一つの例題について語ると
類似のケースのことを
すべて同様に捉えてしまう人がいるので
決して全員が全員そうではないと
一人ひとり違う理由でそのような状況にあるのだと
与えられた人生は同じものではないのだと
予め断り書きをしておきます
日本の人口は減少に向かっていて少子化は進み
老人と若者の人口比率は理想的な三角形とは程遠く
むしろ逆三角形で若年層への負担は増すばかり
子供が増えても何とかなるといった時代ははるか遠く
たった一人を産み育てるのも大変で
それ相応の覚悟がないと子供を持つことはできない
晩婚化の影響も多少はあろうが
ひと昔前の死語ではあるがディンクスという
子供を持たない選択をする夫婦もいるし
未婚の男女も増え
ワーキングプアが故に結婚も子育てもあきらめる
そういった人々もいる
子供を欲しがっているところには生まれず
望まないものが妊娠し
無責任の結果として闇に葬られる命も減らないし
児童虐待による子殺しもニュースからは無くならない
よき親になりそうな人は不妊で
どうしようもないDQNな放置親のところに
次々とコウノトリが舞い降りたりもする
ほんと世の中ままならない
理不尽で不公平そのものの世の矛盾とも思うが
それも理由があったりする
ある人がいた
漢方の分野で気が付けば不妊治療の専門となっていた
意図してそうなったわけではないが
偶然が重なってその方面の知識を身に着け
導かれていたという流れ
だがそれはその人が過去に犯した罪への
「償い」のひとつの形にしか過ぎない
その昔、戦場を駆け巡って
大量に市民を惨殺し、命乞いをする年寄りや女性
そして年端もいかない子供たちや赤ん坊や妊婦をも
切り捨てて大勢の命を奪ったことの贖い
たくさんの命を奪った罪に対して
命をこの世に産み出す手伝いをしているというだけ
そこには当人の自主的な奉仕精神と
意識的な「反省心」「悔恨の念」は無いが
魂の計画と干渉によって
無意識的に罪の清算をしているという構図
またその人自身の「過ち」だけでなく
家系的に「ご典医」のようなことを代々しており
作為的に命を奪うことを仕事として行っていたが故の
宿業ともいうような咎も重ねて背負っていた
その人が殺めてしまった人の数だけ
不妊治療のクライアントをサポートしたり
出産へと至らせたりする必要があるかというと
数字レベルで同等に語ることではないし
殺した人数分、助ければOKという問題でもない
とはいうものの
その人が過去に奪った命の数はあまりにも多く
殺した数だけ命を救う必要があるというのなら
とても今回の人生だけで贖えるものではないだろう
その仕事を通して悩める人の力になっているからといって
必ずしもその人が人間的に成長できているとは言えないので
人として目覚めて
正しい生き方を歩き始めようと決心しないことには
そのように
「命」を救うという職業に就いている人の中には
「命」に対する罪を負っているが故に
かつての自分の軽率さや過ちを贖うように
その職に就いている人も時々いたりする
上記とは別の人
同様の仕事をしている人で
自らも不妊に悩み
終わりの見えない治療に悩んでいる人がいた
その人自身が不妊に苦しんでいるから
同じ不妊の人のプレッシャーや苦しみ
不妊治療の辛さが理解できるだろうし
気持ちにも寄り添ってあげられるのだろう
…と普通は思うし
実際そうなのだろう
確かにそうした経験が当人には必要だった
子供を授かりたくても授かれない人の痛み
そうした人々と向き合って命の重みを知る経験が
その人はある人生で「堕胎」を請け負っていた
惨いことにそこには「間引き」も含まれる
たくさんの命を
代々受け継いだ知恵を使って闇に葬っていたのだ
避妊具が存在しなかった過去の時代においては
意図的に妊娠を防ぐ手立てはなかったし
望まない妊娠をしたとき
女性たちにはそのような方法しか選択がなかったろう
全員を育て上げることが可能な身分に生まれ
食が豊富な時代であったなら
生まれ来る命の誕生を拒む必要もなかったろう
だが飢餓があり
貧しさ故に産み育てることが不可能ということもあった
そうした女性たちの最後の砦として
堕胎医は必要悪であったのだと思う
そして産婆も親の苦悩や命の尊さを知るが故に
その逆のことも引き受けてきたのだと思う
だがしかし「命」の重さを軽視して
モノとしか見ないものもいたろうし
その職を「金」のなる木としか考えないものもいた
貧しいワケアリの女たちから
乳飲み子を代わりに養育するといって引き取り
その日のうちに土に返しては
定期的に届く預かり料を目当てに
あくどい手口を繰り返すものも
それはそうだ
そんなことをしておいて
わが子をその手に抱けるとは思わないほうがいい
たくさんの子供たちの命
たくさんの母親たちの想いを
踏みにじってお金に換えてきたのだから
たくさんたくさん苦しまなければならないだろう
子供を望む人の助けをしながら
授かった人の喜びを目の当たりにして
笑顔で祝福しおのが手柄のように感謝されつつも
自分は授かることのできない苦痛と葛藤を
その仕事をする限り味わい続けなければいけない
すべての命に対して愛情を注げる日が来るその日まで
他人のところに訪れた小さな命を
心から我がことのように喜べるその日まで
苦悶は続くだろう
ちなみにその人はお客さんではないので
私が彼女にそれを告げる日が来ることはない
他者をして学ばせていただいた人生、教訓のひとつ
重ねて言うが
すべての不妊の女性そして
不妊治療に携わる医療従事者が
上記のような事例と同様の背景を持っているわけではない
あくまでこのような事例の人もいるというだけだ
そのことを勘違いしないで欲しい
日本という国における少子化の問題や
不妊が増えている背景については
環境ホルモンの問題や社会の在り様や男女の働き方
食や生活習慣が大きく変わったことも
原因にあるだろうし
戦時下(空襲)などの極端なストレスにさらされると
妊娠や出産率が左右され低下するという研究結果もある
そういう意味ではストレスの多い日常と社会的な不安が
妊娠率を低くさせている要因のひとつかもしれない
スピリチュアル的なレベルから見たときには
「国」のカルマが大きく関係している
戦前の日本には「生めや増やせや」といった
国策として「人間(命)」を国の資源
すなわち消耗品と見なした大きな業がある
そして戦後に親を奪って孤児にした子供たちに
国として何も救済をしなかった罪もある
不妊に悩む女性ばかりでなく
多く女性にヒーリングとして氣を流すとき
子宮の中にたくさんの哀しみや罪悪感が
詰まっているのをよく見かける
過去生の哀しみ
そこには子流れや流産や死産といった出来事で
生んであげることができなかった子供に対する哀しみ
子供を亡くした哀しみ
産んだ子を取り上げられた哀しみ
出産によって
自らも死んでしまった痛みと苦しみと恐怖
子供を産め…と…跡継ぎである男の子を産めと
プレッシャーをかけられた日々の苦悩と嘆き
子供を産む機械のように
道具として扱われた日々の惨めな記憶
絶え間ない妊娠により出産と妊娠を繰り返して
妊娠することが恐怖になってしまった人生の
辛い日々の記憶等なと…
それは子宮だけでなく
第一チャクラにもたくさんたくさん
当人だけのものではなく母親や祖母
そのまた先祖である代々の女たちが背負ってきた
たくさんのたくさんの苦しみと悲しみと嘆き
悲鳴のようにそれらが折り重なって
妊娠することを拒むかのように
石のようにそれらが子宮内を占拠している
とても固く、重たい、暗いエネルギーの塊として
欲しいと当人は口にしながら
今のその人は望みながら
身体は妊娠することを畏怖し
恐怖の記憶に縛られていたりする
なかには「自分には母親になる資格がない」と
そのような思いに支配されている人もいる
また男女というのは不思議なもので
憎い相手と再びカルマの清算をすべく
出会って惹かれあってしまうことが多々ある
自分を殺してくれた敵や
あれほど酷い目に遭わせてくれた人なのに?
と思うような相手と何故だか縁付いて
結婚している人は少なくないのだ
そうすると
「この人の遺伝子は残したくない」
と抑制が働くのか
不妊ではないのに妊娠しないという人もいる
そして離婚して別の人と結婚した結果
その相手とすぐに子宝に恵まれるということも
なるほど
母、となるべく人たちは
未だに過去の傷に囚われているのだ
そんな風にいろんなことが相まって
今の少子化で高齢化でもあるのだろう
(高齢化も日本の社会のカルマには違いない)
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