2020/07/10

未来に託した贖罪と希望〜職業別カルマ①

エクササイズに関する誘導瞑想の音源を
昔からリクエストされていることもあって
昨年Youtubeを使っていくことも少し考えたのですが
それはちょっとやはり自分には向いてないと思ったり

実際のところ
ブログに文字を打ち込む作業はなんとかなっているけれど
画像加工やら動画編集ソフトを細かくいじるには
視力がもう難しいという現実もありますの
手伝ってくれる人がいないと難しいのですよ

だからやっぱりブログでちまちま記事を書いていくのが
自分には一番合っているのだなと思います
ブログ自体が今ではもう
ネットの世界ではアナログになりつつあるのでしょうけど

そしてブログにしても書く内容に関しては
いつも何処まで書いていいものか悩みながら書いています
でもいつまでこのブログを書くことができるのだろう?
ということを考えると
今のうちに書けることは書いておこうかなぁ
書いて伝えておかないとなあとも思ったり

目の状態はよくなったり悪くなったりなので

ちなみに左目も白内障でして
それ以前にこの左目には大きな紙魚というか
飛蚊症の塊があるのです 
ど真ん中にあるこれはとても面白い形をしています
随分と昔からあるものですが

人間て切り株とかロールシャッハテストで
なんでも人の顔に見てしまうというか
自分が知っている何かの形に結び付けて
それらを識別してしまう現象があるんですけど

私のこの目の影は地蔵菩薩の梵字の形に見えるんですね

ていうかなんだろう?この形は
と思って調べたときに梵字に似てるってそれだけ

ありがたいものに見えるものではあるけれど
視界を遮るのでものすごく邪魔w

右目は右目で世界が歪んでみえるし
なので左目と右目と見えかたがまったく異なってる

だからカンで動いている感じですねー


たまたまなんですけどね
それにしても
子供の頃から神社好きではありますが
仏教はもともとよくわからない人です
知識は手塚ブッダ止まりだし


さてさて
そんなこんなでここはこっそりやっている
あんまし目立つブログではないから
書いちゃってもいいかなーということも少しずつ

そもそも信じてもらおうと思ってもないからあれです

わかる人だけがわかればいいことで
ここにたどり着いた人だけが知ってればいい内容
見つけられる人が見つけてくれる知識であればいい
理解できる人だけが知っていればいいことかなー

一般の人向けではない
その道を目指す人とか後進(後輩)向けの知識なんで


少し前の記事で
報道とか編集関係の人のカルマについて
ちょこっと触れました

私自身の職業柄たまたま
編集さんとか出版関係の人とかと接する機会があったり
記○クラブの会員さんと座禅でご一緒させて頂いてて
そのご縁で某所の会食に参加させて頂くことがあったり
そんなんでそれらの方たちを見てきた経緯があって
気がついたことでもあるし
お客さんとしての彼らの過去を見させて頂いた
そんなこんなもあって知ることが多かったかな

統計データを取れるほどの
膨大な人数の人たちと関わったわけではないですが

真実を報道する それらを捻じ曲げずに
国民(民衆)に真実を伝えるってのが
集合体無意識レベルでの彼らの使命というか
ほとんどの人のカルマのレッスンとしてありましたね
私利私欲に走らず どれだけ信念を貫けるかのお試し

でも彼ら自身が口にしていたように
「報道しない自由」がマスコミにはあるってことだから
残念ながら自らの今生での使命(ミッション)に
忠実に生きられている人は少ないようです

真実の歴史を改竄し 
勝者の都合の良いように敗者の足跡を葬り
そしてその時の主権たる権力者のための
プロパガンダに加担してきた方達

そういう罪とそこに関わる
カルマのレッスンを持つ人がひじょーに多いです

昨今のネット民が「マスゴミ」と揶揄糾弾してますけど
彼らの中には罪深い人たちが実に多いのですよ

面白いことにそういう人たちだけじゃなくて
実際に政治家だった人たちもいましたね

歴史に必ず出てくる蘇我入鹿さんや蝦夷さん
今この現代に生きていらっしゃいますよ
みなさんびっくりなさるでしょうけど
(二人は今は親子ではないが一時的に上司と部下だった)
出版関係の方です 政治経済関係
入鹿さんは相変わらず性格歪んでますが
1400年経っても嫌なやつなんだなこれが

って言っても私は会ってないですよw
間接的に知っているだけです
そしてご当人も自分が過去生で
そんな歴史上の人物だったことなど知りません
(今の霊性の段階で思い出されても困るし)

本人はこんなふうに何度も転生してるのに
1400年前のこの人の体の一部は
呪いのアイテムになっちゃったりしてるんだから
面白いなあって思います

入鹿さんが殺されちゃった事件に関わった人の一人
かつて斉明天皇だった人も今の時代にいます
この人は後にもう一回天皇に生まれてまして
その後にも歴史上の有名人としての人生生きてます
この人に関しての情報開示はここまでが限界

石川麻呂さんも今の時代に生きてますよ
普通の編集者さんですけども
実に濃くて面白い転生遍歴を持っています
(ようするにこの方からすべては紐解けて
繋がって色々と・・・なんですね
彼らはあの事件とお互いに対するカルマで
繋がっているわけだから芋づる式に釣れてしまう 
同時期に同じ国に生まれるということは
今回は双方にとってカルマの返済とかでの再会だし)

こういう人たちの人生遍歴というか
魂の履歴は面白いです…って面白がってはいけませんね
ものすごく濃いです 波乱万丈ですしね

やはりね
世の中を動かすことをされた人とかは
カルマのレッスンも重たいです
過去から濃い人生生きています

見ていて大変だなあと思います
あまり「業」という言葉は使いたくないんですが
まさに「宿業」というのを背負う形ですよね
歴史に名を残してしまった人の人生というのは

ああ
大正天皇だった方も今の時代に日本人の若者です
うちのお客さんではないし直接お会いしたことはありません
一般人としての自由な人生を謳歌しているようで何よりです
それがなんか嬉しいというか見守る気持ち


とりあえずさくっと書いてあとは
トゥビーコンティニューにします
(これまでは長い記事ばかりだったから短くを心がけてマス)

明鏡止水



今のこのご時世 心を冷静に保つことは難しい

自分だけじゃない 誰しもが 皆がしんどいのだと
そう言い聞かせて 頑張って踏ん張ってもいるけれど

それでも気づかず間に 静かなるストレスが
自分を侵食していることに気づかされたりする今日この頃

少し前は妄想を暴走させて気分を爆上げすることをしたり
自粛生活にも慣れて それなりに
近郊を散歩して 
ガラ空きの都内名所の散策を楽しんでもいたのだけれど

人と話せない 
会いたい人に気軽に会えない状況ってのは
かなりキツイものですね

友達とのおしゃべりって 数人集まってわいわい騒いで
おしゃべりに花咲かせるのって
おばさんにとってはものすごく大切な時間なのだと実感
それが数ヶ月に一回とか 年に一回だけのことでも

メールとかすればいいものをそれすらする気力なく
用事以外では 返信もずっと放置しがち
メールは・・・簡単なことしか書けないし
会って顔を見て話すのが一番と考える世代でもあるし


数日前の怒り爆発で 
自分も相当ストレス溜まってるなあと
改めて自覚させられたりしました

(ヒトカラに行けるようになったのが救いですけど
そうですね 絶叫系で少しだけ発散してきました)

私のような職業に携わるものが
あんなことでキレて軽率な発言して
忍耐なくてどーすんの!!とちょっと自己嫌悪

ダメですね
まだまだ修行が足りません
実際エクササイズや瞑想など
少しお留守になっています

自粛期間で時間があるにも関わらず





先の見えない不安というのを今は誰しもが抱えています

それでもってコロナ禍に加えてこの豪雨被害

日本がこのような状況(自然災害)に陥ってしまう
というのは十何年も前から言われていて
東日本大震災の前からもその後も
色々と警告はあったのですけれども

わかっちゃいるけれどもって感じですかね

コロナは人類全体が引き寄せて招いたことだし
日本の自然災害多発も日本人へのお試しだし
(あと某二カ国からの呪詛とか怨みの念もあるなあ)

3年前に土地の"お掃除活動"から私は外れたのですが
そこも少し考えますね

私がそこに加わったからとか外れたとかで
結果が変わるようなこともないのだれど
(私一人いるいないで左右するようなそんな力はないので)

外れてからは
私はそのポジションからは降りましたんで的な
無関係なところにいる存在として
かなり無責任だったようにも思います

自分程度のものに何ができるのかなあとも
今一度考えるべき時期に来ているのでしょう

このままでは日本という国はいつか
侵食されて無くなってしまうから

そんなことはそれだけは避けないといけない

日本はねぇ 確かに少し特殊というか特別な国です
選ばれたとかいうような言葉は使いたくないけど

だからこそ保たないといけないものがあって
守らないといけないものがたくさんあります
色々な意味で鍵を握っている国ですので

今生で日本人に生まれた自分がこの国でできること
きちんとやっていかないとなあと思っています


なんとかこのお試しの期間を乗り越えないといけませんね

2020/07/09

異次元ポータルとサイキカル界への径

これは補足というか追記ですね
また別の角度からの説明

前回ワープゾーン?といえばいいのかって
悩んだ媒介(媒体)になる物や場所のことですが
ゲームだとポータルが開くって言うふうに
よく表現されていることを思い出したり

訳すと「異次元への扉」ってところでしょうか
(あっていますかね?)

前回の説明では「繋がる」とか「リンクが貼られる」
というような説明をしたんですけれども
その方が誰もがイメージしやすいというか
一般的に理解されやすいので
便宜上その説明になっゃうんですね



きちんと説明すると
3次元(物質世界たる現実世界 マテリアル界)上の
とある地点ととある地点を結ぶリンクが貼られる
ということではなく

写真や映像に写されたり2次元的な絵で描かれ説明された
3次元(物質世界たる現実世界)上の出来事の場所にある
4次元(幽界/サイキカル界)に

それを視覚的に捉えた人すなわち読んだ人や見た人が
「行ってしまう」ということが起きるのです
この場合「行く」のは
4次元の身体(幽体/サイキカル体)ですけれども

繋がるという言い方で統一するなら
繋がりができるのは3次元のレベルではなくて
4次元のレベルになります

繋がるだけではなくて「行くこともできる」
のがミソなんだけども

何故って 4次元には時間とか空間の概念はないから

3次元は物質の世界で時間と空間概念があるから
A地点からB地点まで行こうと思ったら・・・
例えば日本からフランスまで行こうと思ったら
移動手段が必要になります
船に乗ったり飛行機に乗ったり電車に乗ったりなど
そしてそれをするためには時間が掛かります

でも4次元の世界においては一瞬です
これは幽体離脱とは全然違うのですけどもね

まぁ想念の世界ですから

だから瞬時にして誰かと繋がることもできる
想念というエレメンタルを創造して
それを誰かのもとに飛ばすこともできる(生霊とか)

すでに肉体を失った人に
声としての想いを届けることもできる

例えば既に死んだ父親が
別々の場所に住む息子たちに同時に思いを届けるとか
何かの記したるシグナルを発することもできる

サイキカル界っていうのはそういう世界

霊的な現象っていうのは得てして
4次元で起こっていることだから
(5次元ででもだけど そして3次元で起きていることではない)
その4次元に想いが向いたなら
4次元の身体であり目がそちらに向いたなら
それを捉えることは容易いし
その出来事の波動(周波数)にアンテナを合わせて
チャンネルをチューニングすることで
引き寄せることができる


前述のことはそれが起きたってこと

清姫さんに関しては
私の4次元の身体が
彼女を覗きに行ってしまったのでしょうね
見られていたことに気づいた彼女が
私を見に来たってだけ

バイカル湖もそうなのかなっっ汗
意識を合わせたら
「ここから出してくれー」ってことで
なんか助けを求められたのでしょう
そのSOSに気づく人は少ないけど
私はたまたま気づいたと

八甲田山で遭難した某連隊の某さんは
なんであの時あの場所で
意識の波長が合ってしまったのか
それはホント謎なんですけども

確かにもともと事件や事故やら犯罪史やら
歴史とかとか史実を調べるのがダイスキーな私のこと
あの映画も見ているし
取り上げた動画も改めて見たことあるし

朝の5時の御堂はとても寒くて
正座してたなら足も痛くて
眠いは寒いは足は痺れるわで
とてもありがたいお経などに集中していなかったことから

なんかたまたまなのかなー??

とは思っています



それと蛇足ですけど
祖父(母方)の霊と遭遇できているのは
なぜか親族で私だけなんです
一緒に暮らしたことなんてないんですけどね
里帰り出産の時に数ヶ月いただけで
後は数年に一回の帰省した時だけ
数えるほどしか会ったことないんですよ
親しく話したこともほぼないし
(だからこそ突然の出没は怖くてびっくりさせられる)

対象的に母方の祖母はたくさんの人が目撃している
生きている時から(半身不随で寝たきりでしたので)
幽体離脱してあちこちの人に目撃されてたり
死んでからも親族以外の人のとこにも出没するしで
悪霊ではないんだけど怖い幽霊扱いw

でも私は逆に祖母には一度も遭遇したことがない
同じ家の中で母が祖母に襲われている(謎)時でさえ
気づかないという位に祖母に対しては鈍感

父方の祖母には2度ほど会ってますけどね
メッセージは受け取ることもあったし
どっちも死んだ後ですが

父親(祖父)ダイスキーな母にしてみれば
自分のとこには出てこないのになんで
お前のとこには出るねんって思ってるみたいですが

そうですね
母方の親族はわりとみんな
「視る」「遭遇する」たちで
子供の頃からそのような体験はわりとしているので
怖いって感覚はないみたいですね
(だって目の前が墓場な家だったもん 
縁側から人魂見学できるんですよ
今はもうその家もなくその土地には親族いませんが)

祖父のお葬式の時にも色々ありましたしねー
火葬場でちょっとね ふふふふふふふ
って私は行ってませんが 

叔母の旦那さんとか従姉妹の旦那さんたちは
ほとんどそういうの信じてない人たちだけど
そういう人たちでさえ例の「恐怖の離れ」に
泊まった時には恐ろしい体験をしたとかで
二度とあの離れに近づきたくないって言ってたなあ
(そんな部屋で熟睡できちゃう私って一体)

いやでも十分に怖いですよ 
私はとても怖がりな人間ですから
(映画「死霊館」見て電気消して眠れなかったモン)

てなわけでちょっとさっくりな補足でした

2020/07/06

呪詛とカルマと引き寄せと

前回の記事の続き 続き及び補足ではあるけれど
少し内容変わってくるのでタイトルは別になってます

さて
前述の考えられる原因⑤
これはちょっと説明が難しい部分もあるんですけれど
その出版されるテーマ 
扱われる記事(事件や事象など)の中に
"呪い"が発動する仕掛けが設定されたものが
混じっているという可能性です

それは土地かも知れませんし
事件や出来事そのものかも知れません
事件や出来事で使われたものである可能性もあります
写真に撮られた何かに掛かっている場合もあるし

今回は一人だとか次は三人だとか不定数ではなく
いつもほぼ決まった人数の人がということですので
もしかしたらもしかしたらですけれど
そのことに触れると"贄"が発生してしまう仕組みなのかも

これだとするなら普通の御祓とか護法術では無理です

相当な呪詛級のものなので

ええ そういうのってありますよ
さほど多くはないですけど 稀に

原因となっているものを洗い出して特定し
扱うことをタブーとして過去の資料も封印しないとです
じゃないと避けられないかな

こういうのを消すことができる人はいることはいるけど
そういう人を探し出すこと自体が難しいでしょうね
(ルートが開かないとネ←ちょっと意味深)

私はこういう基礎知識だけはあるけどもそれだけです
様々な原因を検討して推察したり情報を読み取ったり
特定するところまではできるけどもそこまでが限界
実力以上のことには手を出さないのが賢明
(まあ持ち込まれないってことがそもそもの答え)

普通の人は近寄らないのが一番

君子危うきに近寄らず




で呪詛というか祟りというか有名な呪いの話
以前どこかでも書いたと思いますけど

ツタンカーメン(トゥトアンクアムン)の呪いね
とはいうものの あれは呪いではないです

みんなが死んだのは
ウイルスか病原菌かによる感染症です

カーターは現地でずっと現地人と同じ生活していたから
(同じものを食べて水を飲んで)免疫力が既についていたの
他の西洋人は耐性がなかった それだけ
今回のコロナのごとく

でもカルマは関係していました

ハワード・カーターにはどうしても
ツタンカーメンという歴史の闇に葬られた少年王を
発掘して存在を明らかにしなくてはならないという使命
すなわちカルマによる贖罪をしなくてはならなかった

何故って誰あろうハワード・カーターその人が
過去生においてツタンカーメン王その人を
手にかけて殺害した策略の主犯つか首謀者だったから

この場合のカルマってレッスンというよりは
過去の詫びというか行いに対する償いのほう

カーターの発掘に対してお金を出したパトロン
カーナヴォン卿もそう それ以外の人たち
新聞記事にするべく集まってきた人たちもそう
ようするに亡くなった人の大半なんだけども

彼らはツタンカーメンという人を葬った人たちだし
その父親アメンホテプ4世と彼が行ったアマルナ改革
に反対してそれを白紙にすることをした人たち

だから呪いっていうよりはカルマの精算かなあ

もしかしたらお金儲けとか利害とかなんていうか
彼らの目的がそういうところではなく
もっと純粋な気持ちで発掘に対して協力的であったなら
人として霊的にも精神的にも成長していたならば

感染症に掛かって死ぬことはなかったかもしれない

そういう意味ではカーター氏は
4千年前かよりは人間的に成長していたのでしょう
霊性が高くなっていたというか(意識高い系❓)

別に祟りではないけれども結果的には祟りになってるか
彼の呪いではないということで冤罪は晴らしておくっっ


「僕じゃないもん 呪ってないもん」byツタンカーメン



そして
写真とか映像とか漫画とか
そういうのでも"繋がる"ことってあるのね

例えば 恐怖漫画 ホラー漫画っていうのかな
物というか描く人(作者さん)にもよるんだけど
描くことで場所とか人と繋げてしまうことがあるの


それを読んだ人が
その場所や描かれた人物とリンクしてしまって 
呼び込んでしまうことがある

うんとー 亡くなった人がいたりする場合
読むことでそのエネルギーと繋がり
描かれている亡くなった存在を呼んでしまう
(自分のいるとこに呼び出しちゃうっていうかー)

単なる場所だとしても場所とリンク張れちゃうのですよ

なんかゲームとかの世界観の中に
こういう現象のよい呼び方があったような気がするけど
思い出せない
ワープゾーンではなくて なんだったけ
ワープゲート❓ むむ なんかまあそういうの

本(絵)や写真が媒介するの 媒体となって

なので心霊特集のテレビとかは害悪になるので
制作もですが放映するものではないと思います

漫画とかに関していうならば

ホラー漫画とかは他の漫画に比べて
早く劣化してしまう場合が多々あります

さほど読んでもいないのにいつの間にか
バラバラになってしまうというのかな
黒ずんでしまったりとか変色するとか
よくそういう話を聞きますけども

「恐怖新聞」とか「うしろの百太郎」とか
「漂流教室」とか 永久保先生の漫画
楳図先生 つのだ先生の作品なんかね

それは"負"のエネルギーを寄せつけやすいからですけど
所持している人によっては大丈夫だったりもする
(そんな理由で私も
その手の本を何冊か押し付けられたことあります
だから私は供養寺ではありませんてば!!
アナベル人形とか呪いの椅子とか
絶対無理だし冗談じゃないし)


そして私自身も繋がっちゃったことはありますよ

小学校の時だったかなー
その前日にテレビの心霊特集で
安珍清姫伝説のお寺で撮影された心霊写真
見てしまったのね

なんの気なしにじぃーっと見入ってしまった

そのまま忘れてたけど

翌日体育の授業で着替えていて
体操着を上から被って首を出した瞬間



いたんだよ そこに

空中に浮かんでたんだがね
(ちゃんと立体的に存在感ばっちり)

目があったよ
(てかー こっち見てたし見下ろされてたし)

写真のままの清姫か❓って呼ばれてた着物姿の女性が

白目剥いて倒れて失禁しそうになった

いやはや 

「ぎょぇぇぇえええええ〜!!」

という

悲鳴上げただけでなんとか堪えましたけど

教室から走ってトイレに逃げた

しばらくガクブルだった

失禁なんかしたら
男子に一生言われ続けるところだった

(祖父が亡くなってから 
私のところに二度ほど姿現したときも
同等の反応で叫びまくって逃げた私
身内でさえ怖いのに
あんな・・・恐ろしいこぇぇお人はマジ勘弁)



大人になってからもありましたかねー
ただ今は肉眼で立体的に
そこにいる人のようにってのは
ほぼ(まったくないわけではないけど)ないので

脳内妄想的な映像で済んでいますけど


バイカル湖の映像を見てしまったならば
バイカル湖を渡りきれずに凍死してしまった
大量の人と繋がってしまったことがありまして

とっても寒くて寒くて死にそうになりました
(あげるのも大変だった 大人数すぎて
過去生ロシア人だったことあるからっていっても
今の私にはロシア語なんてわからないんだよ〜)
一ヶ月かかったよ
それでも全員あげられたかどうかわかんないよ

カラオケでその間ずっとロシア語の歌を歌ってたよ
発音はめちゃくちゃテキトーだったけどさ



奈良の某寺で毘沙門天さんの油浴なんちゃらを
朝の5時から見物させていただいていたならば
どうしてだか八甲田山でお亡くなりになった人が

「助けて欲しいのです」

どうしてここ青森じゃないよ❓

東北でもないよ 

奈良だよ奈良 関西だよ❓

どーして❓
君たちの命日とも関係ない日だよ❓

あの死の雪行軍から何十年経ったと思ってるの❓

まだ上がってなかったの❓ 

え 何 マジー❓❓❓


と頭ぐるぐるパニック


いやその 今目の前で仏像拝んでる
お坊さんの方に頼んでよー

担当はそっちでしょ❓

頼む人 間違えてるよ〜!!

私本職じゃないよ❓ 専門外ですがな

白目になった フリーズした


そしてやっぱり寒かった

わたしゃ不信心者だから
般若心境ソラでは唱えられませんよって 
先祖は浄土真宗だし「なんまいだー」までしか知らんし
そもそも真言宗の山で「南無阿弥陀仏」はいいのかとか
毘沙門天の仏像前だからそっちかーと思いつつも
真言とかわからんよー!!

ねぇ


これは軍人さんだから軍人に頼むべきだって
陸軍の軍人だった祖父に助けを呼んだよ

「おっおじぃちゃ〜ん!!  ヘルプミー!!(半泣)」

いつも出てくる度に逃げ回ってたくせに
こういう時だけ頼み事するって
なんて調子の良い孫なのアタシはっっ


そんなこんなで場所も空間も何も関係ないんだなって
本当マジ痛感させられます


2020/07/03

祟りを呼ぶ仕事

先日 
ソーシャルディスタンスな内輪食事会の場にて
私が大好きな系統の資料本の話をしていて
某新聞社に昔勤務していた元編集者の方から

何十年か一度に出版される
とある事に関係する歴史資料本を制作すると
関わったチームのうち 2,3人は必ず死者が出る
とのことで

だから社の上にある神社にお参り欠かさず御祓をしたり
みな数珠を腕につけて仕事をされるのだそうだ

それでも死者は出る・・・と


そうですね あるかも知れませんね


私は霊媒ですが霊能者ではないから
祟りとか集団的呪い等の解除は専門外ですけど
(仕組みはわかるけどスキルないしー)

ちなみに私はその資料本 持ってるどー
所有しているだけでは何も起きないみたいだけど

でも私は怪奇現象を引き起こす髪が伸びる人形と
その人形の魔除というか封じるために
同居させられていたことのある人間だからなー
他の人のとこでは何かあるかも知れません<その本

人形に関しては私の部屋にある分には何もないけど
他の人の家だと色々と起きてしまうのよ
(人形寺に供養で納めればいいではないかと思ふorg)

そんな風にポルターガイスト現象や怪奇現象で
親族みんな怖がって泊まりたがらない親戚宅の離れに
生の魔除アイテムとして母親に使われてしまったこともある
いやさ何もなく朝までぐっすり眠れましたけど

だってそれは霧島神宮の神様の通り道に
掛かっちゃってるからってばさ
建物を取り壊して綺麗な庭にすれば万事解決だぜよ?




さて
そんなことが起きてしまうことの考えられる理由としては

まずは
考えられる理由①
プラセボ効果 思い込みかな
伝承というか
ジンクスとして伝えられていることに対して
恐怖で反応してしまって
その人の意識が顕在化してしまう場合
つまりは自ら「死」を呼び寄せてしまうということ

考えられる理由②
感受性が強い人がチームの中にいて
取り上げられている事件と波長が合ってしまい
被害者の意識や負の想念(空間)などと同調して
死の臭いに引きずられてしまう場合


もう一つ
考えられる理由③
その人のカルマが関わっている場合
ちょっとこれはとても複雑なんですけどね
報道や編集の仕事している人って
関わっているジャンルにもよるのですが
過去生で政治とか経済とか
世の中を動かす原動力の一部な仕事をしていて
大勢の人たちに対しての責任あるカルマ(罪と贖い)を
担ったり背負っている人が結構多いのですよ
とくに歴史や記録的なこと 
史実を明らかにすることなんてやっている人は
新聞記者も週刊誌もそうなんですけどね

だからこそ仕事に対する真摯な姿勢が求められる
真摯に向き合ってないと人生摘んじゃうことになるし


それともう一つ
考えられる理由④
上記とも重なりますけれども
その資料本を作ることに対して恐れはなくても
その逆で「ふざけた」「ふまじめな」
考えや意識を持っていたりすること

そうすると「怒り」を受けてしまうんです

それって誰の怒り? っていうと
やはりとりあげられている人たちのもの
自分たちのことを 人生を人格を
自分たちの身に起きた不幸や出来事を
興味本位にいたずら半分な軽い気持ちで
扱われることに対する怒り
犠牲者に対する哀悼の念もないまま
彼らの気持ちに寄り添うことなく
単なるデータや偽りも含まれた内容を
興味本位な視点で暴かれて世間の好機のタネとして
晒すことを面白がるような
そういった姿勢が許せないってことで
怒りを買っちゃうのですね

はい 死者にも人権はありますから
そして想念は死してもなお生き続けますし



今回の場合としては
みなさん亡くなり方として
脳の疾患がお決まりだということですから

よ ④かなあ・・・という気がします

恐怖による感染だったら
心疾患とか衰弱系だと思うから

ただ個々のカルマもやっぱり
関わっているような気もします


霊的な存在(地縛霊)とか
仏教系(主にヒンズー)の神様絡みだと
脳(頭)に出てポックリってこと多いですね
ある朝急に 元気な人が突然死みたいな


神道系の神様の障りだと首にまず出るし
まず「怒ってますよ」って予告的な合図が先に来るから
いきなり死ぬなんてことにはならないんですよね
怪我や事故や精神疾患の方が先に来ると思うんだあ
それにじわじわ弱って死に至るような病気が多いし

ちなみに昔私の後ろに某神様がいた頃は

私が怒ったとき
(自分に対してされたことではなく
他人が被害にあったり世間的にもしくは
道理的に許せないことに対して
つまりは正義感を刺激されるようなこと)
背中から打ち上げ花火のごとく
怒りの炎が相手のところにピューっと
飛んでしまうという現象が多々ありました

※祖母が危篤で帰省した際
毎日願掛けにいってお掃除していた
某神社の神様
この存在がいたから
魔除になっていたのでしょうね当時の私は
(といっても創造主としての神様ではなく
社にいる神様として拝まれていたエネルギー
神主さんのいない無人のとこでしたので
して そこまで格上じゃないです
これをなぜか私がお持ち帰りしてしまっただけのこと
今は抑え込んでるし ほぼ私と同化しているし
だいぶ力は弱まってると思う)


そうすると何が起きるか

お察しの通り

だから
なるべく誰かに対して怒りたくないんです
もう二度と
怒ることは 怒りを感じることは自分でも恐ろしい

でもおととい激しく怒っちゃったけどっっ

あなおそロシア

しまった!!  やばいやばい 
実にヤバイ 一昨日の怒りの結果が恐ろしい

お願いやめてー 怒らないでー
大魔神よ どうか怒りを鎮めたまえ!!
元の慈悲と慈愛の埴輪顔に戻って〜(切実)



宮毘羅神(どっちかってっと十二神将?)
この存在 怒らせると怖いのよー
約束守らないと本当怖いのよー
店もつぶすし会社もつぶすよー
計画も破綻させるし 最悪命も奪う
マジ恐ろしい
(そんな私の渾名は破壊神ゴジラ)

以前に2chで叩かれていた時
私を怒らせた人やトラブルになった人が
精神疾患になったとか心を病んでしまったとか
あれやこれや書かれていたけど

それは私ではなくて後ろにいる
この存在を怒らせていたのだと思います
私はすぐ熱くなるたちだけどしばらく怒りまくったら
すぐに忘れてしまうので
(蠍座ではあるが射手座オーバーロードだし)

私自身にはそんな力は微塵もありません


(でもこれは憑物筋ではないので
私自身の個人的な意図とか私怨とか
単なるヒステリーや怒りなどの感情の動きとか
それだけで発動することはありませんので
そこはご安心を)



さて
ちょっとこの話
同系列の話題もあるんでちょい続きます

とぅびーこんてぃにゅー

あ゛
ここまで書いていてもう一つ
考えられる理由があることを思い出した

というわけでそれも後日

2020/07/02

とらわれの貧しい心で〜消えゆく文化

ブログ趣旨から外れた話をもう一つ

高校に入学して間も無く
親しくなったクラスメイトが

「行けなくなった人がいるんだけど
 チケットがもったいないから行かない?」と

それは地元千葉は文化会館での
浜田省吾のコンサート(今はライブか)

当時のチケットは画一的な印字物ではなく
アーティスト独自の個性的なデザイン
(コレクションしていた人もいた
私も取っておけばよかったと後悔している)

チケット代は1500円だったと思う
その前の年 日本武道館での
ABBAのチケットが3000円だと思ったから
(レコードのアルバムが2500円程度の時代)

よく知らないままに彼のコンサートへ

観客はまばら 席が埋まるどころか
ぽつりぽつりと まったくの蜜ではない状態w

ステージに出てきた省吾が

「寂しいから 
 みんなこっちにおいでよ!」

と優しく手招きする

戸惑いながらステージの方に
後ろの方にいた人も前に座っていた人も
友達と来ていた人も一人で来ていた人も
見ず知らずの人々と顔を見合わせて
省吾やバンドの人たちに確認しながら
ステージ前に集まった私たちは
皆照れ臭そうな 少し浮き足立った笑顔で
ステージに肘をついて省吾を見上げた

そんな私たち一人ひとりをさっと見て 
省吾はにっこり笑って
そして始まったコンサート

わずかばかりの観客である私たちに
私たちのために
語りかけるように一曲一曲
とても丁寧に彼は歌ってくれた

あの観客数だと大赤字だったろうが

てなわけでハートを鷲掴みというか
その日からファン決定❤️

それ以前に歌詞が心に深く沁みた

その後千葉に来るたびコンサート行ってたけど
少しずつお客さんも増えていくのが嬉しかった

レコードは高くて買えないので
友人からダビングです もしくはレンタル

テレビにも出ずタイアップもほとんどなく
ヒット曲というヒット曲も実のところないけれど
そんな地道な活動が今の彼の土台になって
コンサートはいつも満員御礼のマンモスライブで
プラチナチケットになる理由なんだと思う



そりゃ
歌がうまいかっていうとそういうわけでもない
省吾より歌の上手い歌手も良い声のシンガーも
良い曲創って曲の完成度が高いミュージシャンも
この世にはたくさんたくさんいる
運に恵まれた人 売れている人やヒット曲のある人たちも
事務所のバックアップや時代に乗れた人たちもたくさんいる

けど省吾は一つひとつのステージを大切にして
どんなにお客さんが少なくても手抜きしないステージで
歌で思いを伝えて 皆に語りかけて
ファン一人ひとりの心を掴んできた人なんだよね
壁にぶつかって挫折もしたろうし葛藤もあったろうけど
それでも一本筋を通して歌い続けて来た人なんだよね

うん
だから昭和から平成そして令和になっても
ずっと自分のスタイル貫いて続けていて
たくさんのファンがいて
影響を受けたミュージシャンたちも多いんだわ


FCも入ってないから 今ではチケット取れない人
あんな風にサングラスの下の素顔が見れちゃうほど
彼の近くで 私たちだけのために歌う曲を
聞けることはもう二度とないだろう

今の時代では絶対にありえないこと
昭和だからあったこと

ファンがみんな仲間で
好きなアーティストを通じて繋がっていけた時代
アーティストと家族みたいな暖かい絆を持てた時代
スタッフの人も暖かく優しかった時代

過ぎたからこそ懐かしいあの頃

そういう経験をできたのはとても貴重なことで
今となっては青春の宝物みたいな想い出

あんな優しかった時代はもう二度とやってこない
とくにこのコロナ禍による未来に至っては



















そんな風にファンな友人から
レコードを借りたりテープをダビングしてもらったり
「ぜひこれを聞きやがれ!」と押し付けられたり

「行けなくなったから」「チケットがあまってるから」
「よかったら一緒に行って欲しい」

なんてことから付き合いだの暇つぶしだので出かけて
それで曲や舞台を見て 魅了されてファンになる

・・・っことは今の時代というか
これからの時代はもうありえなくなるんだな

電子チケットになってしまったならば
転売防止の観点や利便性から
必然的にそうなるんでしょうけど

チケットを手渡して
「よかったら ぜひ行ってきて」なんてプレゼントする
素敵で小粋なこともなくなるのだろう



JASラックが音楽家たちの収益や権利を守るために
著作権だー!! とあれやこれや煩く言い始めたことで
果たして何が起きたか

街中から音楽がなくなった

音楽が消えてしまった

音楽を聞く機会が狭まった

昔はどこででもかしこでも音楽が流れてた

商店街を歩くとき 喫茶店やお店の中で
町中に音楽があふれてた
テレビでは音楽番組も多かったしね
ラジオ流しているとこもあったし

だから流行りの曲は
誰しもがどこでか聞く機会があって
どこかで耳にすることができた

たまたま入った店のBGMとして
歩きながら耳に入ってきた誰かの歌として

そして「あ、いいな」と思って
調べて探して 自分好みの音楽にたどり着くことができた

でも今はそんな機会を持つことはない

行きつけの飲食店や喫茶店のマスターの
こだわりコレクションのレコードを
聞きたくて訪れて音楽談義に花を咲かせる
なんてこともなくなった
できなくなってしまった

音楽はいつの間にか遠いものとなってしまった

テレビでのタイアップ 主題歌やCMで知るくらい
あとは身内や友人からのルートくらい
動画も知る媒体のひとつではある

でも昔の曲を聴きたいのなら
CDをちゃんと買ってくれよな方向なので
そのアーティストの良さを「知る」機会は
どんどん減っている 間口が狭まってね


自分で撮影したプライベートな動画を
SNSにあげたとき 
そこに少しでもその場で流れている
音楽をキャッチして入っていたなら
「著作権がー」
「違法だー」という正義酎が現れる時代

音楽はますます遠くなっている


そりゃ売れなくなるよ<CD 
テレビに出ないからばかりじゃないよ
有名だから無名だからってのでもないよ

違法で ただで手に入れる人がいるからって
無料で聞けちゃう場や方法があるからってのもあるけど

「知る」「出会う」機会も同時に減ってきている

聞けないから聞きたくなるってのもあるけど
耳にタコができるほど聞かされているから
もっと聴きたくなる音楽ってのもある
中毒性ってやつかなあ
よく聞くから好きになる曲ってのも
今はそういう現象が起きなくなってるから
よけいに音楽が欲しくならないのかもね

日常的に聞いていればそれが当たり前なら
聞きたくなるけど
音楽がないのが当たり前な日常が普通で
ないのならなくて平気ですよってそういう時代

音楽はなくてもいいものになってる

音楽だけでなくて他の芸術も
お芝居(演劇)も映画もアートも
どんな芸能文化も
身近ではなくなってきてしまったから
生活に普通にあるものではないってことで
それがなくても別に大丈夫ですよって
なくても困らないしってそんな感じ

例えばイタリアの人にとってオペラは生活の一部で
朝から晩までみんな歌ってて
そんなふうに風景みたいに音楽があるから
それを大切な文化として身近な感じて
それらに対する情熱や投資を惜しまなかったりするのだけど
(フランス人にとってはアートか)

日本人は著作権がー 製作者に収益分配をーとか
彼らの権利や文化を守ろうとして
かえって音楽文化を干上がらせ衰退させてしまった

そこに功罪があるのかどうかわからないけれども

音楽や芸術が人々の生活から離れて
とても遠いものになってしまったのは事実だ

人々の生活が多様化したからだけじゃない


うーん
いま音楽を作り それらの活動をする人にとっては
果たして良い時代なんだろうか 
やりにくい時代ではないのだろうかと思うけど

お客さんの中にもミュージシャンはいますが
印税収入がちゃんとあったとしてもそれは昔の話で
ステージすなわちライブ開催できないことには
色々と難しいし副業ないと厳しいのが実情ですから




観客が数十人しかいなかった頃から
自分が好きだった人が
こんなにビッグなアーティストになってくれて
本当に嬉しいし今となっては感慨深い
(先見の明があったのかw)


人生の早い段階で 若かったときに
ホンモノのものすごいアーティストのステージを見れたこと
そしてそのわずか数十人のオーディエンスの中の一人だったこと
こんなにすごい人に会えてたんだってことが
奇跡のような出会いで すごいことだったんだって実感する

ほんの2mくらいの距離で この人の歌を聴けたんだよなぁって

そしてバックバンドのメンバーに
元レベッカのドラムスの小田原さんを見つけて歓喜した!!

2020/07/01

愛なき時代 心なきサービス

昨日の続きになりますかね
本来のブログ趣旨とは異なる書き込みですみません

昭和の時代を知っている人間としては
あの時代の人と人との生身の関わり合いが
懐かしいなあと思う今日この頃

良くない面や悪しき風習も勿論たくさんありましたが
企業にも人にも
道徳心と誠実さは今よりかはあったような気がします
マナーとか礼儀礼節も 人を敬う気持ちもですね
あと優しさとか思いやりなんかももちのこと

かといって現代において良くなった点
改善された点はたくさんありますので
一概に今が悪いとは言えず
時代という全体性を見れば
確実に「良くなって」はいるのです


さて過去記事でも触れたこと何度かありますけれど
流行の中心 ターゲットとしての購買層
マーケティングの対象というのは
いつだって20代30代です
その世代がuserである前提で 
商品開発や企画って進められることが
世の中では圧倒的です
特にITや通信機器などは
その世代が使うことがスタンダード

(あ、でも政治と司法は旧世代の老人主体ですね)

家電などは主婦層 アパレルは女性というように
女性をターゲットとするものもありますが
ほとんどの製品が男性 そして若者主体

50代以上を対象とした商品開発ってほとんど無し
あっても極端に介護用品とか健康器具とか医療品とか 
特殊なものに限ります

テレビもその世代が楽しめる番組はほとんどないし
レジャーもショッピングも置いてきぼりです
爺婆の選択肢はめちゃ狭いです
あなたたちにはこれしかないですって追いやられてる

高齢化社会でみんな歳を取って 見た目は若々しくても
身体機能も衰えて できないことが少しずつ増えて
目線も変わって 不自由さも出てくるというのに
少子化でどんどん社会での年寄りの比重が増えているのに
高齢者目線の商品ってバリアフリー商品位かって一択

ユニバーサルデザインは相変わらず普及しません

30代の人を基準とした当たり前を押しつけられて
それができないと年寄り扱いされるだけ

なんかなーって感じです

人々の意識や趣味嗜好は多様化しましたが
世の中の 私たちの使う道具や受けられるサービスは
一人ひとりの個性や身体機能の違いを無視して
一本化されて選択できない傾向にあるし
それぞれに適した多種多様なサービスや対応を
受けられなくなっているのです
人も臨機応変な態度を取れる人が少なくなってきました
ケースバイケースな 
各自の事情に合わせた工夫や融通を図れる人が
今はサービス業にはほとんどいないですね

それと読解力のない人が本当に増えた
コミユニケーションが取れない人が本当に多い
発達障害とかADDとかそういう人でなくても

それはそれとして とにもかくにも世知辛い

嗚呼、そうこの違和感の正体
それは現代のサービスがすべて
「温かみ」にかけているってこと
使用される言葉とか文章の体裁とか提供のしかたなど
「血の通ったサービス」がほぼ見つけられず
それが絶滅危惧種であるということ
お断りの言葉も何もかもそこに「血が通っていない」
ことに対して 
私はたぶん一番の不快感と違和感を覚えているのかも
そこに突っかかっているの

相手のことではなく自分たちを保護し
何かの責任を負わされることから回避するためだけの
体裁を整えた言葉選びが透けて見えるのが昨今だから
誠実さとは真反対にある不実な自己保身


なんだかな
コロナ禍で変わりいく時代だからこそ
誠実さや道徳心というものが
心あるサービスや対応が必要だと思うのですがね
そこはそれお互いに譲り合って許しあって
もちろん必要以上のことを求めない
互いの立場に歩み寄り思いやって譲歩して妥協して
我慢や忍耐やあきらめる姿勢を示すことも
肝心ではあるのですれどもね


機械的で画一的で 人を人として扱わない
人を人してみなさない
心を軽んじるサービスや企業が増えました


なんか悲しいなあ

おかしな世の中になっていってもいるなあ

自分は昭和の遺物で化石なのかもなあ



話変わって

昨年私の地元の千葉では
大きい台風がふたつばかし直撃しまして
実家(県庁所在地から車で10分位のいちおう市街地)は
最初の台風で屋根が飛んでいってしまったり
友人宅では停電したり携帯繋がらないとか
そんな状態だったのですね

でブルーシートひとつ探すのも大変で

行政はネットでは情報を出しているわけです
どこどこにあるよってのとか

でもネット環境のない人のところには情報は入らない
肝心のその情報を必要としている人に伝わらないんですよ
こちら都内や他県の人間が
ネットで得た情報を家電で伝えるのみ

行政もテレビもインターネット(ホームページ)の情報を
見てくださいっていうんです そっちで確認してって
そちらには書いてあるからって 
電話の問い合わせはやめてって

だから70代以上 80代の人間は
スマホとか持ってない人ばかりだし
使えない人ばかりなんだよってば
PCも持ってないし
(それ以前に台風でネット繋がらなくなってるという問題も)

若者が同居している世帯ならともかく
年寄り世帯にネット見ろって❓
スマホとかPCとかないですっていっても
とにかくネットで情報確認してくださいの一点張り

ネットが普及しているというへんな当たり前の勘違い
それは若者の間だけでしょ
10代から40代ならほとんど持ってるって話
50代や60代になると少なくなって
それ以上はまばらですよ 

テレビとネットは違うんだってば
どうしてネットとテレビを同列で考えるかな

若い人にはネットが有効でも
50代いやさそれ以上にはまだテレビなのよ

思うんですけど あのような緊急時には
すべてのテレビにネットで収集できる行政や民間の情報も
開示してくれて告知する局があってもいいように思う

でないと非常時に情報を一番必要としている
受動的な高齢者が受けられるべきサポートや助けを
逃してしまうし いつだって取り残される

いわゆる情報難民です 増えてます
ITを知らない使ったことのない世代がぽっかりと
それらの機器を所持することのできない人たちが
時代や文化から取り残されている

ほんと昨今は
情報についていけない人の方が悪いって風潮なのね
スマホ買えばいいじゃんって片付けられて終わりで
どうどう廻りです

少数派はお荷物扱いなんだわ
少数派のために対応は変えられないってね
そして無視して切り捨てられる

なんかこのあたりどうにかならないかなーって思います

NHKが本来はその役目を担うべきなんでしょうけれども

もしくはローカル局か



そしてスマホ画面を認識することのできない私は
スマホとPCをケーブルで繋いで 
PCでスマホを操作できたら嬉しいな
そんな技術があったらいいなと思うのであった