2020/06/11

人種差別と奴隷問題<映画「ハリエット」を観て

映画館の上映が復活したこともあり
先日のレディースディに
ようやっと4月から延期になっていた
「ハリエット」を観てきました


アメリカでは
ちょうどタイムリーな問題の起きている時


感想としては良い映画だったとは思うんだけど
ちょっと何か物足りない 
内容的にちょっとだけ薄い…かな?
という感じ

なんでしょう


往来の黒人奴隷問題モノと違って
人として胸に突き刺さり心をえぐられるような
正視に耐えない残酷な描写がなくて
黒人奴隷たちの境遇や置かれた環境が
観ている観客にとっても周知の事実として
場面の奥に追いやられているせいなのか

カタルシスには欠ける感じ

いやでも映画としては悪くないんです
主人公ハリエット・タブマンの伝記としては成功してるし

何しろ映画です 
テレビのシリーズドラマではない
たかが2時間の中に収めるには
どこかに焦点を当てて
切り捨てるべき点がたくさんあるから
これくらいがちょうどいいのだと思う

「リンカーン」もね
あの部分しか描けないって時間的制約があったし

去年「グリーンブック」を観た時もそう
ジャッキー・ロビンソンの「42」の時もだけど
(「それでも夜が明ける」は残念ながら観れてないし
「カラーパープル」も未見であったっっ)



役者さんはいいし全体として悪くないんだけども
なんだろーなこの物足りなさは
訴えかけてくるものがイマイチ足りない

でももしかしたら
それって私側の感性の問題なのかも知れないですが

私がアメリカの黒人奴隷問題を知ることになったのは
テレビドラマの長大作「ルーツ」だったりするから
(アレックス・ヘンリーの原作も読みました)
そこが起点というか視点になっているせいからかな
あとは「ドラム」とかも

なんていうか昭和脳だと勧善懲悪的ストーリー?
白人の奴隷主が悪として描かれてないと
物足りないってやつなのかな?
いやそんなこともないと思うけれど

※BBCの公民権運動を扱った一連のシリーズも
 ものすごくよかったです
 これはNHKアーカイブにあるかも
   CNNのは偏りがあって東スポなみで駄作


いやでも役者さんは良かったですよ
どの方たちもいい味出てたし
ウィリアム・スティル役の人は
若き日のシドニー・ポワチエに似てたし
ジャンヌ・ダルク張りに神掛かった
ハリエットを目の当たりにしてから
味方に寝返ったウォルター役の人も良かった

願わくば逃亡を助ける白人さんたちの
人柄や背景というか
画面のその奥をもっと知りたかった

でもね そういう人が
少数であっても存在していたことは
いつの時代でも救いだと思います


さて私はこのハリエットがいた時代は
ちょうどカナダ人でした
とはいうもののカナダのどこだったかは謎
山があって冬になると凍る海があってって
(アザラシとかいたしムースもいたし)
そんなことしか分からない
英語圏だったかフランス語圏だったかもわからず

だからもしかしたら
カナダ人としてお隣のアメリカで起きていること
その位は知っていたのかな…とは思う
カナダに逃亡してくる黒人たちがたくさんいたこと

生まれた年も没した年も覚えてないし
30代で死んでて平凡な主婦で子供が二人いたって
そんなことくらいしか分からんですから
んーでも 学はなかったように思うので
やはりそういうことには疎かったかもなー

そしてその後はユダヤ人としてドイツに生まれて
第一次大戦後の不況により幼少期に
ユダヤ系ネットワークを頼り
(ロスチャイルドとかモルガンとかの財閥系ではない)
船でアメリカに家族と移民として渡って
ニューヨークに移り住んで親の商売がうまくいって
好景気に湧く中で成金な青春時代送ったってとこ
それも大恐慌であっという間だったけど

※完全記憶は持っていないのでかなりあやふやです

ニューヨークに住んでいたから
その周辺の近隣の都市フィラデルフィアや
ボストンとかシカゴなんかは行ったかも知れない
けれどかつて北軍だった土地だから
黒人の差別は見知っていても
南部ほど劣悪ではなかったかなーという気がする

当時の自分にとってはたぶん
白人と黒人の差別は当たり前のことだったんだろう
空気みたいにそれは普通でしごく自然だったかも
純粋なアメリカ人ではなく移民でしかもユダヤ人
アイルランド系の人が多い中
そのような差別に対してどのように
当時の自分が考えていたのか感じていたのか
今の私には解らないし解りようもない
ただ言えているのは自分は移民であっても
いちおう特権階級たる白人側だったということ

やがてかつての故郷ドイツが
ナチズムに染まっていく中
迫害される側の民族として世間は
多少同情的にはなっていったけれども
すでに安全な場所に
国民として受け入れられていた私たちは
大恐慌で財産こそ失ったものの
ユダヤ人狩りには合わず命は保証されていたわけで
欧州の戦争も遠かったけれども
そんな世相を自分はどう見ていたのだろう

エンパイヤーステートビルが
出来上がっていくその過程を毎日見ながら 
先住民を迫害して略奪して得た土地の上に
築いたきらびやかな文化と高層ビルたち
アフリカ大陸から奴隷として拉致してきた
黒人たちが切り開いた土地で得た金銭で富んだ
矛盾した国の繁栄の下で

あの頃の私はそういったことを
ちゃんと考えていたのだろうか
気付けていたんだろうか
それがおかしいってことに

黒人と白人が同席できず
トイレも何もかもが別で
移民としてやってきた私たちが
歓迎されすぐさま特権階級の仲間入りを
出来たというのに
アメリカという国の犠牲者・拉致被害者である彼らが
その謝罪も保障も受けられずに労働者階級以下のまま
貧しい生活を強いられていることに対して疑問を感じたり 
彼らが理不尽な扱いを受けているのを見かけたとき
ちゃんと声を上げることが出来ていたんだろうか?

それとも明らかに不快さを示して
白人であることの特権を振りかざし
人としての道義などおかまいなしだったんだろうか

ハリエットの時代に
もしアメリカの奴隷制度の時代に自分がいたとして
彼らの境遇に同情して「人」として彼らをみなし
博愛精神と人道主義に忠実であることを選び
自分たちの社会の常識やルールを犯す潔さを持ち
彼らに手を貸し 逃亡を助ける
その危険を選ぶことを自分の矜持と出来たろうか

いやたぶんそんな勇気は塵ほどもなかったに違いない

 


クライアントさんの過去の中には
南北戦争の記憶を持つ人もいて
南軍北軍参加者やその周辺の家族 
かつて奴隷商人だった人
そして当の奴隷としてアフリカから
連れて来られた記憶を持つ人もいた

そのたびに
「うーん」て考えさせられることも多々

(でもね 輪廻転生の
因果応報的な流れの中での一つの人生なので
当時どういう立場だったかというだけでは
すべては語れない)

私ももしかしたらもっと遠い過去で
黒人だったことがあるかも知れないけど
(エジプトや中東には何回か)
少なくとも欧州やアメリカにおける奴隷貿易の
被害者になったことはなく
南北戦争もお隣の国の戦争で他人事だった
奴隷だったという人生のトラウマも
幸か不幸か私にはないから


でも奴隷と特権階級の問題って
アフリカからの拉致黒人だけではないんですよね
それこそ紀元前 人類誕生後すぐにまで遡れる
わかりやすい例でいえばエジプト文明
映画「クレオパトラ」とか「十戒」とかでも
戦争による捕虜が奴隷になっていたり
身分としての使役奴隷はたくさん出てくるし
中国の長い歴史の中でもそう
戦に負けた国の国民が奴隷になるってのは
珍しいことではなくて当たり前のこと
それは歴史が証明している
ヨーロッパでもそうだしアフリカ大陸の中でも

殺す(皆殺し)か生け捕る(奴隷化)かの違いだけ

アフリカに奴隷を求めたのはアメリカが最初ではなく
イギリスやフランスなどでの黒人奴隷の歴史は長いし
(安土桃山時代にイエスズ会の宣教師によって
連れて来られた弥助とかも奴隷でしたし)
時にペットのように飼うのが流行したり

日本の女性たちも火縄銃の火薬と引き換えに
何千人も奴隷として欧州に売られているしね
(意外と知られてないけど=イエスズ会の裏仕事)

ただアメリカでは先住民たちから
土地を奪ったことに対する罪悪感からなのか
正当な取引で得た土地としたかったからなのか
先住民たちのことは迫害差別はしても
奴隷にはできなかったみたいだ
征伐という名の虐殺はたくさんしたくせに

だからこそ労働力としての奴隷を
黒い大陸に求め
その数がそれまでとは違い 大人数だったから

いやでもこれも
そんな風に紀元前から繰り返してきた
同朋を 同じ人類であり兄弟姉妹である者たちを
奴隷として境界線を引いて
非人道的な扱いをしてきたことに対する
カルマの返済と皆への問いのムーブメントが
大きく動いていたからかな

これはアメリカだけの問題ではない
黒人と白人だけの問題でもない

何かを理由にして 
他人を差別される側と差別していい側とに
分けてしまう我々の中に生じる罪への問いだ

すべての人が心の垣根を取り去るまでは
この問題は世界から無くならないだろう


"ブラウン管の向こう側
恰好つけた騎兵隊がインディアンを撃ち倒した
ピカピカに光った銃で出来ればボクの憂鬱も
撃ち倒してくれればよかったのに

神様にワイロを送り
天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか?
誠実のかけらもなく笑っているヤツがいるよ
隠しているその手を見せてみろよ

生まれたところや皮膚や目の色で
いったいこのボクの何がわかるというのだろう?
運転手さんそのバスにボクも乗っけてくれないか
行先ならどこでもいい
こんなはずじゃなかっだろう?
歴史がボクを問い詰める
まぶしいほど 青い空の真下で"

byブルーハーツ「青空」





1968年アメリカアイオワ州ライスビルの
とある小学校で教師のジェーン・エリオットが
人種差別についての実験授業を行った
キング牧師の公民権運動に触発され
「子供たちを差別意識から守りたい」
という意志のもとに

彼女は子供たちを青い目と茶色い目の子に分けて
「茶色いロの子は良い子です
 だから5分余計に遊んでよろしい」といい
「青い目の子はダメな子です
 だから水飲み場を使ってはいけません」といった

そして授業中
青い目の子がミスをすると酷く叱りつけ
茶色い目の子のことは褒めまくった

するとほんの数十分で贔屓され
特権階級であることを与えられた
一部の茶色い目の子は
昨日まで友達として親しくしていた子を
明らかに侮辱し見下し 蔑む態度を取り出した
そして一部の青い目の子たちは
おどおどと卑屈な態度を取るようになる

青い目の子たちは積極的に質問に答え
正解率も高かった
しかし茶色い目の子たちは消極的になり
ミスが多発し答えを間違えることが増えた

翌日はすべてが逆になった

先日特権階級だった茶色い目の子たちは
今度は「悪い子」とされた
差別されていた側の青い目の子たちは
「良い子」として特権階級を与えられた

与えられていた特権階級をはく奪され
差別される側に立った子は成績が落ち
惨めな気持ちを味あわされることになった
逆に差別され劣っているとされていた子は
特権階級の身分を与えられて成績が回復した

子供たちはいう

「これが差別されるということなのか
 差別される側の気持ちなのか…」と

さて
この実験から子供たちが得たものは何だったろう?

今の世では絶対にありえない実験
問題視されること間違いなしなので

でもこういう授業こそ必要なのではないか?
知識だけではなく「心」で知る授業こそ
「こころ」を育み鍛え成長させる授業こそ
真の教育ではないのか?

そう思ったりする

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