2020/07/29

博多湾の亡霊〜大義なき戦の果てに

私のゲーム経験といえば
その昔にアーケードゲームやファミコンに興じて
最近ではPC上でのダウンロードゲーム(海外の)に
はまってたことがあるくらい
それも目の問題もあってやらなくなってしまった


もともとオンラインはやらないし
プレステとかwiiとかわざわざ買ってはやらないタイプ
(はまると抜け出せなくなるのがわかっていたので)



前置きはさておき 海外の翻訳掲示板によると
鎌倉時代の「元寇」を題材にした和風アクションゲーム
「ゴースト・オブ・ツシマ」というものが
たいそう評判がいいらしくその話題で持ちきり


なんでもグラフィックが素晴らしいのだとか


最初「ツシマ」を「津島」と脳内変換していたので
津島の亡霊?って何? 津島家という戦国大名が主役?
と勘違いしていたのだが「対馬」のことだったのね

とはいうもののこのビジュアルつかアート
鎌倉時代ちゃうやん 完全に戦国時代やん
つくづく侍のイメージって戦国時代なんだな
鎌倉武士の格好じゃないよ〜ってば思うけども
そういうツッコミは歴史家にまかせることにして

元寇にまつわる過去生の問題
この場合 
宿業といってもいいレッスンを背負っている人が
そういえばいたなあ・・・と思い出しました



神風(単なる台風)の由来でおなじみ「元寇」
「元朝」といえば
チンギスハンの孫クビライが開祖のモンゴル帝国
それが鎌倉時代に二度ほど日本に攻めてきた
当然ながら歴史の教科書で学びました<蒙古襲来

今の中国が抱く野望のごとく領土を広げて広げて
周辺諸国を侵略し属国化し東アジアと北アジアまで
西から東へと膨張しまくった征服王朝ですね

中国の歴史だと唐そして隋 五代十国を経て
南宋・金と明の間の時代に位置する国
そして唐以来の統一王朝のこと
(確か宋の時代くらいまでは日本の友好国だったかと)

元寇の背景や蘊蓄はさておき


その方・・・は
元側の兵士(司令官)として
博多湾にて亡くなられた人生を持つ方でした

実のところ
うちの生徒さんであった人ではあるものの
個人セッションでの過去生ヒーリングとか
解放ワークなどの過程において
知り得た情報というのではないので
文永の役か弘安の役のどっちであったのか
そこまでは見てないしわからないのですが

そして元側の司令官と言っても
モンゴル人というのではなく
属国である高麗の軍人さんだったのですね

だから本来 元の国の人間ではなく
元に侵略された側の人間ですから
元という国に対して愛国心はもちろんのこと
義理とか思い入れとかそういうのはないわけです

でも元の国の軍人そして代表として
日本を侵略しなくてはいけない
交渉が決裂した以上
戦を仕掛けて日本を打ち負かし征服する

乗り気でなくても
それをしないといけないわけです<立場上
ていうかある意味根っからの軍人で
任務であり仕事として
それを機械的に考えていたのでしょう

でもってそれは出来るって
さほど難しくないことだってそう思っていたのかなあ
少なくともこの方の過去生であるその男性は
そう鷹を括っていたみたいです<日本攻略

また乗り気ではない戦ではあるものの
戦うことに対して疑問ももたれてはいなかった
戦によって自分方にも相手方にも死者が出ること 
自分の部下が 民間人が命を落とすという現実に対して
あまり感情を動かされないというのかな

まるでそれを将棋の上の駒のように考えていて
単なる兵力・戦力として 
そんな風に戦の場における人間のことを
数字の上での数としてしか
カウントしていない人だったんですね

だからもちろん負傷して離脱する部下にも冷淡で
助かる命に手を差し伸べようともせず
戦力外であるのか戦力内であるのか
まだ"使える"兵力であるのか否かでしか
命のことを捉えられず図ること能わず

けれど軍人としてはそういう人の方が優秀なのかな
戦闘に勝つという目的がある以上
人情を持たず非情に徹せられる人の方が
有利なのでしょうか よくわかりませんけれど

とはいうものの
そういう方は上には受けはいいのでしょうが
部下にはまず慕われません

結果として この蒙古襲来は
神風という名の台風があったこと
自然災害によって元軍が壊滅的な被害を受けたことで
元側が撤退し敗北 日本の勝利?に終わりました

さてこの方のカルマというのは
この元寇における敗北のトラウマではありません

たまたまそれが元寇であったというだけで
この方の軍人としてのあり方というか姿勢
他者(部下や民間人)に対する扱い
命に対する考え方や態度などにありました

なんで自分たちが自分のたちの国でもない
自分たちを侵略した国のために表立って
最前線で戦わないといけない?

彼の部下も同僚もはてまた上司たる国のトップも
みんなそう考えていた戦です
いやいや戦闘に参加したものがほとんど
それでもやらなくちゃいけない
日本に対して戦をする理由も本来はないというのに
自分たちを侵略した国のために
仕掛けたくもない戦を仕掛けないといけない
逃げることも逆らうことも出来ない

そんなやるせない戦でまとまりもない連合軍の中
互いの胸のうちをわかりあいながら
なるべく自軍の犠牲者が少ない方向で
体裁だけの戦をすればいいと脱力していた
高麗の兵士も多かった中

司令官という立場にある彼は違っていたのです
全力でことにあたり 本気で立ち向かえと
傷ついた同胞を見捨て 土地を荒らし
勝ち戦に出ようとする彼に対して

「やりたくもない戦に巻き込みやがって!!」
「生きて帰りたかったのに」
「お前がもっとうまく立ち回ってくれてたなら」

というような怒りの矛先が
反発心とともに向いてしまい
それが恨みの念へと変わってしまったのです

この方のカルマは
「一人ひとりの命を軽んじてしまったこと」
部下の想いを 自国民の想いを理解しなかったこと

戦に参加したことが罪なのではないのです
部下を死なせてしまったことが罪でもないのです

もとより戦自体はこの人のせいではないし
戦に巻き込まれたこと自体 各自のカルマですし
時代のせいでもあります

殺人が合法化される
戦争という非人道的な行為の場においては
敵を何人殺したかが英雄視される場においては
どのような立場であったかではなく
どのような気持ちや目線でその仕事をしたか

が問題になるのです

このあたり先日のブログの内容と
対比する内容というか関連するとこですね

カルマになることないことというのには
「そこに愛はあるのかい?」と言う問いが
常に付き纏うけれども

共に闘う同志や仲間としての
同じ国の人間としての彼らへの想い
彼らへの命への哀惜の念があれば
違っていたのです

この場合 
理由なくして戦わねばならない日本人に対してもそう
自国民たる高麗だけでなく元に侵略されて
ともに戦わされている他国の人間に対しても

一人ひとりが異なる性格や人生を持つ個別の人間で
命を持っていること その重みを理解し 
そこを考えることのできる人であったならば

怒りや恨みを買うことはなかったでしょう




というのも
そうした集合体無意識の怨恨の念が
この方のその後の人生(幾多もの転生先)に
そして今生の人生に暗い影を落としていたからです

ちなみにこの人はそれ以前
奈良時代に日本人であったとき
蘇我氏の一族として日本に仏教をもたらした
功徳ある人であったのですが(聖徳太子には非ず)
そうした縁 善行でも庇いきれない影でありました


まあなんでそんな過去の人生がわかったかというと
この方がとある集団とともに
今生でかの地に行く機会があり
当時の彼らを恨むグループエレメンタルたちに
「殺してやる」とばかりに
襲われたからなんですね

すなわち「対馬の亡霊」というよりは
「博多湾の亡霊」に襲われたと・・・
いやさ対馬や隠岐の亡霊も含まれてたでしょうが
日本側の被害者というよりは
自国(高麗)の兵士たちの怨念でできた
グループエレメンタルでしたので


幸い力を持った能力者さんがいたので
最悪のパターンは避けられましたれども

(私は個人のカルマのレッスンを知り得て
この問題についてどんなふうに考えるべきか
彼らの無念に対してどのような姿勢で応えるべきか等
当人が気づくべき学びなどを伝えることは出来ますが
こんな強大なグループエレメンタル
土地に染み付いた怨念の塊と対峙して
それらをどうこうするってそんな力は持ってないっす)


ていいますか
この方が過去に人として未成熟な人であったとしても
今生に至るまでに成長し心を育んでいたならば
今の人生で他人を大事にできる人になっていたならば
そのようなことも起こらなかったというのもあります

彼らの怒りをそこまでは買わなかったというのかな

心で反省もせず 知ろうともせず 
災厄だけを免れようとして形だけのことをして 
大切なことを相変わらずおざなりなことをしているから
恨みは解けないのだけれども

耳を傾けない 理解しない人にとっては
同じ経験を繰り返し体験して
体で 痛みとして何度も味わうしかないのでしょう



そんな風に私たちは過去自ら犯した罪からも
今の自分の成長度合いを見られてもいるのです
(ちょっと脅すような書き方ですねっっ汗)

他人(集団)から怨まれるっていうのは
こういうことなんです
その人生というよりその後の人生つまり
来世で人生を疎外し邪魔する禍の種を作るってこと



そして九州北部で起きたこととはいえ
九州各所の豪族や武家も国防に参加しているので
もしかして 
うちのご先祖様も参加?
とも思ったけど
北条の世になったとはいえ
鎌倉時代じゃまだ出自隠して
息を潜めてただろうから
まず行ってないであろう

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