではなく
自らが望んだ未来を自分に与えるべきだから

「決めつけ」てしまうと制限が入るし
起こることに対して「待ち」の姿勢になり
自分で努力することをやめてしまうから

ちなみに過去生だって
当人が霊的成長に伴って
自然と思い出せる段階に至るまでは
そのような情報を与えることは罪とされています
実際そうです
過去生の情報を与えることは
よろしくないというか弊害の方が多いです

癒しという名の解放を与える場合もあるけど
情報を与えていいのは
ある段階に至っている人に限りますね
当人が知りたがっているからといって
誰にでも開示していい情報ではない

知ったことによって
そこから「教訓と学び」を得られるのでなければ…
知ることと合わせて今の人格に
霊的成長の機会を与えることがないのであれば
知ったことは当人にとって実害でしかないのです



なんで改めてそう思うに至ったかというと

例えばエネルギー的関与によって
あるいは過去生や未来の情報を与えることによって
その人が問題と思っていることや
苦悩の原因となっている現在の問題から
離れることが出来たとします(一時的解決)

するとその途端に…
自分を抑圧していたものから解放された直後に
ほとんどの人が謙虚さを失くして
エゴイズムを暴走させるんです

まるで重石が外れたとばかりに
性格的な問題を全開にし始める

自己内省はおろか人の話も聞かなくなりますしね

その時に

「ああそうか
 この人を苦しめるこれらの出来事や
 こんなあんな出来事は
 すべてこの性格を矯正するために
 自分に内在する問題と向き合わせるために
 (反省を促し、心を成長させるために)
 必要な経験として起こっていたんだな」

なんてことはザラです


そうですね

人って自分の人生がうまくいかないときは
あれこれ考えるものです

というか
そのような追い詰められた状況でないと
他人のアドバイスに耳を傾けようなんて人は
あんましいないですね

上手くいっているときに
自分に問題があるのでは?なんて
我が身を振り返って考える人は少ないわけで

だからまあ
自分の内面に自分自身の問題に気付かせようと
その人の内面的な問題が外面的な世界に投影され
その人を苦しめる「痛み」として「出来事」として
そして「痛み」を与える存在として
「人」の姿をした反面教師が写し鏡で表れる

悩んだり苦しんだり挫折したり自信を無くしたり
そういう状況下に自分が置かれないと
人間てなかなか自分を見つめなおせないし
謙虚な姿勢も取ることはできない

その中から自分が学ぶべきことを学んで
気付きを得て 感情も成熟させて
人としてしっかりと成長できたら御の字で
そのための一大プロジェクトなんですが

魂の計画を無視して
三次元で起こっていることだけを問題視して
楽にしてあげようという仏心から
安易に「解決」を図ったり
「取り除く」方向へと働きかけたり
当人の願望(実のところはエゴイズムの欲望)を
具現化して引き寄せることだけに焦点を絞っても

結局のところ
霊的成長をするための機会から遠さげ
本来の道から寄り道させて
(学校でいうなら留年させること)
魂の道から外れさせるだけになっちゃう

カルマのレッスンから落第させて
新たな宿題や課題を増やしてしまうだけという

そんな感じです



そういう意味で
私たちのような仕事っていうのは難しい
ある意味では罪深い
そのことをきちんと理解していないと
堕落の道へと誘いこむ反逆者になってまう

でもね
ほとんどの人が
自分の人生が何故こうなのか?
自分の人生の諸問題はどのような理由で起こっているのか?
それらが自分に何を伝えようとしているのか
自分が何に気付くべきなのかってことに関しては
興味ないんですよね
自分の人生に起こっていることの
意味を知りたがる人は本当に少ないです

それよりも欲しいものを手に入れたい
思い通りの人生を生きたい願望を叶えたい
お金が欲しい恋人が欲しい
そんな風に
欲望を叶えることにみんな夢中です

願望を持つのは無意味じゃなく
必要な欲望ではあるけれど
望んでも叶わない理由が何なのか
どうして「おあずけ」をくらっているのか
その「制限」がどこからきているのか
それが自分にとって何を意味しているのか

結構大事なメッセージが含まれているのに
そこに取り組みたがる人はあまりいません

そういう説明をしても
霊的知識を教えても

手っ取り早く願望が叶う魔法の杖を
皆さん欲しがって
探す努力にエネルギーを注ぎます

まあ
自分の中にある問題と向き合うのは
確かに怖いことなんだと思います

色んなことを認めることでもありますしね


そしてこの話ちょっとだけ続きます

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