2016/02/26

お金とスピリチュアル(下)

さてどうして日本では、スピな仕事の対価として
「無償奉仕」は難しく「お金」が発生せざるを得ないのか。

それは太古の昔に遡って、
占いにしても呪法にしてもお祓い祈願その他モロモロ、
「お金」で請け負うという"決まり事"が創られてきたから。

報酬をもらって契約成立みたいなね、
暗黙のルールが見える世界だけでなくて、
見えない世界にも形作られている。

この禁を破るとどうなるか・・・

"かぶる"ことになる。障りが出るともいうか。

仕事(無償奉仕)をしてくれた人の
(この場合カルマとは異なって災厄みたいなもの)
お願いしたほうが、もらっちゃうことにもなる。

たぶんキリスト教圏や他国のやり方は
この日本という国、民族が創り出してきた
見えない世界(集合体無意識というかサイキカル界)の
ルールに属してないと思うから、問題ないように思う。


これは土着の宗教だったり、いろんなのが入り混じって、
複雑に創ってきた先住者ルールのようなものだから、
日本という土地に住んでいて、民族の和に属している以上、
無視できないものもあったりする。

それがどういうようなものなのかっていうのは、
ちょっとブログではこれ以上、書くことができない。
中途半端な説明で申し訳ないけど。

それが日本て国なんだよ・・・としかいいようがない。
日本とかアジア圏の霊界ルールみたいな(笑)

それはもちろん、
アドバイス程度の軽いものと、
霊的な障りみたいな重いものとでは、
かぶる、かぶらないの範囲にも幅があるんですけどね。

ある意味では、「お金」を支払うことで、
相手に「問題」を投げている(言い方悪いけど)っていう
そういう境界線にもなっているらしい。

かといって、たくさん払えば・・・高い金額を出せば出すほど、
絶対にかぶらないとか、そういうのとも違う。
金額の問題でもない(気持ちや誠意、覚悟の部分もあるので)
絶対こうだ、というのはないのだけども。

どういう相手に依頼するか、
どのような見えない力(形態)に頼るか、
それにもよるので一概には言えないようです。






別の角度からの言い方というか、こう考えるのも手だという
納得の仕方なんだけども。

本来は自分で頑張って解消しなければいけないこと
(向き合わなくてはいけないこと)だったり、
悩んで考えて迷って、あれこれ苦しんで、
自分で答えを見つけていかなければいけないこととかを、
他人の力や見えない世界の力を借りて、
ズルするというのか、楽をするほうを選んでいるので、
その「楽」をしている部分、自分ではやらないところを
「お金」にして世の中に流通・還元させていくことを
しないといけない・・って感じ。

だから、報酬としてのお金をもらった方も、
そのお金を私利私欲のために使ってはいけないわけ。

宵越しの金は持たない・・・ではないですが、

その(スピな)仕事をして得た報酬は、
己の能力や技術の向上のために投資したり、
生きていくための、生活していくためのお金として、
大切に使って、社会に還元していくべき、なのです。
つまりは自分が生きていくための必要最低限以外は、
他者を潤すため、社会を潤すために使えってこと。

儲けていけないわけではない。
けど、ガメてはいけない、すなわち執着して
守銭奴になってはいけないって話。
自分のために使っていけないわけではないし、
貯金だとか老後の蓄えをしてはいけないとか、
そういうことではなく、
自分のところで留めてないで、
ちゃんと回していきなさいねって話。



そう・・・
報酬は、もらわなくてもダメだし、もらいすぎてもダメ。

その塩梅がとても難しいところではある。

たまにバックについている存在たちによっては、
見習い中はお金を頂いてはいけない場合もある。

そういう人には支払わなくても、「かぶる」ことはない。

それは、「ご縁」でその人と会えたので。
支払わなくてもいい相手に会えたってこと自体に
意味があって、誰かの「徳」が働いていたり、
まあ、裏ルールによって仕向けられただけだから。

でも、その人にお金を払わなくてもいいけど、
見えない存在から助けてもらったことに対し、
感謝して、他の人に親切にして、
やっぱり社会に恩恵を還元していかないとだけど。


なんていうか、
「お金」ルールは、その人のうしろにいるもの次第というのかな、
その人がどこから見えない力を使っているのか、
サポートを受けている存在たちの「決まり事」に左右される。

だから、すべての人が同じルールで
「金銭受領」「価格設定」をしているわけでないのがミソ。



でもまー 困ったことにブラックなトコ(動物霊系)になると、
カネダイスキーな金儲け物欲主義に走っちゃってるのはいる。
ブラックなとこは毒そのもので業だらけなので、
毒は毒で太るんである(謎)。
ていうか、こういう人たちは自分がかぶる前に、
誰かをスケープゴートにして、逃れることをしていたりする。


正当なことをやっている人でも、
こりゃヤバイってことにはそれなりのお代を頂かないことには、
神様仏様のお力を借りれないし、
その人が「金銭」を出し渋ったツケが
さらなる大きな負債になって、先々の不幸の種になる場合、
お高い料金を請求する場合もあるから。


てなわけで、この商売、見えない世界で胡散臭いし、
モノみたいな明確な何かを取り扱っているわけでなく、
真偽を見分けるのはとても難しい。

「無料」「安い」から、誠実なわけでもなく、
「有料」「高い」から、詐欺でぼったくりなわけでもない。

適正価格だから、良心的というのともちょっと違うし。

すべてはその人の「うしろ」についているのが何か、
どこから力を、サポートを得ているのかってだけ。

でも、ふつー 
そこは見分けがつかないっていう問題がっっ
あるんですよね、むむむ。


私が思うに、
ちょっと実力不足だけど、人間らしい感情があって、
クライアントの立場や気持ちに寄り添って考えることも出来、
常識があって、現実的でマナーのある人で、
仕事に対してプロとしての自覚や意識があって、
「うしろ」にヘンなものが憑いていなければよし!って思う。

そこそこ実力や霊的なスキルがあって、
当てものが得意で、なんか出来ちゃったりする人でも、
「うしろ」にヘンなものが憑いていたならば、
その場は一件落着でも、そんな人に助けてもらったことが
黒歴史というか関わってしまったことがケガレって思うから、
後から忘れてた借金のようなツケが回ってきそうだし、
そういう人は避けマス。


・・・って、まあ そうね。

前者はお金のこと、はっきりしてるハズ。
後者はお金のことに関しては曖昧で、
終わってから請求されてビックリなことになりやすいかもな。

良くも悪くも、お金のことって
その人の本性が一番出る部分だし。暴かれる部分でもある。


だから、その人が「お金」とどのように付き合っているか、
お金に対してどのように考えていて、
どういう使い方をしているのか、大切にしているのか・・・
「お金」のことをきちんと明確にしていて、
納得いく説明がそこにあるのか、明朗会計なのか、
ケチなのか気前がいいのか・・・

「お金(感謝料)」を前にしたとき、
その人の霊性も同時に垣間見れるのかも知れない。


スピリチュアルにお金を使うとき、いずれにしても、
サービスをしてくれる相手に強要されて支払うのではなく、
自らそのサービスに投資をしたいと望み、支払うべきで、
後は気持ちよく支払うことの出来る「お金」であるか否か、
かも知れない。

結果も大事だけど、
内容に満足がいき、その時間、空間を過ごしたこと、
そのサービスを受けたこと、「支払ったこと」で
気分の良さがそこにあれば、きっとそれは
「生きたお金」になるのだと思う。




で、私は「お金」についてどう思ってるかって?


大好きですよ、マネーちゃん

欲しいですよ、お金

一攫千金大歓迎!!

ウエルカム ビッグマネー!

マネー、マネー、マネー

大好きよ、うっふん、
カモォン ベイビ~
私のところにいらっしゃい!

天から降ってこないかなって、毎日思ってます。

宝くじ、BIGに目がランランです。

夢託してます!

当たったら・・・の妄想はしょっちゅうしています。


でも、残念ながらご縁はあんまりアリマセンっっっ

かなりの他力本願ドリーマーっっっ汗




そうさねぇ・・・

今は「儲けましょう」って言葉に以前ほどは
アレルギーはないかなあ・・・とは思う。

とはいうものの、

実のところ最近ようやっと、お代をお客さんから頂いたときに、

「ああ、このお金は
私がクライアントさんを幸せにするお手伝いをして頂いた報酬なんだ」

って、実感できるようになりました。

ほんとっっっ今さらながらのつい最近のこと。

ええ、ようやくそこに辿りつけた。

この仕事をして報酬を頂く事の罪悪感からは
解放されたかなあ・・・今更過ぎますが。


大切なのは、頂いた金額分の、
あるいはそれ以上の仕事をすることであって、
クライアントさんが「いま」この金額を支払って、
私が提供するサービスを受けてくれたことで、
その金額の何倍あるいは何十倍もの結果を
先々の人生で受け取ることになって、
多くの実りある未来を結実させて、
周囲の人共々豊かになってくれれば・・・と


そう思えるようになったし。



でも、まあ 頭の中は煩悩の塊ですけどね。

うん・・・物質社会万歳!!

拝金主義でも営利主義でもないけど、


俗物で行こう!  ・・・かなあ。

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