スピリチュアル・カルテNo.12「悲しき舞姫」
ファイルケースNo.12「T・Mさんの場合」
人は、楽しかったこと、幸せだと感じたことよりも
苦しかった、哀しかった、辛かったと・・・
なぜか、そうした痛い記憶ばかり覚えているものだ。
私たちが行動へと向かう動機の背景には、
「快楽」か「痛み」か、そのふたつしかないのだという。
哀しい記憶は、当然ながら痛みに属する。
誰しもが痛みを感じて生きるよりは、
快楽を感じながら生きることのほうを選びたいと欲するだろう。
しかし、心はそれを求めながらも、
人は半ば反射的にその「痛み」の記憶に引きずられ、
心とは望まない方向に、人生のパターンを作ってしまいがちである。
なぜならば、「痛み」は同時に不安であり、恐れでもあるからだ。
「また、あのようなことが起きてしまったら、どうしよう!!」
その恐怖が、
結果的に一番避けたい事柄を引き寄せ、
不安からくる痛みの感情に、
自分をいつまでも縛り付けてしまうことになる。
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その方・・・
ダンス教師であるTさんがいらっしゃったのは、
私がヒーリングの仕事を始めて二ヵ月目のこと。
偶然にもTさんが、
私の知人のアストロロジストのIさんと知り合いだったのは、
後に知って驚いたことだった。
さて、いらした時の彼女の状態はあまり好ましいものではなかった。
聞くと、集中力もないし(部屋が片付けられない)、
人の話を聞くことも出来ないし、手紙を書くこともできない。
何かひとつのことを最後までやり遂げることが出来ないし、
何よりも「人」が怖いという。
感受性が強くてすぐ泣き出すし、
病院で倒れたり、
点滴や注射を打たれるときにはパニックと痙攣を起こし、
(かといってパニック障害というのではなかった)
そんなわけで日常生活に支障ありまくり。
後日、Iさんから聞いたのだが・・・
何でも彼女は、自分からIさんを呼び出しておいて、
Iさんの話を聞かずに独り言をぶつぶつ。
コミュニケーションがまるでとれず
(話まったくかみ合いません・・・だったそう)、
あげく、「この店には来たくなかった。別の店に行きたかったのに~」
と、文句を言い始めるとか。
「人を、「会いたい」って呼び出しておいて、何さ!」
Tさんの態度に何度もIさんはキレた。
そして、
Tさんのそういう挙動不審?な態度には、
他の友人も怒り心頭だったらしい。
ようするに、典型的な憑依体質だ。
解る人には解るが、それを知らない人には
単なる「失礼で常識はずれな人」としか思われなくて当たり前だろう。
自分の普通でないそんな状態を、
誰でもない彼女自身が何とかしたがっていた。
「毎日生きているのがつらい」
かといって、精神科などに行くのは抵抗がある。
かくして彼女はダメもとでヒーリングを受けることにしたのである。
友人から私のところを勧められた彼女は、
最初は半信半疑で、不安大半、けれど藁にもすがりたい想いで・・・
カウンセリングの時点から、
彼女の神経がふるふると小刻みに揺れているのが解った。
オーラに触れると、擦り傷だらけというのかな、
穴だらけだし、変形しているし、もうボロボロ。
そんなわけで「中」にあるはずの氣がまったくない
(空の酸素ボンベみたいなもの)。
これでは、壁のない屋根だけの家に住んでいるようなもの、
はっきりいって霊が入り放題だ。
霊だけではなく、他人の感情・思考・念、邪気(汚れた氣)・・・
出入り自由といったところ。
こういう状態だと、何処からどこまでが自分で、他人なのか解らなくなる。
外部との境界線がないために、
すべてが自分だと思ってしまうし、その逆で自分が見えなくもなってしまう。
まずいことに魂も分離して(幽体がはみ出て)いる。
(オーラがこのような状態ではみ出さないほうが嘘だろう)
そして、エネルギーブロックが無数に存在していた。
※エネルギーブロック(エレメンタル)は感情のしこりみたいなもので、
肉体のレベルでいうと血栓とか腫瘍
(潰瘍・ガン・筋腫等)のようなものに例えてもいいかと・・・。
同じにもできないけれど、うむ。
そして、癒されていないインナーチャイルド
(アダルトチルドレン)の存在・問題があった。
母親に対する問題だ。
自分は母から愛されていないという想い。
十分な愛情をもらえていない、もらえなかったという枯渇感。
また、バーストラウマも抱えていた。
バーストラウマというのは、胎動を通る瞬間に負うキズのことで、
「生まれてきたくなかった」のに、「生まれてしてしまった」という想い。
あるいは出産のときの記憶が残っていて、
その時に感じた恐怖が居残ってしまった状態をいう。
当然ながら、過去生のキズも抱えていた。
初回のヒーリングは、あまり多くのことをすることが出来ない。
もちろん、この初回の、
ただ一度きりのヒーリングですべてが済んでしまうこともある。
だが、それは相手の状態による。
相手が準備の出来た人であるならば、
初めての、ただ一度のヒーリングで全部解決というのもありうることだ
(心霊の力を借りて行う『本物』のスピリットヒーリングならそれが可能だ)。
しかし、
Tさんの場合には何処から手をつけていいのやら・・・という状態でもあった。
まずはエネルギーに体をならす必要があるし、
次のヒーリングのための道を作るべく準備と、
応急処置的なことしか出来ないのが、実情だったりする。
オーラのチェックと簡単な修復、
幼少時のトラウマから作られたブロック数個を壊して、
クリーニングを終えた後、ベッドに横になってもらい、施療を始めた。
すると、まず
「五節の舞姫」という言葉が聞こえた。
同時に、年老いた夫婦が、いとおしそうに、10歳くらいの、
着飾った少女がほかの少女たちと踊る姿を
目を細めて眺めているのが見えた。
たぶん、平安時代だろう、12単だし、そういう寝殿造りの建物だから。
幸い、「あさきゆめみし(源氏物語)」が好きなので、
「五節の舞姫」がどんなものなのか、私は知っていたが。
その少女・・・Tさん、は彼等を
「ははさま、ととさま」と呼ぶ(そんなイメージ)。
2人にとって、この少女は年老いてから授かった子であったよう。
おじいさん、おばあさんって年に見えるもの。
当時は結婚早かったと思うから、老けてみえますわ、よけいに。
Tさんはこの時代、この両親にとても深く愛されていた。
蝶よ、花よと、大事に育てられていた。
この時、踊りを誉められたのが嬉しくて、踊ることが大好きになった。
もっともっと、上手くなりたいと思った。
その結果、巫女?として神社に仕えることになったようだ。
巫女というよりは、斎宮のようなものらしい。
奉納舞の踊り手として、選ばれたのだ。
これは家から通うものではなく、両親のもとを離れて、住み込むため、
まだ幼い子どもにとってはしんどい仕事でもある。
これは何処(御所?)からかの命令であったようで、
意義を唱えることは赦されなかったよう。
幼い彼女は両親と引き離されることになった。
そして、数年の後、世代交代?(年期明けか?)があったようで
家に戻ることになったのだけれど、家に戻ったとき、
年老いた両親はやっと授かった娘と
離れて暮らすことが精神的に応えたのか、
すでに2人とも流行り病で亡くなっていた。
(亡くなったから戻ることになったらしいが)
両親・・・後見人をなくし、兄弟姉妹も頼る人もいなかった彼女は、
嫁入りの話もないまま、
独身で寂しく世をはかなみながら生きたようだった。
次に彼女の抱える問題のもとになったであろう過去生が見えてきた。
一番最初に見えたのは、タイかミャンマーか、
国名は解らないが、アジアだった。
小さな戦争があって、彼女は負けた国から貢ぎものとして、
大勢の人々と共に、
その国の王の所有物(奴隷)になるために
王宮のようなところへと仕えていたのだ。
うーん。まるで、「王様と私」みたいだ・・・と私は思った。
ちなみに私が見たことがあるのは、
ユル・ブリンナーとデボラ・カーのですが、
あんなシャムみたいな感じの国でした。
彼女は踊りの名手で、
大勢召し抱えられている大勢の踊り子の中の一人だった。
王に仕えているからといって、
今みたいに王室ご用達みたいなのんきで誇れる身分じゃない。
すべては気まぐれな王の心ひとつに左右される。
自分の明日の命さえも。
例えば、
王様が「楽隊よ、音楽を演奏しろ!踊り子よ、踊りを踊れ!」
と手を叩いたなら、
どんな真夜中でもすぐに支度してそれに応じなければならず、
即座に反応できなければ、
命令に背いたとして「死罪」に値する重罪だったよう。
(なんて暴君だ!)
そんなわけで、
気に入られているからといって、命が保障されているわけではない。
気に入られているからこそ、
いないと目立つし、それゆえの気苦労も多いようだった。
まったく気にかけられていなければ話しかけられることもなく、
話しかけられなければ、自分の応答に相手が
気分を損ねるのではないかという心配をしなくていいからね。
王のお気に入りっていうのは、
それだけ、恐怖と背中合わせの状況に置かれるってものらしい。
たいへんなプレッシャーだったろう。
踊ることが好きで、国にいたときは、純粋に踊ることを楽しめばよかったが、
今は、王が満足する舞を踊らねば殺されるかもしれないということで、
踊ることを純粋に楽しめなくなっていたから。
ある時、彼女は恋をした。
自分と同じ奴隷の身分で、王宮?を警護する役に就いている人物と・・・。
2人は恋に堕ち、人目を忍んで庭で密会をした。
見つかったら、大変なことになるので。
(奴隷は王のモノで、手をつけて無くても王の女ということらしい)。
また、2人会っている間に、いつ王の気まぐれで
夜中に「宴会」が始まって呼び出されるかわからないので、
2人はいつもひやひやもの。
実にスリリングな命がけのデートですね。
で、まずいことにとうとう見つかってしまった。
そして、彼は処刑された。
彼女は罰としてえんえん踊り続けることを強制された。
彼女は泣き崩れ、踊ることができなかった。
王の機嫌を損ねたということで、牢屋のようなところに閉じ込められたが、
彼女は何も食べず、衰弱して餓死することを選んだ。
そして、次に いつの時代なのかわからないが、
南米のとある国が見えてきた。
思うに、建物が今に残る遺跡っぽいので、
インカとかアンデスとか、その辺りだと思うのだけれど。
たぶん、さっきのアジアのよりは前の時代・人生だと思う。
彼女は、やはり戦に負けて連れてこられた奴隷だった。
(こういうとき、芥川隆之とか小林清志じゃないけれど
誰かナレーターがいてくれると助かるのだが・・・)
よくは判らないけれど、
しょっちゅう少数民族のこぜりあいがあって、
戦のようなことは日常茶飯事だったらしい。
彼女はほかの人に比べて、肌の色が薄かった。
薄いというか、より白に近かったし、
女性であったので、他の人と異なる仕事についていたようだ。
それは神殿の中での何かの仕事だったらしい。
この辺りはよく判らなかったのだけれども。
ある日、また他の部族と戦争があって、奴隷が大勢つれてこられた。
男たちはいけにえにされる運命らしい。
たまたま、彼女は牢?のようなところで、
石に手足をしばりつけられたある男性を見て、持っていた水を飲ませた。
それは偶然だったようだけれど。
2人は互いの目を見ただけだったけど、
その瞬間、強烈に惹かれあったみたい。
(まるで少女漫画だ)
というかー彼女が一目ぼれしたというのが正解のようだったけれど。
そして、彼女は、彼を助けようとした。
でも、逃がそうとしたけれど、見つかってしまって・・・。
彼のいけにえになる順番は早まってしまった。
彼女は、殺されると不吉だとされる白い肌の娘だったため、
殺されなかった。
彼女は自分の失敗によって、彼が予定よりも早く死んでしまったこと、
助けられなかったことを後悔して、涙にくれた。
そう・・・
ここでの彼は、踊り子だったときに恋に堕ちた彼だった。
2人の最初の出会いがこの人生だったらしい。
ちゃんとした年代とかがわからないから、
時系列できちんと並べられないところがもどかしいところだけれど。
彼女が「踊る」ことが好きになったのは、
かつて愛情にあふれた両親に愛されていた娘だったときに、
「褒められ」「喜んでもらえた」からだった。
だから、彼女は踊ることが大好きになった。
けれど、一目ぼれした相手と悲劇的な別れをした後、
再び会えた人生のとき、
大好きだった踊りは「苦痛」を伴うものになってしまった。
そんなフクザツな想いが、現代の彼女に影を落としていた。
「自分は踊りを教えることしかとりえが無いのだけれど、
踊ることが苦痛で、苦痛で・・・そして、
それから踊りでお金をもらうことがまたしても苦痛で」
また、
自分のせいで二度までも恋人を死なせてしまった・・・という想いが、
己への罪悪感と嫌悪感となって、激しく自分自身を痛めつけていた。
そして、権力者に自分の人生をもてあそばれた経験から、
その手の権威者と呼ばれる人々への
激しい怒りと拒絶反応を感じるようになっていた。
それでいて、そのような人々のことを内心憎みながらも、
過去の「死」への恐怖の反射神経から、
彼らに逆らうことが出来ない矛盾を抱えていた。
自分がもっとも苦手で、避けたいと思っている、
権力をかさに他人を意のままに操り、
自分に逆らうものをつぶそうとする人物と、
縁を作ってしまい、生活のためにそれを切ることができないという状況を。
これは、自ら創り出してしまったパターン。
この大きなエネルギーブロック、
恐怖のおおもとを断ち切らないことには、前に進めない。
彼女自身が何よりも一番、この状況から早く脱出したいと考えていた。
当時はまだ一回6000円と安くしていたので、
6月から10月までは週に一回、その後は週に二回のペースで、
少しずつ、少しずつ、ひとつずつ後退と前進を繰り返しながら。
半年経って、ずいぶん落ち着いて、
周りの人も「もう大丈夫だ」というレベルにまでになった。
片付けられなかった彼女が、部屋を片付け始めた。
たつた四畳半の部屋を片付けるのに、
とても時間が掛かったそうだけど・・・。
また、Iさん曰く、
「前はコミュニケーション取れなかったけれど、
ちゃんと自分の状況説明ができるようになってて、
この間、みんなびっくりしていた。私もだけど」
とのこと。
そして、一年経って、
「踊り以外に何か手に職をつけたい」と言い出した彼女に、
私はボディワークの仕事を薦めたりなんかした。
ガイドさんからのメッセージは「エサレン」とのことだった。
その後、彼女はアメリカにエサレンのマッサージを習いにいった。
その前の年の6月には、
友人たちとでさえコミュニケーションが取れなくなっていた彼女が、である。
他の人よりは、彼女はとても時間が掛かった人かもしれない。
集中して通ってきてくれていた期間は一年で、さほど長くはないが、
週に一回ペースなど、回数としてはかなり来てくれているので。
「アメリカに行って、とてもよかった。
マッサージをして気持ちいいっていってもらえて、自分に自信が持てた。
この仕事でなら、お金を受け取ることに罪悪感を感じない」
レイキのアチューンメントも受けて、憑依体質もだいぶ改善されたようだ。
※アチューンメントが憑依体質を改善する唯一の方法ではないし、
もとより憑依体質というのは完全には治る、ということはありません。
それですべての問題が解決したということはないけれど、
彼女には、苦手なこともまだまだあるし、
社会に適応していくために必要な知識とか、処世術とか、
身に着けなければいけないノウハウもたくさんあるけども・・・
それは里の修行というか、なんというか
生きることそのものが学びなのだから、日常生活や人間関係の中で
少しずつ培って、悩み、考えて、進んでいくしかないこと。
その過程においては、
もちろん「痛み」を経験することも避けられないのだけれど。
でも、もう同じ迷路には迷い込まないだろう・・・(と思いたい)
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その後、年賀状やお礼状を頂いたり、
一年後にTさんを紹介して下さった、
とある方のイベントにて再会することになったが、
私を見つけてわざわざ席まで挨拶にいらして下さり、
その笑顔は明るく、物腰も落ち着いていたので、
「この様子なら、大丈夫そうだな」と思った次第。
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