2020/07/17

未来に託した贖罪と希望〜職業別カルマ③

その歌をライブで聞いたことももちろんのこと
CDも一時期は持っていて(今は手放してしまった)
友人の昔からの友人になる人なのだけれども
※昔はメジャーだったけど今はインディーズの人

プライベートでお会いする機会があった時に
ものすごく重たいカルマを背負っている人なのだなあ
と実感した人がいた

その人のパワフルな歌声からは 密かに 
血を吸った 乾いた大地の痛みの声が聞こえる

血の匂いっていうか ジェノサイドの匂い

嘆きの民族が大量に殺戮された憤怒の叫び声

一族を根絶やしにされた 声にならない嗚咽と悲しみ

「ああ 
 この人はその傷を癒すために歌っているんだ
 彼らの魂を慰めるために 
 仲間の死を痛み 弔うために
 確かにあの日あの時 確実に生きていた
 一人ひとりの命を讃えるために
 歌い続けているんだ」

そんな風に思ったのを覚えてる

でももちろんその人がその人生に導かれたのも
その前の人生の因果関係が理由としてあってのこと
だから二重の意味での重石を背負っているとも言える

それを理解し
その重石を軽くしようと手を差し伸べて
共に背負ってくれた人がいたのは救いであったけど
その人を失った今もその人は歌い続けている

その姿がとっても痛々しくもあるのだが・・・

いつか彼女が光を抱けますように

と祈らずにはいられない




そんな風に 慰霊をするがごとく
自らの過去を葬りもしくは讃えるために
これまでに生きた幾多の人生での想いを
昇華するために歌を歌い 音に想いを託し 
楽器を奏 詩を書き 曲を作る人は多い

画家や小説家(脚本家)や映画監督などもそうだが
※漫画家も


それ以外で歌手というか まあ
ソングライターな人の中には

「ああ この人 吟遊詩人だったんだな」
という人が多かったりする

あと"プルチネッラ"とか"旅芸人"系統の人

こういう人たちは当然ながら
役者としての演技もできる

歌唱力に定評のあるバンドAのTさんなんかは
まさに吟遊詩人だったんだなあって超わかりやすい

友人がAのライブのプロモーター会社にいたので
常にギターを離さずいつでもどこでも
即興の歌を一日中作るのを楽屋や移動の際に
いつも聞かされていたのだそう
(友人のおかげでただでチケットもらったお
 <しかし単なるアリーナ空席の穴埋め
  アリーナ空いてるとアレだから)


吟遊詩人ってどんなん?っていうと
60年代の映画「ロミオとジュリエット」の
二人が出会うシーンで歌ってるお兄さん
と言えばなんとなくイメージできるかな

単純にああいった場所(王宮や貴族や金持ちの家)で
ソネットを歌うような歌手のルーツみたいな人もいるし
町から町へと旅して回る半分旅芸人のような人もいる

ヨーロッパのあちこちに類似の職業の人がいたけれど
それぞれ地域によってちょっと違いもあって
イギリスなんかだと地域のニュースを歌にして伝えて
町から街へと噂を振りまくというか
出来事の語り部的な役割を担ってもいて(瓦版屋か)
※マザーグースとかマーダーソングとかの風習参照のこと

彼らは観客や依頼主のリクエストにすぐ応えて
既存の古い歌を歌うことができなければいけなかったし
そればかりでなく与えられたテーマや
ちまたでの面白い噂話や事件やニュースを
即興で歌にして聞かせられる腕を求められたし
もちろん楽器の演奏もそうだし
社交性というか歌以外に話術なんかも含めて
ありとあらゆる裁量を身につけなければならなかった

雇い主というか金蔓?な有力者のご機嫌とるために
彼らの作ったクソミソみたいな詩を褒め称えて
それに美しい曲をつけて満足させないといけなかったし
(そりゃ作曲技法も身に付くってか上手くなるわな)

そしてそれだけでなく時と場合によっては
"男妾"もやらないといけなかったんだよね
いわゆるご婦人の閨のお相手 男娼と言うべきか

だから今生において恋多き人であったり
女性の扱いを心得ている人が多いのも頷けたりする
やたらとフェロモンあるなーって歌い手さん多いし


旅芸人もそう
川端康成の「伊豆の踊子」でも描かれていますけれど
彼ら旅芸人は芸だけでは食べていけず
受け入れてくれた先の豪農や豪商の人たち
その主人たちのお相手
つまりは枕営業つか売春がセットだった
(学生さんが心惹かれた彼女はまだ幼くて
あのふれあい旅の中では
それをしなくても良い無邪気なところにいたけれど
やがてそれをしなくてはいけなくなるって匂わせ)

瞽女たちも同じ 芸だけでは食べていけないから
どうしてもそういうのがついて回る

なんかそういう昔から
芸を見せる人=パトロンとのご奉仕関係
なんてのがあったということを考えると
現代の芸能界の腐敗具合ようするに
性接待みたい最低な風習も
理解したくないけど理解できるかな


女優さんなんかは過去生で
高級娼婦やってた人も少なくないし
ひと昔前のハリウッドの女優さんなんかは
お貴族様の時代に貴族の嗜みで演劇や歌や
楽器とかを手習としてしていた人多いし


ジプシー(ロマ)は歌や踊り 芝居 そして占いや魔術
あとはプチサーカス的な大道芸やってたけど
(フェリー二の「道」みたいなイメージ) 

その時代に占い極めた人はそっち行くけど
歌とか踊りとか芝居が好きだったという人は
やっぱそっちにいきますわいね

芸妓さんとかやってた人もそうかな

とある昭和の女優さんは
過去生の自分の人生を実際に演じていたりして
なんとも不思議な縁です
そのために女優の道に進んだのか
たまたま自分以上に
過去の自分の役をやれる人がいなかったのか

いやはや必然であったのでしょう

けれども過去の自分の人生を演じて
現代の人に当時の自分の真実の思いを
自分をして伝えたかったとしても

"死"までも
過去をなぞる必要はなかったと思ったりする




さて少し 脱線したけれど

歌い手さんというのは やはりカリスマ性あってこそのもの

そして宗教が人々の道徳心を支えたり
良心を呼び覚まし
生き方や導きを啓蒙する
灯台となり得なくなった現代においては

歌というのはものすごくパワーを持っているのね
歌手すなわちアーティストって
ものすごい影響力と求心力と先導力を持っていて
ファンに様々なことをアピールすることができる

昨今はともかくとしてひと昔前のミュージシャンはとくに
(ジョン・レノンのLove&peaceとか
プロテストソングとかウッドストックとかライブエイドとか)

日本ではミュージシャンが
政治的発言をするのはタブーだけど
海外ではそのあたりオープンですし


だからね
ファンを教育するっていうと言葉が悪いんだけど
自らのファンに伝えられることを伝えるってのも
彼らのお役目だったりするのね
それができるかどうかがカルマのレッスンだったりもする

自分たちの影響力を理解した上でそれをどう利用するかってこと
社会的な影響力そして発信力
それらをどのように使っていくべきか
ちゃんと考えないといけない
言葉という言霊(言魂)をどのように使っていくのか
曲(歌)を聞いた人に対する責任があるってことを理解して
自分たちの活動の方向性に責任持って取り組まないとなのデス

実際のところ そこまで考えて
音楽やっている人って少ないと思うけどね
ただ歌うのが好き 音楽やってるのが楽しいとか
みんなそんな理由なんでしょうし

ファンを大切にするとかも大事だけど
それ以上に自分たちの音楽で何を伝えていくのか
歌で人を癒し勇気付けたり元気にするだけでなく
それだけでなくてその先を考えてないと
いつかは行き詰っちゃって
長くは続けられないってのはありますね

今の時代では芸術的なこと
アーティスティックな活動とか音楽やってる人は
時代からそこまで求められていたりするんで


俳優さんとか女優さんに関しての書き残したことなど
次回に持ち越しします

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