2019/08/30

偽善的なエゴイズム~コントロール欲求②

少し間が空くと
前回何を書いたのか何を書こうと思っていたのか
すっぽ抜けて忘れてしまいますっっ汗



前回から続けて
重ねての物言いになりますが

その人にとっての悩みの種
障害や人生を阻害する問題
アクシデントやトラブル
生きにくさや自己否定感など
抱えた人に対して

エネルギー的なワークなどの
第三者的な要因が介入することで
意味づけや理由付けがされたり
障壁としてのそれらにアプローチして
それらを取り除くことに対して結果を得るとき

そのようなものから解放されて
肩の重荷が取れて生きやすくなったり
スムーズにいくようになったことで

その人を一定の状態に縛り付け
自分自身の在り方や人生そのものに対して
不快洞察と熟考と反省を与えるがために
足枷または行動のブレーキとして存在していた
それらから解放された途端

それまで人生か上手くいかないことで
謙虚かつ腰低く
内省的であるような態度を示していた人が
急にエゴイズムを暴走させ
本性を思いっきりさらけ出すようになる

…ってのを
イヤというほど見てきました

でもすべての人ではないですよ
全員が全員といのではありません

一番怖いのは
自分のエゴイズム
当人がまったく気付いていない状態ですね

自分の中の邪の部分 悪の一面
エゴイズムがあるってことに気づけている人は
安心かつ安全なところにいる健康的な人です
自分をちゃんと知ってるから




さて
spiritualなワークとかスキルとか
そういうものに関わっていく上で
一番怖いのは偽善的なエゴイズムです

自分のエゴイズムに気付かず
spiritualな職業に就いている人は多いのですが
これは一番危険なパターンです

「他人を助ける仕事をしたい」
という理由でspiritualな仕事をする人が
陥りやすい罠があります

はいくつかあって

「人を助けたい」のではなくて

「人を助けられる自分になりたい」
もしくは
「人を助けられる人だと周囲に思われたい」
というエゴイズムから
spiritualなワークをする人は多いのです

目的が
「自己顕示欲」であり「自己満足」
なんですね
まぁ早い話が承認欲求
そちらの方が分かりやすいかも知れません
ようするに評価が欲しいんです
認められたくて仕方がない

世の中に必要とされたくて
価値ある人と認められたくて
スゴイ人と思われたい
褒められたい

「自己顕示欲」と「自己満足」から
私はこの仕事をしているって
自覚がある人なら良いのですが
(よくもないけど気付いているだけマシ)


これって
「アナタのためだから」
ってよくやっちゃう人
そういう常套手段と同じところからほぼきてます

相手を救いたいといいつつ自分を救いたいという
自己投影とか代償行為からの人もいるし
(代理ミュンヒハウゼン症候群的な?)
ヒーローまたはヒロイン願望みたいな

周りからの賞賛(評価)を得たくて
その職業を選んでいるパターン

こういう人は
spiritualなワークをすることや
それらの職業に就いてはいけない人ですね
早いうちに軌道修正が図れればいいのですが

ここに自分には人を救う力があるって
そういう勘違いが加わってしまうと
手に負えなくなってしまいます

でもそうなる前に
現実を前にしたりどこかのタイミングで
「こんなはずじゃなかった」
「思ってたのと違う」と挫折して
フェードアウトしたり
想い通りにならないことで
spiritualなテクニックそのものに興味を失くして
また別の好奇心をそそる
「何か輝けるものor自己投影できる対象」
などを探しに行くことになると思います
(ようするにこういう人は続かないってこと)



私は霊的真理を教える先生もしていますが
同時にレイキヒーリングの先生で
そっちの方が経歴として長いわけです

レイキというハンドヒーリングの手法を学ぶとき
他人に対して
「何かサポートできる技術を得た」ことから
(何か出来る力やスキルを手に入れた)

相手のために「よかれと思って」を口にして
一方的に何かをしがちな人は
その相手方からしたら
「ありがた迷惑」であるエゴイズム
かなりの確率で加速させることになります

この場合の「よかれと思って」な行為は
ぶっちゃけコントロール欲求
(形を変えた支配欲)なんですね

他人や状況を思い通りに操ろうとするエゴイズム

親が自分の子供に対して
それをしてしまうケースは実に多いです
指摘しても「悪いこと」だとは気づかないし
心の底から親心だと信じている人は
困ったことに多いですね

家族として本人を見守ること
当人の夢や願望の実現を応援したり
ヘルスケアのサポートをするのと
「自分を満足させ不安や心配を無くすために
 子供の状況を思い通りに操る」
ことはまったく別ものなのですが
この違いについて
皆さんなかなか理解できないようです

こういう方は
他人の問題を解決する前に
自分の問題を解決するのが先なのです


自分が「いいこと」をしているって
思いたい人は本当に多いです
感謝されたい 評価されたい 認められたい
大人になっても子供のままで
そういう自分の成熟していない
満たされていない感情について
気付いていない人はたくさんいますね

うちにレイキを習いに来る人は
だいたい個人セッションを受けて
自分の問題解決のために何度か通ってくれて
それで自立のためにレイキ習おうって
そういう人がほとんどですけど
もちろん個人セッションは受けずに
ダイレクトにレイキだけ
習いに来る方もいたりします


こういう方がいました

皆で食事に行ったとき
他の人に何が食べたいかほとんど聞かず
自分が食べたいものをこれとこれとこれと
勝手に頼んでしまうのです
(大人です。お子さんもいる人です)
率先して動いてくれるので
一見すると気働きが利く人に見えるのですが
実のところそうではないのです

周囲に配慮しているようで
まったく配慮していないんですね
気を利かせて他の人の代わりに
頼んでいるようで
「何食べたい?何が好き?嫌いなものは?」
などと他の人に対して聞いていない段階で
それは独断的判断なんですね

「気が利く私」と言われたいのか
自分の気持ちだけで動いているんです
親切に見せかけた自分の気持ちや意見の
「押し付け」になってしまっていることに
本人はまったく気づいていません


みんなのために、他の人のために頑張っている私
当人がそう思っているだけで
周囲はそう思ってはいないのです
「仕切りたがりの女王様(鍋奉行)」
「親切の押し売り」
になってしまっている

その事実をその人は見ようとはしません
目を背けて知ろうともしません
指摘しようものなら逆切れです

「他人のためにこれだけ考えてあげられる私」
そのエゴイズムに騙されているので

そして自分(性格)には何も問題がない
自分がすることに問題はない
(誰も自分を制止したり反対意見を述べないから
歓迎されていると…でも普通ほとんどの日本人は
上記のような場面において
はっきりと注意したり反論したりはしないものです)
と思っているので
自分の問題と向き合うよう機会や時間を
自ら持とうとすることはないでしょう

ヒーリングもspiritualなテクニックも
他人を操るためのものではない

といくら説明しても
耳から零れ落ちてしまうのですよ

なので
エゴイズムによるすり替えが起きてしまう
このような人には
霊的知識の初歩的な知識を教えたとしても
これ以上のことに関しては
都合の良いように解釈されたり
よしんば悪用されてしまう…と
途中でお断りすることになります




こういう方もいました

レイキを習得した後
カルナレイキを受講したいという人がいたのですが
(上からの)許可が下りなかったのですね
でもライタリアンレイキならよしとのことでしたので
そちらをオススメすることになりました

レイキヒーリングという
ハンドヒーリングが出来るようになって
当初はご主人やお母様そして友達に対する
サポートが出来るようになって喜んでいたのですが
ヒーリングの結果が出るようになると
が出てこられたようでした

最初は奉仕の精神に火が点いたのか
「世の中のために何かできることがしたい」
と口にされていたので

その当時
私は「お祈り隊」と称した
人類全体やあるいは特定の地域のヒーリングを
生徒さんや有志の人たちに声がけをして
やっていました

なのでそれにお誘いしてみました

ですが、彼女は

私がやりたいこととはちょっと違う
こんな不特定多数の人への曖昧なヒーリングではなくて
北朝鮮の首席を改心させるような働きかけをしたい
世の中を変えるためのもっと直接的なこと
そういうのやりませんか?

ようするに単純な「祈り」とか
災害にあった土地や人々への癒し的なことでは
世の中をよく出来ないしあまり意味がない?みたいな
そんな風に仰る


すると私にまた何かが下りてきました(笑)

唐突にその方が好きなアイドルと
所属事務所が昔行った社会悪的な行為
そういう話を私にさせたのですね

まぁ誰だって自分が好きな芸能人のこと
よくない言われ方されたら当然気分害しますよね

私もなんで今さらな
そんな昔のことを急に自分追及しているんだ?
でした(使われちゃったから仕方ないけど)

その後その人は「お祈り隊」に加わらず
ヒーリングにも興味がなくなったようで
御縁は絶えることになりました

そしてなぜ私がその人に対して
そんな話をさせらることになったのかと言うと

北朝鮮の首席がしていることと
あなたが大好きだったアイドルが
ある人に対して行った不実と
その人の人生を狂わせるような行為の
何がどう違うんだ?ってことですね

たかがアイドルと
一国の首席を一緒にしてもなーではあるものの

していることの重みって
実は対して変わらなかったりします

そしてその方に対しては
自分が好きな人がした「罪」は許せるのに
人としての道を外れた行為は許容して
それはOKといいながらこれはNGと
どうして自己判断してジャッジするの?
自分がジャッジしてNGな行為を
この世にあってはならない事象であると決めつけ
自分が考える善に変えようとするの?

話したこともない相手のことを
邪悪のリーダーであると決めつけて
自分が考えるところの善を行動する人に
どうして変えようとするの?
自分にその権利があるとどうして思うの? 
どうして自分が善悪を決めることが出来ると思うの?

世間一般から明らかに叩かれている
あなたのアイドルのことをあなたはかばうのに
彼の罪や傲慢な考えを
あなたは更生させようともしないのに
その被害にあった人を癒そうともしないのに

こっちは悪でなくてこっちは悪だと?


そういう指摘
問いかけですね

それをやらされたんですね

北朝鮮のことを言う前に
少し前に騒がれた芸能界や芸能事務所の闇や忖度
そうした力関係によってつぶされた人たち
運命を狂わされた人たち
あなたの大好きなアイドルの被害者

そっちを考えることのほうが先では?

辛い想いをしている人がいるのは
どっちも同じだよ
世界情勢のほうが優先順位が高いってのでもない

もちろん世の中で起こることの全てのことにたいして
何か出来るというほどの力なんてない


結局のところ

「何か出来る自分」になりたいだけなんですよね

何かにたいして影響力を与えられる自分になりたいだけ

その対象となるのは大きければ大きいほうがいい
その方が何か成し遂げた「達成感」があるから
アプローチする対象が大きければ大きいほど
(世の中の重要度、注目度が高いということ)
自分がそれだけ大きくて偉大なことが出来た

という自己満足が得られ
偽善的な欺瞞が満たされるという錯覚
をするのです

これは実のところカタチを変えた
征服欲なんですよね

子供向け特撮に出てくる悪役がよく言う
「世界征服」的な支配欲と表裏一体なのです

世界の人々(世の中や社会)にとって
一見すると善い事で行いだと思えることなのですが
これもある意味で形を変えた
「野心」「野望」なんですね


そういうエゴイズムを持つ人も多いです



そしてまたまだ続きます
(明日書けるかな書けるといいなっっ)

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