2020/03/23

一樹の陰一河の流れも多生の縁

自分という人間が醸し出す振動数
周囲に及ぼす波長が波動の法則で
運命を創り出し
人も物も起こりうることすべてを
引き寄せているという現実を考えれば

今この世で出合っているもの全部が
"縁"によって導かれしものと言えるだろう

しかし縁というものは
絶対的で確固たる信頼によって築かれた
揺るぎない関係を保証するものではない

その縁をどのように結んでいくのか
縁合った関係をどのように育んでいくのか
お互いが与え与えられる関係性の中で
合意のもとに築き上げて作っていくもの

縁のない関係などはないが同時に
縁の結びのみによって築き上げられる信頼もない

縁があったからといって相性がいいわけではないし
調和と愛に満ちた関係を派生させられるわけでもない
何もかも一致してすべてが上手くいくわけではない



過去生での血縁関係者
知人や友人 パートナーに再会するとき

とても懐かしく くすぐったい
何とも言えない郷愁に満ちた感情が
湧き上がることは多々ある

「ああ、久しぶりだね 元気だった?」

とでもいう具合に
親しくなるのにさほど時間も掛からず

初対面なのに意気投合したり
心の距離を近く感じて
馴れ馴れしくしてしまったり

姿かたちだけが
時に性別や年齢差や関係性が
異なっているだけで

空気感はそのままに
当時の感情が蘇ることも


そんなことが幾度かあった

私だけが覚えていることが多いが
お互いに思い出したこともある


私の産みの母だった人
私が産んだ娘と息子
恋人関係だった人
兄弟姉妹だった人たち
友達だった人

同じ村に住んでいた人
私を魔女として告発した人
私を殺した人たち

同時に様々な複雑な想いも蘇る

哀しみも痛みも憎しみも怒りも
切なさや失ったものへの喪失感と同時に
二度とは取り戻せない手に入らない
あの日の幸福や満たされた日々や
伸ばした手の先で掴めるはずだったもの
手に入れられるはずだった
すべてのものへの追憶と思慕とともに




今は亡き親友はかつての私の姉だった
フランス革命後のフランスで
ジプシーだった時の年の離れた姉
今生では彼女の方が年下だったけれど
やっぱりお互いそれが理解できたから

一緒にいると記憶が蘇ってくるから
思い出話なんかもよくしたものだった
流浪のテント生活の合間にした姉妹の遊び
旅の思い出 家族の団らん

彼女はもう今生を終えたが


150年前カナダ人だったとき
私は幼い子供二人を残して某所で凍死してしまった
14年前その時の娘に再会したとき
互いにそれと分かったので二人抱き合って泣いた


幼稚園のとき同じクラスで
小学校は違い 中学ではクラスは別で
高校で再会したその子は
かつて私を崖から突き落とした人だった


高校では世界大恐慌の時代を
生きた時の知り合い幾人かとも再会した
かつてのウォール街の住人は
銀行や証券会社に就職していた


リゾート地のバイトでは
昔の弟と妹に再会した
私だけが憶えていて彼らは覚えていない関係 
性別は当時と同じだが年齢の順番は違ってた
三人で本当の兄弟みたいによく遊んだが
今はもう別々の人生を生きている


面白いなって思うけど

とはいうものの
過去生だけで繋がっている関係というのも
実に不自然なものだったりもする

もちろんそこから始まるものもあるし
継続して築いていける関係性もあるけれど
必ずしも良い関係を築けるわけじゃない

だって
お互い当時から変わっちゃっているんですよね
成長しているといったほうがいいかも知れない


先に書いた娘は
とても慕わしく慈しみの感情も湧いたけど
今生では私と一回りしか違わなくて
共通点もあまりなかったから友人というのも違うし
なんていうか過去は過去で今は今って考えたとき
幸せを願い遠くから見守るだけで十分と思った

彼女に子が生まれた時
血は繋がっていないのだが
孫が生まれた気持ちを味わった
でも私たちはもう親子ではない
気持ちを関係性に比例させるには
多少の困難が生まれることがある


某カルチャースクールで出会って親しくなって
「何でここまでよくしてくれるの?」って人に
アロマトリートメントをしたとき
急にその人がトランス状態に入って
過去に私に対してしたことを告白し
泣きながら謝罪して懺悔してきたときには
とにかくパニくったというか困惑したけれど
(当時は今の仕事してなかったので)

ああだから無意識的に償いをしようと
あれやこれやしてくれてたのだな…って納得した


その人との過去での関係性を解明すると
だからこうなんたなって
なるほどと納得することや腑に落ちることも多いけど

でもあくまで過去は過去なんですよ
過去の関係性だけで今を見るものではない

大事なのは
今どんな関係性を築けるかってこと
その人とどんな関係性を築きたいのかということ


お互いその人生で出会って別れたその後も
様々な経験をして色んな人と出会って
成長したり堕落したり波動も変わって
当時とは別の人生を生きているのですから

それに
ほとんどの人が何百回も人生を重ねていて
いつも同じ人(同じレギュラー陣)とばかり
出会って限られた数の人たちとだけ
ご縁や関係性を結んでいたわけでないから

恋した相手も結婚した相手も数えきれない程いて
自分の親になってくれた人も数多くいて
肉親だけでなく親戚も加えたらもうてんこもりで
同じ村に住んでたとか同じ軍隊にいたとか
そんな縁だけでも腐るほどいて

そういう意味では逆を言うと
何百回と繰り返した輪廻転生の中で
いま地球上にいる人いない人全員含めて
出会ったことのない人なんていないって話になる

全員がかつて血縁関係で友人や仲間だった人かも
かつての自分の子孫先祖親戚etc
他人なんていないっていうところ

世界中先祖と子孫と親戚だらけ
みんな家族ってハナシ

みんなが縁がある人

ただ今の自分の振動数/波動によって
かつてのご縁のあった人の中でも
出会える人と出会えない人がいるってことかもね

そんなこんなで今生で袂を分かった人とも
またいつか別の道 先の人生で
再び出会える日もあるのでしょう

また
今の肉親(親や兄弟姉妹)との関係性に
満たされていずそれらが欠けていたとしても

そんな風にかつての親や子や兄弟姉妹や
恋人だった人(しかし今生では同性)とか
友人知人とか暖かい関係性であった人が
意外と身近なところにいてくれる場合もあるので
寂しくなんかないのです

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