ケースファイルNo,30 T.Mさん(20代)の場合
(※タイトルは、某時代劇のオープニングナレーションの〆言葉より。
古い作品だから、知ってる人は少ないだろーなぁ・・・
内容的には、番外編かな~と思わなくもないけれども、
とりあえずケースファイルのほうで作成しておきます。)
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「いいも悪いもリモコン次第~♪」
と言っていたのは、懐かしの鉄人28号の歌詞。
今も人気のガンダムやロボットアニメ全盛期の作品、
地球を救うために原子力爆弾抱えて太陽に自爆テロ?をしたアトム、
とかはさて置き、
鉄人もジャイアントロボもポセイドンもロプロスもマジンガーZも、
(ほとんど横山光輝キャラやねん)
みな、思考や心といった判断力がないので、
ピュアで正義感の強い少年や善良で常識ある大人たちから、
非常に利己的で世界征服なんかを狙ってる悪人たちへと、
リモコンが渡ってなんかしまった日には、
一瞬で、人々を救う正義の味方から、
悪魔の破壊者または殺戮マシーンへと変わってしまう。
(大魔神はいちおう神さまで意志があるし、
ゴジラやガメラはロボットではないので・・・って、何の話やねん)
強大な力そのものである彼ら、ロボットという道具が、
良き行いをするか悪しき行いをするか・・・というのは、
彼らの操り方次第、すべてリモコンを扱う人次第というわけ。
武器や兵器も同じ。
刃物もそう・・・
刃物そのものが悪いのじゃない。
本来の使い方ではなく、人を傷つけたり、
殺めたりする道具として使うことに問題があるだけ。
ノーベルは、
鉱山や炭鉱で働く人々の重労働を軽減するべく、
硬い岩盤を打ち砕くダイナマイトを発明したわけだが、
意図とは反して、
人を効果的に殺戮する武器として用いられるようになり、
そのことに強い衝撃と罪悪感を抱いた。
(贖罪の意味を込めて、
莫大な利益の使い道としてノーベル賞を設立した)
アインシュタインの原子力もしかり。
人類のための便利な発明、偉大なる努力は、
創造者の意図を超えたところで、都合よく一人歩きさせられる。
魔術や呪術といった、
古来からのスピリチュアルな叡智やサイキックな能力もそう。
本来、魔術に白も黒も存在しない。
どのようなことを目的として使われるのか否か、というだけの話。
自然の摂理に則って、
世のため、人のため、良き目的のために行われるのか。
それとも自然の摂理をねじまげて、
私利私欲のため、エゴイズムをかなえるために行われるのか。
能力それ自体や技術、知識や方法に罪や咎があるのではない。
それを扱う人が、何のためにそれを行うのか・・・
どのような目的のために、その智恵や技術を使うのか・・・
すべては、扱う人間次第なのである。
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「ここのところ、どうにも背中のある部分が痛くて仕方ない。
もともと背中は弱点というか、何かあると痛くなるし、
以前からこの箇所に違和感があって、
そろそろ何とかしないといけないかなって・・・」
そうTさんが連絡をくれたのは一ヶ月ほど前。
視ると、その部分に関しては、
他人からコードを刺されているというわけではないし、
外部の、他人由来のものというのではない模様。
第一印象では過去生のパーソナリティのエレメンタル、
もしくはそれに帰属するものっぽい。
「自分で視てみようか。そのほうが早いから」
生徒さんでもある彼女のこと。
こちらでリーディングはせず、
レッスンも兼ねて、自分で見に行ってもらうことにした。
ヒプノで自ら過去の情報を読み取ってもらう場合、
半覚醒状態に入ってもらうための手順というのがあるのですが、
ある程度の知識やヒプノに対する「慣れ」のある人、
またはサイキック的素養のある人の場合は、
そういうまどろっこしい方法はとらず、
対象物となる「エレメンタル」の情報を、
ダイレクトに読んでもらうことをしているのです。
さて、
そのエレメンタルの中に焦点を合わせてもらった結果、
Aさんは自分が、森の中に怯えて隠れている女の子、
としての過去生を追体験することになった。
そこは東南アジアのある国。
情景や話から察するに、
タイとかカンボジアとかあのあたりではないかと思われ。
彼女はひどく怯え、見つかることに強い恐怖を覚えていた。
何故、まだ幼いその少女が、
一人で森の中に隠れているのか・・・
それは「生け贄」として選ばれたからで、
自分が次の儀式の贄となることを知った彼女が、
「生」への可能性を賭けて、
本能的に村を逃げ出したからだ。
まだ恋も知らない、親に甘えていたい年頃の少女なのに。
「生け贄」は彼女が始めての犠牲者というのではなかった。
年に数回、季節の儀式であるとか、
あるいはその年の気候の状態によって行われていたようだ。
国は違うが、歴史的には
マヤやインカ、アステカ文明などの
神の供物としての血の犠牲が有名どころだろう。
日本でも昔は、
水神に人身御供を差し出したり(泉鏡花の「夜叉池」とか)、
橋や城を作るとき、人柱という惨いことをしたもんだ。
そもそも人身御供なんて正気の沙汰じゃない。
神への供物だなんて、詭弁もいいとこ。
単なる血の祭典なぞ、本来の神が喜ぶことではない。
むしろ神を冒涜し、汚す行為にも等しい。
迷信と盲目的な宗教観が支配していた古の時代。
そして偏狭かつ貧しい地域では、
そうした馬鹿馬鹿しいことがまかり通っていた時代は
都市部よりもいっそう長く、
人々の意識を深く蝕んでいたであった。
それでも人の命を、家族の命を・・・
差し出すことを喜ぶものはいなかったと信じたい。
けれど、それをしないことで
災いが多くの民や自らの身に降りかかることももっと恐ろしい。
自然災害や災厄のことを神の怒りやおぼしめしと捉えていた時代、
病や死といった抗えない事象に対する恐怖は、
科学の発展していない昨今より、より強いものだった。
集団ヒステリーのような狂気や迷信が、
人々の良心を麻痺させていたにしても、
そのような者たちの畏敬と尊敬を集める立場にあるもの・・・
神への仲介者であるシャーマンや司祭、神官たちが、
真の宗教者であり、それにふさわしい人格者であったなら、
本当に神と交信することの出来るものたちであったなら・・・
神への供物に人の命や肉体を差し出すことなど、
考えもつかぬことであったに違いない。
それが彼らの神の望みではないことがわかったはずだ。
旧約聖書の中で、神がイサクを試したように。
ホンモノの命、血の贄など求めていないことを。
けれども、人々の恐怖心をあおり、そこに付け込んで、
自らの権力欲や征服欲の奴隷とすることを欲するものであったなら??
さて、喜んで自らの身を神に捧げようなぞと、
それが狂気の沙汰であり、納得などできようはずもない彼女・・・
はその村を飛び出した。
たぶん状況的に
具体的に逃亡を手引きするものはいなかったであろうが、
あえて見逃すというか、捕まえることはせず、
彼女が逃げることに目を瞑ったものはいたようだ。
どうも親戚らしい。
決して大きな集落ではないから、当然だろう。
しかし、彼女は捕まってしまった。
そして、神への供物にされてしまった。
四肢は切り刻まれて・・・
内臓は取り出され、鳥に与えられ・・・
そして、残った身体は、
普段は大きな石の蓋がかぶせられている
人工的に深く掘られた穴の中に捨てられた。
この少女のこのときの無念・・・
何のために生まれたのか、
こんな風に殺されるための人生だったのか・・・
そんな虚しさややりきれない哀しみ。
納得できない「死」、
突然に残酷な方法で人生が絶たれたことに対する慟哭。
その浮かばれない死を迎えた人生、
過去生の人生が詰まったカプセルのようなもの(エレメンタル)が、
Aさんの背中に埋め込まれるようにして張り付いていた。
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この少女としてのAさんの過去生、は
わかりやすくいえば、成仏していない人生ということになる。
新しく生まれ変わった自分の幽体部分(サイキカル体)の背中に、
まるでピノコ(畸形嚢腫)のように、存在していた・・・というように。
※そういうのはままある
いつもだったら、
この少女を慰めて、癒して、
何故この人生を生きる必要があったのか、
この人生の意味とか、学びとか、そういう話をして、
あれこれなんやかんやして・・・だけれども、
この場合は、ちょっと違った。
彼女の意識は、Aさんの体の一部としてそこにありながら、
それは本当に一部でしかなく(記憶の玉みたいなもん)、
本体としてのエレメンタルは、実はまだ犠牲となった土地にあるので。
そしてなおかつ、
Aさんの過去生でもある少女だけ救済することはできない、
という特殊なケースでもあった。
その穴倉・・・の中には、
彼女だけではなく、たくさんの若い女性、
幼い子供たちの浮かばれぬ存在(既にエレメンタルだけど)がいて、
ちょっとこれ、なんとかしないとー
でもアリ。
Aさんの過去生でもある少女にしても、
自分だけ助けられても、、、嬉しくないというか、
そこでまた罪悪感感じちゃうというか、まあアレで。
この「生け贄」の儀式はそうとう長く続いていたらしい(伝統?文化?)。
新しくなるにつれ、犠牲者が若く、幼くなっていったということは、
生け贄となる女性の数が減ったことがどうやら原因らしい。
最初東南アジアで、神に生け贄を捧げて・・・というくだりで、
インディ・ジョーンズの映画を思い出してしまった。
ある意味で、この彼女が犠牲になったのも邪教なのだろう。
さてさて、
Aさんの過去生でもある少女・・・
とその他の犠牲者たちを上げよう、としたとき・・・
思い切り邪魔が入った。
どうも、この邪教?の代々の神官たち(グループエレメンタル)。
そしてその時、
彼女たちは、ただ「生け贄」の名の下に殺されて、
肉体を利用されていただけでなく、
死してなお、そのエレメンタルを利用されていたのだと・・・
そのための「生け贄」でもあったのだと、気がつかされた。
例えば、
陰陽道やなんかしらの呪術とかで使役のものを作るとき、
植物の木霊とかを集めて、それらを作ったりするし、
憑き物筋を作るときは、動物を殺してそのエレメンタルを利用する。
人のエレメンタルも、そういう利用の仕方が出来るのは事実だ。
道教のキョンシーもブードゥーのゾンビも、
死んだ人のあるものを利用して作るのは同じだが。
アレは器であり輪郭としての肉体のあるものを使うので、
ちょっとというかかなり違うけど。
応用という意味では、どっちかを知っていれば、両方出来たりする。
だからこそ、開示すべきではない方法で、
人が知ってはいけない知識であり、教えてはいけない知識でもある。
人は悪の心と利己的な意識に流されやすいので。
この「生け贄」の儀式はそうとう長く続いていたらしい(伝統?文化?)。
新しくなるにつれ、犠牲者が若く、幼くなっていったということは、
生け贄となる女性の数が減ったことがどうやら原因らしい。
話し戻って・・・
彼女たち、犠牲者たちのエレメンタルは、
そうした死したものたちのエレメンタルを利用する方法を
代々伝えられ、知っていたものたちによって、
あるよこしまな目的のために悪用されていた。
うわあ・・・話が大きい。
さて、どうしようか。
すると、とあるヒンズー教の神さまに頼めと。
「ああ、こいつら、
この神さまの名前を騙って、悪いことに利用していたんだ」
※その後、ネットで調べて、
その神さまへの生け贄の死体の利用の仕方に納得
うん、だからそうなんだと。
さて・・・どういう風に対処したかは、割愛します。
(神さまの名前も直接的に書くのはNG。
内容も導入部分のおふざけはともかく、
茶化してはならないし、興味本位では×で、
真摯に書けと・・・
この記事書いてて二回もPC落ちました)
邪魔ものがいなくなったところで、
過去生の彼女自身に同じ犠牲者たちを救済してもらい、
血を吸った大地、その土地を浄めてもらった。
Aさんではなく、
過去生の彼女にそれをしてもらうに意味があり、
そのことが重要だったりする。
何故かというと、
彼女の人生に生まれてきた「意味」をもたせることが必要だったから。
犠牲になったことは不幸な事実だけれども、
彼女の前に犠牲になった人、彼女のあとに犠牲になった人、
彼らの魂をいまこの瞬間に解き放つことをするために、
そのためにあなたはそこにいたのだと・・・
その瞬間、
彼女の哀しみに同化して涙していたAさんの顔に、
穏やかさと明るさが戻った。
背中の痛みは以来、無くなって、とりあえず・・・
大丈夫・・・かなあ。
過去があるにせよ、錯覚にせよ、
プラセボ効果で、痛みがなくなっているとしても、
それはそれでまあ、いいでしょうっっっ
痛みがあるよりはないほうがいいんだから。
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そんな風に、
死してなお、利用される人がいる。
それを利用しようとする存在がいる。
生前の肉体を支配するだけでなく、
死して屍となった骸をも支配し、
抜け殻としての残留思念・・・
その時の人生のパーソナリティ(プレゼントパーソナリティ)を、
邪悪なエゴイズムのために操る人々がいたりする。
神の名のもとに、命を持て遊び、
自然の摂理に反することをする人々がいる。
他人の命をなんとも思わず、
まるで駒のように、自分たちの道具として、
ただ利用するために、人生を奪う人たちがいる。
本来、そういう秘教(秘術)的な方法は、
ある段階、精神レベルに到達したものでないと使用を許されないもの。
まして、利己的な目的で用いられるためにあるものでないというのに、
それを悪用するものがいたりする。
賢者の石というような物理的なものは存在しないが、
そう例えて騙られてきた、あるものは存在するわけで・・・
けれどそれをもしも手にしたときには
利己的なエゴイズムを叶えるために使われるのは必須で、
たがゆえに人が使うことは許されないし、秘密も明かされない。
鉛や銅を金に買え、石ころをダイヤに替えるものとして、
それを手にしたい、秘密を知りたい、と思うものは、
決して手には入れてはいけないのが、賢者の石なる神の力。
無から有を生みだす変性の、創造のエリクサー。
宇宙の真理を知り、神の意志に叶うものが使えば、
それは愛の創造となる。
善の心を持ち、良心の声に従うものが使えば、
木霊も式神もエレメンタルたちも眷属となり、
人々のために使役する、護法となる。
けれど、
悪の心を持ち、利己的な欲望を叶えんとするものが使用すれば、
それは邪法であり、
意志のない彼ら・・・は、他者を脅かす邪悪な使い魔、憑き物となる。
誰がために・・・何のために、彼らを生み出すのか。
死した骸を黄泉の国手前で呼び戻し、
再び命を吹き込み、役を命じようというのか・・・
自分のひとつの人生が、
他者の利己的な自己満足や邪悪のために利用されるなんて、
たまったものじゃない。まったくもって冗談じゃない。
村人のため、人々のため、神のためといいながら、
迷信や邪法のために、犠牲にされるなんて、ふざけた話だ。
そんな非科学的な黒歴史は、二度と繰り返されてはならない。
人が人の命を踏み台にしていい理由なんて、どこにもない。
そんな恐ろしいことは、この地球上にあってはならない。
そして、命を弄ぶ邪法も封じられなければならない。
そのようなことのために、霊的真理や心霊科学があるのではない。
たとえ、意志のないエレメンタルであったとしても。
神の計画に反することのために利用されるべきではない。
人は決して、人であることを超えてはならない。
それ以上の力を欲してはならない。
分をわきまえて、正しく力は使うべきである。
何故なら、人の心は弱く、
未だ悪の誘惑に抗うすべを備えていないからである。
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