2020/11/30

妄執〜愛執染着

「カニザリオから結婚のもうしこみがあったのよ。
 父の友人のイタリアの大詩人よ」
「結婚すればいいじゃないか」
「わたしを愛していないの」
「愛していたよ、アデル」
「でも今は愛していない、これからも愛してくれないの? 
 お願い、あなたを愛し続けてもいい?」
「…」
「いいわ、上官にあなたの手紙を見せます。
 そしたら軍隊にいられなくなるわ、
 あなたの手紙をあなたの女たちに読ませてもいいわ」
「心変わりして何が悪い」
「わたしと結婚してもあなたは自由よ」
「時々君がわからなくなるよ。
 僕を愛しているならすぐ、父上の元に帰ってくれ」

「もはや嫉妬はない、自尊心も捨てた、
 愛はわたしには微笑まず、顰め面を見せるだけ。
 売春宿で苦しむ女たち、結婚に悩む女たち、
 女たちに自由と尊厳を与えること。愛はわたしの宗教だ」

by「アデルの恋の物語」アデルとピンソンのやりとり




ある男性がいた
見た目よく(ようするにイケメン) スタイルもいいし
清潔感あって 物事もスマートで 女性にモテるタイプ

けれど どの女性とも長続きしない

出会いはたくさんあるし 
女性の方からも告白されることが多いのだが

付き合い始めると 最初はいいのだが
いつの間にか距離を置かれ初めて
彼女側の方から別れを言い出され 
結局 振られてしまうのだそう

その人の親友曰く 同性から見ても魅力的な人で
男女分け隔てなく付き合う人だし 友人も多いし
他人に対して気も使えるし 約束も守るし嘘もつかない
空気が読めない人でもないし 礼儀も常識もあるし
付き合っている時は彼女一筋で 浮気癖などもとくにない
酒乱でもない 暴力をふるうこともない
性格に難があるとも思えないし…

周囲からしても 
なんで彼が振られてしまうのか理解できないとのことだった

ある日 その親友さんが以前彼を振ったという元カノさんと
偶然仕事で一緒になり 思い切って
どうして彼と別れたのかと理由を聞いてみた

すると

「彼といると いつも居心地が悪いのよね」

という話を始めた

彼の隣にいると そこにいるなとばかりに
誰かに体をぐいぐい押されるような気がするのだという

そして誰かにいつも見られているような
睨まれているような感覚があり 
一人で彼の部屋にいたならば どこか寒々しい気配で
落ち着かないというか 戦慄するような恐怖さえ覚えて
それで何となく一緒にいるのが怖くなって

…とのこと


その話にちょっと思うところのあった彼の親友は

「お前、御祓に行った方がいいかも」と彼に話した

最初、彼は一笑に付したが

そういえば似たような話を以前別れ話の際に
相手からされたことを思い出し
その筋の人の門戸を尋ねることにした

果たして彼には
彼に横恋慕していた女性の妄執の塊のような生霊が憑いていて
悪鬼のような顔をした女性の生霊の嫌がらせ行為によって
彼の恋人たちは被害を受けていたのであった


この手の話はわりとよくあることで

似たようなケースは私のお客さんの中にもあって

別れた恋人がやはり彼女に対する執着のあまりに
生霊となった念を送ってきており
彼女の新しい出会いを疎外し邪魔するという
そのせいで恋人はおろか結婚できません

みたいな状態に陥っていたことがあったなあ


漫画家さんでもファンが送ってくる
その手の生霊に苦しめられたとか
芸能人でもそういうのにやられちゃってる人とか

まあまあ話は聞きますね


生霊を送ってくるのは身内でもあるし
友人同士でもあるし 職場の人とか 
ライバル関係にある人とか
飛ばされるのは
何も恋愛に限ったことではないんだけども

相手が心配で送ってきているもの(見守り系)と
怒りや恨みや過干渉とか そうでないものの違いは
波動の違いって感じかな

当人が過去の恋人への未練で
恋人のエレメンタルを自ら創って大事にしているものは
生霊とは言わないしね 相手のコピー人形ってとこで
これは質と用途がまったく異なりますし





























生霊はまあ 気持ち悪いです

ただ、誰しもが創ってしまい 
誰かに送ってしまう可能性のあるものですが

一時的にね 相手に腹を立てて
集中的に送ってしまうのはしかたないです
理由があれば まあ それはそれ

攻撃的なものは 口撃とも行って
悪口とか罵詈雑言みたいなのは
口から言霊として出ていくエレメンタルで 
たまに矢とか剣とか 尖った刃物のような形をしていて
相手にぶすぶすと刺さります

そういうのが刺さっている人もよく見かけますし

突発的に爆発した怒りは
その人の頭のてっぺんから出て行くエレメンタルで
これは結構攻撃力が強いんですよね
ロケット花火というか 大砲で発射された砲丸みたいな
マグマのように熱く 火の元素が強いので
下手したら相手が怪我とか災難に見舞われるような
そんなことをも引き起こすパワーを持ってたりする

相手の頭部や首に直撃して 脳梗塞とか血管切ってしまう
そんな結果を産むこともある


この辺りは怒りとか恨みとか憎しみとか
私怨的なものですけどね

(ちなみに普通のエレメンタルは額というか
眉間のところからムニュって出てきます
よくインドの女性がポチッと何かつけてるトコ
最初は小さい粒みたいなもので
それが少しずつ膨らんで大きくなって形をとるの)


やはり持続的な生霊として恐ろしいのは恋愛絡みですかね

ストーカーちっくな生霊ほど始末に負えないものはありません

数年単位ならまだいいんですよ

生霊はリアルに毎日 飼い主(創り手である持ち主)が
燃料補給してエネルギー供給されるから
死霊より手強くて始末が悪いんですけど
その関心が薄れたり気持ちさえ離れれば収まります

でもそうでないと大変

どうしてそんなにしつこいのってのに
絡まれてしまったらもう大変です

下手したら一生 死ぬまでですもん

冒頭に引用した映画「アデルの恋の物語」のアデルみたいに
(ちなみに実話の映画化)
相手がわからなくなるほど気が狂っても思い続けちゃう





でも
一番怖いのは今生だけでなく来世まで追っかけてくるやつ
こうなると生霊を超えて(相手も死ぬから)
呪いとか祟りも真っ青な呪縛エレメンタルに育つから



そういえば かなり以前のお客さんのケースで
その方の中間生っていうのかな 

ていうかー 
かなり我の強い 困った方だったんですが
(ぶっちゃけアスぺで自己愛性人格障害持ち)

数百年前の人生で狂死されていたんですが
死んだ後で まあ生前の恋人(自分を振った相手)に執着して
その怒りと激しい恨みというか執着から
彼に取り憑いてしまったんですよね 

ようするに悪霊になったと

で、悪霊として悪事(死んでいるのに罪を犯すとわっっ)
働くっていうのかなー 彼とか彼の奥さんとかに憑依して
嫌がらせですよ嫌がらせ 年季入ってます

もちろん これも立派な罪 
犯罪として立証はできないけども

しっかりとカルマの功罪として残っているわけです

でも それで罪の意識持って反省していたら 

って思うけど

人はなかなか変わりませんのでしたー


生前の性格も性格だけど それが故に悪霊になったわけで
だから その人生のパーソナリティ(過去生の人格)
サイコパス的に狂気を孕んでいて あなおそろしあ 
このエレメンタルが目覚めたら さあ大変てな代物

たぶんそういうモンスターを隠し持っている人は
一定数いるのでしょう 目覚めないことを祈るのみ


そうですねぇ

この都会にもその界隈の人たちに
「あーあの人ね」って有名な悪霊さんっていたりします

いやさ将門さんとか道真さんとか
怨霊として有名な人ってわけでなく

わりと近代の事件で亡くなった人とか
(被害者で悪霊になった人もいるし加害者もいるし)

手に負えないので変わらず放置プレイ

見ざる言わざる聞かざる

みたいな状態になっている人もいたりする うーん

取り憑かれた人はご愁傷様…みたいな??
(いろんな人がお手上げ状態らしいので
そして色恋沙汰っていうか艶恋沙汰??
いやさ色欲地獄か そんな感じー)


そうですね 

現在の人生で誰かに執着されて生霊飛ばされて

な人も結構見かけますけど

過去生の色恋絡みでの生霊を超えた
モンスターストーカーエレメンタル
これを背負っている人 つけ狙われている人

マジ大変だと思います

恋愛も結婚も 下手したら色々と人生積みまくり

女優さんでもその手のにまとわり付かれている人いましたね
とくにその時の人生を生きた土地
(その人の場合フランスだった)に行くと
ストーカー霊のフランチャイズ(本拠地)に行くことになるから
ヤバイから絶対行ってはならないっ!!!って言われてた人いたな


自分で創ってしまったもの(過去生の恋人のエレメンタル)に
邪魔されている人のケースは
ここでも以前何度か書いていますけどもね

やはり相手から送られているものは迷惑の極みですよね

まして恋仲だった人ならいざ知らず

別れた相手とか 付き合ってもいない勘助とか勘子とか
ましてメンヘラこじらせて死霊になってまで
自分や愛する人々を苦しめ続けた祟り神みたいな相手


もうヤダ!
かんべんしてくれー!!!

いい加減 解放してくれい!! 

になってしまうと思います


メンヘラ恐るべし

生きていてもメンヘラ 死んで霊になってもメンヘラ

馬鹿は死ななきゃ治らないというけれど
ストーカーは死んでもストーカーだった

ってのは困ります 社会の害悪です

てかー 創った本人すら創ったこと忘れてるつーか
その人生で正気を失って 記憶を失くしても
エレメンタルは己が生まれた目的というか
使命を忘れず完遂させようと暴走しまくる

暴走機関車かっっ!!  いやはや誰か回収して

とはいうものの そういう暴走機関車みたいな
主人の手元から離れて作動しまくるエレメンタルや
動物霊とか式神とか使役とか
けっこーいますもんね ホントまじ勘弁

お掃除している人もいるけど 
日々作られて増え続けることには対処できまへんのでした



つくづく 人の執着心って恐ろしい

感情ってのは本当に化け物です
恐ろしいモンスターを創ることもできる


鵺の鳴く夜は恐ろしい…

ってそれは悪霊島のキャッチコピーかっっっ


まあ 一番怖いのは
自分が自覚していないというか認識していない相手
存在すら知らない相手から逆恨みされたり
勝手に想いを寄せられて妄執的な念を送られることかもねん
何しろ心当たりがないし 姿が見えない相手だしねぇ

「ミザリー」のキャシー・ベイツも怖いし
(作家の小説の恐ろしいファン)
「ルームメイト」の自分に執着するあまり
真似っこして何でも奪おうとする相手も怖い

勝手に憧れられて 思いこまれて勝手に逆恨みされて
ってのがホントまじ困るー でおじゃるよ






まあね 
「アデルの恋の物語」のイザベル・アジャー二(当時18歳)の
狂気をはらんだ鬼気迫る演技はとてもよかったですけどね
(好きな女優さんです 「王妃マルゴー」もたまらんかった)

これを純粋と取るか どう取るか…

いやさ女遊びするなら おぼこ娘はやめなはれ
手を出すなかれってプレイボーイ君への教訓?

でもねー わからんでもないんだわー
アデルの気持ち 恋は盲目ですからね

恋のエネルギーってのはホント凄まじいものだわん
















「わたしはバルバドル島の貧しい女ですが、
 ヴィクトル・ユゴーの名前は知っています。
 あなたは地上の虐げられた者たちの味方です。
 お金もなく運命に打ちひしがれた女性がここにいます。

 子供たちにいじめられていた、哀れな女性です。
 わたしは彼女を助けてやり、家に連れ帰りました。

 あなたの娘さんです。
 英国の士官を追ってここまで来たそうです。
 苦しみで体もボロボロです。体は治っても心は戻らないでしょう。
 ご家族の温かい愛情が必要です。

 ユゴー様。わたしが娘さんをお連れします。
 旅費は知人から前借りして参ります」

by「アデルの恋の物語」とある黒人女の手紙

2020/11/27

選択肢は我に有り〜生きたい人生 かくありたし己を生きるのみ



一瞬一瞬が運命の分岐点となって
いろんな世界が
どんどん枝分かれしているんじゃないかって

都志夫さんが
まだ生きている世界もあるかもしれないし
いろんな世界それぞれに大勢のわたしがいる

泣いてるわたし
喜んでるわたし
怒ってるわたし
笑ってるわたし

枝分かれしていった
たくさんの世界にいる大勢のわたしの中には

いま この瞬間に同じようにして
思いをはせているわたしもいるのかしら?


 by宮脇明子「ヤヌスの鏡-秘伝」






とある女優さんがいました
この方を仮にAさんとしましょう

Aさんが女優という仕事に就いたのは 
映画が好きだったということと
"演じること" 自らの肉体をして
"表現すること"が好きだったからであり

本来の自分とは性格も生き方も異なる
様々な人間の生き様を演じることで
いまの自分とはまったく違う個性を持った
別の自分や他者の人生を擬似的に体験でき 
そこにカタルシスを覚えられる
独特の快感や刺激が得難いものであったから

なので この方は
スターになるというか有名になることというより
女優という仕事をする第一の目的として
実際の自分とはまったく別の個性を持った
別人を演じる(演じられる)ことの愉しみや悦び
そこにプライオリティを置き 
仕事の価値や意義を見出していたのですね

だから出演料が高いとか安いとか
共演者が誰であるとか監督やプロデューサーや
スポンサーがどうのこうのとか
そういうものは二の次だったわけです

で、恋人ができたとき 
恋人はそれが演技であり仕事であるとは言え
彼女が自分ではない他の男性とキスしたり
色恋的なシーンを演じるのが耐えられない
だから 結婚したらそうしたシーンは断って欲しいし
本当は引退して家庭に入り自分の妻としてだけ生きて欲しい

などと言われた時 
恋人からのプロポーズをあっさり断りました



また別の女優さん…Bさんとしましょうか

この方は家が貧しくて 親も病弱だった
たまたま容姿が美しく生まれついたので
スカウトされて女優にと 
提示された契約料が家計の足しになると
自分がそれをやりたいとかやりたくないとか
そんなこと考える間も無く
何よりも家族のためにもなる 生活のためと割り切って
望まれるままに銀幕へと自らの姿を晒すことになった

もちろん仕事として考えるからにはそこはそれ
演技の勉強もするし 周囲のアドバイスなども受け入れて
監督や演出家の指導のままに演技の研鑽も積み
見せ方や女優としてのスタンスや自らの美も所作も磨き
演じることの楽しさや仕事の醍醐味も知った頃
誠実な人との出会いがあり 悩み考えあぐねるも
経済的な問題も解決しており 
家族(両親)にそこそこの孝行もできていたので

皆の引き止める声 惜しむ声を振り切って
あっさりと女優業を引退し 
暖かい家庭へと自らの居場所を求めることに至った


二人の決断の違いは 価値観の違いでもあるし
同じ仕事に就いたとはいえ
その仕事をすることになった(していることの)動機
その違いでもあります

何のためにその仕事をしているのか…
ここがはっきりと明確にそれぞれ自覚があったから

女優(役者)という仕事に対する自分の気持ち 
女優(役者)という仕事から得られるものに対する気持ち
女優(役者)という仕事から自分は何を得たいと望んでいるのか
女優(役者)という仕事を選んだ目的と動機とかとか

それをしっかりと理解をして
自分の理解者であったが故に
自らの人生の決断も迷わずできたのでしょう


人生のターニング・ポイント

それに立たされた時

自分が人生で得たいものがなんであるのか
何のためにそれをしているのか

そのような目的がはっきりしていて
自分が幸せになるために自分には何が必要なのか
自分の魂を燃焼させることや心の満足を得られることが
どのようなものであるのか

それがわかっていたならば

さほど迷わないで済むでしょう

人は生きたいと思う 望むままの人生を
成りたいと思う自分に成って生きる権利を
誰しもが与えられているのですから

ただそこには何を優先するかという
限られている この世の人生の時間を生きる上での
これだけは絶対に譲れないという 
これだけは絶対にやっておきたいことや叶えるべきことを
理解しておかないといけません

でないと人生は駆け足であっという間にすぎてしまいますから
無駄なことに時間を取られて 本分に至るまでの序章で
タイムリミットを迎えてしまう可能性も否定できません

次に持ち越す前に 
今回の人生でこれだけは絶対という優先順位は掲げておくべきです


「愛と喝采の日々」原題 The Turning Point 1977
※日本語の予告編が無かったっっ

女性のキャリアに関しての
結婚(出産)か仕事を選ぶか…という問題を描いた映画に
「愛と喝采の日々」という映画がありました

バレエダンサーの女性ソリスト二人のキャリアの選択とその後
妊娠を機にキャリアを手放して結婚を選んだティーディーと
独身のままキャリアを積み その道のトップにあり続けるエマ

かつてティーディーの夫を挟んでの恋敵でもあった二人はそれぞれ
 
自分がもしかしたら彼女だったかも知れないという
自分が得られることのなかった未来(現在)の自分を羨み
無いものねだりをして葛藤し 手放したものを悔やみ 
変えようもない過去の選択をした自分を責め悩むのです

主演のシャーリー・マクレーンとアン・バンクロフトが良かったですし
ミハイル・バリシニコフ レスリー・ブラウンなども良かったです❤️



立ち止まって 足を止めて 
今を考えて 後ろを見て

自らの人生を振り替って
これで良かったのか これでいいのか?と
自らに問うような 迷いを禁じ得ず 

選択を迫られる分岐点に立たされる時が
誰にでも少なくとも人生に一度は訪れ
経験させられることがあると思います

そんな時に人は虚しいことと分かりつつも

自分にとっての「正解」を探そうとします

どうするのが一番良いことだったのだろう
自分にとっての本当の道 進むべき道はどれだったのか
もしもあの道を、もう一つの道を選択していたならば
どうだったろう? 違っていたのだろうか
向こうの道、別の道を選択するのが正解だったのだろうか?

この道は間違いだったのでは?
自分が幸福になれる道はもう一つの方だったのでは??

などと


言えていることは 

どの選択も間違いではないし
どの道を選んでも正しいし
今の道も間違えてはいないってことなんですけどね

正しいとか間違いとかそもそも無くて

進みたい道をその時に選択したって
それだけのことなんですが

輪廻転生の過程においては
その人生を生きるのが今か後かって話でもありますしね

目的地は決まっていて その目的地に行くために
たくさんの方法が 道(航路)があって
全部通ってから行くか 最短ルートで時短で行くか
同じ道を行きつ戻りつつ あっちこっち通ってみて行くか
こっちを通ってから あっちを通るか
あっちに行ってから こっちを通るか

そんな程度のことなので

ゴールに至るまでの
タイムリミットさえ気にしなければね




さて もう一つ やはり女優さんの例えで

Cさんという女優さん 
演技力はありますが いまいちブレイクしません
これといったヒット作に恵まれず パッとしないのです
そして とある小説に惚れ込んで
その主人公をぜひ自分が演じたいと切望します
で、原作者たる小説家に
映画化するなら自分が主役のこの女性を演じたいと熱弁し
あちらこちら奔走して 小説の映画化のために尽力し
念願叶って映画化され 見事主役を演じます

けれど残念ながら映画はヒットしませんでした

彼女はその作品が映画化されて 
その主人公を自らが演じることが出来たこと
この結果には満足でした
脚本もとても素晴らしいものでした

けれど一般大衆は
この作品の映画化には納得していませんでした

なぜなら 小説の主人公である女性のイメージと
Cさんの女優としてのイメージが
あまりにもかけ離れていたからです
演技力がどうとかそういうのでもありません

Cさんが悪いというのではなく フィットしないのです
この小説 この映画の役柄は
Cさんの魅力や個性を殺すものであって
まったくといっていいほど合っていなかったのです
(時代や人々が
求め欲している内容ではなかったのかも知れませんし 
見たいと思われる作品ではなかったのかも知れません
もしかしたら作品が不出来だったり
実につまらないものだったのかも知れませんが)

興行的に失敗したこともあって
事務所が借金を背負ってしまい
その責任を負う形でCさんはその後 
我を通すことができなくなって

「こんな役、自分は演じたくない」
「不本意だ」
と思うような役柄を引き受けないといけなくなりました

周囲が求めるままの彼女に与えられた役
彼女のイメージにピッタリという役柄を
演じることになったのですね

結果は大成功

映画はヒットし 興行的に大成功を収め
それまでパッとしなかった彼女の知名度は一気に上がって 
次から次へと出演依頼がやってきました


ようするにCさんは
セルフ・プロデュースが下手くそだったのです

自分を活かすことのできる道 
自分にフィットした役柄 
自分が世間から求められるポジション
女優としての自分の魅力を
最大限に引き出しアピールできる役柄
(ようするにハマり役)がどんな役であるのか
そういうのをまったくわかっていなかったのですね

でも他人はわかるんです
周囲のほうがそれはわかっている
(マネージャーと言われる人が客観的な視点で
商品としてのその人の価値をよくわかっていると
売り出し方がわかるので作品選びも大体うまく行きます
こういう世界って
本人の希望や意見を優先すると得てして失敗するものです
主観はあっても客観性がないから
だから良いマネージメントができる人とのコンビネーション
信頼関係を作れるそのような人との出会いはとても貴重)

Cさんはそういう自分を活かす道ではなく
こういう作品の中のこのような役柄を演じたい 
自分が演じたい役で評価されたい
そして 
他者からこういう女優だと思われたい
こういう女優と言われたいし見られたい

そういうところで自分の仕事を考えていたのです

でもそれはCさんが評価される道ではなかったのです
世間がCさんに求めているものではなかったといいますかね

周囲・世間がCさんに
称賛を送りたい(お金を払ってでも見たいCさん)部分と
Cさんが周囲・世間から
称賛を得たい(やりたいことでお金をもらいたい)部分が

不一致だったってことです


さて この場合
Cさんが女優という仕事を通して何を得たいのか
どのような結果を求めているのか…
によってもCさんがとるべき道が異なってきます

Cさんにとっての成功が
世間に認められる道とかお金をたくさん得ること
たくさんの映画に引っ張りだこで出演することとかだったら
周囲がCさんに求めるキャラクターとしての仕事をして
女優の道を極めるべきでしょう

けれどそのようなものではなく
世間に認められなくてもお金が得られなくても
方々から映画出演を求められなくても
自分が演じたい役を演じることが快感で
そのことに幸福感を覚えるのであれば
そこに価値を見出すのであれば
演じたくない役柄は断って三流役者と言われてもなんでも
我が道を行けばいいのだと思います

たぶん周囲や事務所はブレイクする道を選ばない
Cさんを愚かだと 自分の生かし方を間違えていると
せっかくのチャンスも棒に振ってとか批判するでしょうけど

世間の評価が何であるかなんて関係ありません

当人が自分の人生で何を得たいのか
何を最終的に収穫したいのか、ですから

ええ 究極を言うと
死ぬ時にどんな想いを抱いてあの世に旅立ちたいか…

それが全ての答えを導き出します

人生で得たいもの まっとうしたいもの
自分がやり遂げたいこと それが何であるか
ただそれだけですから

本人が満足いく人生であるか否か それだけなんですね

自分の人生なんですから 損も得もない

どちらも選ぶことができるし どっちを選んでもいい

そして私たちはいつでも軌道修正できます

2020/11/26

その日の氣分が明日を創り 思考が未来を導く

ちょっと間が空いてしまいましたが
「氣の持ちようが日常を創る」の続きになります

遅くなっちゃって申し訳ないです
















今抱いている感情 
胸の奥から湧きあがっていたり 渦巻いていたり
お腹の中に抱えている感情 今あなたが味わっている感情

それらのリアルに感じている感情が現実を引き寄せるんですね

と、いいますか

あなたが体感して所持している「感情(4次元)」が
「物質的な現象(3次元)」に顕現する 表現される

という法則があるわけです
(実際にはこの上に「思考(5次元)」もありきですが省略)

これらの法則のことを宇宙の法則と言ってもいいし
エソテリックな言い方だと
絶対存在の神聖なる計画という言い方を使っているし
宗教的にだと「神の法則」とも言えるし
この世的な言い方で量子物理学での法則と言ってもいい
シークレットやカバラの教えから来る言い方だと
引き寄せの法則と呼ばれてもいる

どんなところからの
何を基本とした見解で哲学的説明であったとしても
結局はみな同じことを言っています
捉え方の角度や言い回しが少し違うだけです
(認識のずれや知識の抜け落ちはありますが
元々のルーツの教えから枝別れしただけで
派生した知識は皆同じところからのものです)
 
その知識を聞く側の霊的成長のレベルに合わせての
言い方と説明の差異にしか過ぎないので


さてこれを別の切り口の言い方をすれば

感情が生じること
あるいは過去の感情を思い出すということで
人は現実界にリクエストを出しているとも言えます

この場合 霊的知識の言い方でいうと
4次元の世界で4次元の身体たる感情体
(サイキカル体)が反応することで想念体という物質
いわゆるエレメンタルが生まれます

(5次元の世界で5次元の身体たる思考体
(ノエティカル体)が反応することでも想念体という物質
いわゆるエレメンタルが生まれます
正しくは
5次元で先に創られたものにも4次元の感情が加わり
4次元で先に創られたものにも5次元の思考が加わるので
それによってエレメンタルの質が異なることになります)


このエレメンタルの混合配分(どのような感情か)によって
3次元に顕現され具象化される現実の事象が引き寄せられる
※エレメンタルの混合配分で波動(周波数)が決まるので
 ようするに波動の法則というものです

三つの身体に氣(エーテルバイタリティ)という
消費エネルギーであると同時に素材にもなる物質を取り入れ
三つの身体によって創られる(組成された)ものが
人間の記憶でありデータでもあるエレメンタル(想念体)です

このエレメンタルは一度作られると無くなりません
命を持って 死ぬことがないのです(人間の力では廃棄できない)

そして何度も使用すればするほど(読み込めば読み込むほど)
力を増して強くなっていきます 強力なものに育ちます
焼き増しされてコピーも創られます

そのエレメンタルを使うということは
エネルギーを与える行為であり
水や肥料をやって大きく成長させるのと一緒です


また得てして4次元で先に創られたエレメンタルは
感情(欲望)優先なので その欲望や小我を満たすために
5次元の思考や知恵を利用するので
(得てして悪知恵を働かせるなど利己的に走りがち)
ネガティブ・エレメンタルに育つ傾向があります

5次元で先に創られたエレメンタルは
思考(理性)優先なので 
計画的で建設的な思考に基づいて
そのアイデアや知恵を現実化しようとして
4次元の感情や感覚を利用するので
ポジティブ・エレメンタルに育つ傾向があります


でも大体の人が5次元からの思考や発想というより
4次元の感情的反応からのエレメンタルの方を
毎日大量生産したり
過去のデータを何度も読み直して育てるのに
自分のエネルギーを無駄遣いしています


一つひとつのエレメンタルは
その性質(成分)により波動が異なりますが
このエレメンタルが集合体になるとまた独特の波動を放ちます

そしてエレメンタルの集合体がそのままその人の性格であり
今生のパーソナリティのデータともなります
(日々新しいものも創られてデータ更新されているわけですが)

そしてその人そのものの特有の波動であり
この波動(集合体としてのエレメンタルまたは個別のエレメンタル)が
その波動に合わせたあらゆる事象を引き寄せる引力になるわけです

このエレメンタルの集合体に

①どんな波動のエレメンタルが新しく加わるのか
②既存のデータの中で何度も利用され読み込まれることで
 力を持って強力に育っていくエレメンタルがどんなものであるのか
③使われなくなってエネルギーの供給が断たれていくことで
 弱くなって力を失っていくエレメンタルがどんなものであるのか

そのようなことで人の波動は日々変わっていきます

エネルギーワークやセラピーで
過去の出来事にアプローチしていくことで生まれる結果は
まさに③ですが

そして
日々の気分(感情反応)からの影響は①と②を左右します

またこの感情的な反応を抑制したり
日々生産し続けるエレメンタルの中で
良質なポジティブ・エレメンタルを作れるか否かは
その人の思考傾向(どのようなことを考えて過ごすか)によります

またそれだけでなく
エレメンタル(想念体)を読み込むと同時に
素材を得てソフトの部分にあたるエレメンタル(想念体)を創り出す
生産機たるハードとしての三つの肉体の霊的レベル(霊性)の向上
これもエレメンタルの質や量そして
読み込むエレメンタルを選別していくことを左右する
重要なファクターになってきます





















さて 
エレメンタルは同種の波動のものを引き寄せますが
それにはもう一つ法則があって
3次元で顕現(具現化)する事象というのは
4次元で創られたエレメンタルの質量の
7倍のものになるというお約束ごとな方程式があったりします

なので
「足を踏んだ」から「足を踏まれる」のではなく
「足を踏んだ」ことが「足を骨折させられる」みたいな
そのくらいに大袈裟に膨らんで戻ってくるということです

少し言い回しを変えてみると
感情的反応(サイキカル体)によって創られたエレメンタルは
一度経験した感情的反応を再度経験しようとして
次は約7倍の感情的反応をサイキカル体に反応させようとして
それを引き起こすための物理的現象(現実)を引き寄せるのです
波動を発して自らを磁石として
自らを産んだ創造主(親)のために
創造主の目の前にそれをギフトとして顕現させる

そんな感じ

何度も同じエレメンタルを読み込むことは
まさに「もう一回!!」「もっともっとお願い!!」
と、そのエレメンタルにリクエストしている行動と同じなので

するとエレメンタルは
自分の産みの親で飼い主のために頑張っちゃうわけです
その願いを叶えようとして

7倍返しにしてくれちゃってねっっ

ここには当人にとって望ましいこととかそうでないとか
NOと言われていることだとかYESと言われていることだとか
そんなのは関係ありません

たくさんあるエレメンタルの倉庫の中から
自分を取り出して選んでくれる 
リピートして何度も使用してくれる

まるでジュークボックスにコインを入れて
BGMとしての音楽をリクエストして掛けるように

そんなご主人様のために
エレメンタルはひたすら成長して自分を増殖させて
そして7倍に増やして物理的状況や物質を引き寄せるために
頑張っているだけです

彼らは自分たちが創られた目的を遂げるだけというか
自分というものを表現するだけの存在なんです

怒りは怒りとして
悲しみは悲しみとして
笑いは笑いとして
喜びは喜びとして
苦しみは苦しみとして
満足は満足として
欠乏は欠乏として

自分たちを表現するだけなんですね


だから
怒りを抱いているとさらなる怒りを呼ぶことになります

自ら怒りのレコードたるエレメンタルに
リクエストを出しているということなので
そのエレメンタルは飼い主に怒りを味合わせるため
自分の7倍の質量のものを頑張って引き寄せるのです

悲しみはさらなる悲しみを
憎しみはさらなる憎しみを
不満はさらなる不満を 
不足はさらなる不足を
感謝はさらなる感謝を

争いは争いを
恨みは恨みを
喜びは喜びを
愛は愛を

となるのはそのためです
(その気持ちを再び味わうための経験ということをお忘れなく)

なので毎日どんな気分で過ごすかということは
とっても重要なのです
それは明日の自分に起きる現実を引き寄せる行為ですので

だから感情のIQたるEQを上げることはとても大切ですし
感情のコントロール 感情的反応の後の処理も必要です

自らのご機嫌取り 自分と上手く付き合っていくことも
マスターしなくてはいけません

そして自分の感情的反応の癖を知ること
自分がこれまで創ってきたエレメンタルのパターンを知ること
内省して客観的に自分を見つめてみて
自分という人間についてよく知ることも大事なことです

あとは考えること
しっかりとした考えを持って 信念や理想を持ち
なリたい自分になっていくために
その思考を建設的に使って 自分の取説といいますか
自分(感情)との付き合い方をマスターすることです

そして今創っているものを変えていくことから初めて
その上で過去にたくさん創ってきて倉庫に眠っているもの
その整理整頓をすると良いでしょう

過去に創ったものは
グループエレメンタルからの影響も受けているし
カルマのレッスンや現在のエレメンタルの
生産傾向にかなりの影響を与えていますから

でもまあ 
過去よりも先に
今を見直すことが何よりの優先順位で
まず最初にやるべきことですね

日々のパターンを見つけること
観察力を駆使して 今日の出来事が
昨日あるいは以前のどんな感情によって
引き起こされているのか
それを知ることができたならしめたものです

そのパターンに入らないもの
どう考えても原因が
数ヶ月以内の自分の感情にあてはまらないものが
カルマのレッスンや外部からの影響と判断されてもいい
物事に相当します




とりあえずこのくらいかな

また補足があったら別記事で書きます

まぁ この話は今までも何度も繰り返し
手を変え品を変え?ではないですが
そのおりに話させていただいていることでもあります

2020/11/19

他人に思われるは成ったも同じ - 下

昨日の続きになりますが
ネガティブな例についてまた少し話しておきますね

昨日書いたことは亡くなった人-故人に対する
大勢の人々からの先走った勝手な思惑や同情の念
噂からの想像などから創られた大量のエレメンタルが
鳥餅のように上からベタベタとドシドシのし掛かって
死者であり幽霊となった当人を身動きの取れない状態に
オリとなって閉じ込めてしまい 呪縛してしまった

そんな例になりますが
もちろん生きている人に対しても同様のことは起こっています

過去の記事の何れかにも書きましたが

他人から寄せられる想念
生霊というほどのものではないけど
その人に対するマイナスな印象や感想など
そうしたものがその人に吐きかけられた唾のごとく
その人のオーラに張り付いて(ケガレとなって)
周囲にドームのような虚像を作り上げ
当人よりも当人らしい着ぐるみのような姿となり

他人に対して
「それが本当のその人の姿だ」的な認識(誤解)を与える
イメージのディスプレイとなっていたのです

ちなみに以前 私が書いたモデルの人は
実像と他人が抱くイメージと対して差のない人で
そのような汚れもの(ケガレ)を集めてしまったのは
因果応報というか身から出た錆というか
自業自得以外の何モノでもありませんでしたが

このようなものがオーラに張り付いていたり
埋め込まれていたりすると 
もちろん波動も下がりますし運気も悪くなります

本当の自分とは異なるイメージのフィルムで覆われている
(パッケージされている)ようなものなので
他人から誤解をされやすいですし先入観も持たれやすいです

何よりもその人自身がとても弱い人 繊細だったり
環境や他者の影響を受けやすいような人であると
そのようなエネルギーにはすぐやられてしまいます
ケガレに毒されてしまうというのかな

エレメンタルというのは結局 とどのつまりがデータなので
そのデータを読み込んでしまうという状況にも陥ります

ようするに直接的な言葉や行動の刷り込みではないのに
見ず知らずの他人から送られたデータを自動的に取り込んで
行動してしまったりそのような言葉を口にしてしまったり
そのイメージ通りの自分を演じるはめになってしまう…
という実によろしくない状況を生む可能性があるということです

(呪いのシステムも結局こうした理論なんですがね)

そのデータとしてのエレメンタルが
その人にどれほどの力を持つか 
他人を支配するほどの力を持っているかは
創った当人の力にもよるし創られた年月にもよります
それと送られて受け取ってしまった人の状態ですかね

性格の強い人 氣の強い パワーのある人
ブレない確固たる自分を持っている人なんかは
他人のエネルギーを跳ね飛ばすことが出来ますし
精神的に弱っていたり肉体的に弱ってさえいなければ
大丈夫なんですけどね

そうでない人はモロに被ってしまうというか
たちまち毒されて送られてきたデータを取り込んで
自分のものとしてしまいます
困ったことです 不幸なことでもあります

SNSの攻撃も結局同じ結果を生みますよね
ネットに書かれた言葉として誰もが読めるから
原因(想念の発信元)が見える次元で特定できるけど
書き込みとかではなくても思っているだけだったり
当人には見えない届かないところで言われている
言葉など噂話なんかも同じです

芸能人や著名人はこういう見えない敵に
24時間365日さらされているから
ホント大変だなって思いますし
それに負けない強いスピリットを持っている人は
すごいなーって感心しますし尊敬に値しますよね

まあ、そういう人でないと伏魔殿な芸能界とか
生馬の目を抜くような世界では大成しないんだけども 






















てなわけで

そんな風に誰かに対して 
周囲の人でも無関係のあかの他人であったとしても
「あの人はこういう人だ」とかそのようなイメージを抱き
マイナスの感情や想念を創ってしまうと
時にそれはイメージの相手に届き
その相手のオーラに鳥餅のように張り付いて
エネルギーを汚すケガレとなり
その人の人生や当人自身の性格に
よろしくない影響を与えてしまうことになります


だから他人について語る時は
その表現方法とかよく考えないといけません

(私も夏から愚痴っていることでは大いに反省しないと)


そうですね 他人がその人に思うことは
大勢の人が同じことをその人に対して思えば思うほど
強力なものになります グループエレメンタルとなるので

例えば わかりやすい例で言えば

私は中森明菜ちゃんのファンなんですけど
彼女に対して 彼女のファンは

「明菜ちゃんには幸せになって欲しい」
と必ずと行っていいほど 口にするんですね

YouTubeのコメント欄なんか見ててもそう

みんな同じような想いを彼女に寄せているのです
送っているといいますかね

可哀想な明菜ちゃん 
あんにゃろーのせいで
傷ついて不幸な目にあっている明菜ちゃん
幸薄い明菜ちゃん
・・・てね


それって確かにファンの愛だし
彼女を思っての真摯な願いというか祈りではあるんですけど
実はこれって彼女を縛る呪縛でもあるんですよ

「幸せになって欲しい」とは一見いい言葉ではありますが
現在「幸せではない」という前提ありきの言葉なんです

すなわち「幸せではない状態だから幸せになって欲しい」

これは霊的な法則の観点からいうと実によろしくない

いつまでも明菜ちゃんを
「幸せになって欲しい」と皆が願わずにはいられない
「幸せには見えない状況」に縛りつけることになるから

だから 彼女の幸せ シンガーとしての活躍
ファンの前に現れてのステージ復帰を願うならば

「明菜ちゃんは今とっても幸せ」
「これまでにはない位、人生最高潮の状態にいる」
「良い歌を良いコンディションでいつも聞かせてくれる」

とかとか

そんな風に皆で思わないとなんですね

でないと私たちファンは
彼女に対して「幸せになって欲しい」と
誰もが願わずにはいられない状態の人生を
一生彼女にリクエストし続けているってことで
そういうファンであるが故の
お節介な罪を犯し続けてしまいます



















で、これらのことはもちろんプラスにも働きます

ここでようやくタイトル…に行き着くのですが

例えば お金持ちになりたいと思って
せっせと金運あげようと験担ぎをしたり
現実的な蓄財とか財テクとか頑張ってたとするじゃないですか

実際はまだ全然貧乏で
お金持ちとは言えるレベルには遥か及ばなかったとしても

周囲から
「あの人ってお金持ちなんでしょ?」とか
「お金持ちオーラ出てるよね」とかとか

お商売にしても何にしても
儲かってないのに儲かっているように見られたなら
景気悪いのに景気が良いように見られて
そのように他人から見られたり言われることが増えたなら
それはもうその通りのことが現実化している
お金持ちになったも同然ってことなんですよ

その逆で
昔は貧乏だったけど今はお金持ちの人のことを
周囲がいつまでも貧乏扱いして気の毒がっていたり
そういった目線の可哀想エネルギーを浴びせていると
またしてもその人は貧乏になってしまう…
という不幸も起きてしまいますね


また、ある人がまだ恋人がいないのに

「最近綺麗になったなあ 恋人できたんかなあ」
「恋でもしているのかな」「いい人いそう」
「きっと素敵な恋人がいるんだろう」とか

そういう その人には恋人がいるって想念送ったりして
それがその人の望みや求めと一致していると
応援エネルギーになりますし
ズレがあると、いないのにも関わらず
既に誰かのものであるということで
チャンスを逃させるものもなってしまったりもあります



だから 周囲が大物だって思って
この人は出世する 成功するって期待エネルギー
すごく大切なんですね

そう思われたならばしめたもの

自分が成りたい自分に 既に成っているものだと
周囲がそのように錯覚してくれたなら
その人はもうその人物に成ったも同然ってことです

そういうのは幸せな誤解で錯覚です

こういう期待エネルギー 
それを集められる人が願望成就させるための
応援エネルギーを人から集められる人で大成する人とも言えます


だからこそ 人に愚痴や泣き言は言わないほうがいい
物事が上手く行ってないときには
上手く行っていないということを人には言わないほうがいい

夢も理想も それを話す相手は選ぶべき…ってのは

こういうところから来ています

邪魔するエネルギーを送られるかもしれませんからね


ですので
自分が望まない現実 変えたいと思っている現実を
創る時に邪魔になるようなものは創らないことです

他人に「すでにそれを叶えている自分」を
イメージしてもらえるよう そのように見られてしまうように
良い意味で錯覚してもらって誤解してももらえるよう
そう見せること 演出力も人には必要なことなんですよ

他人から送られてくるエネルギー(想念というエレメンタル)は
自分の人生を彩るデコレーションになりますから
汚れもの ケガレとなる余計なものはもらわないのがベストですね

もらってしまったら取り除くしかないのですけど
受け取る前に受取拒否をするのがいいかなー 
それもなかなか難しいけど


他人にどう思われるか

これって結構大事です

問題を解決したいなら 夢や叶えたい未来があるなら

上手く行っていない自分を他人に見せるのはやめるべきです

(プロのギャンブラーは
ツいてたとき以外の話はしません
擦った時のことは絶対に話さず 
儲けた時の話だけ繰り返しします 
それは験担ぎでもあるし 
ツキを逃さないためのジンクスでもある)

上手く行っている自分 
成りたい理想の自分に成れているイメージを
周囲に持ってもらえるよう
セルフイメージをしっかりと創って
それを投影して 他人にも同じモノを創ってもらえるよう
自分自身をどのように見てもらいたいかと考えて
どのように見せていくかということも考えるべきです

そのような自分に見せかけるための言葉選び
雰囲気作りなど 自己演出も忘れずに


そしてあなたが
誰かの幸せや問題解決や改善 成功を祈ったり
物事が上手くいくことを願ってあげるのであれば
もちろん自分がその人に対して
差し伸べられる手助けや現実的な対処法を考えて
それを実行することももちろん大切ですが

ただ
その人の抱えている現実や問題たる状況を何度も反芻して
口にしたり心配したり不安に思ったり
最悪な状況を想像して考えるのではなく
大丈夫だと 上手く切り抜けている状態や
当人にとって望ましい状況が訪れていると
解決して安堵して喜んで 皆で祝福したり明るく笑って
とても良い状態にあるその人をイメージしてあげて下さい

それが一番のその人への応援エネルギーとなり
期待というエネルギーを投資することであり
素晴らしい未来を創るための素材でギフトとなるのです


そして その他人から送られてきた余計なエネルギー
ケガレを除去し お掃除して オーラとかチャクラとか
あれやこれや綺麗にして波動を整えるのが
ヒーラーとしての私のヒーリングのお仕事なのでした

と、宣伝しておくww
 (たまには営業活動もしないとね ふふふ)