2019/05/04

新しい時代

平成が終わり、令和と言う新しい時代が始まりました
あくまで「日本」という国の運気的なものですけども
はい。地球規模のことではなくて、
アジアの小さなエリアにおける小スポット的なサイクル

私はこの日本という国が好きです
良いところばかりではなく良くない面も
それなりにたくさんありますが
それでもこの国の伝統とか風習とか
そのようなものに愛着を感じますし
日本人として生きられていることに感謝しています

これまでに何度か人生を繰り返してきた中で
こんなに平和でモノに恵まれた静かな時代はありません
それでも時代の目撃者として
20世紀から21世紀初めの今に至るまで
それなりに映像やネットを通して
様々な事件や世界情勢の変化を
時代の目撃者の一人として見つめてはきたわけですが

さて
これから書く事は変人の妄想、戯言と聞き流して下さい
嘘や作り話で良いのです 信じる必要はありません
確証なんてどこにもないのですから

私の霊性はまだまだ低く発展途上です
当然ながら完全記憶はありません
150年前はカナダ人のふつーの主婦で
100年前の今頃はアメリカ人として
ニューヨークはマンハッタン在住だったらしいですけど
英語はまったく出来ません 話すことも書く事もダメです
もっと昔に霊性を磨いて精神的な高みに達していたならば
完全記憶を持って英語もフランス語もドイツ語も
ラテン語も中国語もロシア語も話せていたでしょうが
(あるいは習得するのは楽だった)
今生においてさえ日本語すら怪しいものです

こうした過去の記憶は本当に断片的なもので、
「思い出した」と言う言葉では表すには
おこがましいほど頼りなく、朧げなものです
私の頭の中の作り話かも知れませんし
昔聞いた物語や誰かの話を
「記憶」と勘違いしている可能性は否定できません

ただその断片的に思い出されるシーンのかけらが
やけにリアルで生々しく
不思議な感覚と感情を伴う経験というだけで

まあ、それはそれとして

今回平成から令和へと移行したわけですが
昭和が終わったときと違って
天皇陛下の崩御と言う哀しみが伴ってないせいか
当日はまったく実感がなかったわけですが
時代の移り変わりの速さというのを考えたとき
何とも言えないノスタルジックな
郷愁と感慨に襲われたりしました

だってそうです
100年前、私は第一次世界大戦後の不況で
札束が紙くずになったのを見ました
祖国に見切りをつけた親と移民としてアメリカに渡り
金融業は成金の娘として、人よりはいい生活して
チャールストンを踊って
チャップリンのトーキーを見て
アンナ・パプロワの瀕死の白鳥に感動して
バレンチノの死を悲しんで
禁酒法の時代のバカ騒ぎ、そしてコットンクラブ
エンパイアステートビルが出来あがるのを見て
そんなアメリカの好景気を堪能して時代を謳歌して
でもブラックフライデーがやってきて
何もかも失って 身近なたくさんの人が死んで
混乱の中
再びヨーロッパできなくさいことが起きて…

日本でほんの10年位の人生を生きて
また同じ国に生まれて昭和から平成そして令和 

今の人生半世紀ちょっとしか生きてないけど
同じ年の友人より記憶の始まりが早いから
(多分連続して同じ国に生まれたからでしょうね)
50代というよりは60代の感覚だったり

だからなんていうか
本当に時代の移り変わりの速さの前に
びっくりしているというか
昔はもっとゆっくりと時間が流れていたというか
変化もとてもゆっくりで
新しいものや便利なものが生まれても変化の波に
ついていけないとかそういうのはなかったんですが
ここ20年位の時代のスピーディさは
確実に過去のどの時代にもなかったもので
すごくとまどっているわけです

振り返ると「あいやーびっくりだあ」なんて感じ

いやさ単純に年を取っただけだろうって
そりゃ孫がいてもって年なんですから
当たり前ですよね


そうですね イレギュラーもあるけど
平均的というか過半数くらいの人が
死後10年~20年位で生まれ変わるから
(自殺した人はもっと遅いし
戦争や自然災害で亡くなった人
事故死した人は死後数年とサイクルが早い)

マリリン・モンローもケネディも
チャップリンもバレンチノも
ヒットラーもスターリンも
(正確には…だった人たち)
みーんな生まれ変わってるわけです
もうとっくの昔に

それぞれがカルマを背負って
新しいブループリントの計画のもと
別な人生を生きているのですね

そしてどこぞの高貴なお生まれの方々も


生きている間、その責務と孤独に悩まされ
自由のない生活の中、病気がちだったその人は
今は伸び伸びと一市井の庶民として自由に生きている
電車に乗って何処へでも好きなところに気のままに
思うことを口にしても誰にも咎められない人生
病気故に話したい事も話せなかった口は
今は滑らかにとても流暢に
立て板を流すように淀みなく話すことが出来る
色んなことを自ら発信できる人生
古臭い伝統にがんじがらめにされた
その人の今生の職業は
時代の最先端にある子供たち憧れの職業

あの人生においても
そんな風に生きたかったんだろうなって思う

そして覚えてないはずなのに
平成から令和へと変わるその時に
過ごす場所はそこなんだと
すれ違う自分の子孫を眺めることになる不思議
(いやさ今は血は繋がってないけど)

運命の糸は面白いものだと思う

そんな風に誰しもが
自分の子孫あるいは今の血の先祖と
すれ違っているかも知れない奇妙な不思議
そしてそれを映像で見ることのできる不思議

面白いしなんていうか今の時代だからこそ
リアルで体験できることなんだと思う
(まあ、私の頭がおかしいだけなんだろうけど)


でもそう
今はとても重い責務と自由のない世界にいたとしても
この彼のように、来世はみんな自由に
好き勝手に生きる自由も選べるからねって

だけど 今はそれが道だから頑張ってって
ただただエールを送るのみです

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