先日お越し下さったお客様が
こちらのブログ(サイト)はもう数年前から知っていて
セッションに伺いたいとずっと思っていたのだけれど
経済的理由でなかなか来れなかった
とお話して下さいました
そう仰って頂けるのは嬉しくも有り
逆に申し訳なくもあり
料金体系については
以前にもやはりどこか過去記事に書いたと思うのですが
占い師として占いの館などに出ていたときは
20分2000〜3000円が代金の相場でしたし
今の様に自宅でのサロン形式にした時も
普通の派遣OLさんでも支払える金額にと
低価格で設定させて頂いていたのです
でもそうすると
自分の問題にきちんと向き合うというより
それではうちが提供しているサービスの主旨とは
ミスマッチングだしちょっと違うんじゃないか
という方の来訪が多くなり
お客様を選別する意味でも値上げさせて頂いたのです
理想としては
困っている人や行き詰っている人こそ
手を差し伸べたいし低料金に設定したい
とそんな風に考えていた時期もありましたが
私のセッションでお伝えしている過去生のこととかは
そんなに簡単で気軽に提供してよい情報でもない
というのもあるのです
ただしヒーリング(気功)だけとか話を聞くだけなら
また違うのかな
サロンとは別の場所で
ふつーの占いとかヒーリングだけをするなら
低価格な料金の設定は可能になります
(自宅だと短時間できっちりが難しいので)
まあ単なる占い師として働けそうな場所とか
ヒーリングだけができそうな場所があれば考えてみます
問題はそういった場所が見つかるかどうかですが
確かにたった20分の会話(やりとり)で
具体的にヒントを見つけて切り替えられる人もいるけど
何時間も話しこまないと・・・という人もいたりして
こちらが各自に合わせてというのは難しく
お客さん自身が今の自分にはどういったサービスが
必要であるのか、自分が必要としているのは何か
というのを考えた上で選んでもらうしかないのです
経済的にどん底だから助けて欲しいけど
血路を開く為に何とかしたいのに
病気で働けなくて治りたいけど原因不明で
借金を抱えててどうにかしたいけど
そんな理由でお金がないという人も多く
私自身も色々ありましたからわかるんですけど
でも高みに達していない私には
まだ他者に対してそのような
霊的なボランティアができるほどの
現実的にも精神的にも豊かさが足りてないので
今はまだできないなと感じています
そういう人には自力で努力する方法を
こうしたブログとかアルファーの魔女ブログの方とか
ネットで流す無償情報を提供させて頂くしかないです
今は
自分でセルフカウンセリング(セラピー)をしたり
セルフヒーリングやワークをしたり
悪い習慣を絶って運気を好転する方法とか
お金をかけずに自分でという方法を
こちらでも紹介できたらなと、はい
少しずつですが
2019/05/31
2019/05/20
君子は和して同ぜず小人は同じて和せず
以前というより何度か書いたことがあると思うのですけど
私には同業の友達がほとんどいません
ほとんどというより皆無に等しいですね
程よい距離で長くおつ付き合いしているのは
アルファーのローズマリーさんくらいかな
(彼女はホント素敵な人でいつも助けて頂いてます)
この世界個性的で変わった人が多いので(私を含めて)
趣味や会話の面で共通項目のある人が少ない
といったほうが正しいかも知れません
というのも
私はいわゆるスピ話というのに興味がなく
プライベートは完全に俗物なんですね
私自身、十分に電波系なのですが
だからといってすべての電波さんと話が合うとは限らず
たぶん私は
スピリチュアルなことを教えてはいるけれど
ジャンル的傾向?としてはスピ系の人よりは
オカルト系とか魔術話とかそっちの方の人との方が
話が盛り上がったり合うことが多かった気がします
たぶん視点も異なっていて
ベースにある知識も違うからなのでしょう
お互いに視えているもの視ているものが違うから
会話が噛み合わず成り立たないのです
それだけのことです
以前こんなことがありました
とある、自宅の一室を解放して知人に貸し出し
ワークショップなどを開催している人がいたんですが
室内を思い切ってリフォームするとのこと
ですが、その部屋では今まで
たくさんの集まりがあったので良いエネルギーの和
とってもグッドなグループエレメンタルがあったんですね
全面改装するとなるとそれって壊れる可能性が高いから
こうしたことを説明した上で
「このGエレメンタルは4次元の別なとこ移しておいて
リフォーム終わってから戻すといいよね」
という話をしたんです
同じ知識のバックボーンがある人たちだから
(私よりも長く学ばれてるし)
それで通じたと思い込んでた
(ちなみに
神社の本殿の改装とか移築とかでも
行われている昔ながらのスタンダードな方法です)
ところが彼らは
室内にある家具は買い替えずに(レンタルルームに)保管して
リフォームが終わってから戻すといいよ
という風に理解をしていたのでした
私の説明が悪すぎたとしかいいようがないのですが
「あれっ? どうしてそーなった??」
とちょっとした衝撃だったんです
同じ知識を同じ場所で学んで(私よりももっと古くから)
当たり前のようにエレメンタルの話をしていたから
エレメンタルのこと解っていると思ってたのに
エレメンタルの話が通じてない
なので同じ知識を持っていても理解度は異なるもので
相手も同じものが視えているとは限らず
同じ世界に捉えているとは限らないのだと
改めて痛感した出来事でして
言葉もですが伝え方って難しいなと
そうしたことも含めて
霊的な信念体系や価値観が異なる同業の人とは
捉えている世界や視ているものにギャップがあるので
話が噛み合わないってことも出てきちゃいます
他者や情報交換に否定的なつもりはないけど
互いを尊重し合える対等な関係を築くには
接点や共通点がないことには
始まらないなってのはありますよね
そういう意味では私は日常において外の世界に
スピリチュアルな情報を求めてはいないので
(無関心というか触手が伸びないというか)
スピ仲間を求めている人に対しては
私はちょっと違います、ごめんなさいという感じです
まぁリゾート感覚で瞑想村に行ったり
心身を鍛えるために滝に打たれに行ったり
神社やお寺にも行きますし
そういう場所で知り合った人と
その場限りのおしゃべりや
一期一会の出逢いを楽しんだりもしますけど
なんていうか積極的に「お仲間」を
求めているわけではないのです
もちろん意気投合して仲良くなれる人がいれば
それに越したことはありませんし
そうした出逢いを拒絶してはいません
なかなか出会えませんが
話は変わりますが
私は決して友人は多くないほうですけど
私の友人は私の仕事のことは知っているけど
私が仕事としている分野の助けを
必要とはしない人たちばかりって感じです
もちろん彼女たちにも悩みはあります
人生に問題がないわけではないのですが
友達に相談はしても
占いだとかスピリチュアルなことに頼るようなことは
考えない人たちですね
そうした話もほとんどしないし
私がすれば聞いてはくれるけど(愚痴とか)
みんなアクティブで外交的で
人間的に自立しているというのが共通点でしょうか
専業主婦も子無も子持も孫持ちも独身もバツイチも
うんと年下もうんと年上(70代80代)の友人もいますが
協調性があって社交的ではあっても
群れることなくおひとり様も平気な人たちばかり
だからこそ長く付き合えている
何かあったら助けてくれるけど
寄りかかりすぎず頼り過ぎず
互いの負担にならないちょうどいい距離で
悪く言えば甘えられない程よい距離感w
ホントにフツーの友達です
家族のこと人生のこと仕事のこと
将来の展望や不安、心配ごと
好きなことや興味のあること
昔話やどうでもいいことことから深い話まで
色々話はするけれど
たわいのないおしゃべりがとても楽しく
素のままの自分
タダのオバサンでいられる時間は
人としてとても大事だと思ったりします
クライアントさんや生徒さんとして
出逢った人と仲良くなって
仕事抜きで長いお付き合いになることも稀にあります
ですがそれは
きちんと「わきまえて」くれる人とだけの話です
今のところそれはほんの数人だけですね
仕事の依頼とプライベートを分けて
公私混同せずに関係性を築ける人との間だけ
それ以外の人とは距離は置かせて頂いています
(レイキのレッスンなどで地元を案内がてら
ランチをご一緒することはありますが)
皆さんで、という一対一にはならないときなら
ご飯に行ったりしますけども
お互いに気持ちよく健康的な関係でいるために
必要以上に距離を詰め過ぎないよう
親しくならないように気を付けてはいます
このような仕事をしていますが
私はプライベートでは漫画を読んだりゲームをやったり
一人でカラオケ行っちゃったり
カフェとかでまったりお茶したり
美味しいものを食べるのが好きで
ぼっーとだらだら過ごすのも大好きで
運動音痴ですが阪神タイガースファンで
モルツドリームマッチに毎年行くのが楽しみで
好きなミュージシャン(主に外タレ)のライブに行ったり
映画を見に行ったり美術館や博物館の展示に行ったり
散歩をしたり神社仏閣にお参りに行ったり
ネットサーフでまとめサイト読んだり
Youtubeでミュージックビデオ見たり
(ハードロックやプログレ、ブリティッシュロック好き)
鉄道系や飛行機系YouTuberの動画見たり
歴史系や史実系、しくじり企業やゆっくりボイス
ナショジオの番組や犯罪や事件記録
シリアルキラーものやプロファイリングものとか
んな動画や資料を読むのが大好きだったりして
そのように普段は
「スピリチュアル❓ なにそれ 美味しいの❓」
みたいな感じの
スピリチュアルとは全く縁のない趣味つーか
日常を送っている根っからの俗物でございます
ネットサーフでまとめサイト読んだり
Youtubeでミュージックビデオ見たり
(ハードロックやプログレ、ブリティッシュロック好き)
鉄道系や飛行機系YouTuberの動画見たり
歴史系や史実系、しくじり企業やゆっくりボイス
ナショジオの番組や犯罪や事件記録
シリアルキラーものやプロファイリングものとか
んな動画や資料を読むのが大好きだったりして
そのように普段は
「スピリチュアル❓ なにそれ 美味しいの❓」
みたいな感じの
スピリチュアルとは全く縁のない趣味つーか
日常を送っている根っからの俗物でございます
2019/05/17
隣人の残留物
以前に書いた記事
「家族を守護する家のオーラ~空き家は魔の巣窟」
でもちらりと触れましたけど
家や建物、土地などには
そこに住んでいた人のエネルギーの残留物が
居残っていることがかなりのケースであります
長く住んでいれば住んでいるけど…でもあるし
住んでいた人が強烈な人であれば
(良い意味でも悪い意味でも)
短期間に滞在していただけでも居残るものはあるし
まして「事件」が起こったとなると
そうした残留思念も土地が出来事を記憶するかのごとく
いつまでもそこに存在することになります
賃貸でもそうですが家の持ち主として住んでいたり
先祖代々その土地に住んでいたなんてことなら
なおさら土地に居ついている残留物としての思念
すなわちエレメンタルの総量はハンパないです
それこそ汚部屋や汚屋敷の比ではなく…
事故物件でないからって安全というわけではないのです
ただ、良い土地、良い物件というのは
基本的に居心地が良いので人が動かず
家や土地自体も「住人」が気に入ったら
バックアップするかのごとく支えてくれますから
入れ替わりは自然と少なくなりますね
とはいうものの
土地も家も自然の摂理の中で
太陽の「光」と「氣」の循環による自浄作用で
遅かれ早かれクリーニングされてはいくのだけど
風水の観点から見て
よろしくない土地や物件というのは
得てして氣の循環悪くこの自浄作用が上手く働かない
いつまでたっても「ケガレ」が居残り
なかなか消えない「ケガレ」によって
新たな「ケガレ」を周囲から引き寄せて
貯めこんでしまうところでもあったりするので
キレイにするためには
人工的な働きかけが必要になってしまいます
さて前置きが長くなってしまいましたけど
先日のことですが、10年以上お付き合いがあり
スクールの元生徒さんでもあるクライアントさんが
体調を崩されてなかなか回復しないとのことだったので
遠隔ヒーリングをさせて頂いたんですね
ふつーのレイキのマグネティックヒーリングをしていて
さて部屋の掃除をするかーと…そうしたらば
ふと壁際から飛び出して乱入しようとしてきている
ある奇妙なモノがたくさんいることに気が付いたんですね
その姿カタチを見て
「ラ、ランゴリアーズ?」
と思ってしまいました
スティーブン・キングが好きな人なら
わかると思うんですけど
(TVドラマ化はされたけど映画化はされてなくて
日本でかなり以前にNHKで放映されたかな?)
うんとー こんな感じ
似てるってだけでまったく同じでないです
こんな風にとがった歯はなかったけど
唇が分厚くて、こんな風な口から
舌が蛇みたいにでろーんで飛び出してた
で、こんな感じに同じものがたくさーん
想像されると気持ち悪いでしょw
ええ、皆さん視えないだけで
人が作ったこういうもの
たくさんそこいらに存在していますよ
皆さん視えなくて幸いだと思います
それでもまだこれはマシなカタチな方かな
もっと気持ち悪いものたくさんあるから
ちなみにその方はこ洒落たテラスハウス風の家に
住んでらっしゃるのですが
このGWにお隣さんが転居したとのこと
はい、このランゴリアーズもどきのエレメンタルが
侵入しようとしている壁の方のお隣さん
壁一枚で繋がっていますから
たまに口論していたりなど
「もしかしてDV?」と思うようなことがあって
心配はしていたそうなんですね
(でも人付き合いを避ける感じの奥さんだったみたいで
そういう声掛けが出来る雰囲気ではなかったらしく)
どうもDVっていうよりは
モラハラ旦那さんだったみたいです
このランゴリアーズもどきを見る分には
エネルギーをくれていた主が
転居でいなくなってしまったから
エネルギーを求めて暴れていて
かつまた隣人宅に侵入しようとしていたみたいっっ汗
入ってこられたら困るしガードするしかないですが
こんなのが隣家にうじゃうじゃいて
壁一枚の距離で暴れまくっていたらば
直接に接していなくても悪い影響を受けそうです
そういえばGW明けて治っていたと思っていた
風邪がぶり返したのもドンピシャなタイミング
まあそうですね
言葉のエレメンタルは良いものは「言霊(言魂)といいますけど
良くないものはどれもこんな
ランゴリアーズみたいな口のお化けですね
人の悪口や噂話をしている人の周囲にも
こんなエレメンタルはたくさんたくさん大量にあります
そしてこういう形の生霊が相手の元に飛んでいきます
悪意があろうとなかろうと
他人に対して口うるさくあーだこーだ言う人
人を批判する人、言葉で口撃する人
こういうエレメンタルを毎日大量生産しています
しかもマジンガンのように連続発射で
その人の口から実際に出てくるんですよ
このランゴリアーズが
見てるだけで吐き気がしますけど
このストーンズのロゴみたいなモノもありますけど
(これはまあカワイイ?のかな?)
生霊として相手の元に飛んで行っても
最終的には必ず作った当人の元に帰ってくるから
このランゴリアーズに喰われてしまうのは
その人自身ですけどもね
その数が多ければ多いほど後始末が大変そうです
しかしモラハラな人のこういうエレメンタルに
毎日口撃されてたらば感覚が麻痺して
奴隷乙になってしまうのも解るような気がします
洗脳をする人というのはやっぱ皆
こういうエレメンタルを作って
対象者のオーラやチャクラに埋め込んで
エネルギーを奪っていくのだなあと
実際に大量に放棄された引っ越しゴミとしての
エレメンタルを視て、そう思ったのでした
遠隔だとちょっと弱いから
今度なんとかしに行きますけどね
それまでこのランゴリアーズに
侵入されないように頑張ってねっっ
(って今その体力がないっちゅーの)
「家族を守護する家のオーラ~空き家は魔の巣窟」
でもちらりと触れましたけど
家や建物、土地などには
そこに住んでいた人のエネルギーの残留物が
居残っていることがかなりのケースであります
長く住んでいれば住んでいるけど…でもあるし
住んでいた人が強烈な人であれば
(良い意味でも悪い意味でも)
短期間に滞在していただけでも居残るものはあるし
まして「事件」が起こったとなると
そうした残留思念も土地が出来事を記憶するかのごとく
いつまでもそこに存在することになります
賃貸でもそうですが家の持ち主として住んでいたり
先祖代々その土地に住んでいたなんてことなら
なおさら土地に居ついている残留物としての思念
すなわちエレメンタルの総量はハンパないです
それこそ汚部屋や汚屋敷の比ではなく…
事故物件でないからって安全というわけではないのです
ただ、良い土地、良い物件というのは
基本的に居心地が良いので人が動かず
家や土地自体も「住人」が気に入ったら
バックアップするかのごとく支えてくれますから
入れ替わりは自然と少なくなりますね
とはいうものの
土地も家も自然の摂理の中で
太陽の「光」と「氣」の循環による自浄作用で
遅かれ早かれクリーニングされてはいくのだけど
風水の観点から見て
よろしくない土地や物件というのは
得てして氣の循環悪くこの自浄作用が上手く働かない
いつまでたっても「ケガレ」が居残り
なかなか消えない「ケガレ」によって
新たな「ケガレ」を周囲から引き寄せて
貯めこんでしまうところでもあったりするので
キレイにするためには
人工的な働きかけが必要になってしまいます
さて前置きが長くなってしまいましたけど
先日のことですが、10年以上お付き合いがあり
スクールの元生徒さんでもあるクライアントさんが
体調を崩されてなかなか回復しないとのことだったので
遠隔ヒーリングをさせて頂いたんですね
ふつーのレイキのマグネティックヒーリングをしていて
さて部屋の掃除をするかーと…そうしたらば
ふと壁際から飛び出して乱入しようとしてきている
ある奇妙なモノがたくさんいることに気が付いたんですね
その姿カタチを見て
「ラ、ランゴリアーズ?」
と思ってしまいました
スティーブン・キングが好きな人なら
わかると思うんですけど
(TVドラマ化はされたけど映画化はされてなくて
日本でかなり以前にNHKで放映されたかな?)
うんとー こんな感じ
似てるってだけでまったく同じでないです
こんな風にとがった歯はなかったけど
唇が分厚くて、こんな風な口から
舌が蛇みたいにでろーんで飛び出してた
で、こんな感じに同じものがたくさーん
想像されると気持ち悪いでしょw
ええ、皆さん視えないだけで
人が作ったこういうもの
たくさんそこいらに存在していますよ
皆さん視えなくて幸いだと思います
それでもまだこれはマシなカタチな方かな
もっと気持ち悪いものたくさんあるから
ちなみにその方はこ洒落たテラスハウス風の家に
住んでらっしゃるのですが
このGWにお隣さんが転居したとのこと
はい、このランゴリアーズもどきのエレメンタルが
侵入しようとしている壁の方のお隣さん
壁一枚で繋がっていますから
たまに口論していたりなど
「もしかしてDV?」と思うようなことがあって
心配はしていたそうなんですね
(でも人付き合いを避ける感じの奥さんだったみたいで
そういう声掛けが出来る雰囲気ではなかったらしく)
どうもDVっていうよりは
モラハラ旦那さんだったみたいです
このランゴリアーズもどきを見る分には
エネルギーをくれていた主が
転居でいなくなってしまったから
エネルギーを求めて暴れていて
かつまた隣人宅に侵入しようとしていたみたいっっ汗
入ってこられたら困るしガードするしかないですが
こんなのが隣家にうじゃうじゃいて
壁一枚の距離で暴れまくっていたらば
直接に接していなくても悪い影響を受けそうです
そういえばGW明けて治っていたと思っていた
風邪がぶり返したのもドンピシャなタイミング
まあそうですね
言葉のエレメンタルは良いものは「言霊(言魂)といいますけど
良くないものはどれもこんな
ランゴリアーズみたいな口のお化けですね
人の悪口や噂話をしている人の周囲にも
こんなエレメンタルはたくさんたくさん大量にあります
そしてこういう形の生霊が相手の元に飛んでいきます
悪意があろうとなかろうと
他人に対して口うるさくあーだこーだ言う人
人を批判する人、言葉で口撃する人
こういうエレメンタルを毎日大量生産しています
しかもマジンガンのように連続発射で
その人の口から実際に出てくるんですよ
このランゴリアーズが
見てるだけで吐き気がしますけど
(これはまあカワイイ?のかな?)
生霊として相手の元に飛んで行っても
最終的には必ず作った当人の元に帰ってくるから
このランゴリアーズに喰われてしまうのは
その人自身ですけどもね
その数が多ければ多いほど後始末が大変そうです
しかしモラハラな人のこういうエレメンタルに
毎日口撃されてたらば感覚が麻痺して
奴隷乙になってしまうのも解るような気がします
洗脳をする人というのはやっぱ皆
こういうエレメンタルを作って
対象者のオーラやチャクラに埋め込んで
エネルギーを奪っていくのだなあと
実際に大量に放棄された引っ越しゴミとしての
エレメンタルを視て、そう思ったのでした
遠隔だとちょっと弱いから
今度なんとかしに行きますけどね
それまでこのランゴリアーズに
侵入されないように頑張ってねっっ
(って今その体力がないっちゅーの)
2019/05/10
女の望みは神の望み
※タイトル→(諺)女性は一度思い込んだら
何が何でも自分の欲望を満たすものだの意
それが恋愛にせよ結婚にせよ
パートナーたる相手のことを
自分の望みを叶えてくれる
道具か何かと勘違いしている人がいます
ほとんどの人はそんな風に
自分が相手のことを
「自分の願いを叶えるための存在」
として捉えてしまっていることに
まったく気づいていません
「結婚して、二人で協力し合って
一戸建てを持つのが夢だった」
「彼と結婚して、
彼の子供を産み、家庭を作りたい」
そのような願いを持つことは悪いことではないし
誰しもが描く、ささやかな将来の夢だと思います
ですが、それはあくまで
「その人自身」の個人の夢です
肝心なのは相手も同じ夢を持っているか否か
お互いが目指して思い描いている
将来設計の方向性が同じなら良いのです
まったく同じではなくても
共通点や類似点が見いだせて
妥協してすり合わせていくことが可能なら
そして愛情が緩和剤となるならば
譲り合って何とかなるでしょうし
同じレールの上を旅することが出来るはずです
需要と供給のバランスが合っているかどうかですね
(互いが互いを利用し合っていたとしても
互いがそれを承知で利害が一致していれば
結果オーライでそれでよいのです)
ある人が個人として、叶えたい夢や
理想の未来像を持っているように
そして絶対に譲れない条件もあるように
他人もまた同じように、叶えたい夢や希望
理想の未来像を持っているものです
絶対に譲れない条件なども合わせて
だけどほとんどの人が
自分の条件を優先してもらうことを相手に望みます
何よりも先に自分が幸福になる条件を
相手に叶えてもらいたがるのです
その前には相手にとっての幸福や望みなど後回しです
といいますか
どうでもいい知ったこっちゃないみたいな人多すぎ
恋愛(交際)中はお互いを知る期間ですが
結婚は契約関係です
子供を産む産まない
産まれたら子育てをどうするか
産まれなかったらどうするか
お互いの親の介護問題
結婚してからの家計や親戚づきあい
住居問題から老後のことまで
あらゆる結婚後の生活プランについて
価値観などすり合わせて話し合ってからが理想です
でも肝心のそこはおざなりで
「とりあえず結婚する」
ということが第一の目標で目的となっていて
結婚後に「こんなはずではなかった」
と理想の結婚生活との相違に文句を言う人ばかり
まあ、100%合う人なんて
自分以外にはこの世に存在しませんので
誰かと関わっていくこと、家族になることは
妥協とすり合わせの連続ですけどね
決して容易な道のりではありません
ひと昔前の結婚は女性にとっては就職でしたけど
今の時代は自分で選んだ道
人生の選択肢のひとつです
パートナーもお仕着せではなく
自ら選ぶことが出来て拒否権もあるのです
誰かと一緒に生きることを選ぶのなら
自分一人だけの都合ばかり考えてはいられません
(一人ひとりせ選択肢が与えられた結果
結婚しない人だけでなく出来ない人も増大しましたが)
その辺りはちょっと置いておいて
結局のところ
惚れて「この人」と思った
大好きな相手と結婚したとしても
いやさまだ交際や片思い中の段階であっても
その人と結婚したいといいつつ
「相手の幸せ」よりみんな
「自分の幸せ」がプライオリティの一番にある
自分が思い描いている「理想の結婚」や「未来」が
相手にとっても「理想の結婚」や「未来」であるとは
必ずしも限らないのに
むしろ相手にとっては求めているものとは真逆のもので
その方とのご縁が一番の幸福であるとは解らないのに
相手を好きだ、誰よりも愛しているといいながら
「相手にとっての幸せ」とは何かを考える隙間はなく
「相手を幸せにしたい」という想いはなく
「自分が幸せになりたい」から「この人を望む」
という、相手が自分の理想を叶えるための存在として
見てしまっていることになかなか気づかない
ようするに相手を愛しているのではなく
自分だけを愛しているんですね
相手のことなんて愛していないんです
そして困ったことにほとんどの人が
それを愛と勘違いしていて
自分の望みを叶えるための存在として
相手をみなしていて
なおかつ相手を自分の考える幸福のために
利用しようとしていることに
気が付いていないのです
自分がエゴイズムの奴隷となっているということに…
だからよしんば目的が叶ったとしても
一時的な満足は得られても真の意味での幸福
相互理解に基づく愛情は得られないんです
エゴイズムで利用し合う関係はいずれ崩壊します
ですかいつかほころびが生じます
もしくは何か大きな試練や喪失を経験するでしょう
互いに対してカルマを背負うことにもなりますし
その人にとっての本当の欲しいもの
その人が求めている幸せを知ろうとはせず
その人が叶えたいと考えている夢や理想を
自分が叶えてあげたいと
相手の望む幸福を自分が与えたいとは思わず
そこは無視しちゃって
私は「この人がいい」ってなっちゃってるのは
実のところ
相手に愛されることで幸せになれるという幻想は
相手に愛されることで幸せになりたいという欲望
本当の愛は相手の幸せを考えることですから
そこに真実の愛情があるのであれば
相手を「幸せにしてあげたい」というのが
プライオリティーの一番に来るはずです
それは自己犠牲とはまた別だったりしますが
その辺りの区別も難しいとこですね
結婚はまあ、恋愛と違って
そこは家族になって「家庭」を持つという契約なので
愛情がなくとも互いの利害が一致すればそれはありで
大事なのは「株式会社家族」における
共同経営者としての方針の一致でしょう
経営方針や理念が一致しないのであれば
共同経営者になるのはそもそも無理があります
愛情だけでは共に「生きる」ことは出来ませんから
話し合っても
妥協点がどう考えても見いだせないのであれば
それはいずれ経営破綻につながるから
清算するしかない関係って感じでしょうね
でも、それぞれがパートナーに求めるものや
こうありたいと欲するライフスタイル
人生に望むことや理想の未来予想図が
一致していなかったり大きなズレがあるのに
自分の未来予想図や理想ばかりを相手に押し付けて
相手が求めている幸福をいっさい無視して
自分の望みを叶えてくれない同じ夢をみてくれないって
そういうのは、それは本当に単なるワガママで
自己愛を相手に投影しているだけで
相手の人間性とか尊厳とか人生とかをまるっと
踏みにじっている行為で自分以下の奴隷ですって
そんな扱いをしているのと同じだって
気づいて欲しいなって思います
本当に好きならば
相手のことを想う気持ちに嘘がないなら
「何が一番相手にとって幸福か」を考えられるはずだし
結婚相手に対しても(したい相手に対しても)
ちゃんと相手の気持ちを聞き、自分の気持ちも伝えつつ
相手の望みも尊重して探り合っていけるはずだから
いずれにしても恋愛も結婚も人間関係で
関係というのは築いていくしかないんですよ
話し合って気持ちを言葉にして伝える努力をして
想いや感謝を態度に表して
相手の愛情を読み取ろうとしたり
自分の愛情も相手にわかるように示して
上手くいくためのやり方を試して試して
それで進んでいくしかないです
性的なセクシャリティで未来永劫続く関係なんて
ほとんど皆無なんだから
そして恋愛ホルモン?も2年しかもたないので
人として長く関わっていける相手かどうか
友達(親友)とも同士とも同居人としても
上手くやっていける相手かどうか
譲歩し合うべきところがたくさんあるんで
結ばれる縁がどうこうとか運命の相手とか
過去生からの知り合いとか過去がどうだったか何て
そんなんぶっちゃけ関係ないです
今の人生で出会って関わっている事実がすべてで
今その人が表しているパーソナリティがすべてで
ここから始めるべき関係だからです
そして相手やその人との未来に強く執着する前に
きちんと自分の心に問うて考えて欲しいのです
「あなたは本当に相手のことを愛しているのですか?」
「自分が愛されたいがために相手を求めていませんか?」
「その人のとっての幸福を考えてあげてますか?」
「あなたは相手を自分の幸福のための贄に
しようとはしていませんか?
相手を利用しようとして相手の個人としての尊厳を
無視したりとるにたらないものと軽視していませんか?」
「相手を愛していると口にするとき
自分ではなく相手にとっての幸福は何かを想い
相手を幸福にするために
自分が出来ることを考えたことはありますか?」
何が何でも自分の欲望を満たすものだの意
それが恋愛にせよ結婚にせよ
パートナーたる相手のことを
自分の望みを叶えてくれる
道具か何かと勘違いしている人がいます
ほとんどの人はそんな風に
自分が相手のことを
「自分の願いを叶えるための存在」
として捉えてしまっていることに
まったく気づいていません
「結婚して、二人で協力し合って
一戸建てを持つのが夢だった」
「彼と結婚して、
彼の子供を産み、家庭を作りたい」
そのような願いを持つことは悪いことではないし
誰しもが描く、ささやかな将来の夢だと思います
ですが、それはあくまで
「その人自身」の個人の夢です
肝心なのは相手も同じ夢を持っているか否か
お互いが目指して思い描いている
将来設計の方向性が同じなら良いのです
まったく同じではなくても
共通点や類似点が見いだせて
妥協してすり合わせていくことが可能なら
そして愛情が緩和剤となるならば
譲り合って何とかなるでしょうし
同じレールの上を旅することが出来るはずです
需要と供給のバランスが合っているかどうかですね
(互いが互いを利用し合っていたとしても
互いがそれを承知で利害が一致していれば
結果オーライでそれでよいのです)
ある人が個人として、叶えたい夢や
理想の未来像を持っているように
そして絶対に譲れない条件もあるように
他人もまた同じように、叶えたい夢や希望
理想の未来像を持っているものです
絶対に譲れない条件なども合わせて
だけどほとんどの人が
自分の条件を優先してもらうことを相手に望みます
何よりも先に自分が幸福になる条件を
相手に叶えてもらいたがるのです
その前には相手にとっての幸福や望みなど後回しです
といいますか
どうでもいい知ったこっちゃないみたいな人多すぎ
恋愛(交際)中はお互いを知る期間ですが
結婚は契約関係です
子供を産む産まない
産まれたら子育てをどうするか
産まれなかったらどうするか
お互いの親の介護問題
結婚してからの家計や親戚づきあい
住居問題から老後のことまで
あらゆる結婚後の生活プランについて
価値観などすり合わせて話し合ってからが理想です
でも肝心のそこはおざなりで
「とりあえず結婚する」
ということが第一の目標で目的となっていて
結婚後に「こんなはずではなかった」
と理想の結婚生活との相違に文句を言う人ばかり
まあ、100%合う人なんて
自分以外にはこの世に存在しませんので
誰かと関わっていくこと、家族になることは
妥協とすり合わせの連続ですけどね
決して容易な道のりではありません
ひと昔前の結婚は女性にとっては就職でしたけど
今の時代は自分で選んだ道
人生の選択肢のひとつです
パートナーもお仕着せではなく
自ら選ぶことが出来て拒否権もあるのです
誰かと一緒に生きることを選ぶのなら
自分一人だけの都合ばかり考えてはいられません
(一人ひとりせ選択肢が与えられた結果
結婚しない人だけでなく出来ない人も増大しましたが)
その辺りはちょっと置いておいて
結局のところ
惚れて「この人」と思った
大好きな相手と結婚したとしても
いやさまだ交際や片思い中の段階であっても
その人と結婚したいといいつつ
「相手の幸せ」よりみんな
「自分の幸せ」がプライオリティの一番にある
自分が思い描いている「理想の結婚」や「未来」が
相手にとっても「理想の結婚」や「未来」であるとは
必ずしも限らないのに
むしろ相手にとっては求めているものとは真逆のもので
その方とのご縁が一番の幸福であるとは解らないのに
相手を好きだ、誰よりも愛しているといいながら
「相手にとっての幸せ」とは何かを考える隙間はなく
「相手を幸せにしたい」という想いはなく
「自分が幸せになりたい」から「この人を望む」
という、相手が自分の理想を叶えるための存在として
見てしまっていることになかなか気づかない
ようするに相手を愛しているのではなく
自分だけを愛しているんですね
相手のことなんて愛していないんです
そして困ったことにほとんどの人が
それを愛と勘違いしていて
自分の望みを叶えるための存在として
相手をみなしていて
なおかつ相手を自分の考える幸福のために
利用しようとしていることに
気が付いていないのです
自分がエゴイズムの奴隷となっているということに…
だからよしんば目的が叶ったとしても
一時的な満足は得られても真の意味での幸福
相互理解に基づく愛情は得られないんです
エゴイズムで利用し合う関係はいずれ崩壊します
ですかいつかほころびが生じます
もしくは何か大きな試練や喪失を経験するでしょう
互いに対してカルマを背負うことにもなりますし
その人にとっての本当の欲しいもの
その人が求めている幸せを知ろうとはせず
その人が叶えたいと考えている夢や理想を
自分が叶えてあげたいと
相手の望む幸福を自分が与えたいとは思わず
そこは無視しちゃって
私は「この人がいい」ってなっちゃってるのは
実のところ
相手に愛されることで幸せになれるという幻想は
相手に愛されることで幸せになりたいという欲望
本当の愛は相手の幸せを考えることですから
そこに真実の愛情があるのであれば
相手を「幸せにしてあげたい」というのが
プライオリティーの一番に来るはずです
それは自己犠牲とはまた別だったりしますが
その辺りの区別も難しいとこですね
結婚はまあ、恋愛と違って
そこは家族になって「家庭」を持つという契約なので
愛情がなくとも互いの利害が一致すればそれはありで
大事なのは「株式会社家族」における
共同経営者としての方針の一致でしょう
経営方針や理念が一致しないのであれば
共同経営者になるのはそもそも無理があります
愛情だけでは共に「生きる」ことは出来ませんから
話し合っても
妥協点がどう考えても見いだせないのであれば
それはいずれ経営破綻につながるから
清算するしかない関係って感じでしょうね
でも、それぞれがパートナーに求めるものや
こうありたいと欲するライフスタイル
人生に望むことや理想の未来予想図が
一致していなかったり大きなズレがあるのに
自分の未来予想図や理想ばかりを相手に押し付けて
相手が求めている幸福をいっさい無視して
自分の望みを叶えてくれない同じ夢をみてくれないって
そういうのは、それは本当に単なるワガママで
自己愛を相手に投影しているだけで
相手の人間性とか尊厳とか人生とかをまるっと
踏みにじっている行為で自分以下の奴隷ですって
そんな扱いをしているのと同じだって
気づいて欲しいなって思います
本当に好きならば
相手のことを想う気持ちに嘘がないなら
「何が一番相手にとって幸福か」を考えられるはずだし
結婚相手に対しても(したい相手に対しても)
ちゃんと相手の気持ちを聞き、自分の気持ちも伝えつつ
相手の望みも尊重して探り合っていけるはずだから
いずれにしても恋愛も結婚も人間関係で
関係というのは築いていくしかないんですよ
話し合って気持ちを言葉にして伝える努力をして
想いや感謝を態度に表して
相手の愛情を読み取ろうとしたり
自分の愛情も相手にわかるように示して
上手くいくためのやり方を試して試して
それで進んでいくしかないです
性的なセクシャリティで未来永劫続く関係なんて
ほとんど皆無なんだから
そして恋愛ホルモン?も2年しかもたないので
人として長く関わっていける相手かどうか
友達(親友)とも同士とも同居人としても
上手くやっていける相手かどうか
譲歩し合うべきところがたくさんあるんで
結ばれる縁がどうこうとか運命の相手とか
過去生からの知り合いとか過去がどうだったか何て
そんなんぶっちゃけ関係ないです
今の人生で出会って関わっている事実がすべてで
今その人が表しているパーソナリティがすべてで
ここから始めるべき関係だからです
そして相手やその人との未来に強く執着する前に
きちんと自分の心に問うて考えて欲しいのです
「あなたは本当に相手のことを愛しているのですか?」
「自分が愛されたいがために相手を求めていませんか?」
「その人のとっての幸福を考えてあげてますか?」
「あなたは相手を自分の幸福のための贄に
しようとはしていませんか?
相手を利用しようとして相手の個人としての尊厳を
無視したりとるにたらないものと軽視していませんか?」
「相手を愛していると口にするとき
自分ではなく相手にとっての幸福は何かを想い
相手を幸福にするために
自分が出来ることを考えたことはありますか?」
ラベル:
☆恋愛&男と女のいる風景
場所:
新宿区
2019/05/04
我が身の臭さ知ることなし
「どうしていつも自分が
他人から嫌われてしまうのかその理由が解らない」
という人がいた
学生時代も、就職して社会人になってからも
結果として転職を重ねることとなり
人間関係の軋轢は様々なストレスを生じさせることになる
言葉で説明されて理解することができる人ならば
問題はもっと早くに解決出来ていただろう
人に嫌われる理由は
呪いや祟りでもなく霊のせいでもなく
過去生の出来事に起因するものでもない
しかし過去生が関係していないと言えばウソになる
過去生から学習せず人間性が
「何も変わっていない」ことも原因なのだから
人は簡単に変われるものではない。
経験して痛い思いをして、自分で学んで、
心を改めて、変わろうと努力しないでは、
その成果は人生において結実することはない
当人が自分をどう表現しているのか…
他人に対してどのようにふるまっているのか…
心根というもの、それは表情やふるまい
ちょっとした言動や行動に簡単に現れる
そうしたふるまいとか
こういう時にこのように発言したり
こんな態度が原因ですよと
当方に来た時点でそれを示唆するような
決定的な出来事が起こるから
他の人がそれまでその人に対して感じて
故にその人に対して視線が冷たくなっていったり
態度が変わっていく様を
そのタイミングで「ここです、これですよ」
「こうされると他人はこう思うんですよ」と
実地で示してもそこに結び付けることはなく
こういう時にこのように発言したり
こんな態度が原因ですよと
当方に来た時点でそれを示唆するような
決定的な出来事が起こるから
他の人がそれまでその人に対して感じて
故にその人に対して視線が冷たくなっていったり
態度が変わっていく様を
そのタイミングで「ここです、これですよ」
「こうされると他人はこう思うんですよ」と
実地で示してもそこに結び付けることはなく
トップの質問にこのような
他人が引いてしまう行動を取っていることなど
指摘したとしても
「傷つけてひどい」みたいな態度では
「周囲から嫌われしまう自分」を
改善しようとしているではなく
「私を嫌っていじめる人たちはひどい」と
結局、自分の内に原因があることは認めず
外に原因を求めてその答えが得られないことに
不満を示して、アドバイスを聞かないでは
大金を払ってセッションを受けても意味のないこと
言葉で指摘しても解らないのならば
態度で示すしかなくて
でも態度で示してもあれこれ生意気な講釈で
こちらを逆に批判して
とても人に物を訪ねたり教えを乞う態度ではなく
こちらを逆に批判して
とても人に物を訪ねたり教えを乞う態度ではなく
そうなると
これは本当に「経験」するしかないことだ
上手くいかない人生の逆境と逆風の中で
その性格を他者に嫌われるという痛みをとことん味わって
その心根や自分が表していることのせいで
自分の人生が貧しくなっていることを思い知らされて
それがどれほど自分にとって不快でイヤな状況であるのか
「もうこんな人生イヤだ、勘弁してください!」
って、とことん追い詰められて
自分に合いそうがつきて、あるいは
自分を心から何とかしたいって切望するまで
たぶん
今の状況は続くんだろう
そういう人に手を貸すことは出来ない
手を貸しても何も変わらないだろう
これ以上、私にできることは何もない
知識を教えることはできるし
行動の指針やアドバイスを与えることはできる
だけど心は、心だけはどうにもならない
その人がその人なりに耕すしかない
心の成長には時間が必要で
他人への愛情や思いやり、優しさや気遣いを表現し
それを行動出来る人になるためには
経験が必要になる
私が他人を変えることは出来ない
自分を変えることが出来るのはその人自身だけだ
性格の悪い癖を改める手伝いは出来るが
当人が客観的に自覚して直したいと
真摯に取り組みたいと切望あってこそ
「私は悪くない」と
どこかまだ「他人」のせいにするところがあるうちは
状況は何も変わりはしない
その人自身が変わらなければ
人生も周囲も何も変わることはないので
そんな風に「変わりたい」と口にしながら
レイキ(アチューンメント)を受ければ
セッションを受ければよくなるだろう…
いやさそれで人の「性格」は変わりません
欠点は誰にでもあって然り
知らないこともたくさんあるのは仕方ない
他人に指摘されても長年の習慣や口癖や
行動を変えるのは難しいこと
でも身に着けようと努力することは誰にだってできる
真摯に自分と向き合い、謙虚に他人の言葉に耳を傾けて
感謝を口にして必死になっていれば
それを助ける用意は周囲にも出来ているから
でもそうでない人に他人は厳しい
厳しいというより そこまでする価値がないと
判断したら誰だって それ以上は手を貸しません
本人にその意志がないのに
他人がどうこう出来る問題ではないのです
周囲や状況が変わってくれることを期待している人は
本当に多いです
本当に多いです
根っこのところでは変わりたくないというか
実のところ自分が変わることは望んでないんですねレイキ(アチューンメント)を受ければ
セッションを受ければよくなるだろう…
いやさそれで人の「性格」は変わりません
欠点は誰にでもあって然り
知らないこともたくさんあるのは仕方ない
他人に指摘されても長年の習慣や口癖や
行動を変えるのは難しいこと
でも身に着けようと努力することは誰にだってできる
真摯に自分と向き合い、謙虚に他人の言葉に耳を傾けて
感謝を口にして必死になっていれば
それを助ける用意は周囲にも出来ているから
でもそうでない人に他人は厳しい
厳しいというより そこまでする価値がないと
判断したら誰だって それ以上は手を貸しません
本人にその意志がないのに
他人がどうこう出来る問題ではないのです
新しい時代
平成が終わり、令和と言う新しい時代が始まりました
あくまで「日本」という国の運気的なものですけども
はい。地球規模のことではなくて、
アジアの小さなエリアにおける小スポット的なサイクル
私はこの日本という国が好きです
良いところばかりではなく良くない面も
それなりにたくさんありますが
それでもこの国の伝統とか風習とか
そのようなものに愛着を感じますし
日本人として生きられていることに感謝しています
これまでに何度か人生を繰り返してきた中で
こんなに平和でモノに恵まれた静かな時代はありません
それでも時代の目撃者として
20世紀から21世紀初めの今に至るまで
それなりに映像やネットを通して
様々な事件や世界情勢の変化を
時代の目撃者の一人として見つめてはきたわけですが
さて
これから書く事は変人の妄想、戯言と聞き流して下さい
嘘や作り話で良いのです 信じる必要はありません
確証なんてどこにもないのですから
私の霊性はまだまだ低く発展途上です
当然ながら完全記憶はありません
150年前はカナダ人のふつーの主婦で
100年前の今頃はアメリカ人として
ニューヨークはマンハッタン在住だったらしいですけど
英語はまったく出来ません 話すことも書く事もダメです
もっと昔に霊性を磨いて精神的な高みに達していたならば
完全記憶を持って英語もフランス語もドイツ語も
ラテン語も中国語もロシア語も話せていたでしょうが
(あるいは習得するのは楽だった)
今生においてさえ日本語すら怪しいものです
こうした過去の記憶は本当に断片的なもので、
「思い出した」と言う言葉では表すには
おこがましいほど頼りなく、朧げなものです
私の頭の中の作り話かも知れませんし
昔聞いた物語や誰かの話を
「記憶」と勘違いしている可能性は否定できません
ただその断片的に思い出されるシーンのかけらが
やけにリアルで生々しく
不思議な感覚と感情を伴う経験というだけで
まあ、それはそれとして
今回平成から令和へと移行したわけですが
昭和が終わったときと違って
天皇陛下の崩御と言う哀しみが伴ってないせいか
当日はまったく実感がなかったわけですが
時代の移り変わりの速さというのを考えたとき
何とも言えないノスタルジックな
郷愁と感慨に襲われたりしました
だってそうです
100年前、私は第一次世界大戦後の不況で
札束が紙くずになったのを見ました
祖国に見切りをつけた親と移民としてアメリカに渡り
金融業は成金の娘として、人よりはいい生活して
チャールストンを踊って
チャップリンのトーキーを見て
アンナ・パプロワの瀕死の白鳥に感動して
バレンチノの死を悲しんで
禁酒法の時代のバカ騒ぎ、そしてコットンクラブ
エンパイアステートビルが出来あがるのを見て
そんなアメリカの好景気を堪能して時代を謳歌して
でもブラックフライデーがやってきて
何もかも失って 身近なたくさんの人が死んで
混乱の中
再びヨーロッパできなくさいことが起きて…
日本でほんの10年位の人生を生きて
また同じ国に生まれて昭和から平成そして令和
今の人生半世紀ちょっとしか生きてないけど
同じ年の友人より記憶の始まりが早いから
(多分連続して同じ国に生まれたからでしょうね)
50代というよりは60代の感覚だったり
だからなんていうか
本当に時代の移り変わりの速さの前に
びっくりしているというか
昔はもっとゆっくりと時間が流れていたというか
変化もとてもゆっくりで
新しいものや便利なものが生まれても変化の波に
ついていけないとかそういうのはなかったんですが
ここ20年位の時代のスピーディさは
確実に過去のどの時代にもなかったもので
すごくとまどっているわけです
振り返ると「あいやーびっくりだあ」なんて感じ
いやさ単純に年を取っただけだろうって
そりゃ孫がいてもって年なんですから
当たり前ですよね
そうですね イレギュラーもあるけど
平均的というか過半数くらいの人が
死後10年~20年位で生まれ変わるから
(自殺した人はもっと遅いし
戦争や自然災害で亡くなった人
事故死した人は死後数年とサイクルが早い)
マリリン・モンローもケネディも
チャップリンもバレンチノも
ヒットラーもスターリンも
(正確には…だった人たち)
みーんな生まれ変わってるわけです
もうとっくの昔に
それぞれがカルマを背負って
新しいブループリントの計画のもと
別な人生を生きているのですね
そしてどこぞの高貴なお生まれの方々も
生きている間、その責務と孤独に悩まされ
自由のない生活の中、病気がちだったその人は
今は伸び伸びと一市井の庶民として自由に生きている
電車に乗って何処へでも好きなところに気のままに
思うことを口にしても誰にも咎められない人生
病気故に話したい事も話せなかった口は
今は滑らかにとても流暢に
立て板を流すように淀みなく話すことが出来る
色んなことを自ら発信できる人生
古臭い伝統にがんじがらめにされた
その人の今生の職業は
時代の最先端にある子供たち憧れの職業
あの人生においても
そんな風に生きたかったんだろうなって思う
そして覚えてないはずなのに
平成から令和へと変わるその時に
過ごす場所はそこなんだと
すれ違う自分の子孫を眺めることになる不思議
(いやさ今は血は繋がってないけど)
運命の糸は面白いものだと思う
そんな風に誰しもが
自分の子孫あるいは今の血の先祖と
すれ違っているかも知れない奇妙な不思議
そしてそれを映像で見ることのできる不思議
面白いしなんていうか今の時代だからこそ
リアルで体験できることなんだと思う
(まあ、私の頭がおかしいだけなんだろうけど)
でもそう
今はとても重い責務と自由のない世界にいたとしても
この彼のように、来世はみんな自由に
好き勝手に生きる自由も選べるからねって
だけど 今はそれが道だから頑張ってって
ただただエールを送るのみです
あくまで「日本」という国の運気的なものですけども
はい。地球規模のことではなくて、
アジアの小さなエリアにおける小スポット的なサイクル
私はこの日本という国が好きです
良いところばかりではなく良くない面も
それなりにたくさんありますが
それでもこの国の伝統とか風習とか
そのようなものに愛着を感じますし
日本人として生きられていることに感謝しています
これまでに何度か人生を繰り返してきた中で
こんなに平和でモノに恵まれた静かな時代はありません
それでも時代の目撃者として
20世紀から21世紀初めの今に至るまで
それなりに映像やネットを通して
様々な事件や世界情勢の変化を
時代の目撃者の一人として見つめてはきたわけですが
さて
これから書く事は変人の妄想、戯言と聞き流して下さい
嘘や作り話で良いのです 信じる必要はありません
確証なんてどこにもないのですから
私の霊性はまだまだ低く発展途上です
当然ながら完全記憶はありません
150年前はカナダ人のふつーの主婦で
100年前の今頃はアメリカ人として
ニューヨークはマンハッタン在住だったらしいですけど
英語はまったく出来ません 話すことも書く事もダメです
もっと昔に霊性を磨いて精神的な高みに達していたならば
完全記憶を持って英語もフランス語もドイツ語も
ラテン語も中国語もロシア語も話せていたでしょうが
(あるいは習得するのは楽だった)
今生においてさえ日本語すら怪しいものです
こうした過去の記憶は本当に断片的なもので、
「思い出した」と言う言葉では表すには
おこがましいほど頼りなく、朧げなものです
私の頭の中の作り話かも知れませんし
昔聞いた物語や誰かの話を
「記憶」と勘違いしている可能性は否定できません
ただその断片的に思い出されるシーンのかけらが
やけにリアルで生々しく
不思議な感覚と感情を伴う経験というだけで
まあ、それはそれとして
今回平成から令和へと移行したわけですが
昭和が終わったときと違って
天皇陛下の崩御と言う哀しみが伴ってないせいか
当日はまったく実感がなかったわけですが
時代の移り変わりの速さというのを考えたとき
何とも言えないノスタルジックな
郷愁と感慨に襲われたりしました
だってそうです
100年前、私は第一次世界大戦後の不況で
札束が紙くずになったのを見ました
祖国に見切りをつけた親と移民としてアメリカに渡り
金融業は成金の娘として、人よりはいい生活して
チャールストンを踊って
チャップリンのトーキーを見て
アンナ・パプロワの瀕死の白鳥に感動して
バレンチノの死を悲しんで
禁酒法の時代のバカ騒ぎ、そしてコットンクラブ
エンパイアステートビルが出来あがるのを見て
そんなアメリカの好景気を堪能して時代を謳歌して
でもブラックフライデーがやってきて
何もかも失って 身近なたくさんの人が死んで
混乱の中
再びヨーロッパできなくさいことが起きて…
日本でほんの10年位の人生を生きて
また同じ国に生まれて昭和から平成そして令和
今の人生半世紀ちょっとしか生きてないけど
同じ年の友人より記憶の始まりが早いから
(多分連続して同じ国に生まれたからでしょうね)
50代というよりは60代の感覚だったり
だからなんていうか
本当に時代の移り変わりの速さの前に
びっくりしているというか
昔はもっとゆっくりと時間が流れていたというか
変化もとてもゆっくりで
新しいものや便利なものが生まれても変化の波に
ついていけないとかそういうのはなかったんですが
ここ20年位の時代のスピーディさは
確実に過去のどの時代にもなかったもので
すごくとまどっているわけです
振り返ると「あいやーびっくりだあ」なんて感じ
いやさ単純に年を取っただけだろうって
そりゃ孫がいてもって年なんですから
当たり前ですよね
そうですね イレギュラーもあるけど
平均的というか過半数くらいの人が
死後10年~20年位で生まれ変わるから
(自殺した人はもっと遅いし
戦争や自然災害で亡くなった人
事故死した人は死後数年とサイクルが早い)
マリリン・モンローもケネディも
チャップリンもバレンチノも
ヒットラーもスターリンも
(正確には…だった人たち)
みーんな生まれ変わってるわけです
もうとっくの昔に
それぞれがカルマを背負って
新しいブループリントの計画のもと
別な人生を生きているのですね
そしてどこぞの高貴なお生まれの方々も
生きている間、その責務と孤独に悩まされ
自由のない生活の中、病気がちだったその人は
今は伸び伸びと一市井の庶民として自由に生きている
電車に乗って何処へでも好きなところに気のままに
思うことを口にしても誰にも咎められない人生
病気故に話したい事も話せなかった口は
今は滑らかにとても流暢に
立て板を流すように淀みなく話すことが出来る
色んなことを自ら発信できる人生
古臭い伝統にがんじがらめにされた
その人の今生の職業は
時代の最先端にある子供たち憧れの職業
あの人生においても
そんな風に生きたかったんだろうなって思う
そして覚えてないはずなのに
平成から令和へと変わるその時に
過ごす場所はそこなんだと
すれ違う自分の子孫を眺めることになる不思議
(いやさ今は血は繋がってないけど)
運命の糸は面白いものだと思う
そんな風に誰しもが
自分の子孫あるいは今の血の先祖と
すれ違っているかも知れない奇妙な不思議
そしてそれを映像で見ることのできる不思議
面白いしなんていうか今の時代だからこそ
リアルで体験できることなんだと思う
(まあ、私の頭がおかしいだけなんだろうけど)
でもそう
今はとても重い責務と自由のない世界にいたとしても
この彼のように、来世はみんな自由に
好き勝手に生きる自由も選べるからねって
だけど 今はそれが道だから頑張ってって
ただただエールを送るのみです
2019/05/01
魔女と占いのサイト復活させました
気がついたら平成から令和に変わっていました
ところで20年前の今日は、
ちょうどホームページを作成して公開した日です。
(仕事というよりもほぼプライベートというか趣味サイト)
(当時のデータは取ってあるので)
今見るととても稚拙で恥ずかしい創りですけど。
8年前に転居のドタバタで入金を忘れていたら、
期限切れててネットから消えていて(笑)
もういいやとそのまま再開せず。
ですが、今回思い立って当時掲載していた記事など復活させました。
とても全部は無理なので抜粋して一部だけですが
(そしてまだUP出来ていない記事もありますが)
ようやく公開してもいいかなってレベルには
形が出来上がったのでお知らせです。
良かったらひまつぶしに見てやってください。
略して魔女サイト
https://www.witch-doctors-garden.com/
占いとか魔女とかハーブとかあとは厨二病的あれやこれや
※これをちまちま作っていたのでblogとか全く書けなかったのでした。
ぼちぼちこちらのblogも更新します
ところで20年前の今日は、
ちょうどホームページを作成して公開した日です。
(仕事というよりもほぼプライベートというか趣味サイト)
(当時のデータは取ってあるので)
今見るととても稚拙で恥ずかしい創りですけど。
8年前に転居のドタバタで入金を忘れていたら、
期限切れててネットから消えていて(笑)
もういいやとそのまま再開せず。
ですが、今回思い立って当時掲載していた記事など復活させました。
とても全部は無理なので抜粋して一部だけですが
(そしてまだUP出来ていない記事もありますが)
ようやく公開してもいいかなってレベルには
形が出来上がったのでお知らせです。
良かったらひまつぶしに見てやってください。
略して魔女サイト
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占いとか魔女とかハーブとかあとは厨二病的あれやこれや
※これをちまちま作っていたのでblogとか全く書けなかったのでした。
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