友とするに悪き物、七つあり。
一には、高くやむごとなき人。
二には、若き人。
三には、病なく身強き人。
四には、酒を好む人。
五には、猛く勇める兵。
六には、空言(そらごと)する人。
七には、欲深き人。
良き友、三あり。
一には、物くるヽ友。
二には、医者。
三には、智恵ある友。
by徒然草百十七段
ちなみにタイトル・・・は、
自分をより向上させるためには、
自分より劣った者を友にすべきではないという教え。
その数年前にケンカ別れをしてしまった友人と、
バッタリ再会してしまったことがある。
彼女のほうが1か月早く入社しており、
グループが異なるので、席は離れていたんだけど、
昼に一階へ降りるのに、
たまたまエレペーターで一緒になってしまい、
何度か私の顔をチラリチラリと眺めてきて、
その度に侮蔑したように、クスクスッと手を添えて笑って、
降り際には「ふんっ」と一瞥したかのように降りて行った。
そんな彼女を見て、思わず、
「私は今、過去において、
一時期でもあなたと親しかったこと
あなたと友達だったことを、とても恥ずかしく思う」
・・・と、思わず心の中で呟いてしまった。
相手に言うには間に合わなくて。
次にされたときには言うかな~なんて考えていたけど、
人がとにかく多い職場だったから、
偶然バッタリというのは以降なくて。
知り合ったのは初めて派遣の仕事をした現場だった。
彼女のほうが年上だったけれど、とても陽気で楽しい人で、
よく一緒にお酒を飲んで騒いだものだ。
ケンカをしたのはお酒の席で、
彼女の絡み酒からの些細な言い合いが発端だった。
それきりのご縁になってしまったけれど、
たくさん良くもしてもらったし、
楽しい思い出もそれなりにあった。
だから、ショックというか、悲しかったよね。
そして、あれ・・・こういう残念な人だったんだ・・・
私が知らなかっただけで、
最初からこういう人だったんだろうか?
という風にも思った。
類は友を呼ぶ・・・とは、その昔から言われること。
もし、彼女のことを
"そういう人"だったのだと判断するのなら、
彼女と気が合って、親しく交流を持った、
当時の私も"そういう人"だったのだろう。
過去の友達への失望は、そのまま過去の自分への失望になる。
彼女と友達であった頃の私は、
彼女と同じところにいる同種の人間で、
かつて親しかった人に対して、
今はもう親しくはないからといって、
唾を吐きかけるような態度をとる人間だったのだ。
そして、友を見れば、その人自身が判るとも人の言う。
付き合う人、関わる人はよく選んだほうがいいというのは、
まったくそういう意味で、その通りで・・・。
私が選んで、付き合った友達だ。
いやさ、
向こうは友達とは思ってくれてはいなかったかも知れない。
誰に押し付けられたわけではない。
自然と親しくなり、契約期間が終わってからも、
連絡を取り、交流を持ち続けた友人。
いずれにしても、私が望んだ交友関係。
それは私の映し鏡。
彼女は私という人間のレベルを表していたに過ぎない。
彼女にがっかりさせられるならば、
私もたくさんの人にがっかりされる人間だったということだし、
事実、がっかりされる、その程度の人だったのだ。
対人関係はその人を表すというがごとく・・・
過去に関わった人、築き上げた人間関係は、
すべてその時の自分自身を表している。
彼女は昔の私で、
その当時の人としての本質を表していた。
私も実に、くだらない人間で、
他人との関わりあいを大切にせず、
相手を尊重せず、他人の悪いところばかり見て、
一期一会の出会いに感謝をすることもなく、
親しくなった人たちとのご縁を大事にしていなかった。
それは友であっても、お客様であっても、
職場の人間関係も、すべてにおいてそうだったと思う。
今はそう。
過去のすべての出会いに感謝している。
これまでの人生で出会ったすべての人が、
私に様々な経験と感じる機会、考える機会を与えてくれ、
鉄が叩かれるがごとく、弱い部分を鍛えてくれ、
色々なことを教えて、成長させてくれた。
好きになれなかった人、嫌いだと思った人もいたし、
腹を立ててしまった人もいるが、
今となっては私の未熟さ、不徳の致すところも大きかったし、
痛い経験から学んだことは大きい。
良い関係性を築けず、良い別れ方を出来なかった人も、
縁が切れてしまってもう二度と会うことのない人にしても、
すべての人の健康と実りある人生をただ祈っている。
そして、今も私とお付き合いしてくれる人、
たまたまのご縁から、気が付けば長いご縁になっている人など、
私と親しくしてくれること、友であってくれること、
関わってくれることにも深く感謝している。
さて、遡ってこの一か月、
あなたはどんな人と、誰と直接会ったろうか?
少なくとも七人の人物を上げて欲しい。
その人物は、未来のあなたを表している。
親しくしている人、会って言葉を交わす友は、
あなた自身の一部であり、あなたがなろうとしている姿である。
どんな人とどんな話をしたろう?
その人は明るい人だろうか、落ち着いた人だろうか、
未来に展望を持ち、積極的に人生を生きている人だろうか?
それとも現実に押しつぶされ、不安と焦燥感でいっぱいの人?
周囲を笑わせ、皆が楽しく過ごせるように気配りの出来る人?
愚痴や不満ばかりで否定的で批判ばかり口にする人?
あなたはどんな人になりたいんだろう?
その友達のようになりたいと思う?
もし・・・その人の事を尊敬したり、憧れたり、
手本とし見習いたいところがあるとは思えないのならば、
付き合い方を変えるとか、距離感や関係性を見直すべきだろう。
そして、自分もまた相手が表している欠点や
自分が相手から与えられている不快感を
他の人にも見せていて、周囲からは「同じ穴の貉」として
同格に見られていることを忘れてはならない。
相手の「資質」はまさに自分の「資質」であり、
相手の「評価」は自分が周囲から受けている「評価」であり、
本質なので。
だから友達は選ばなければならない。
そして、
「こんな人と親しかった自分が恥ずかしい」
と・・・言われないように、
あなたと関わったこと、知人であり友であったことが
その人の人生の汚点だと言われない人間であるように、
自分と友でいてくれる人、関わってくれる人に対して、
かくありき・・・な人であらんことを心がけるべきである。
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