いまの人々には理解するのが難しいというより、
その人のエゴイズムが
教義の真意を正しく理解することを邪魔してしまい、
自分本位で自分勝手な解釈をしてしまうことのほうが多いので、
段階的にその人のレベルに合わせて知識を開示(伝授)して、
同時にエゴイズムをそぎ落としていくための
エクササイズを地道に続けていくしかない。
だからどうしても導き手が必要になる。
同時にそれは、本来人類が進むべき
霊的進化の道へと至るための案内役のことでもあるのだけど。
何故なら、一人では難しいから。
もし、単独でその道を迷いなく、まっすぐに進めるのなら、
人類はとっくに皆、この地球を卒業していたはずだろう。
(とはいっても、集団が道を誤るとまた大変なことになる。
なのでリーダーたる師匠に頼りすぎず、盲信しないことも大切)
例えば仏教でいうところの解脱、悟りの道。
(煩悩はまさにエゴイズムのこと)
「神聖なる計画」において、それは今のところ、
人類の輪廻転生の旅のゴールであり最終目標。
人として私たちがこの地上、三次元に
「かたち」としての実体を所有して存在するようになったとき、
私たちは万能者である立場から
「無から有は決して生み出せないもの」
になったのだけれど、
同時に自己意識を得、あるものを使って想像=創造し、
自らの運命をクリエートしていく力を手に入れた。
そして、一番下の階層から、
再び元居た場所(ワンネスとも言える)に戻るために
三つの身体を用いて・・・その身体を育てていくことで、
自己意識(個別意識)を持ったままに存在するための
第四の身体(神道でいうところの"なおひ")を育て、
万能者であった自身へと回帰していく。
三つの身体を育てて、第四の身体を育成するためには、
知識を身につけ、愛を育て、
なおかつ行動していくことを実践しなければならない。
そのためにはたくさんの経験をして、
喜怒哀楽を学ぶ必要がある。
ものすごく簡単に、かいつまんでいくとそんな感じ。
ブループリントは、
その人が個別の自己意識を所有したとき、
この地上において長い旅をしていく中で、
どんなことを主に経験して、実現させたいか等の計画。
どうせ旅をするのなら、様々な人生を生きねばならないのなら、
ここに戻ってくるまでに、このようなことを地上で成し遂げたいと、
当初自分で決めて、それをしたいと望み、自らに与えたノルマ。
魂のMapとも言っていいかな。
カルマのレッスンは、
本来の自分から大きく外れた行動をしたときや
愛の無い、エゴイズムに満ちた考えや行動に対して
その考え方や行動の誤りを正すために生じる。
時にブループリントから逸れ過ぎてるときにも創られる。
人生をロードムービーに例えたとき、
ゴールたる解脱、第四の身体の成長が
旅の目的地であり、終わりになる。
ブループリントはその旅で「何をするか」。
その目的地に行くまでに生じる様々な出来事に対して、
その人が反応したこと・・・がその人の人生を作り出す。
色んなものを引き寄せ、カルマのレッスンを作り、
それに対処しつつ、向き合いつつ、足踏みしつつ・・・
ぶっちゃけ、カルマのレッスンは「寄り道」だったり。
その旅における経験によって、
三つの身体が育っったり、育たなかったり・・・
しかし、第四の身体が育たないことには、
目的地にはたどり着けない。
まあ、そんなダンジョンですね。
実際には目的地に行くまで、何回も死んで生まれて、
いろんな肉体で色んな人格として生きるわけですけど。
で、多くの宗教では精神的なものと物質的なものを
造反させるかのように、精神的なものを得るためには、
物質的なものを捨て去るべきで、持つべきではない、
みたいに言ってるけれど、
グノーシスではそうは考えてない。
物質的なものに振り回されないことが大事であって、
物質的な豊かさは享受すべきだし、
物質的な価値観やそれらに執着して支配されないことが
肝心であると、物質は利用すべきものであるって、
そんな考えだったりする。
さて、
私の仕事の一つとしては、
グノーシスにおけるサイコセラピーの立場から、
クライアントさんの悩み相談をすることで、
その人のエネルギーフィールドの状態をリーディングして、
その結果を踏まえた上で、状態を立て直して改善するべく、
氣を補充したり、氣の流れをよくするなどヒーリングの手法で、
エネルギーフィールドを整える働きかけをしているのであって、
(オーラとかチャクラとかエレメンタルの話はするけど)
予言者でも占い師でも、まして霊能者でもないのです。
マントラ使ったり、シャーマンの手法を用いたりはするけど、
それはヒーリングの手法ということで。
なので、ヒーラーかと言われればそうでもあるけど、
とりあえずウィッチドクターが適切なような気がするし、
まあ、スピリチュアルセラピストとも名乗っていますが。
そして、もう一つの仕事としては・・・
こっちが本命というか、天命たるお役目でもありますが、
その人の今の人生がブループリントからどんだけ離れて、
当初の予定から狂ってしまって、道が逸れてしまっているか、
本来のとこから今いる場所とどれだけ離れているのか・・・
創らなくてもよかった余計に増やしたカルマのレッスンを含めて、
サボタージュしている経験や取り組んでいないカルマのレッスン、
そんな風にやらなくてはいけないのにやっていないこと等など、
そういうのを踏まえた上で、その人の今いるレベルに合わせて
少なくとも今の人生で最低でもやっとくべきことや
とりあえず道の矯正をするためにまずコレ・・・ってことを
伝えるメッセンジャーでナビゲーターかな。
例えば・・・実例出すと
地上にて「皆が住みやすいより良い社会、コミニティを創っていく」
ことがプルプリの目標というか、地上に人という実体となったとき、
そう強く願った人がいました。
途中までは統治者となったり、政治家になったり、
その方向性に行くための勉強が出来ていなくもなかったんだけど、
孔子のところで学ぶことができたとき、
すごーい人を目の当たりにして
「あんな風に(スゴイ人に)なりたい」と思ったものの、
エゴイズムをこじらせて、嫉妬が生まれてしまったのね。
ここがまず歪みの躓き。
間の諸々の人生は省略して・・・
ジョシュア・エマニエル・・・キリストとして知られる
人物が生まれたとき、その人はユダヤの執政官だったの。
最初は大したことないやー
民衆を惑わすヘンなヤツ程度に思ってた。
けど、会った時、「こいつただもんじゃねぇ!」
人気者だし、いいこというし・・・ ビビった(らしい)。
このとき、恐怖と共にジェラシーに火がついちゃったりした。
まあ、その人の意見だけでキリストが有罪になったわけでないけど、
処刑したあと、とんでもないことをしてもーた・・・
すごい人を殺してしまったかも、という罪悪感も抱いてしまった。
で、間の人生も省略・・・
ある時、その人は日本に生まれた。
良い国造りをしたいという本来のブルプリに近づくべくか、
権力者一族の一人に生まれた。
過去、孔子の元で儒教を勉強したり、
ソクラテスのとこでも学んだことのあるその人。
「仏教は今の日本に必要やでー」という思想に共感した。
だから、仏教を取り入れようと頑張った。
けど、○○太子はちょっとだけジョシュアを思い出させる。
(似てなくもないけど全然タイプが違う。魂も違うよ)
「いやん、過去の自分の罪を思い出させるから嫌い」だった。
(本人、なんで彼が苦手なのか気づいてなかったが)
その人生の後もすぐ日本に生まれた。
戦で死んでしまったから、やり残したことやるために。
でも、結果 創らなくていいトラウマが出来てしまった。
余計なカルマのレッスンがたくさん出来るばかりで。
「良い国造り、よりよい社会を作っていく」ためには、
政治もそうだけど、何よりも「民百姓の立場」そして
「本当に人を幸せにするものは何か」を
その人は学ばなくてはいけなかった。
けれど、せっかくその学びを得られるような、
人生やポジションに生まれることができたのに、
権力争いに対するトラウマやあれやこれやをこじらせて、
肝心なことを学べず、どんどん違う方向に行ってしまった。
ノストラダムスの本を写本したとき、面白くて、
オカルト方向の知識に関心が行ってしまったり、
本そのものに興味が行ってしまったり、
魂が望んでいたことを実現できる人生から、
とぉーく離れてあさっての方向に行ってしまっていたり。
そんな人に、どんだけ元の目的と離れてしまったのか、
どれほど余計なエレメンタルを大量に作ってしまって、
しなくていい経験をしたり、するべきことから逃げてたり、
こんだけ「カルマのレッスン」がありまっせ!と、
そういうのを教えたり、気づかせたりするのが
私の本来のお仕事。そのために生まれてきた。
呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!と人として出てきた。
それが私のブルプリつかー使命になるのかな。
「いつまで、寄り道して道草くっとんのや、
いい加減目ぇ覚まして作った借金返して、
はよ先進めやぁ~
もともとやると決めた事、始めんかい! うりゃ!」
と、お尻ペシペシ叩いて、ドツクことをするの・・・
(いきなり一方的には伝えない。とにかく段階があるから。
基本は当人が答えにたどり着けるよう見守って誘導するだけ。
準備が整って、受け止める段階が来たら本人が思い出す
サポートをして、情報の整理整頓を手伝うくらい。
でも目を背けてきたことには皆後ろ暗いから、痛いコトとして
なかなか思い出さんのよ。だからツツクことになるのよ。
キツツキみたいに、おらおらおらおらおら~って)
して、「神聖なる計画」に添って、
その人が三つの身体を鍛えて、第四の身体を育てて、
霊的に進化していってもらうために、
知識を教えて、霊的エクササイズを指導していくのもその一環。
(スピリチュアリズム講座とグループレッスンとか)
基礎講座は個人レッスンとかネット(スカイプ)でも出来るけど、
グループレッスンだけは直接じゃないと、ですが。
そうさねぇ・・・
でも、個人セッションで来た人に、
「私の過去生は誰で何処で何をしてたのでしょう?」
「私のアカシックレコードを読んでください」
と言われても、必要のない情報は伝えません。
意味ないから。
その人の好奇心を満足させるためだけに
過去生リーディングはしていません。
アカシックもまず閲覧許可降りないし。
ブループリントも同じ。
知る必要性のある段階(レベル)の人なら、話すと思うけど、
そうでない人に話したって、立て板に水になってしまう。
それ以前に取り組むこと、知るべきことのほうがあるでしょうし。
というか、まず何も情報出てこないと思いますけどね。
エゴイズムのエレメンタルが汚部屋状態でてんこもりで、
それ片づけないと、探し物は見つかりません・・・(ホントです)
で、前にスクールやってたとき、
エレメンタルやサイキカル界の仕組みのことを
ビジュアル的に理解するのに良いなあ・・・と
寺尾玲子さんを描いたのとかそのあたりのコミックを
生徒さんに貸したことがあったのね。
するとある日突然、数珠もってきた人がいた。
コミックに描かれてたのとそっくりの。
お葬式や法事で持参するのは普通ですが、
そうでない場面での数珠は使い方があるわけだから、
僧侶や行者さんになる修行をしたこともないのに、
どうして数珠がレッスンに必要だと思ったのか・・・
いやさ、うちで教えているのはヒーリングだし、
エレメンタルの話、霊的な話も教義の中にあるし、
サイキカルヒーリングも教えてはいるけど、
そういうトコじゃないんですが。
霊能者さんになって、コミックに出てくるようなことを
出来るようになりたいのなら、
本職の霊能者さんや密教系の修行の道を辿れば?
なんですよね。
うん。
その手の実在の霊能者さんの体験的コミックは、
面白いし、ためになるというか勉強になりますから、
ほどほどによさそうなもの選んで読んでますよ。
だけど、職業が違うから、異業種だから、ホント。
私の分野ではないから。
だから、そういうことができるようになりたいと
望んでいる人には、私のスクールは違うんです。
何かちょっとだけ・・・
そうヒーリングやらリーディングとか出来るようになって、
過去生とかほんのちょっと障り程度でも思い出したりすると、
それだけですべてを判ったような気持ちになっちゃう人って、
いたりするのね。
大体そのあたりが、スピリチュアルナルシズムに
一番近いトコで、引っかかりやすい第一の罠なんだけど。
気持ちが大きくなっちゃうっていうのかなあ・・・
まだ入り口の入口、その手前くらいにしか来てないのに、
知識を得て出来るようになったというだけで、
漫画で描かれているようなすごいことが自分でも出来るって、
過信しちゃうのね。ここで堕落する人はヒジョーに多い。
そしてわかった気になっちゃってるから、
自分はエライんだとばかりに、天狗になって、
人を見下したり、状況や人をコントロールしようとして、
おかしくなってしまう。
だから師匠ってのが必要なんだけど、
その師匠をバカにして、言うこと聞かなくなる人も
少なくないのよね。何様的態度になっちゃって。
そうやって破門したり、自ら立ち去る人は多い)
私は、三つの身体を鍛えて、第四の身体を育てたい、
早く人間になりたい・・・ぢゃなかった、
早く霊的に成長して輪廻転生の輪から脱出したい!
来世もまたこんな酷い状況に生まれるの、イヤ~!
・・・という人や、
果てしなくエンドレスに繰り返すこのドグマのような、
カルマのどつぼにはまったパターンや
ネガティブ人生をどうにかしたい、自分を変えたい!
自分の人生、パワーを取り戻したい~
マイナスの考えによって、マイナスの氣を作り出し、
それによってネガティブな霊的存在やエレメンタルを
いっぱい引き寄せてる状態を改善したい~!
・・・という人のために開いてるんです。
だから、スクールというより道場のようなものかなあ。
戸塚ヨットスクールのように厳しいトコもあるよ。
(いや殴ったり蹴ったり暴力はないです。キツイことは言うけど)
やってるのは、とっても地味なことなんです。
だから、スピリチュアルが好き!なんて人には向かない。
スピリチュアルにキレイな世界を求める人、
幻想や憧れを抱いてる人はまず離脱しちゃいますね。
特別な人になりたがってる人、サイキックな能力を求める人もね。
地球や人類を救うヒーローヒロインになりたい人も。
他人を救うとか、癒したいなんて、戯言いってる人も無理。
自分を見つめ直したり、
問題と向き合ったりするのが嫌で、
自分が変わることを望んでない人、
成長したくない人は、向かない。
そういう人の過去生から今生、そして来世に至るまでの
ライフプランの立て直しに、時間かけてサポート、が
うちの信条だったりします。
なので、万民向けでないというか、ちょっとコアな感じ。
門戸は狭く感じるとこかも知れない。
「真理の探究者」というスタンスになるので、
ビジネスとしては成り立たないですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿