2020/11/09

今あるものに感謝する
















人間というのは
つくづく無い物ねだりをする生き物なのだと思います

「足ることを知らず」とか「隣の芝生は青い」とか
「喉元すぎれば」…と言う諺が昔から表すように

とくに問題はなく何もかも満たされているはずであったとしても 
不足を見てはコンプレックスに悩み それを埋め合わせようと
多方面に期待して要求しては失望し 他者にも自らにも粗探しをする

もっともっとと欲望は尽きず あれもこれもと手に入れたがり
他人と比較して嫉妬してはマウントを取りたがり
どうでもいい自尊心に振り回され 物欲で空虚を埋め合わせようとし

全てを無くして挫折したり不測の事態で困難や貧困に陥って
何もかも失ってそれを救済されたとしても一時的な感謝と安心で
少し満たされることを覚えたならば礼を言う口も乾かぬうちに
謙虚さをどこかに置き忘れてすぐ不平不満に目を向けるようになる

私みたいに他者様の不幸や挫折からの立ち直りや
過去生からのカルマのレッスン及び因果応報的な問題を
俯瞰的な位置から眺めさせて頂いている立場にいると
特にそう思います

これは他人は己の写し鏡にして内省的観点での作業という
自戒の意味もあっての振り返り的呟きなのですが

その無い物ねだりが別のベクトルに向きさえすれば
欠点を克服させたり向上心を刺激して
新たな経験やスキルの獲得に繋がったり
眠っていた才能や潜在的可能性を開花させたりなど
当人を成長へと導くというプロセスへと成りうるんですが

そこに至れなくて苦しむ人は多いんですよね

苦労や障害を楽しめるようになるには
霊的な成長もそうですが
それなりの器と精神の成熟が必要になりますから




さて まだ学生の頃 実家にいた頃ですね

我が家はご多分にもれず貧乏でした

いやさ父親は地方出で高校中退の職人のわりには
結構稼いでいる人ではあったのです
皇居の昭和の大修復工事を請負ったところに
勤務して修行したから箔もついて工賃はよかったんですよ
50年前で年収一千万は稼いでいたみたいですけども
なのにまったく残らなかったしその恩恵に預かってない

何しろママンスキーで妹(叔母)一家に貢いでいた人だったので
母親に渡す生活費 妻と子に使うお金がほとんどなかった
いわゆる経済DVですね
だから母はいつも朝から晩まで働いていた 
内職とパートとか正社員と内職とか掛け持ちです
(でも母も子供にはお金を使わない人でしたけど<特に私には)

母方は貧乏の極みでしたけど
父方は遺産もそれなりに分配できる分には裕福でした
でも遺産は放棄しているから恩恵はなし
祖父母から私たちにと渡されたお金は使い込まれるし
両親とも揃ってしょうもねぇなぁ〜って感じww

それはそれでもう今となってはどうでもいいことです
(今の時代と違って昭和だったしね)


ある日ふと

姉と自分の掘建て小屋みたいな六畳の部屋にいて
(親が二階建てにするのが嫌だったので姉の勉強部屋として
後から庭の一部を潰して寄せ集めの建材で離れ部屋を作り
そこに結局わたしも押し込められましたっっ)

なんで私はこんなに貧乏な家に生まれたんだろう…と思ったんですよ

その前には直近の人生も思い出していましたからね
(今と違ってとても普通に暖かい家族<小3の夏に溺死)


すると ふっと

私はその昔 
物凄いゴージャスなお屋敷に住んでたことがあるじゃないか

って思い出したんです 体感的に
記憶っていうのかな 
その家にいた感覚 いる感覚を生々しく思い出したんですよ
当時の自分の家に住んでたときの部屋にいる感じ?
※写真の旧古河庭園よりはでかい家だった

誰かにそれを言われてるようでもあり
記憶の蘇りなようでもあり
ですけども

今の部屋というより今住んでいる家の敷地(庭と建物で30坪)が
当時の家の玄関くらいじゃんってくらい
大きな家に住んでいたじゃん…昔はって

ああ、そうだったって…体感的に思い出した瞬間に

ものすごくお金持ちで物凄いお屋敷に住んでたことあるんだから
今回は庶民としての貧乏な暮らしも経験するのも悪くないんじゃない? 
当時の家の玄関くらいの狭い家に住むのもなかなかないよ??

みたいに一瞬で発想が切り替わったんですよww

なんかストンと落ちた感じ


そうですね ちゃんと自分の部屋(寝室)があって
大きな天蓋付きのベッドで寝てて
それこそ今の自室くらいの衣装部屋もあって
洋服を自分で畳むこともなく管理してくれる人がいて
ちゃんと着せてくれて脱がせてもくれて
そういう人(お世話してくれるメイドさん)がいる生活してたわ
ヘアスタイルを整えるのも髪を梳かすのも
ぜーんぶやってもらえてたわー

ってのがね 瞬間的に蘇ったんですよね

だから私は洋服の整理とか洗濯物(洗うのも畳んでしまうのも)や
裁縫が苦手なのかーなんて言い訳してもいいですかね?ww
あとボタンのかけ間違いとか裏表間違えて着ちゃったりもっっ
それと自分の髪をセットするのもめちゃダメ苦手 
メイクもね テキトーですね
(何もかも全部やってくれてたもーん)


いやさ過去でずっと
お貴族さまな生活ばかりしてたわけじゃないですけどね
そんな人生もありましたってだけで
遊牧民も船乗りも山に引き篭もっての隠者的生活も
学問馬鹿だった学者爺としての偏屈人生もあるし 

でもこの、自分が過去に
「セレブ人生を生きてました」ってことを
思い出した経験をきっかけにして 

貧乏がいやだとか 
貧乏ったらしい惨めな鶏小屋かウサギ小屋のような
ボロ屋に住んでいることとか
その辺りについては あんまし思い悩まなくなりました
吹っ切れたっていうのかな

それはそれでエンジョイすればいいって考えるようになって
何か貧乏もエンジョイするものだ 
今しか体験できないことで 今だけかもだから楽しめばいい
という風に なんかそんなふうに考えるようになったかなー

でも 
やはり今でもマナーハウスみたいな家に住みたいですがw
(掃除と管理が大変ですので実質的には無理)
















さて先週は誕生日weekということで
友人にホテルスイーツブッフェを奢ってもらったり
ご近所のギャラリー茶房さんでの月一の限定猫カフェにおいて
お誕生日のディナーをリクエストで作っていただいて
みなさまにお祝いしていただいたのでした
(今月は予定なしのところ無理くり開いて頂いた<なので猫なし
名付けてソーシャルディスタンスな晩餐会)

ありがたいなあ 幸せだなあって つくづく思いました

上記の友人(看護士)とはコロナのせいもあり
9ヶ月ぶりに会うことになったのですが
彼女も私もシングルですけど彼女の場合
職業上 他人と会うのは職場からのお達しもあり
リスク回避から難しかったのです なのでようやくですね

そんな風に今年は定期的に会えていた人たちと全く会えてません
3月からですから半年以上で8ヶ月はそんな感じ

自分は良くても 相手に家族がいますから
こちらからは気軽に誘えないわけですよ
友人たちも自分はよくても家族のことを考えると
皆、二の足踏んでましたし

電話とかビデオとかの連絡手段があると言われても
妻や嫁 母という立場の人は
家族がいると電話でゆっくりは難しいですよ
結構ね お子さんや旦那さんが邪魔してくるし 
同じ家にいると落ち着いて話せないと皆いいます
(だから外出して直接顔を見て 家族の邪魔の入らない
家のことを考えなくても済む
解放された場でみんな集中して話したいわけ)

まぁ私の友達は
PCもスマホも持ってませんってアナログも多いし
(ガラケーですら持ってない人が一人いますよっっ)
私自身も電話は嫌いですしね

そんな感じで メールはできても様子伺いだけ
(あ、先月に一年ぶりの友人には会えたけども
いっぱい話せて楽しかったですっっ)

なんか痛感しましたよ

人って人と繋がってないと それを感じられないと
心がダメになっていくのね 心が死んでしまうっていうか

だからね
このコロナの状況下で通勤する職場とか同居人のいない私は
古くからの友人との直接的な接触を断たれていたわけですが
それでもこの期間に
ソーシャルディスタンスな距離を守りながらですが
ご近所で馴染みの人たちと顔を合わせて
たわいのないおしゃべりができるそんな場所があったこと
そんな集まって楽しい時間を分かちあえる人々がいたこと

そのことにものすごく救われていたんだよなあって
改めて実感しました

でなければおしゃべりな私はメンタルやられて
病んで廃人化して精神的に死んでいましたよww

歳を取ったのは悲しいし重い現実だけどww
もう誕生日を祝う年でもないだろうってのはあるんですが
でも幾つになっても
「おめでとう」って言ってもらえるのはやはり嬉しいもので

こうやって私の好きなもの食べたいって言ったものを
わざわざ多忙な中 作って下さって
(お料理は茶房のオーナーさん ケーキはご近所のOLさん)
手編みのプレゼントとか下さって 
お祝いしてくれる人たちがいて

SNSのメールや書き込みでメッセージくれたり

ブッフェに連れて行ってくれた友人もですが
私の誕生日を覚えてくれている人がいるのって

「おめでとう」って言ってもらえるのって
ものすごく幸せなことだなあって ホント
改めて思っちゃったのでした

そういうあったかい人たちが身近にいてくれる

それだけで自分は本当に幸せものだって十分じゃんって
素晴らしいものを持っているんだなって 
ありがたいなあって 実感しましたですよ


普段はそういうのってなかなか忘れちゃってて
気づけないんですけど

こうなれていないという現実や未だ手にできていないものにばかり
ついつい目が向いてしまって 空虚感や自分のダメさ加減だとか
コンプレックスとか自分が到達できていない状態や
叶えられていない目標や理想の方を見てはため息ついてますが

いったん立ち止まって 
自分がいま持っているものを数えてみることも必要なんだなって
ふと思ったりしましたですよ

ダメだしばかりではなく
自分がこれまで得てきたものにも目を向けてみる

持っていないものを数えるよりも持っているものを数えてみる

そうすることって大事ですね

自分が築き上げてきたもの 今の時点で所持しているもの

そういうのもたくさんあるわけです
無いものばかりではなく 有るものもある

居なくなったものもあるけど 居てくれるものもある

失ったものもあるし去って行ったものや切れた縁もあるけど
手に入れたものもあるし来てくれる人もいるし
未だに続いている縁もある 
それだけでなく 
きっとこれから出会えて新たに結ぶ縁もあるでしょう
過去に出合ったこととは別な 素晴らしい喜びや出来事もあるはず

できないことも相変わらずあるけどできるようになったこともある

若さは失われたけど歳を重ねて身に付けられたものもある

そんな感じで いま目の前にあるもの
自分が手にしているものに目を向けて
そのことに感謝してみる時間を持つこと
その恩恵を味わって 噛み締めて 大切にして
今のこの瞬間にそれらのものたちから幸せにしてもらっている事実
楽しみを頂いたり喜びをたくさん与えてもらったり
ハッピーな気分 幸せにしてもらっていること
ただただありがたいと充足するだけです

やってしまったこと やらなかったことを後悔して
過去を反省して 理想の自分でないことを責めて
失ったもの 持っていないもの
二度と手に入れられないものを嘆くより

いま目の前にあるもの 
手に入れられているもの 持っているもの
そういうものに目を向けると
自分はなんて幸せものなんだろうって気付けるものです

どれほど多くの豊かさと
人生の恩恵を与えられているかってことにもね

自分を気遣ってくれる人がいて
おめでとうと祝福の言葉を下さる人がいることに
楽しい時間を分かちあったりギフトしてくれる人がいることに 
ただ感謝するのみです

ありがたいことです♪

そして 色んな人にありがとう❤️




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