2019/07/31

魂の道しるべ~恐怖という指針



「恐怖体験」というと
トラウマの要因として知られており
重篤になるとPTSDを発症してしまうのですが

時に軽度のトラウマ的出来事が
当人にあることを「知らせて」いたりもします

警告というか「運命の道しるべ」として

もちろんPTSDを発症するほどの体験ではなく
心に強いインパクトを与え
後々まで忘れられないような強い印象と
人生に影響を与える出来事という程度の体験のことです


例えば先日クライアントさんから
子供の頃に芥川龍之介の「六の宮の姫君」を読み
このお話をとても「怖いお話」だと受け取り
この姫のようになってしまったらどうしよう…と
後に尾を引く強い恐れをずっと抱いてしまったと
そう伺ったのです

実はこの恐怖心こそが
この方が今生に生きる上での
「ヒントと警告」だったりするのですね

この「六の宮の姫君」については
過去記事でも引用したことありましたけど

今回のクライアントさんの場合も

「自分からは何もしない
 受け身の人生を送ってはダメだよ

 誰かや何かに依存して生きるのではなく
 そして誰かや周囲や運命のせいにすることもなく

 自分で考えて感じて 
 自分から進んでリアクションを起こして
 その行動に自らが責任を取って

 生きることを積極的にしないとダメだよ」

ということを
過去の人生から得た後悔と反省として 
自らの心に深く刻みこんでいたのです
それはもう戒めのように

なので
「六の宮の姫君」を読んだとき
我が事として
「姫君」の人生に恐れを抱いたのですね
 
再びの人生としてこのような人生を
生きることになったらどうしよう
また同じことを繰り返してしまったらどうしよう

というように


ある意味でこの物語を読むことになったのは
偶然なのかも知れないけれど
(教科書に掲載されていてたまたまかも知れませんが)
必然でもあったのですよね
主旨が同様のお話や類似のテーマを扱ったものも
本以外に映画とか他にあるのかもしれませんが

記憶としては憶えてはいないけれど
自分に必要な「なにか」を思い出させるために
人生の早い段階で選択して「読ませた」
意志の意図がそこには介在しているのです

それは第三者ではなくて
その人自身の本質たる本体
いわゆるホームグラウンド
母体であり故郷として存在する魂のこと

そこにはすべての情報と記録がありますから


そんな風に
人生の早い段階において
心に深く刻まれるようなインパクトある出来事や
強い印象を受けた事象
トラウマになるような恐怖を覚えたこと

それは魂が今生のテーマとかミッションについて
道を示唆するヒントを与えてくれているのです
埋もれている記憶を呼び覚まそうとするかのごとく

「これだよ」
「この中にあなたのとるべき道
 進むべき方向性へのヒントがあるよ」
「このことにあなたの今生のレッスン
 (ノルマやタスク)が隠れているよ」
というような


だから「恐れ」というか恐怖を抱いて
乗り越えられない壁のように感じてしまう
出来事というのは実のところ
それさえ克服して克服してしまえば
これまでの自分の枠を超えて大きく成長できる道で
抵抗するのをやめて降参して
そことさえ向き合うことができれば
生きる上での人としての大きな力も手に入るし
なかなか手に入らない欲しいものも手に入るだろうって
そんなレッスンだったりするのです


だからまあそうですね

人生が思うように上手くいかない人は
子供のころから自分が抱いている「恐怖」
昔から自分が恐れていること…や
これだけはイヤだって思っていることについて
自分が抵抗して目を背けていることが何なのか
一度考えてみるといいと思います

心に強い印象を残した出来事はどんな出来事だったのか
いつまでも忘れられないインパクトのある出来事や
それらについてどんな風に考え感じているのかも併せて
そんなことについて振り返ってみると
見えてくるものが色々とあると思います


極端な話
仏陀(ゴータマ・シッダルダ)が
ヒンズー教の階級制度(カースト)に疑問を持ったり

「私はそれが悩みなんです
 老・病・死、これが解決されなければ
 何のために生まれてきたのかわかりません
 死ぬために生きているようなものです
 これを解決するために、城を出させてください」

と"四門出遊"を悩んだように


「疑問」を抱いたり
心に苦悩をもたらす出来事と事象のすべてに
自分が向き合って追及すべく
その人の課題があるのです

さすれば道は開かれん…と


#魂 #ブループリント #トラウマ体験 #恐怖  

2019/07/29

子殺し間引きイノチの咎

一つの例題について語ると
類似のケースのことを
すべて同様に捉えてしまう人がいるので
決して全員が全員そうではないと
一人ひとり違う理由でそのような状況にあるのだと
与えられた人生は同じものではないのだと
予め断り書きをしておきます



日本の人口は減少に向かっていて少子化は進み
老人と若者の人口比率は理想的な三角形とは程遠く
むしろ逆三角形で若年層への負担は増すばかり
子供が増えても何とかなるといった時代ははるか遠く
たった一人を産み育てるのも大変で
それ相応の覚悟がないと子供を持つことはできない

晩婚化の影響も多少はあろうが
ひと昔前の死語ではあるがディンクスという
子供を持たない選択をする夫婦もいるし
未婚の男女も増え
ワーキングプアが故に結婚も子育てもあきらめる
そういった人々もいる

子供を欲しがっているところには生まれず
望まないものが妊娠し
無責任の結果として闇に葬られる命も減らないし
児童虐待による子殺しもニュースからは無くならない

よき親になりそうな人は不妊で
どうしようもないDQNな放置親のところに
次々とコウノトリが舞い降りたりもする


ほんと世の中ままならない

理不尽で不公平そのものの世の矛盾とも思うが
それも理由があったりする


ある人がいた
漢方の分野で気が付けば不妊治療の専門となっていた
意図してそうなったわけではないが
偶然が重なってその方面の知識を身に着け
導かれていたという流れ

だがそれはその人が過去に犯した罪への
「償い」のひとつの形にしか過ぎない

その昔、戦場を駆け巡って
大量に市民を惨殺し、命乞いをする年寄りや女性
そして年端もいかない子供たちや赤ん坊や妊婦をも
切り捨てて大勢の命を奪ったことの贖い

たくさんの命を奪った罪に対して
命をこの世に産み出す手伝いをしているというだけ

そこには当人の自主的な奉仕精神と
意識的な「反省心」「悔恨の念」は無いが
魂の計画と干渉によって
無意識的に罪の清算をしているという構図

またその人自身の「過ち」だけでなく
家系的に「ご典医」のようなことを代々しており
作為的に命を奪うことを仕事として行っていたが故の
宿業ともいうような咎も重ねて背負っていた

その人が殺めてしまった人の数だけ
不妊治療のクライアントをサポートしたり
出産へと至らせたりする必要があるかというと
数字レベルで同等に語ることではないし
殺した人数分、助ければOKという問題でもない

とはいうものの
その人が過去に奪った命の数はあまりにも多く
殺した数だけ命を救う必要があるというのなら
とても今回の人生だけで贖えるものではないだろう

その仕事を通して悩める人の力になっているからといって
必ずしもその人が人間的に成長できているとは言えないので
人として目覚めて
正しい生き方を歩き始めようと決心しないことには


そのように
「命」を救うという職業に就いている人の中には
「命」に対する罪を負っているが故に
かつての自分の軽率さや過ちを贖うように
その職に就いている人も時々いたりする


上記とは別の人
同様の仕事をしている人で
自らも不妊に悩み
終わりの見えない治療に悩んでいる人がいた

その人自身が不妊に苦しんでいるから
同じ不妊の人のプレッシャーや苦しみ
不妊治療の辛さが理解できるだろうし
気持ちにも寄り添ってあげられるのだろう

…と普通は思うし
実際そうなのだろう

確かにそうした経験が当人には必要だった

子供を授かりたくても授かれない人の痛み
そうした人々と向き合って命の重みを知る経験が


その人はある人生で「堕胎」を請け負っていた
惨いことにそこには「間引き」も含まれる

たくさんの命を
代々受け継いだ知恵を使って闇に葬っていたのだ


避妊具が存在しなかった過去の時代においては
意図的に妊娠を防ぐ手立てはなかったし
望まない妊娠をしたとき
女性たちにはそのような方法しか選択がなかったろう
全員を育て上げることが可能な身分に生まれ
食が豊富な時代であったなら
生まれ来る命の誕生を拒む必要もなかったろう

だが飢餓があり
貧しさ故に産み育てることが不可能ということもあった

そうした女性たちの最後の砦として
堕胎医は必要悪であったのだと思う
そして産婆も親の苦悩や命の尊さを知るが故に
その逆のことも引き受けてきたのだと思う

だがしかし「命」の重さを軽視して
モノとしか見ないものもいたろうし
その職を「金」のなる木としか考えないものもいた

貧しいワケアリの女たちから
乳飲み子を代わりに養育するといって引き取り
その日のうちに土に返しては
定期的に届く預かり料を目当てに
あくどい手口を繰り返すものも

それはそうだ
そんなことをしておいて
わが子をその手に抱けるとは思わないほうがいい
たくさんの子供たちの命
たくさんの母親たちの想いを
踏みにじってお金に換えてきたのだから
たくさんたくさん苦しまなければならないだろう

子供を望む人の助けをしながら
授かった人の喜びを目の当たりにして
笑顔で祝福しおのが手柄のように感謝されつつも
自分は授かることのできない苦痛と葛藤を
その仕事をする限り味わい続けなければいけない

すべての命に対して愛情を注げる日が来るその日まで
他人のところに訪れた小さな命を
心から我がことのように喜べるその日まで
苦悶は続くだろう

ちなみにその人はお客さんではないので
私が彼女にそれを告げる日が来ることはない
他者をして学ばせていただいた人生、教訓のひとつ



重ねて言うが
すべての不妊の女性そして
不妊治療に携わる医療従事者が
上記のような事例と同様の背景を持っているわけではない

あくまでこのような事例の人もいるというだけだ
そのことを勘違いしないで欲しい


日本という国における少子化の問題や
不妊が増えている背景については
環境ホルモンの問題や社会の在り様や男女の働き方
食や生活習慣が大きく変わったことも
原因にあるだろうし
戦時下(空襲)などの極端なストレスにさらされると
妊娠や出産率が左右され低下するという研究結果もある
そういう意味ではストレスの多い日常と社会的な不安が
妊娠率を低くさせている要因のひとつかもしれない

スピリチュアル的なレベルから見たときには
「国」のカルマが大きく関係している
戦前の日本には「生めや増やせや」といった
国策として「人間(命)」を国の資源
すなわち消耗品と見なした大きな業がある
そして戦後に親を奪って孤児にした子供たちに
国として何も救済をしなかった罪もある


不妊に悩む女性ばかりでなく
多く女性にヒーリングとして氣を流すとき
子宮の中にたくさんの哀しみや罪悪感が
詰まっているのをよく見かける

過去生の哀しみ
そこには子流れや流産や死産といった出来事で
生んであげることができなかった子供に対する哀しみ
子供を亡くした哀しみ
産んだ子を取り上げられた哀しみ
出産によって
自らも死んでしまった痛みと苦しみと恐怖

子供を産め…と…跡継ぎである男の子を産めと
プレッシャーをかけられた日々の苦悩と嘆き
子供を産む機械のように
道具として扱われた日々の惨めな記憶
絶え間ない妊娠により出産と妊娠を繰り返して
妊娠することが恐怖になってしまった人生の
辛い日々の記憶等なと…

それは子宮だけでなく
第一チャクラにもたくさんたくさん
当人だけのものではなく母親や祖母
そのまた先祖である代々の女たちが背負ってきた
たくさんのたくさんの苦しみと悲しみと嘆き

悲鳴のようにそれらが折り重なって
妊娠することを拒むかのように
石のようにそれらが子宮内を占拠している
とても固く、重たい、暗いエネルギーの塊として

欲しいと当人は口にしながら
今のその人は望みながら
身体は妊娠することを畏怖し
恐怖の記憶に縛られていたりする

なかには「自分には母親になる資格がない」と
そのような思いに支配されている人もいる



また男女というのは不思議なもので
憎い相手と再びカルマの清算をすべく
出会って惹かれあってしまうことが多々ある

自分を殺してくれた敵や
あれほど酷い目に遭わせてくれた人なのに?
と思うような相手と何故だか縁付いて
結婚している人は少なくないのだ

そうすると
「この人の遺伝子は残したくない」
と抑制が働くのか
不妊ではないのに妊娠しないという人もいる
そして離婚して別の人と結婚した結果
その相手とすぐに子宝に恵まれるということも

なるほど

母、となるべく人たちは
未だに過去の傷に囚われているのだ

そんな風にいろんなことが相まって
今の少子化で高齢化でもあるのだろう
(高齢化も日本の社会のカルマには違いない)

2019/07/22

霊媒体質の弊害 

結局のところ霊媒体質も憑依体質も
根本的なところではあまり変わらないのだが

ようするに
良いものと波長があっているか
悪しきものと波長があっているか
の差でしかなく

悪しき存在と同調しているのが憑依体質で
良き存在と同調しているのが霊媒体質
といったところ

とはいうものの良い存在悪い存在の区別は難しい

霊媒体質であるが故に憑依体質となり
憑依されるというのはよくあることだし
肉体を持たぬ存在たちに身体を狙われたり
様々なものに同調してメンタル面で混乱をきたし
突飛な言動や行動をとってしまうことから
日常生活に支障をきたしていることは多々ある

ただ霊媒体質と憑依体質の違いがあるとするなら
霊媒体質はそのような己が特質を理解して
上手くコントロールすることが出来るもの
憑依体質のものは己が特質を理解してはいず
あるいは理解していたとしても
まったく自分の意志では制御できないもの
という違いになってくるだろう



さて私は霊媒体質であるが故の憑依体質
これは過去生において何回かの人生で
そのような職業に従事していたことから
トレーニングを行ったせいでもあるし
今生に生まれた血筋からの多少の影響はあるかもです

とはいっても祖先は武士(母方)と農民(父方)
私のような職業をしていた人はいないみたい
しいていうなら母方の女性たちほとんどが
その手のものを「視たことがある」人たちだというだけ
気配に敏感でカンが鋭くていわゆる霊感があるってレベル
その程度ですかね

そして母方祖母が憑依体質だったのと
半身不随になってからは(昏睡から目覚めてから)
幽体離脱してあちこち出没し(うちにもよく来た)
死んでからもあちこちに出没(身内も他人も目撃者多数)

この祖母が倒れた時ちょうど夏休みで
ヤバイってんで帰省したのですが
祖母が寝ている部屋に入ったならば
もうこれでもかって狭い部屋にたくさんの霊たちが
ぎゅうぎゅう詰めで大量に…
白目向いて気絶しそうになりました

昔から祖母は無縁仏とか無関係な人の墓とか塚とか
手あたり次第に手を合わせる人だったとのことで

「マジそれが原因だよ!

とはいうものの私にはどうにもできません

「おばあちゃんの上にたくさんの人が乗ってる」

なんて話も誰かに出来る状況でもなく
とりあえず一番近くの神社の神様に
何とかしてもらおう助けてもらおうって
幼心の浅知恵で思いついて毎日通い詰めて
箒と雑巾持ってってお掃除しまくったんですよね
(1か月くらい頑張ったら
昏睡状態から目覚めましたので
多少の効果はあったのか…な?)

まあ話は脱線しましたが
この祖母の気質を一番濃く受け継いでいるのが
たぶん私なんでしょう
(でも顔立ちとアレルギー体質は父方譲りな農民系)

さて前置きはこのくらいにして



他の人の前では決してそんなことにはならないのに
普通に自分でいられるのに

その人の前だと
調子が狂うというか自分を見失うというか
なんでそうなるの?と思うほどに
おかしな発言や行動を取ってしまうことになる

という相手がたまにいたりします

何かしらのスイッチが入ったかのように
言動や行動が暴走するといいますか
奇妙な行動をとってしまうのですね
「キチ」に変化すると言えばその通りで
とにかく私自身が気持ちの悪い人になるんです

メンヘラになったり攻撃的になったり
池沼か!と突っ込みたくなるくらい

そんなときの自分はどこか遠くにいて
そんな自分を「あ~あ!(T-T)」と眺めていたりもする
でもそこはいかにしても制御できない止められない

それは昔から大きな悩みの種でもありましたが
結局は私の霊媒(憑依)体質であるが故の行動で
その人の周囲に溜まっている悪いものやエレメンタル
に同調・呼応してそれらの声を代弁していたり
場合によってはその人に何か言いたい誰かの声を
メッセージとして伝えることをさせられていたり

まぁ、そんなかんなで
「使われる」ことをよくさせられているわけです

仕事でもそれをしているわけですが
プライベートでは止めて欲しいですよね


じゃあ実際「使われる」ことは悪しき行為なのか
低い波動の悪しき存在と同調していることは
その人に対してそれらの「声」を伝えること
その人が創ってきたエレメンタルを読み込んで
具現化させて表現して見せることや
その人に対して様々な人が向けている
様々な恨みつらみの想いや怒りの声を
「言葉」にして伝えることは諸悪の根源なのか
というと

一概にそうとも言えない
カルマっていうのは与えたり与えられるもの
私はその人に対して「痛み」を与える相手としての
役割を演じさせられるということにもなる
その人に対して「悪役」を演じるポジション
良く言えば「教師」とも言える
エレメンタルが具現化して人象化された存在に過ぎず
その人自身が創造したエレメンタルにより
法則で引き寄せられた「悪役」または「教師」

そのような意味で
エレメンタルがレコードだとすると
憑依(霊媒)体質の人間はレコードプレーヤーそのもの
レコードプレーヤーとは古すぎですね
CDやDVDなどの記録媒体を読み込むデバイスみたいな
そういうものとして捉えて頂ければ

ただいつも波長・波動の低い
悪しき存在とばかり同調していると
私そのものも悪い方に引っ張られてしまいます
それはあまり良いことではないです
意識して良いものを見るようにして
波長・波動の高いものと繋がるようにしないとです


昔はこういう状態が理解できなかったから
自分のことを「頭のおかしい人」と思って
思い悩みました
社会生活を送る上での妨げになるから
(人間関係も壊れますし多くの人から嫌われますし)
もちろんスイッチはなるべく入らないほうがいいし
このような体質のせいにせず
ちゃんと自分をコントロールできるようにならないと
というのはあります

ともすれば悪しきものに使われて
人格破綻して精神もモラルも崩壊して
人生詰んでしまうことにもなりかねませんから

だからこそ社会性や常識は大事ですし
人としての精進も霊的な修養も大事で
見えない世界と見える世界
霊的な知恵と現実的な生活の折り合い擦り合わせ
その双方とのバランス
どちらにも偏り過ぎず両方の視点から物事を見ること
そういうのが大事なんですね

自分のことを客観的に見たり
観察者として世の中を見ていくことも含めて
懐疑的な視点と何事も自分自身が経験したこと以外は
信じないというスタンス

まぁ日々起こることすべてが学びの対象です

いつだって発展途上でこれがすべてではないということ
謙虚な姿勢を見失わないようにすること

すごく大切なんですよね


さてさてそんなんで
その人の周囲にあるエレメンタルを読み込む
エレメンタルレコーダーと化した「私」の一面とばかり
出逢ってしまうという人も少なくないでしょう

その人たちにとって私は災厄そのものです
口うるさいことを言ってくるウザイ人ですから
歩く迷惑でありトラウマ級に不快な人物でしょう

そうですね
スイッチ入っている時の私は
トラブルメーカーといった存在で
歌舞伎や能でいうと狂言回し
トランプのジョーカーかトリックスターといった役回り
みんなが見て見ぬふりをしていること
表面取り繕って隠していることを暴きまくる
破壊王ゴジラそのものですw


誰にでもそんなわけではなく
ほとんどの人とは楽しく付き合えてます
余計なお節介も言わずスイッチ入ることもなく…
ですから私の
エレメンタルレコーダー機としての一面に
まったく触れた事のない人や遭遇したことの無い人
スイッチ入ってキチ化している私のことが
想像できないという人もいますね

なのでそうならない相手とは一度もそうはならないし
スイッチが入ることは稀です
仕事以外では

でもどうしてもスイッチが入ってしまうときは
必然なんだろうなってあきらめています


読みたくないけど読まないといけない
誰かが読まないといけない
読み手を待っている情報があって
誘致されてしまったのだから
読まされてしまうときには
それはきっと私を使いたい誰かの意志で
託されているわけだからもう仕方ない
それに私をサポートしてくれている人たちも
それを受け入れて許可しているが故のことだから
誰かが伝えなくてはいけないことなんでしょう

伝えられた情報をどう判断するかはその人次第
それを無視するも受け止めるもその人の裁量

関係性が壊れるならそれはそれまで
それは受け入れるしかないことなのです

2019/07/19

信頼と評価に義理人情は不要である



人を紹介するのは難しい

単純に「この人は誰々さんです」と
その人がどこの誰であるのか
名前と自分との関係を説明するくらいなら
とくに難しくもなくためらうことなど何もないが

「仕事」や「お金が絡む場」を紹介するとなると別だ
そこに信用と責任が生じるから

ここに義理とか何かそこに
人としての「情」を絡めてしまうと人の目は曇る
私もこれまでだいたいそれで失敗してきた

例えば私と類似の同業者
私よりもスキルが上の人を紹介したくても
正直な話いないので出来ない
私自身が信頼している人とか知り合いという中には

友達だから信頼したいし活動を応援したいと思っても
友人として付き合っている部分と
職業上の評価と人としての信頼はまた別物なので



少し話変わって

今はもうお付き合いは絶えてしまったが
まだ占い師であった頃
とあるイベントで若い占い師の子と知り合った
とてもいい子で人としては好きだし共通点もある
そのような付き合いだけなら楽しくやれた

お堅い仕事の正社員から占い師に転向した彼女は
「占い師がこんなに儲からない仕事だとは思わなかった」
と言う
だが彼女がレギュラーで出演している場所は
都心では占いの仕事においてもっともお客さんの来る街

お商売というのは三か月サイクルで見ないといけないので
出演しはじめたばかりなのかと思いきや
もう1年以上経過しているのに未だリピーターは僅少

場所が悪いという理由でないことは推察できた

ではどのような鑑定をするのかと
それによっては紹介できる仕事もあるかもと
腕を見極めるべくプライベートな相談をもちかけたのだが
結論としてお金を出して見て頂きたいレベルではなかった

センスというか語彙力というか
コミュニケーションの問題がまずあるということで
さりげなくそのことを伝えるも
彼女から相談を受けたわけではないので
聞く耳のない時に伝えても…であった

その後いわゆる「すぴ」のジャンルに興味を持ち
結婚を機に旦那さんの応援もあって
ヒーリングの学校に通ってそちらの道に進んだが
やはりお客さんが来ないということで
「もうやらない」となってしまったようだ

なんていうかお前が言うなと言われそうであるが
正直なところ彼女は社会性に欠けていた
それから占いにしてもヒーラーにしても
その道に進むための明確な動機と目標がなかった
もし動機がしっかりとしてさえいれば
この仕事をするために自分に欠けている要素は何なのか
必要だが欠けている要素を埋め合わせようと学び努力し
身に着けようとしたろうし、習得も可能だったろう

言葉のキャッチボールが苦手であるならば
とてもダサいおばさんファッションを改めて
セルフプロデュースで自らのイメージを創り
言葉少なでも神秘的な神託を告げる占い師として
自己演出したならばファンもついたろう
何てたって彼女は顔立ち整った美人さんであったから

しかし
彼女はこうでありたいという自分のこだわりに固執し
周囲の言葉に耳を傾ける柔軟さを持たなかった


人間としての彼女は誠実で信頼できるし
好きな友人ではあったが
仕事の評価というのに嘘をつくことはできない
知り合いだから友達だからと
そのようなひいき目を持ちたいのは山々だが
「情」で判断することはやはりしてはならないこと


別の人の話

その人はとても教養があって霊的な知識に長けていた
その知識と素養を否定して眠らせておくのはどうよと
多方面から色んな人に言われていたようで
私もそうした知識を教えることは勧めてもいた

だけども私のような形での一対一の
対面式のカウンセリングのようなことをするには
その人はちょっと問題があると思われた
同調と共感力がもっとも欠けている人であったので
他者の気持ちに寄り添うことが出来ないのは
この仕事において致命的な欠点であるから

やる気になったのはいいけれど
欠点を表面化させずに持ち前の長所を引き出す形で
すぴ関連の仕事をするのであれば
ちょっとその方向性は違うんじゃないか
対象とする人たちをうまく篩い分けないと
と思ったりもしたがそれは余計なお節介と言うもの

求められていないアドバイスは
耳障りな騒音でしかないのだから


友人だからといって知り合いだからといって
すべてを信頼して評価できるわけではないのです
その人たちの仕事を見る時には
欲目は引っ込ませて冷静にその価値を見極めるべきで

簡単に人を紹介することは出来ないし
紹介するときにはその人の仕事における失敗も評価も
自分がひっかぶる覚悟で紹介しないといけない
それだけ責任の生じることだと…

時分のWebサイトに
知り合いのサイトのリンクを張ることも同じ

それは過去の反省からくるものだったりします




そしてこの先はまだまだ自分が甘かった時のお話

ある人の紹介で
ある場所での瞑想会に参加した時のこと
その人のことを信頼していたから
誘われて参加して
その人の長年の友達というから信頼して
(でも結局自分の目で見極めないとダメです)

紹介された人は悪い人ではないし基本的に善人で
自分にとって
既に知ってると思う知恵や世界のことであっても
他人から改めて教わったり
自分の知らない新しいことを知る機会にもなるし
それはそれで新鮮で楽しい出来事でもあった
心理的に落ち込んでいるときでもあったので
そこでの出逢いに救われた想いもあった

ある日その人がとあるセミナーを開くという
是非受けて欲しいと

聞けば価格は安くはない
断ったが人数が必要なセミナーということもあって
ぜひ受けて欲しいから料金はいらないという
そういう訳にはいかないと断っても逐一お誘いがあり
良くして頂いているという想いもあったので
そこまで仰って頂けるならと参加させて頂いた
(結局のところ最初は
無料でいいから参加してくれと言っていたが
いつの間にか「〇〇円でいいよ」になり
それが「もらえるなら。いつでもいい」になり
最終的に苦言を告げたところ
一部返金とはなったのだが)


だがいざセミナーという時
私は網膜剥離になり緊急入院することになった
といっても準備などあって数日後の入院であったが
それで断ろうとするも
「だったら余計に参加したほうがいい」と宣う

普通に考えたら網膜が剥離して医師から
「家の中でもなるべく動くな、歩くな」
と言われている人に
電車を何本も乗り継いでの移動と
朝から晩までのセミナー参加を促すなんてありえない事
もしその人が本当に常識があって
相手のことを考えてくれる人であったなら
そんなセリフは出てこないだろう

ここに観切るべき材料が提示されていたのに
バカな私は「義理」と「情」を取ってしまった
だからこれは断ればいいものの
断らなかった私の問題そのものである

そのセミナーには関西から
がん患者の方が参加していた
生きたいと望み 希望があるのなら
どんなことでも試すという想いでの参加だ
もしかしてこれを受ければ
自分は治るのかも知れない
そういう気持ちが言葉の節々に
切々と伝わってきた


新幹線で帰られるとのことで途中まで一緒だったので
二人きりになった時
体力も精神もギリギリのところにいる彼女は

「私はこのセミナーを信じてたのに
 書いてあることに僅かな希望を持って参加したのに
 東京に出てくるのは本当にしんどくて
 それなのに…それなのに…
 ひどい」

と絞り出すように小さく
声にならない悲鳴のような声で
大粒の涙を流して嗚咽した

それに対して私は自分が何を言ったのか
覚えてないのだが最後の最後に
「あなたが一緒に参加してくれてよかった」と
ギュッと握りしめてくれて
何とも言えない目で私を見つめて

固く握りしめられた手から
彼女のやるせない気持ちと様々な痛みが
たくさん流れ込んできたのを覚えてる

そしてそれが最後だった

あの時の彼女の失望感と言葉は
今も胸に刺さっている


主催者であるその人に悪気はなく
その内容は他の人にとって良いものと信じているし
自分が誰をどうやって傷つけているのか
まったく気付かない人だから難しい

けれど大人であるならば
ビジネスとしてそれをしていくなら
まして目に見える形がない商品やサービスを
提供していくのならば
何よりも顧客たる人を大切にし
お商売としての信頼関係を築いていく必要がある
相手と誠実に向き合っていくという姿勢で示して

「ここにきてよかった」
「このサービスを受けてよかった」と
いってもらえる体験そして時間を
持ってもらうために気持ちを尽くして
労わりの心を態度に出していかないと
相手はそこに何も価値を見いだせないし
目には見えない「何か」を受け取ることも出来ない

参加者としての私の感想は
言われていることが何なのかはわかるし
内容自体悪くはないのだが
やり方というか進行の問題というか
改善すべき点があるとは感じたし
ともすれば霊感商法っぽい胡散臭い
妙な馴れ合い的な雰囲気を無くしていけば
方向性としてはイイ感じにまとめられるのではと

さてそのような「やり方」をしている
私よりも年配のその人に
どうやって伝えるべきなのだろうか?
と少し考えてタイミングを待ち

「霊感商法と
 間違えられるような商売をしていると
 他の同業者の人にも迷惑がかかる」
などと言うようなニュアンスのことを
他のこともまじえて伝えたが

結果嫌われて終わり(笑)

まあ伝え方も良くなかったのだと思います
でもきっと正しい伝え方など無いのでしょう


この方を前にして何も言わず
この方のいないところでその人の文句を言う人
この人はそういう方がお好きらしい

私はずっと無視されているが
この人のことを陰ではバカにして揶揄する人や
「あたしのお金を返して欲しいわ」と言って
怒っているけれどそれを言わないでいる人に
「イイネ」をたくさんつけまくっている
たぶん普通こうなのだろうなと思う

みんな物事のよいところしか見たくないものだ
真実を知りたいという人はさほど多くはない

誰もかれも注意されたくはないのだろう
自分に痛いことを言う人のことはみんな嫌いで
それが口だけのおべっかでも陰口をいかに言われていても
直接的に自分を傷つけなければ人はOKで
そういう表面的な付き合いを大切にするもので

霊的成長がどうのこうの言ってはいても
成長したいと心から望んでいる人は少ないのだ
耳の痛いことは聞きたくないし
お説教や欠点を指摘されることは不愉快以外の何物でもなく
それをお節介に言ってくる人はたぶん「悪」なんだろう

そしてこのような気が付いた点について
他人にあーだこーだ言う人は支配的だ
コントロール欲求が強いと非難されてしまう


そうですね
やっぱり社会的常識をわきまえていること
挨拶がきちんとできて「ありがとう」「ごめんなさい」
を口にできる人であるか否かって
そこでその人のすべてがわかるといっても過言ではなく
基本として
それができない人とは
「すぴ」な業界の人であろうが
会社員や経営者や主婦であろうが
対等な関係性、人間関係を創るのは難しい

肩書とか能力は関係ないです

自分が間違えたときに素直に人に謝る事が出来る人なのか
口だけでなくてきちんと行動で示せる人なのか
感謝の気持ちを態度に表している人であるのか等etc...


眉唾もの見せかけのもの
信頼できる人出来ない人
仕事や自分の大事な人間関係を紹介しても
大丈夫な人かどうかは

たぶんそこだけ見て考えれば
まず間違いないんだと思います

そこがきちんとしている人は
仕事にも他人にも誠実だから

2019/07/15

本当に大切なもの

どんなことも創っては壊し、築いては崩しの繰り返し
そうした繰り返しの作業の中で
良くない点上手くいかなかった点など
失敗から反省と学びを得て、改善・改良を繰り返し
人も技術も進歩していく
昨日から明日へと 過去から未来へと 

人生全般はもちろんのこと 人間関係もまた然り


私自身のことであるが
この人生 それなりに多くの出来事があり
様々な経験をさせて頂いた
その中で色々な人たちとの出逢いと別れがあって
続いているにせよ終わってしまったにせよ
これらの多くの人間関係から多くの学びや教訓
そして自身の血肉、糧となる経験を得たし
すべての人たちから育ててもらった
といっても過言ではないと思う

残念なことに
互いに助け合うことの出来る
友好的で良き関係性を築けなかった人も多いのであるが
それはまたいつか別の人生で出会えたときに
今生でのことはリセットして
一から新しい友好的な関係を築けたらと願うのみ

それは本当に仕方ない
お互いに道の途中であり成長していく過程の中で
互いに痛みを教え合うための(学びの)相手として
出会ってしまったのだから

そのような相手に対しては
出逢えたことにただ感謝をして
感情的軋轢や遺恨を手放すのみ
そして相手の学びが進むことを祈るのみ
心からの平穏と無事
一日も早くその人らしい人生を取り戻すことを
ただただ、祈るのみ
「あなたの魂の願いが叶いますように」




お陰様で
私は今多くの友人知人そしてクライアントさんに支えられ
助けてもらって日々を過ごさせて頂いている

家族こそいないものの
具合が悪いと言えば 心配してかけつけて
差し入れしたり手助けしようとしてくれる人もいるし
恩返し恩送りをして下さる方もいる

暖かい心配りに満ちた励ましや便りをくれる旧友や
しょうもない愚痴や泣き言を聞いてくれる人もいる
たわいのない世間話やおしゃべりをし
共に楽しい時間を過ごせる人もいる
長屋の付き合いのようなご近所さんもいる

私を信頼してお仕事を下さったり
紹介をしてくれる人もいる
とても有益な知恵や情報、アドバイスをくれる人も


なんと素晴らしいことだろう
なんとありがたいことだろう

人は独りでは生きていけない
人は人の中でしか生きていけないので

とてもありがたいことに私は孤独ではなく
心のよりどころたる信頼できる人たちに囲まれている

これを感謝しないで何を感謝すべきというのだろう


こうした御恩や御縁に報いるために
私自身にいったい何が出来るのか
…と考えたとき

やはりそれは
今の仕事と真摯に向き合って
一人でも多くの方のお役に立つことなんだと思う

他の人ではない私にしか出来ないこと
持って生まれたこの個性・資質・能力
普通ではない変わったところ
非現実的な世界をちょっとばかり
見通すことの出来るこの目を使って
過去生から蓄えてきた知識と智慧と技術を
それらを必要とする人へと伝え
後世へと残していくこと

そればかりではなく
霊性を磨いて能力を高めて
もっともっと出来ることを増やして
そうした方面からの救いを求めている人のために
役に立つことが出来るように
鍛錬していくことなんだろう




小学生のとき
クラスにイジメを受けている同級生がいました
昭和のイジメは昨今のイジメほど酷くはなく
シカトするという仲間外れ程度で

私はそういうのは好きではなかったので
イジメに賛同せず その子に対しては
仲良くしようよと接近することもしない代わりに
とりあえず普通に接していて
あからさまでロコツなイジワルに対してだけ
「ちょっとひどくね?」みたいに反論もしたり

すると今度は標的がこちらに変わります

スケープゴート役が別に出来ると
ターゲットだった子は今度は向こう側に回り
今までイジメられてた子は
自分をイジメずにかばった子をイジメるんですね

何が一番ビックリするかというと
昨日まで自分に対してイジワルをして
悪口を言って叩きまくっていた舌の根も乾かぬうちに
今日から仲良くしましょうよとあなたは私のお仲間よ
としらじらしいことを言ってくる相手のことを
簡単に人って受け入れるということ

まあそんなもん
人って結局自分自身だけがカワイイので
人は本当にずるくて弱い生き物だから
でも他人のそんな弱さを責めることなんて
誰にも出来やしない

私はもともと女子独特の群れるというのが苦手で
幼稚園児以前からの幼馴染も男子だったし 
とくに小学生の頃は男子とばかり遊んでいて
本の虫でもあったから休み時間は
図書室に入り浸って教室にはほとんどいなかったし
さらに今と違って昔は子供の社会って学校だけではなく
放課後は近所の子たち(年代の違う遊び仲間)との
付き合いというか関わり合いもあったから
それは対して「痛い」出来事ではなかったのが幸い
(中学に入ると事情が変わりますが)


そういうのはどこにでも見かける風景

困ったときにはさんざん頼ってきて
甘えてすがりついてきて
でも状況がよくなって
こちらの手を必要としなくなった途端
後ろ足で砂をかけたり恩を仇で返してくる人

自分が何かあった時だけ頼って
こちらが何かあった時には知らんぷりな人
口ばっかりの人


ああこれは自分の甘さだと
非情になり切れなかった部分を
ビジネスライクに割り切って
ちゃんとラインを決めて色々切り捨てていくと

与える必要のない人に
たくさん与えようとしてしまっていたんだと気づいた

本当に大切にするべき人たちは誰か
誠実に真摯に向き合って関わっていくべき人が
誰であるのか
どういう人たちを大切にするべきなのか
勘違いな自己犠牲を捨てて
偽善者だった仮面をも捨てると
曇っていた視界が晴れて色んなことが見えて
ニセモノの魅力が褪せてくる

本当に輝くホンモノの宝石
人としての優しさや魂の輝きを持った人が見えて
そうした付き合いを大切にするようになる

自分にとって何が大切か
それがわかると欲しかったものが
身近にあることを知らされる

それは霧が晴れていくように

そのためには要らないものを手放すだけでいい
人間関係もそのひとつ

自分にとって重荷になる人ならサヨナラすればいい
他人のことを消耗品のように扱う人にはNOと言えばいい
自分を大切にしてくれない人を大切にする必要はない
そういう関係は追いかけないで放置していればいい
何も与えてくれない人には与える必要はない
自分が心から与えたいと思う人にだけ与えればいい

歩み寄りをしようとか互いを理解し合おうという試み
与え与えられるというギブ&テイクをしてこない相手とは
今も未来も生産的な実りは期待できず
リセットしたほうが人生の無駄遣いがなくなる

必要なものはおのずと残るし
空いたスペースにはそこに入るのにふさわしい
新しい関係性も次々にやってくるのだから

自分を大事にしてくれない人に背中を向けたとき
心から自分のことを想って
大切にしてくれる人と巡り合うことが出来る

言葉のキャッチボールも
心のキャッチボールも出来ない相手には
早く見切りをつけて思い切ったほうがいい
あなたから奪ってばかりで一方通行の関係ならば
打ち止めにしてそれを学びとして次に進むべきです

自分を苦しめるものから自分を守る決断をしましょう

金縛りにあった時の対処法

いつもダラダラと長文ばかりなので
短い文章の投稿で実用的?な知識をば

季節はいちおう夏ですので
夏らしい話題(のつもり)



もしも金縛りに逢ってしまったなら
息は吐きだすようにしましょう
決して息は吸い込まないで下さい

幽霊とか見てしまった場合も同じです
びっくりして「ヒッ!」ってなって
息を吸い込んでしまうのはダメです
鼻息荒く「フンッ!」って吐き出すのが正解

少しずつ鼻からでも口からでも
(ずっと吐き続けるわけにはいきませんので
少しフッーと吐いては息を止めて少し吸って
それからフッーと吐き出すを繰り返す)
とにかく吐く

出来ればお腹(丹田のあたり)に力を入れて
いきむとかきばるとかはなく
お尻の穴をキュッと引き締めた状態
女性なら会陰を閉めるような感じ
腹式呼吸で下腹部を引っ込ませて
とにかく息を吐く

そして「ここヤバイぢゃん?」「ヤバクね?」
みたいな氣が淀んでて危ないなって場所
例えば鳥肌が立つとか寒気がするとか
何か気配を感じたりとか
そんな時には
お尻の穴をキュッと閉めて
お腹を膨らまし
一気に全身から氣を飛ばすような感じで
(お腹にある氣のボールが膨張して爆発するようなイメージ)

フンッ!

ってとにかく息を吐きだすと良いのです

その時に手を胸の前でクロスさせるとよりベター
(変身ヒーローポーズではありません)

いちおうこのポーズにも意味があります
このポーズは飛ばす氣に方向性を与えるというか
氣を前に飛ばしやすくする姿勢なんですね

気功や仙道、太極拳をやっている人とか
日常的に座禅を組んで丹田鍛えることしている人なら
たぶん楽勝でマスター出来ると思います
この説明だけでも大丈夫かと


そして金縛りにしても急に空気が変わって
目には見えない侵入者が入ってきたなー
というときには悪態をついて追い出すのもアリです
使える手といいますか
侵入してきた霊がよっぽどの輩でない限りは
使える手ですかね

「てめー なんだこのやろう
 人ん家に勝手に入ってくんじゃねー
 出ていけよ ヲラヲラ
 あっちいけよ!!
 なに観てんだよ バカヤロー!」

そんな感じで

ようするに恐怖で身をすくめるのではなく
怒るときによく身体から出る
人を威圧するオーラを出して威嚇して追い出す
そうすると憑依される可能性は少なくなります
(それが出来ない人が取り憑かれやすいんだけど)


ちなみに霊が取り憑くときって
頭と首の付け根の後ろ…第一頸椎のとこですね
ボンの首のとこから侵入します
急にここが痛みだしたら
グリグリと入ろうとされている場合もあります
しょっちゅうこの部分が痛くなるという人は要注意


2019/07/11

エレメンタルと幽霊の見分け方

たまたま今日いらした方のレッスンの項目が
「エレメンタルについて」だったのですが
これもあれもそれもたくさん
色んなエレメンタルが存在しているんですよ

という話の中で
エレメンタルの見分け方というか
エレメンタルと幽霊の違いみたいなものに
触れたのでこちらにも書いておきます

とはいうものの
それ以前にエレメンタルにしても
幽霊にしても視えないことには
見分け方もないもんだと思ったり…しますが

まあいいや

視える人には今使える知識
視えない人にはいつか視えるようになったときに
使える予備知識ということでハイ



まず幽霊 
死に立てホヤホヤというか
古くてもせいぜい死後100年以内くらいですかねー
(それより古いものは残留思念としてのエレメンタル)

肉体/マテリアルボディと
感情体/サイキカル体と
思考体/ノエティカル体の
三つの身体のうち

肉体/マテリアルボディが無い存在となって
感情体/サイキカル体と
思考体/ノエティカル体の
二つの身体しかない状態の人のことです

感情体/サイキカル体のことを別称で幽体
思考体/ノエティカル体のことを別称で霊体
というので幽霊という言い方になる

幽霊の状態だと肉体だけが亡くなったわけですから
至って普通の人と変わりません
普通にスタスタその辺歩いています
ちゃんと脚を使って移動しますし
生前と同じように生活しています
立ちションしてたり温泉に浸かっていたり
電車に乗ってたり家の前を掃除していたり
(自分が死んだことに気づいてない人の場合)

何も死んだあとまで会社に行こうとしたり
家事をしたり仕事する必要はないのでは?と
思ったりしますが…
ワーカホリックの人は死んでからも
通勤電車に揺られて出勤して
仕事に追われていたりします…困ったもんだ
締切がー納期がーなんて魘されていて

そして変態は死んでからも変態であったりして
露出狂とか痴漢とか覗きをしている輩もいます

それはそれとして
生きている人と違うのは
背景が透けて見えますね…というところ
スケルトンなんですね
それと肉体の質感がね
寒天とか少し硬いゼリーとかみたいなんですよ

幽体離脱するときにも
自分の身体が寒天ぽいなって感じですが
たぶんサイキカル体が寒天かゼラチンぽいんでしょう
(美味しそう?)

それと生前の肉体より1割くらい縮んだ感じです
生前の身体のサイズの90%くらい
少し縮小された感じがあります
元々の身体より大きくはならない
ほんの少しだけ圧縮されたスケルトンゼリー
そんな感じ

死んだばかりのとき死に立てホヤホヤのときは
そんな感じで質感(多少の重量感)があるんですけど
時間が断つにつれ段々と希薄になっていきます
どんどん透明感が増して影みたいになっていく

ちなみに病気で亡くなったり
事故で肉体を欠損・損傷していたり
轢死とかでパーツがバラバラになっていても
死の直後のサイキカル体とノエティカル体は
健康で五体満足な状態に戻ります

ですが
「あれ私は足が動かないはずだけど?」
と当人が生前の状態にこだわったり
自殺した人などの場合ですと
すぐにその状態を再現してしまうこともあります
元通りになっているのにも関わらず
自ら、生前の肉体の状態を
再現して創り出してしまうパターンです
そういうことはよくあります



では エレメンタルは…というと
人間ではないものが圧倒的に多いのですが
人の形をしているエレメンタルのことで言えば
過去生のパーソナリティとしてのエレメンタルと
人の形をしたエレメンタルがあるのですが

人の形をしたエレメンタルで代表的なのが生霊
誰か特定の相手に対して
妄執的で歪んだ感情や攻撃的な意図を放った結果
創られてしまうものですね
これは人の形はしているけど
形がいびつだったりバランスが悪いです
デッサンの狂った絵や
パーツが不揃いの人形みたいなもので

顔だけとか頭だけとか胸像みたいに胸から上だけとか
上半身だけとか口だけとか手だけとか
身体の一部分だけだったりというのもありますし
脚がないというのはよくあることです

ですので足がない幽霊といったら
幽霊にあらずでまずエレメンタルのことですね

顔もやけにデフォルメされてたりしますし…
(目や口が異常に大きいとか鼻がとんがってるとか)
顔や頭部がめちゃくちゃビッグサイズというものも

でも生霊も人の形をしたもの以外のものが
とても多いのでアレです
虫とか昆虫とか爬虫類とか動物とか
道具とか武器とか汚物とか色んなものがありまして
妖怪というか魑魅魍魎とかケサランパサランみたいなの
メルヘンチックなものとかまっ黒クロスケみたいなの
古来から描かれてきたような想像上の生き物みたいなの
そういうのもたくさんいます

でもネガティブなものは基本気持ち悪いですよ
どす黒い影みたいのに覆われているし
周囲の空気が重い感じでおまけに大体クサイ

過去生のパーソナリティとしてのエレメンタルは
実体としての質感はないんですね
人魂みたいな丸いちっこい光が核となってあって
その核が生前その人間だったときのデータを持ってて
そこから映写機のようにその人間だったときの
姿カタチを360度の映像として映し出して見せている
なので立体ホログラフィみたいな感じ
もちろん手足きちんと揃ってます
これは空間に浮かんでいるというかなんというか
そこにいてそこにあらざるものといいますか
光によって映し出された影のような光
(光の影と言う感じではない。上手く言えませんが
光の影という光みたいな? なんだかー)

いわゆる昇天した人たちもこういう感じですね
またそれはそれでちょっと違うんだけど
そのあたり説明が難しいです
語彙力が無くて申し訳ない

あと大天使たちが創ったエレメンタルは
明らかに人間が創ったものとは違って
完璧で完成度のレベルが段違いなのでこれは
逆に「生」あるものと見分けるのは難しいです
肉体を所有している人は見分けること無理無理無理

そして人が作った善良な良きエレメンタル
希望や祈りによって作られた
他者を助けるものとしてのエレメンタル
神や仏としてのエレメンタルはこれまた素晴らしく
長い時間をかけて作られたこうしたエレメンタルは
かなりの力を持っていたりします
この手のものは人の形はほとんどしていないので
それはそれで見分けがつきますが



そんな感じで
幽霊とエレメンタルの違いは
どんな風に視えるのか
質感とかそんなんで区別することが出来ます

まあこうしたことを知ってても
日常生活ではあまり役に立たないかー





2019/07/10

オーダーメイドメニュー&延長料金について




HP(サイト)にもFBページにも当然メニューを記載して
提供するサービスに価格設定をしてはいますが
それ以外のことにもケースバイケースな対応ではありますが
これまでのお付き合いとか含めて状況やご要望
クライアントさんの事情に応じて
アバウトな感じで依頼を受けていたりします

とはいうもののこの説明では分かりませんよねっっ

例えば
霊的真理を勉強したいが自分の問題の解決もしたいし
相談にも乗ってもらいたい
だが遠方なので月に一回通うのが精一杯
という方には

メニュー的にはエソテリックティーチングを
一日で2枠として料金を頂いているんですけど
11時からランチ挟んで夕方17時までフルで
すると2.5h×2枠なので20000円のところ
5000円割引して15000円
その時々に応じてお話聞いたりヒーリングしたり
純粋に勉強(講義)だけみっちりの時もあるし
エクササイズや瞑想指導とか雑談世間話含めて
そのあたりはその方の状況に応じて臨機応変に
あ、でも「今日は個人セッションをお願いしたい」
というときには、前半2.5h~3hをセッションにあてて
残りの時間はお勉強タイムになるわけですけど
料金はセッション15000+レッスン10000になって
そこから5000割引にして20000円とさせて頂いてます
(ランチタイム入れて6時間ですから
価格的には一番お得なのかなー これって)

あとは

「自分のホロスコープについて解説してほしい」
というご要望を頂いたときには
ショートセッションの枠でで承ったり
(ただ、私は今はアストロロジィからは離れているので
チャートを解読してもらうのだったら
私よりもっと信頼できる現役の方たちがたくさんいますので
そちらをお薦めするところですが
たまたまブランクある私でもいいと仰って頂けたので)

「瞑想に興味を持っているけどやり方わからず
一人だと上手く出来ないので瞑想指導を受けたい」
みたいな要望を先日頂いたりしたんですけど

じゃあヒーリングレッスン枠の
90分10000円でやりましょうか…になったり


そんな風にリピーターの方に関しては
その人の現状や課題や必要なこと等
ある程度の情報がわかっていることもあって
臨機応変に対応しています

ウィッチクラフト(魔女術)の相談とかも
もちろんこうした有料のセッション枠の時間内で
私が提供できる知識とか技術とか
そういうものは提供させて頂いていたりします

メニューはまあ目安なんですよね
これしかやってないというのでもなく
外枠(料金と時間)はどれか該当しそうなカテゴリにあてはめて
実際に提供する内容としては
その人とその時々のニーズに合わせたものを提供している
そんな感じです
どのメニューにしても

瞑想指導はもっと手軽な瞑想会でも開催して
安価に設定してハードルを低くして
参加する機会を持ってもらいたいなとも思うんですけど
現状は予定が流動的なので
定期的なものは決められないなあと…

そんな風にリクエストを頂いても
なかなかお答えできないことも多いのですが
私自身がやりたいと思っていることは
少しずつ形にできたらいいなあと思っています

あとはまあ
メニューのカテゴリに該当しない相談内容とかでも
私が身に着けていて提供できる知識やテクニックや
スキルを求められてのものなら
どこかのメニュー(料金)にあてはめて
対応することは出来ますよ、というお話でした

ああ、でもSkypeだと出来ないこともありますね
出来ることもありますが
電話でのご相談を基本的に受けてないのは
電話嫌いというのもありますが
耳がちょっと遠い?というか難聴気味というか
音声が聞き取りづらいからです
Skypeで相手の姿を見て話すほうがやりやすいのもあるし
こちらだとPCなので受話器もたないので楽というのもあり

そして
なぜリピーターの方だと色々対応しやすいのかというと
某所から降りてくるにしても
私自身が読むことの出来る情報にしても
初めてお会いしたときに
詳細な全部が来るっていうわけではないのです
セッション受けて頂いてヒーリング受けてもらって
波動整えて余計なものが取れてくる過程で
それまで埋もれてたものが
ようやっと見えてくるものもありますし
その人の意識や視点が変わったことで
伝えられる情報が増えることもありますので

ある程度、何年越しのお付き合いになっている方
幾度もいらして下さっている方だと
それなりのデータがあるので
指導というかサポートの方針をきちんと持てるので
はい それだけのことです

初めていらっしゃる方は
エネルギーフィールドの状態が
汚部屋か汚屋敷状態になっている方もいて
そのゴミを片付けてからでないと
何が埋もれているのかわからんです…
色んなもの(エレメンタル)をくっつけていらっしゃるので
張り付いたその汚れとかくっついているものを
取っ手からでないと何も見えましぇんっっっ涙

てなことが結構あるものですから

そしてもちろん
私はなんでもわかる万能な人ではないというのもあります
申し訳ないんですけど
実のところ情報収集に時間がかかることも多いのです



◆延長料金のこと

基本的にどのメニューも
延長料金というものは頂いていないのですが
さすがに30分とか1時間超えてしまうと
ちょっと過ぎたという範囲ではないので
一番高い料金を頂くようにはしています
(スピリチュアルセッションのリピ価格)

初回の方は
スピリチュアルセッションが一番高い料金で
基本2時間半~3時間位まで時間を考えてはいますが
3時間超えになる人もいますし
延長しないで話を切って終わらせて頂く人もいたりします

料金同じなのに時間オーバーして対処する人と
時間きっちりに追い出して?しまう人がいるのは
不公平だって思われる人も多いかも知れませんね
それもそれで理由があったりします

時間オーバーしてしまう人は
その時間では対処が終わらない人であって
時間ぴったりで「はい、今回はここまでです」
となってしまう人はその時点で今のところ
それ以上お伝えする情報がありませんよ
というのが第一にあったりします





2019/07/03

高慢と偏見

といっても
ジョーン・オースティンの小説の話ではなく<タイトル
小説の内容ともほぼ関係ないお話です


以前の話
知り合いの呼びかけで
とあることに参加させて頂いたのだけれど
そこには普段わたしが
あまり接することのない人たちの集まりで
私からしてほぼほぼ全員初対面
それはそれで触発的な実りの多い時間だった

共通点や接点は少ないけれど
男女世代年齢関係なく
自分のジャンルではない話が聞ける機会は貴重だし
その意味で異業種交流はとても楽しい
まー別の言い方で言えば
「これが意識高い系の人たちってヤツか」と思ったり

でもその中のある女性が
明らかに私を嫌っている
・・・というか私の肩書
どうも職業がね、お気に召さないらしい

"スピリチュアル"というもの
そうした分野のものをたぶん忌み嫌っているのでせう
嫌いな分野に関しては排他的だから知る機会もないし
すべてを一括りにして考えているご様子

男性ならともかく
女性にしては珍しいかなとも思うけど
インテリジェンスな女性の中には
そういう人も少なくはないのでしょう
(でも見下し態度は教養アリとは言えませんね)

私にしてみれば
せっかく共通の人を介して知り合って
楽しい時間を共有したのだから
そこはそれ社交のひとつとして体裁は整えて欲しいトコ
出来れば友好的な関係を築きたいとは思うのです

何しろお互いのことを良く知ってから
ダメだ合わない嫌い
となってしまうのならともかく
対して話もせず職業だけで決めつけられて
嫌悪感丸出しにされるとは・・・
(別に初めてのことではないけど)

ある分野で頑張っている人なだけに
ものすごく残念だなーと思いました
相手からして第一印象もよくなかったのかもですので
それも致し方なしです


職業で判断されると言えば
私は父の職業が建築業の職人というブルーカラーでしたので
「どこの馬の骨とも言えない家の子」なんて
ご近所のお上品なマダムに言われることもありました

確かに家には父の知り合いの職人さんたち
(同じ建具職の人だけでなく左官とか大工さんとか土建屋)
いろいろ出入りしていましたから
口が悪くて酒好きでガラ悪い…ってのは
はい、良く知ってます

その手の職業の人たちを差別する考え方
この令和の時代にもありますもの
例えば都内で足立区(の人ごめんなさい)のことを
ガラの良くない地域と言うような人も少なくなくて
その理由がまあ、とある事件のせいもあるのですけど
建築業の人たちが多い町だから…みたいな
そういう意味合いでいう人も未だいるのです

そのような言い方をする人には
「私の親も中卒でガラの悪いブルーカラーなんだけど?」
と言ってしまいますが

私自身も高卒ですしね
DQの子はDQと言われれば立派にDQですよ
私の場合は電波系DQかな



さてそんな風に人には偏見というものがあります
それは無意識的なものなのか
それとも生まれ育った環境からの刷り込みなのか
親のしつけや教育によってそうなったのか
実体験からくるトラウマからなのか

まあひとえに無知からくるものだと言えましょう
単純にエゴイズムの奴隷になっているだけです

マウントと同じで
人は他人より自分の方が優位なところにいると
そう思いたいだけなんですね
自分は上級(国民?)で立派な人間で
そのご立派なご自分とやらに対し
その下に位置している
下等で低級な人間を配置したがっているだけです
そういうエゴイズムが多かれ少なかれ人には存在するのです

「アテクシは特別な人間ですのよ ヲホホ
 ワタクシたちは選ばれた人間でアナタ方とは違いますの」
という優越感にでも浸りたいのか
保守的なプライドという鎧で自分を守ろうとして
がんじがらめになってそれで幸せなんだろうか?
とは思うものの
人って自分たちが帰属するものがいつだって正しくて
それ以外のものはいつだって間違っているという
そういう区分けが大好きな生き物なんですよね


基本的には勝手に私の意志で
他人の過去生(カルマのレッスン)を視たりはしませんが
その人にそうされたとき
「ああ…この人は
 何世代もこんなことを繰り返してきたんだ」
そういうのが覗き視えてしまいました

ご立派なご身分にあったとき
下々の人たちに善意と奉仕の精神で
自分は高潔な人間だと信じて疑わず
それを使命と信じて施しをしつつ
そのくせ身分や出生によって人を区別し
卑しい人たちとレッテルをはった人たちを排斥し
自分たちの利権やテリトリーを守ることに一生懸命で

今もこの人はちっとも変わっていないのだな
そうした考えの貧しさを捨てることが出来たのなら
この人はもっともっと成長して今の分野で輝けるのに

そう思いつつ


別に彼女にとって
"スピリチュアル"なサービスは必要でなく
知識も必要なものではないのでしょう
けれどそのようなものから学ばずとも
謙虚さを身に着けていればおのずと
すべての人は同等であり
すべての人から私達は学ぶことが出来る存在で
本当の教養や上品さが何であるのか
それらを学ぶことは出来ます

人を教条しようとすることに熱心な人が
食わず嫌いからくる偏見で
一部を盲信して他人を排他的に扱い
個人的な感情を隠さずに不快感を持った相手に対して
コミュニケーションを拒絶する態度は
なんとも頂けないなあ・・・なんて思った次第

今回の人生では足りないかも知れないけど
ほんの少しでも早く
自分という人間の枠を狭め
人生を制限してしまっている偏見から
その方が卒業できるといいなあ、と思ったり


そうですね
「受け入れない」ということはそういうことなんですよね

意見の違いや個性の違い、価値観の違いはあって当然で
誰かに迎合することなく他人を批判することもなく
ディスカッション出来るのが理想ではあるけれど
コミュニケーションを取らないというのは
自分とは生き方や意見の異なる人を
自分の人生や視野から廃除するというのは
自分自身の生き方をも否定して排除するということで
自分の世界を狭くするだけで
自分の人生に必要な経験や気づきやヒント
そして学びなどすべて成長する機会を奪ってしまう
実にもったいないことだと思います