2015/10/31

講座とスクール~グループレッスンのこと

今開催しているエソテリックスクール(グループレッスン)は、
四年前から開催しているのですが、

半年間のサイコセラピスト&ヒーラー養成講座を終えた方たちから、
「中級者とか上級者向けの、その後のクラスは開催しないんですか?」
とリクエストをいただいて、始めたものです。


どんなことをやっているのか、というと、
まずは養成講座でお教えした基礎知識ありきでして、
その上でのひたすら実技というか、エクササイズと実践ですね。

ですが、
サイコセラピスト&ヒーラー養成講座という名称をつけてしまったことが、
誤解のモトなのかも知れません。

講座とかスクールというのも大げさかな。
自宅で開いてる、小規模な私塾程度のもんだし。

もちろん、
ヒーラーの仕事をしたりする上で、必要なその世界の知識を
(この場合、エネルギーとか目に見えない世界のこと)
十分にこの基礎講座でお教えしていると自負できますけど、
プロとしてひとり立ちするための、就職斡旋とか、
お商売のことを教えたりとか、そこまでは教えてないし。

だから、次に開催するときには、
そろそろ名称を変えないといけないかもですね。

養成講座は、ホント知識の詰め込みで、
エクササイズもトレーニングもやるけれど、
どちらかというと、スピリチュアリズム(心霊科学)
とグノーシスの教え(霊的真理)という理論についての講義がメインで。
カルマの法則とか、人が生まれてきた意味とか目的とか、
神とはなんぞやとか、人の身体の仕組みとか、
霊とは、死とは、転生とは、宇宙とは、とはとはとは・・・

みたいなことをとにかく。


でも、これはやはり序章にしか過ぎず、
その次の本番にいたるための基礎なんですよね。

メインは、その後のグループレッスンとしての
エソテリックスクールなのだと、実感させられます。


ここやんないと意味ないというか。


ここからのレッスン、本当の意味での学びをスタートさせるためには、
霊的真理についての知識がないことにはなんで、
「・・・養成講座」はそのための布石、
そこにいたるまでの前準備なんだよなーとつくづく思います。

エソテリックスクールというより、人間塾っていったほうがいいかも新米。


でも、やってることは単純なんです。
グループレッスンで学んでもらうことは、
「協調性」と「助け合いの精神」だったりします。

これなくして、サイキックな能力の開発はありえないんで。

ていいますか、
サイキックな能力を磨くこと自体にはあまり意味はないんです。
うちはそこに価値を置いていません。
スピリチュアルな能力とサイキックな能力は比例しませんし。
似て非なるものであり、鍛え方や必要なレッスンは違うから。

霊的な能力よりも、まずは人間力を磨くことが先ですから。
はっきりいって、サイキックな能力なんてどうでもいい。
うちではチャネリング能力や透視能力を磨くこと、重視してないんですね。
なので、そういうトレーニングはとくにやってません。

自分が抱えている問題と向き合って、弱点をひとつひとつ克服して、
リアルにいま目の前にある現実の出来事に取り組んで、
余計なものを手放して、エネルギーがキレイになって、
スピリチュアルな能力、人間力がついてくれば、
おのずと、そうした能力がついてくるからです。

人間力を鍛えずに、
自分の問題と向き合って、自分の弱さに打ち勝つことが出来ないうちに、
いたずらにサイキックな能力を磨くことはとても危険なことなんです。
ヒーリングスキルを身に付けるのも同じこと。

他人に対して悪意を持ったり、憎しみや怒りに翻弄されて、
自らの心をコントロールできないまま、
サイキックな能力を開発してしまうと、それは破滅の道を進むことで、
諸刃の刃以外の何物でもないから。


こういうのは・・・
私の過去の経験から、学んだことです。
私は今生においても、過去生での人生においても、
一人の「人間」としての人生や成長していくことをおざなりにして、
サイキックな能力を磨くことやマジカルトレーニングにばかり、
たくんの時間を裂いてきました。
(過去生ではそういう仕事ばっかだったんで)

結果、どうなったか。

未成熟な感情を持ったまま、サイキカルな能力を暴走させて、
周囲に迷惑をかけたり、自分で自分の人生を台無しにしてきました。
(中身は子供のままなのに、大人がすることをしてきたようなものです)
霊媒としての器を持っていたが故に、たくさんの霊を引き寄せて、
憑かれるままにもなって、多くの時間を無駄にし、
なまじ想念が強いだけに、怒りをコントロールできないことで、
自分だけでなく、周囲を巻き込んで、多くの弊害をもたらしてもきました。

性格的にも、とてもバランスの悪い人間になっちゃいましたし。


私自身の失敗、過去の痛みや経験から、学んだことが
このスクールでの教訓となり、
方向性とポリシーになっています。

誰でもない自分自身に、自分のサイキックな能力や、
目に見えないものに、振り回されないためにも。
きちんと自分自身の人生を生きていくために・・・
目に見えないものたち、世界と上手に付き合っていくために。

その方法を教えるために、
私と同じような経験をして、苦しんでいる人たちのためにも、
このスクールを開催しています。

(今回の人生で、子供の頃から、
自分に起きてることが何なのか判らなくて、すごく不安で苦しい想いをしました。
誰にも相談できないし、本を読んでも納得できる情報もなく、
自分は頭がおかしいのでは?と悩みましたし。
大人になってから、そういう仕事をしている人を訪ねても、
この仕事をしてから出会った人も、誰一人、私の疑問に答えてくれる人、
納得のできる説明をしてくれる人はいなかったんですね。
残念ながら『師』と呼べる人には出会えてないし。
だからこそ、私が『腑に落ちた』こと、『ああ、まさにこれなんだ』
って、心底思えたことを、かつての私と同じ暗闇の中にいる人に伝えて、
ナビゲーターとして、後輩たちのサポートをしたいなあ、と。
それはスクールを始める以前から考えていたことなんですよ。

自分と共有できる感覚や経験を持った人がいないこと、
相談できる人がいないのって、しんどいことですからね)


目に見えない分野、世界のことだけに、
逆に常識的で現実的な考えを持った上での判断力を示せることは必要で、
肝心なのは、ヒーリングスキルではなくて、ヒューマンスキルなんですよ。
知識はとっても必要だけど、それに頼りすぎることは良くない。
経験したことをきちんと咀嚼して、毎日の生活に生かせないと、です。
そのためには「自己確立」がもっとも必要になってるくる。

社会との間に接点を持って、仕事を持つことで社会参加もして、
自分の責任を持ち、与えられた役割分担を遂行しようとすること。

そして、広い視野と見解を持つこと。
自分のこともだけれど、他人のこと、周囲や世の中のことも考えられること。
思いやりと愛情をもって、行動できること。



スクールでは、

生徒さん同士でそれぞれが抱えている問題や悩みについて、
話し合ったり、それについてアドバイス(指摘)し合うなど、
意見交換をすることになります。

このレッスンのことを「守護霊会議」と言ってますけれど(笑)

躾的な「お叱り」、行儀作法的な突っ込みもします。
遅刻や約束事に関しての注意・・・時間守んなさいとかも言うし、
お掃除や後片付けとか、そういうのもしてもらいます。
性格的な指摘、耳の痛いこと、沢山言います。

つまりは、それぞれが皆のガイドさんになったつもりで、
その目線で、愛を持って、その人の人生を考えるわけです。
どうすればいい方向性に持っていくことが出来るのか、
願いや目的を叶えることができるのか、
その人が表している問題点をどうすれば克服できるか、などなど。

お互いに対するヒーリングもします。
その人の家族やパートナーに対するヒーリングも。

レッスン時に体調が悪い人がいたり、
大きな悩みを抱えていたり、人生上の岐路に立っている人がいたり、
サイキックアタックを受けている人がいたならば、
皆でその人に対するサポートをします。
全員で力を合わせて、その人や問題の種ににヒーリングもします。

ここで、
「なんで、私の問題ではないのに?」
って思っちゃう人は、ダメなんです。

他人の問題も、自分の問題としてあてはめて考えて、
そこから学んでいかないと。
他人の痛みや苦しみを、自分の痛みとして捉えて、
単なる同情や共感を超えたトコで、アプローチすることが出来ないと。

同じ地球に住まう仲間として、同胞として、
共に学ぶ友として、惜しみなく援助の手を向けることを、
頭で理解するのではなく、自然と身につかないことには・・・
実際に経験しないとね、なんです。


そんなわけで、「グループレッスン」なんですね。

世代も、育った環境も、職業も異なるもの同士、
ともに歩み寄っていく姿勢、協調性を持って関わっていくこと。

これが肝心なんです。
まさにそれなくしては、スピリチュアルな成長はないので。

そして、それが身についていない人、出来ない人は、
他人の問題に関わることは出来ないし、
ましてやセラピストやヒーラーなんて、無理なんですね。
それ以前の資質が育たないというか・・・


他人の問題やその人が表していることの中には、
たくさん学ぶべきこと、吸収すべきことがあるわけで・・・
自分と照らし合わせて考えること、違いを学ぶこと、
その人の感じ方や考えを知ること。
すごく大事です。貴重な学びです。

どうしてその人(クラスメイト)がそうなったのか?を観察することも。

人は、人間関係なくして、成長する機会を得ることはできないんですね。

他人との関わり合い、社会との繋がりを通して、
人は様々なことを学ぶことができる。


生徒さんそれぞれが、お互いの先生で、生徒でもあって。
全員が全員から学ぶことができるわけです。
そして、私も先生であるけれど、同時に生徒でもあるのです。

そういう意味で、うちのスクールは、
みんなで一緒に、学んでいる仲間同士なのだ・・・といったほうが正しいかも。


さてさて・・・
スクールでは毎回、想定外のことも起きたりします。

だから、あえてカリキュラムは必要なくて、
おおまかなことは決めてても、毎度イレギュラーなことが発生するので、
それはまさに、皆にとって必要なことで、予定調和なんだなあ、と。

まさにナマの授業が毎回で。


まあ、でも、そればかりでなくて、
ちゃんと基礎知識(養成講座のときに教えたコト)のおさらいとか、
エクササイズもやってるし、様々なことにたいする対処法とか、
そういうのもお話したり、実技もしてもらってますけど。

けど、生徒さんがリアルに直面していることが、
まるでちょうどいい練習材料になることのほうが多くて、
実施で見てもらう、体験してもらう・・・って感じにいつもなっちゃいますね。
交代で被験者になってもらっているというかーなんというかー

それから、先祖供養なども行っていたりします。
これは無理はしたくないので、一年くらいかけて、
ゆっくりと少しずつ取り組んでもらいますが。

その人自身の人生を生き、自分の問題に取り組むために、
余計な干渉としての、そうした家や先祖の問題が、
邪魔だったりすることはよくあるので、
まずそうした制約を外してあげると、
純粋にその人自身が抱える問題がクローズアップしてくるので。

(自らの血脈の先祖供養をすることは、
生徒さん自身にとって、実技の実践という学びにもありますが、
実際に体験して、様々なことを垣間見ていく過程の中で、
自分のルーツを知ったり、グループエレメンタルの問題、
人の業や想念の強さ、先祖が子孫に与える影響つまり
それらが自分や自分の家族に与えている影響を、
「ああ、だから、こうなんだな」と・・・
何よりも、身体で覚えてもらうのが大事ってやつですね。

しかし、人に歴史ありだけでなく、
「家」にもルーツあり。
色んなご先祖様、成仏できない想い、がたくさんあって、
本当に毎回考えさせられます。
自分自身が鋤や鍬になるまで働いたお百姓さん、
飢餓で亡くなった人々、戦争や戦乱でで亡くなった人々、
武士や農民や商人や、その他の人々・・・
たくさんのドラマ、生きた人々の足跡を見ることが出来るのは
面白いというと、軽薄な言い方になりますが、
なんとも感慨深いものがありますね)


後は本当に、学び始めると、皆さん色々なことが起こってきますね。
ツケが一気にやってきたり、避けていた問題と対峙させられたり、
「お試し」が来る人、「誘惑」がやってくる人も多いです。

だから、単純にスピリチュアルなことに興味があるとか、
霊能力を磨いて、人には無い能力を発揮したいというミーハーな人とか、
こういう技術を磨けば人生を思い通りに生きられるのでは?とか、
神秘的なこと、不思議な世界のことを知りたい・・・なんて、

そういう人にはおススメできません。

性格的な欠点にしても人生自体の問題にしても、
そうした問題ととことん向き合って、
自分の弱さと向き合う覚悟がないと、ですね。

変わりたい、人生を変えていきたいと、
心の底から思う気持ちがあって、
人生の秘密について、真摯に知りたいと
それを学ぶ気持ちがある人にとっては、
うちで提供しているグループレッスンは、
その答えを紐解くことになりましょうが。


あとはやっぱりそうですね。

学ぶ姿勢が必要かも知れません。

資格取得のための学校ではないし、
趣味の習い事や教養としてのお稽古事というのとも違うから。

養成講座の段階では、わりかし門戸を広く、
学びたいと思う人は気軽に受け入れてますけど。

その上の人間塾としてのスクールは、
「ぜひ教えてください」「ここで学びたいんです」って、
人しか受け入れていません。

以前は一年とか期間を区切っていましたけれど、
今は一年というのは目安でしかなくて、
続けたいならずっと、という感じで、
通ってくる人がいる限りは、生涯学習のように続けていきます。

でも、途中でやめるのは自由だし、お休みとか、
そして復活もありです。

ただ、私から、「あなたにはこれ以上、教えられない」と、
破門?にしちゃうケースもあります。

学ぶ意志の弱い人、覚悟が出来てない人・・・は自然と弾かれていきますね。
学ぶべきでない人、準備の出来ていない人も。
あとは「お試し」に引っかかってしまう人もいる。

残念なことだけど、仕方ないです。

それと合う、合わないっていうのは当然あります。
他にも、スクールはたくさんあるし、
素晴らしい指導者もたくさんいるわけで・・・

うちは他所よりは安いけど、手前ミソのワンマンスクールで、
へっぽこな私が、好き勝手にやってるとこだから。
私を信頼してくれて、「師」として考えられる人でないと、
ついてこれないと思いますし。


たぶんね。
皆さんに霊的真理を教えていくのは、私のライフワークのひとつです。

私が持っている知識のすべてを伝えて、
そして、個人セッションとは異なるグループ学習という形で、
それぞれの人の魂の「霊的成長」の機会、
学びの場を提供するってこと・・・。

どうやら、これは一生、やんなきゃいけないことらしいので。

実際、一人で学ぶより、皆で学ぶほうが、成長は断然早いんですよ。
こういうことを、ともに学ぶ仲間がいるっていうのは、
本当に貴重な体験で、なかなか得られる機会ではないんです。



生徒さんたちの、皆さんの成長する様を見るのが、
先生としての私の悦びであり、生きがいでもあります。


ちなみに今通って下さっている生徒さんたちは、
今生でというより、来世でその道に進まれる方たちになりますね。
そのための今の学び、スクールでの修行のようでして。
面白いもので、スクールに引寄せられてくる人は、
見えない世界の導きがあって、の人がほとんどです。
ほとんどの人が霊媒体質だったりもしますが。

今生で、これまでの人生・・・
過去生から積み重ねてきたネガティブな想念や生き方の垢や澱を落とし、
余計なものを捨て去って、いろんなしがらみを断ち切って、
本来の自分に近づくことをした上で、
来世以降、自分の人生を想いのままに創造して人生を展開していくこと。
そのための準備期間を持ってもらっているといったところでしょうか。

だから、私の役割というか責任は重大っっっ汗
皆さんを預けられている、任せられているっていう意味でも。


私もこのスクールを通して、皆さんから学ばせていただき、
成長させていただいているのだと、痛感しています。

スクールを始めてから、いろんなことがあったけれども。
お陰さまで、様々な気づきがありました。

流動的に、行き当たりばったりというか、
皆のリクエストに応えて、計画性もないままにはじめたスクールでしたが、
これをすることは、私にとってとても意味のあることで、
スクールを始めて、本当によかったです。

いろいろ合ったおかげの反動で、
かえって腹が決まったというか、
通ってくれる生徒さんがゼロになるまで、
一生続けていこうという決心がつきました。


というわけで、
これからも共に手を携えて、頑張りまっしょい!


相変わらず、先生としては頼りなく、
ダメダメな私ですけど、これからもよろしくネ。

(でも、レッスンは厳しく行きますよ。これからもビシバシとっっっ)

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