2020/06/24

心象風景としての記憶

遠隔ヒーリングで垣間見させて頂いた風景

その人の心の中に深く落としている影
心の奥底に深く眠らされた 無意識の中に沈む澱

遠い遠い記憶の彼方に埋没させられた
とある春の日のワンシーン

それはそれは古い映画のように
とても印象的で
美しく 叙情的で詩的な切なさにあふれていて

それとは対照的に
そのような景色を心に閉じ込めることになった
母としてのその人の閉鎖的で意固地な心が
様式美を伴って心にインプリントされた風景と
とてもアンバランスで
なんとも言えないやるせなさがありました




基本 遠隔ヒーリングはしごく普通に
氣(エーテルバイタリティ)をお送りするだけで
セラピーが目的ではないので
意識的にリーディングはしないのですが

たまに覗かせて頂くことがあったりするのです

(普段は見ることはないですよ)



さて
目の裏に映ったその光景は
ひらひらと大量に室内へと舞い散る桜吹雪
それはまるで
光とともに障子を通り抜けているかのように
耐えることなく降り注ぎ
その室内 畳の大広間には
うっつぷして倒れている男性の姿
そしてその下に流れる赤い血

桜の花びらは
動かずにいるその人の上にも
静かにはらはらとずっと降り注いで

決して正装(裃)ではなく 
普段着の着古したそれを着ているその人は
介錯人のない切腹をして果てていたのです


人が自死をして その遺体を見ているというのに
(現実ではなくあくまで脳裏に映ったイメージ
妄想的な創られた映像であったとしても)

現実離れをした 
その静かな光景は

まるで黒澤監督や溝口監督の
古き好き時代の時代劇映画のワンシーンのよう

光と影が織りなす 
時間のない空間に閉じ込められた
なんとも言えないドラマがそこにありました

とは言っても
これだけでは何もわかりません

これは一体何を意味しているのか
どういう状況であるのか

この方の過去生の記憶であるのか
そうではない別のものなのか・・・

氣を送りながら
私はその情報を探させて頂きました



















戦国の世が遠くなった天下太平な江戸の時代
地域までは分かりませんが

その男性・・・切腹していた男性は
その家の長男として生まれ 
当初は跡取りとして大切に育てられたようです

ですが
武術の稽古中 事故というか故意というか
禁じられていた真剣でのやりとりをしてしまい
左腕を失うことになってしまったのです

血気に流行っていた若さ故の過ちといいますか

故に被害者(❓)ではあるけれど それを咎められ 
片手を失ったこと
すなわちカタワになってしまったことで
家督を就く座から外されてしまったのですね
次男が繰り上げ跡取りになったと

そのあとはそれまでの蝶よ花よとは違って
腫れ物に扱うがごとくの厄介者扱い

(武士の身分 
家の格としてはどうだったんだろう
武家屋敷の作りではあるけれど
江戸の藩屋敷という感じではないから
大名とか旗本とかクラスの
身分って感じはしなかったです
でも家の規模を見るに
江戸城詰めの御徒とか
そこまで低い感じもしないし)

そんな状況だから
自らを持て余すがごとく腐っていた



その方はこの男性のこの時の御母堂でした

息子が命を断ったときの風景が
記憶として残っていたのです


けれど よく見てみるとこの光景はとても不自然
まず庭に接する障子はすべて閉じているというのに
桜の花びらが室内に入るはずなんてないんです

そう この光景は彼女が創ったもの
たぶんこのように死んでいたのだろうと
遺体の様子を見た人からの又聞きから
脳裏に浮かべた息子の最後の姿

彼女は亡骸を見ることを拒否していたんです

作法を守らないところでの自室での
その死のあり方を
恥ずべきものとして忌み
対面することを拒絶していたんです

これは現代の感覚からすると理解できないこと

武家の母親の矜恃なんでしょうか


ていうか怖かったのかも知れませんね
本当のところの心中はわかりませんが
息子の遺体を見ることで受け入れたくないと
そう思ったことが
もしかしてあったのかもしれません

なぜなら
この男性 長男さんの
切腹を決心する背中を押したのは
御母堂であった彼女が
彼を否定し誹った一言だったから

その自覚があったんでしょう
認めたくないながらも


本当のところでは
本心では
息子の亡骸に取り縋って大声で泣きたかった
許してほしいと謝りたかった

遺体を抱きしめてあげたかった

けれど武家の母親 家を護る立場というのかな
そういうのがあるからできない
そのような教育を受けて 
かくあるべきって それが当たり前と信じていたから

現代の私たちには理解できない
取り繕わねばならない 何かがあったのでしょう

けれど人として 
単なる母親としての心の奥底では
ずっと罪悪感を抱えて生きていたのでしょうね
自らを責める傷となっていたのでしょう

とはいうものの
その傷は
ちょっと別方向に出ちゃっていますけれども


てなわけで私ができることは
その傷が癒されて 当時の息子さんと和解して
過去の重荷から解放されることを祈ること

でもその前にこの出来事から
吸収しないといけない学びがあるのであった

はい・・・残念ながら
それはまだ時期が来ていないのです




そして
侍というとどうしても戦国の世のイメージですよね
特に海外の人のイメージでは
日本人は時代劇たくさん見ていれば
そっちのイメージの方が強かったりするけれども


余談ですが 私の母方も祖父と祖母 
それぞれの祖父の代までは武士の身分でしたんで
祖父母ともにそうした
独特な士族の風習とか教育方針を受け継いでて
それが母親のセルフイメージにあるわけだから
だから武士ってなんか農民や商人とは違うって
なんとなくわかるとこもなくはないんですけどもね

長男教なのは九州ではありがちで
農家な父方も長男教でしたけんども
母方は祖父と長男に仕えさせられてるって扱いで
単なる長男教を超えていました

ご飯とか一人ひとり御膳でだったし
主人と長男とお客様用の表玄関があって
それ以外の家族用の裏玄関そして使用人は勝手口で
立場が違うと同じ玄関を使ってはいけなかったの
トイレも別だったし
あんな狭い家で玄関が3つもあるってどういうことって
当時はびっくりでした
武士だった時の家ではなく祖父が建てた家でしたけど
間取りが完全なミニチュアの武家屋敷で
農家の田の字式の間取りと全然違ってたなあ

そういえば祖父母は子供達のことを
絶対に呼び捨てにはせず "さん"づけで呼んでましたね
なんていうか襟を正して正座して向き合うみたいな
長男長女に対しては傅くがごとくな態度でしたし
ようするに親子といってもどこか他人行儀な感じ


そんなかんなで
なんか親子関係まで主従関係というか
上司と部下みたいなんだなって
人の情とか押し殺さないといけないというか
家族であって家族でない関係だったのかーとか
いびつな親子関係だったんなあというか
まっすぐに気持ちのままには
生きることができない時代だったのだとつくづく
武家の見栄というか
武士道というのはよく理解できないっすね

0 件のコメント:

コメントを投稿