10年位前だったと思うけど、
最初体調が良くないので・・・って
奥さんの紹介でいらっしゃった
誰でも知ってる某企業勤務のクライアントさんが、
何度か訪れて下さるうち、
「海外のこの会社と提携して、
これこれこういったビジネスに
投資してもいいものでしょうか?」
・・・みたいな、聞くと億は軽く動くビジネス。
どっしゃあ~!
こちらを信頼して下さったのはありがたいのだけど、
勘弁してつかーさいっっっ(T-T)涙
一度だけアドバイスすることはしたけれど、
それが誤りの元。
以降、何度か依頼の連絡をもらったものの、
「その手の相談はお受けしませんので・・・」
と固く断らせて頂いた(逃げた)。
まあ、S●NYの命名を藤田小乙女さんがされたのは
有名な話だし、企業の上つ方たちが、
ゲン担ぎをしたり、霊能者や占いに頼ったりはよくある話。
有名になりたいとか、ビジネスチャンスを狙ってる
占い師やスピリチュアリストさんたちなら、
この手の依頼は美味しい話に映るんだろう。
「ウマーっ! 上客きたっー!」
となったりするのがフツーなのかも。
だけど、私はダメなんです。
何ていうか、「儲ける」という言葉を聞くと
その言葉がトリガーになって、パニックになり、
何もかもイヤになって耳を塞ぎ、逃げだしたくなってしまう。
以前魔術関係の友人(ショップ経営者)と
何か企画出してやるー?みたいな話になったときも、
「一緒に儲けましょうよ」という言葉を聞いたとたん、
もう拒否反応出てしまって、逃げ腰フェードアウト。
(ごめんなさい)
やっぱり数年前に、
最初は気鬱の問題で来られてた経営者の方で、
(レイキの)ボディヒーリングだけだったんだけど、
気分転換に愚痴聞いたりプチ相談にも乗ってるうちに、
「不動産投資をするのに
この物件はどうでしょう? 利益は出ますかねぇ?」
みたいな真剣な相談を持ち込まれてしまい、硬直。
顔ではポーカーフェイス気取りましたけど、脳内では、
「いっ、
いやあああああぁぁぁあ!」
な、泣きたかった。
そういう相談を受けるのが嫌いというか、
トラウマ刺激されまくり、なもんで・・・
その場はとりあえず答えたけれども、
これまたその後はもうひたすらに逃げまくりました。
「来ないでっ!
来ないでぇぇええええ!」
みたいな勢いで。
体調が完全に治ってないというのに、
途中で放り出すみたいな悪いことしてしまったけれども、
でも、そういう「儲け」に関することに絡んだ相談は
まっぴらごめんだし、二度と耳にしたくなくて。
責任が重いっていうのもあるんですけどね。
金額が金額なだけに。
だからこそ、ご神託みたいなのに頼りたくなる気持ちも
分からないでもないんですが・・・
なんで、「儲け」に関した・・・
とくにビジネス分野での儲け話に
アレルギー反応、拒絶反応が出てしまい、
頑なに逃げ回ってしまうのかっていう理由は
自分でも判ってはいるのです。
それは過去生で、「ご宣託」とやらを生業としていたとき、
儲けと権力のために上つ方たちに利用されたことがあるから。
そこには「呪」も関わっていて、まぁ・・・
金権まみれの醜く引き攣れた、爛れた世界だったわけです。
ライバルに対して呪術合戦は当たり前。
自分が出世して成り上がって権力固めて誇示して、
利権を欲しいままにして独占してひたすら金を掴む・・・
もーそーゆー欲に汚染された世界はまっぴらごめんだし、
二度と関わりあいたくないの~
イヤなの! 冗談じゃないよ~なのね。
でも確かに中には、傾いた経営を立て直したいという、
従業員に給料払って、あとは自分たちの生活が出来ればって、
普通に会社を回して利益を出したいだけの、
しごくまっとうな相談もあるのでしょうけど・・・
私にはどうにもトラウマ刺激されて、NG。
なんでよりにもよって、
そんな相談を私に持ち込むのよぉおおお!
という風にパニック起こしてがるがるしちゃう。
(あと、借金で首が回らず、いよいよの最後通告つーか、
どうにもならなくて明日にも一家心中みたいな
追い詰められてギリギリの人たちのためなら、
そういうズルして未来を覗き見て・・・ってのなら、
例外ということでお許しは出るんでしょうって思う)
お金が欲しいという欲求は物質社会を生きる上で
人としては当たり前の欲望で、
別にそれ自体に問題があるわけではないのだけども。
うん。決して悪いわけではない。
だけど、占いやサイキカルな能力を用いて、
相場を見たり、ギャンブルの確立を探るのは、
タブーの領域を侵すことでもあるし、
もち良心も咎めるところ。
競馬で試して3連単を一度だけ当てたことあるけど、
消耗感ハンパなかった。
罪悪感というよりは、「二度とやるもんか」と思った。
儲けても気持ちいいお金ではないので、
あぶく銭ってホントにこういうものかと痛感。
そうでければ、ギャンブルで随分儲けられたと思うよ。
割り切れていたならば今頃きっと金持ちになれてたかも。
けど、そんなことで「未来」を読むのは
タブーを犯すことなんだとつくづく身に染みた。
基本的には私は未来を見るのは嫌いだし、予知はやらない。
難しいというのもある。
当たる当たらないというところだけ問題視されるのも不満。
当事者に希望の光を与える必要性があるなら別だが。
基本的に未来は三日先までしか決まっていないし、
いくらでも変更可能ではあって、
人には選択肢も与えられているから。
だから、未来は絶対こうなる・・・と、
限定的な未来ビジョンを植え付けたくはないし、
(時に洗脳になって、選択する道を決めつけてしまう)
先を垣間見ることで努力することをやめ、
自分で考えて行動することをサボらせてしまうことも
避けたいから。
もちろん、失敗や危険を避けるために
命を守るために・・・予知が可能なら、
未来の情報も必要なときはるのだけども。
未来は、自分で創り、選んでいくのが一番だと思っている。
今は・・・そう。
そのビジネスで得られる利益が、
本当に世の中のため、社会のため、従業員含めて
会社の発展のため(その会社が社会の益になるか)
その金銭と金額が必要で妥当なものであるのか否かって、
ところで見ていくべきなのだと・・・
そのような実のある、必要性のあるビジネスならば、
以前ほどにはアレルギー反応は出ないだろうし、
タブーには触れないのだとも思っている。
けど、そういう「占い」はすでにしていないので。
やっぱ、基本的にはイヤなんだろうなぁ・・・と我ながら思う。
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