2019/05/10

女の望みは神の望み

※タイトル→(諺)女性は一度思い込んだら
何が何でも自分の欲望を満たすものだの意

それが恋愛にせよ結婚にせよ
パートナーたる相手のことを
自分の望みを叶えてくれる
道具か何かと勘違いしている人がいます

ほとんどの人はそんな風に
自分が相手のことを
「自分の願いを叶えるための存在」
として捉えてしまっていることに
まったく気づいていません

「結婚して、二人で協力し合って
 一戸建てを持つのが夢だった」
「彼と結婚して、
 彼の子供を産み、家庭を作りたい」

そのような願いを持つことは悪いことではないし
誰しもが描く、ささやかな将来の夢だと思います

ですが、それはあくまで
「その人自身」の個人の夢です

肝心なのは相手も同じ夢を持っているか否か

お互いが目指して思い描いている
将来設計の方向性が同じなら良いのです
まったく同じではなくても
共通点や類似点が見いだせて
妥協してすり合わせていくことが可能なら
そして愛情が緩和剤となるならば
譲り合って何とかなるでしょうし
同じレールの上を旅することが出来るはずです

需要と供給のバランスが合っているかどうかですね
(互いが互いを利用し合っていたとしても
互いがそれを承知で利害が一致していれば
結果オーライでそれでよいのです)

ある人が個人として、叶えたい夢や
理想の未来像を持っているように
そして絶対に譲れない条件もあるように
他人もまた同じように、叶えたい夢や希望
理想の未来像を持っているものです
絶対に譲れない条件なども合わせて

だけどほとんどの人が
自分の条件を優先してもらうことを相手に望みます
何よりも先に自分が幸福になる条件を
相手に叶えてもらいたがるのです
その前には相手にとっての幸福や望みなど後回しです
といいますか
どうでもいい知ったこっちゃないみたいな人多すぎ


恋愛(交際)中はお互いを知る期間ですが
結婚は契約関係です
子供を産む産まない
産まれたら子育てをどうするか
産まれなかったらどうするか
お互いの親の介護問題
結婚してからの家計や親戚づきあい
住居問題から老後のことまで
あらゆる結婚後の生活プランについて
価値観などすり合わせて話し合ってからが理想です
でも肝心のそこはおざなりで
「とりあえず結婚する」
ということが第一の目標で目的となっていて
結婚後に「こんなはずではなかった」
と理想の結婚生活との相違に文句を言う人ばかり

まあ、100%合う人なんて
自分以外にはこの世に存在しませんので
誰かと関わっていくこと、家族になることは
妥協とすり合わせの連続ですけどね
決して容易な道のりではありません

ひと昔前の結婚は女性にとっては就職でしたけど
今の時代は自分で選んだ道
人生の選択肢のひとつです
パートナーもお仕着せではなく
自ら選ぶことが出来て拒否権もあるのです
誰かと一緒に生きることを選ぶのなら
自分一人だけの都合ばかり考えてはいられません
(一人ひとりせ選択肢が与えられた結果
結婚しない人だけでなく出来ない人も増大しましたが)

その辺りはちょっと置いておいて

結局のところ
惚れて「この人」と思った
大好きな相手と結婚したとしても
いやさまだ交際や片思い中の段階であっても
その人と結婚したいといいつつ
「相手の幸せ」よりみんな
「自分の幸せ」がプライオリティの一番にある

自分が思い描いている「理想の結婚」や「未来」が
相手にとっても「理想の結婚」や「未来」であるとは
必ずしも限らないのに
むしろ相手にとっては求めているものとは真逆のもので
その方とのご縁が一番の幸福であるとは解らないのに

相手を好きだ、誰よりも愛しているといいながら
「相手にとっての幸せ」とは何かを考える隙間はなく
「相手を幸せにしたい」という想いはなく
「自分が幸せになりたい」から「この人を望む」
という、相手が自分の理想を叶えるための存在として
見てしまっていることになかなか気づかない

ようするに相手を愛しているのではなく
自分だけを愛しているんですね
相手のことなんて愛していないんです

そして困ったことにほとんどの人が
それを愛と勘違いしていて
自分の望みを叶えるための存在として
相手をみなしていて
なおかつ相手を自分の考える幸福のために
利用しようとしていることに
気が付いていないのです
自分がエゴイズムの奴隷となっているということに…
だからよしんば目的が叶ったとしても
一時的な満足は得られても真の意味での幸福
相互理解に基づく愛情は得られないんです
エゴイズムで利用し合う関係はいずれ崩壊します
ですかいつかほころびが生じます
もしくは何か大きな試練や喪失を経験するでしょう
互いに対してカルマを背負うことにもなりますし


その人にとっての本当の欲しいもの
その人が求めている幸せを知ろうとはせず
その人が叶えたいと考えている夢や理想を
自分が叶えてあげたいと
相手の望む幸福を自分が与えたいとは思わず
そこは無視しちゃって
私は「この人がいい」ってなっちゃってるのは

実のところ
相手に愛されることで幸せになれるという幻想は
相手に愛されることで幸せになりたいという欲望


本当の愛は相手の幸せを考えることですから
そこに真実の愛情があるのであれば
相手を「幸せにしてあげたい」というのが
プライオリティーの一番に来るはずです

それは自己犠牲とはまた別だったりしますが
その辺りの区別も難しいとこですね

結婚はまあ、恋愛と違って
そこは家族になって「家庭」を持つという契約なので
愛情がなくとも互いの利害が一致すればそれはありで
大事なのは「株式会社家族」における
共同経営者としての方針の一致でしょう
経営方針や理念が一致しないのであれば
共同経営者になるのはそもそも無理があります
愛情だけでは共に「生きる」ことは出来ませんから

話し合っても
妥協点がどう考えても見いだせないのであれば
それはいずれ経営破綻につながるから
清算するしかない関係って感じでしょうね

でも、それぞれがパートナーに求めるものや
こうありたいと欲するライフスタイル
人生に望むことや理想の未来予想図が
一致していなかったり大きなズレがあるのに
自分の未来予想図や理想ばかりを相手に押し付けて
相手が求めている幸福をいっさい無視して
自分の望みを叶えてくれない同じ夢をみてくれないって
そういうのは、それは本当に単なるワガママで
自己愛を相手に投影しているだけで
相手の人間性とか尊厳とか人生とかをまるっと
踏みにじっている行為で自分以下の奴隷ですって
そんな扱いをしているのと同じだって
気づいて欲しいなって思います

本当に好きならば
相手のことを想う気持ちに嘘がないなら
「何が一番相手にとって幸福か」を考えられるはずだし
結婚相手に対しても(したい相手に対しても)
ちゃんと相手の気持ちを聞き、自分の気持ちも伝えつつ
相手の望みも尊重して探り合っていけるはずだから

いずれにしても恋愛も結婚も人間関係で
関係というのは築いていくしかないんですよ
話し合って気持ちを言葉にして伝える努力をして
想いや感謝を態度に表して 
相手の愛情を読み取ろうとしたり
自分の愛情も相手にわかるように示して
上手くいくためのやり方を試して試して
それで進んでいくしかないです

性的なセクシャリティで未来永劫続く関係なんて
ほとんど皆無なんだから
そして恋愛ホルモン?も2年しかもたないので
人として長く関わっていける相手かどうか
友達(親友)とも同士とも同居人としても
上手くやっていける相手かどうか
譲歩し合うべきところがたくさんあるんで

結ばれる縁がどうこうとか運命の相手とか
過去生からの知り合いとか過去がどうだったか何て
そんなんぶっちゃけ関係ないです

今の人生で出会って関わっている事実がすべてで 
今その人が表しているパーソナリティがすべてで
ここから始めるべき関係だからです

そして相手やその人との未来に強く執着する前に
きちんと自分の心に問うて考えて欲しいのです

「あなたは本当に相手のことを愛しているのですか?」

「自分が愛されたいがために相手を求めていませんか?」

「その人のとっての幸福を考えてあげてますか?」

「あなたは相手を自分の幸福のための贄に
 しようとはしていませんか?
 相手を利用しようとして相手の個人としての尊厳を
 無視したりとるにたらないものと軽視していませんか?」

「相手を愛していると口にするとき
 自分ではなく相手にとっての幸福は何かを想い
 相手を幸福にするために
 自分が出来ることを考えたことはありますか?」

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