2015/10/31

スピリチュアル・カルテNo,23「過去からの贖罪」

ケースファイルNo,23 「Tさん 30代」の場合 


ちょうど、yahooのトップニュースに、
「再建で4年ぶりにわが家へ」というタイトルで、
四年前に起きた、耐震偽装マンションのことが載っていたので。

ここに書くことの許可をもらいつつ、書きそびれていたことをそろそろ。


"金持ちの世界は面白いに違いない
金持ちの世界はいつも晴天
金持ちになれたらホントいいのに"

・・・は、ABBAの「Money Money Money」

"世の中、お金さえあれば、ザッツオールライト!"

そんな風に歌っていたのは、シンディ・ローパー


世の中には、お金が大好き、お金さえあれば・・・と考える人は多いし、
お金がすべてと考えて、お金に価値のすべてを置いている人もいる。
わずかばかりのお金のために、人を殺したり、騙したり・・・
楽して大金を儲けようとする人たちも。
いまは生きるためではなく、贅沢をして、楽に好きなことをするために、
お金を稼ごうという人の、なんと多いことか。

それはそれでとても貧しい考え、生き方ではあるけれど、
無理にお説教をして考えを変えようとしても、無理なこと。
今のところ、まだ彼らは、その段階に「いる」に過ぎない。
いつかきっと、彼らも後悔することになる。
そのツケを自ら払わなくてはいけない時が、必ず来るのだから。


お金、お金・・・
それは単なる「通貨」に過ぎないのに、
人を振り回し、社会を牛耳ったりもする。
あくまで何かと引き換えに、得るための「道具」でしかないのに、
人はその道具としてのお金に操られ、運命を狂わしもする。


さてさて、そうはいうものの、
一方で、お金を稼ぐことが苦手な人たちがいる。

とくに職人気質(かたぎ)と言われる人なんかそう。
自分の仕事にプライドを持ち、めちゃこだわりを持っているくせに、
その仕事自体・・・「作品」をお金に換算するのが苦手で、
請求することが出来ない人たちが。

「金なんかのために仕事をしてるんじゃねぇ!」といいつつ、

お金が無いと生活出来ないのが現実なのに、
ただ仕事の腕だけを認められることを欲していたりする。

こういう人が家族を持ったりすると、
家族がものすごく苦労するんだけどね・・・。
コストパフォーマンスをめちゃくちゃかけるから、
「売り上げ」が出なくって、結果、赤字みたいな。

(うちの母方の祖父がそうでした。大工でしたけど、
300万で仕事を請け負ったなら、材料費に300万かけて、
アフターフォローまで無料にしちゃうような人。
自分の作品としての建てた家を眺めて、悦に入るような)

また、お金を「汚いもの」と捕らえて、
お金を受け取ることに抵抗を示す人もいる。

「お金持ちは嫌い!」と、
僻みとか妬みとか、コンプレックスを通り越した、
過度な嫌悪感や拒絶反応を持つ人も。

こういうのは、お金のトラウマっていうのかな・・・
お金にまつわる事件に巻き込まれたことがあったり、
お金に対する「うらみ」を抱えていることから、だったり。

親が多大な借金をして、その返済で苦しめられた、とか・・・
遺産相続の醜い争いを経験してしまったり、
大金を手にしたとたん、親戚や友人が増えて・・・なんて、
そんなこととか。


「お金」と健康的な関わりをもてない人の中には、
自分をきちんと認めることができないというような、
自己評価が低すぎる人も少なくなくて、
なおかつ、愛情に関して問題を持っている人も多かったりする。
「自分は愛される価値がない」というような。
だから、
「自分の仕事に対する評価としての代価、
 それだけの金額を受け取る価値がない」としてしまう人。

今回は、そんな風に、

「私なんぞが、お金を頂くなんて、めっそうもない」

みたいな、トラウマがゆえに、お金に縁遠くなっていた方のお話。


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その方は珍しく、
紹介ではなく、雑誌での記事から、サイトを見ていらして下さったり。
といっても、ヒーラーとしての記事ぢゃなくって、
占い師としての特集記事かなんかだったかと・・・
でも、その雑誌が出てから、一年くらいは経っていて、
つまりは、雑誌の記事を見かけてから、連絡を入れてくれるまで、
いろいろと悩んで、いくべきか否か、相当迷いがあったと言うこと。

ちょうど、
例の耐震偽装事件が世間を騒がしていた頃だったので、
訪れて下さったのは、四年前だったかと。


デザイナーの仕事をしてらして、フリーでやっていたのだけれど、
数年前に、たまたま出席したセミナーで知り合った人たち数名と、
会社を興すことになり、出資金を出し、
役員として名を連ねることになったものの、
実質、給料ナシのような状態で、会計も責任の所在も不明瞭で、
何かスッキリしない状態のまま、仕事だけが多忙で・・・という、
そんな現実的な問題に直面されていて、当方に相談にいらした次第。

普通に考えても、腑に落ちない、おかしな点が多かったし、
別の視点から見ても、その人たちと共同経営のカタチを取るのは、
リスクがあまりにも高すぎた。

彼らがビジネスのパートナーとして相応しい人か否か見極めないうちに、
自らリスクを背負うことをした彼女自身にも、もちろん責任はあった。
彼らとのやり取りにしても、いいように流された感はありありだけど、
相手の巧妙さというよりは
(決して彼女を騙そうとしていた人たちではない)、
彼女の性格的な弱さ、自己主張や意思表示が出来ない、
ノーとは言えないコミュニケーション能力の問題が、
表面化し、招いた出来事ではあるから。

重ねて言うが、
決して、共に会社を興すことになった、
その人たちが100%悪かったわけじゃない。
もちろん、
相手にも思慮の無さ、誠意の無さ、
計画性の皆無など、落ち度はそれなりにあった。
でも、彼女自身にも問題があって、それは克服すべき問題として、
この事件を通じて困った事態として表面化することで、
提示されたのだった。
これも「カルマ」の現れ方のひとつ。

Tさんが直面しなければいけなかった問題、
克服すべきこととして提示されたことは、
彼女の仕事に対する姿勢、考え方、取り組み方。
人間関係の問題、コミュニケーション能力、意志表示や自己主張、
さらには、正当な「自分の取り分」を要求することに関して。

つまりは、「お金」を請求したり、
受け取ることの障害を抱えてもいらした。

「昔から、自分で自分の仕事に値段をつけられなくて」

ざっとお話した後、
エネルギーの問題を解決するべく、ヒーリングのほうに入った。

彼女に触れて、エネルギーを流し初めてから、まもなく、
そのトラウマを作り出した人生にたどり着くことができた。


それはTさんが男性で、近世に近い中世でイタリア人だったときのこと。
Tさん・・・は、いまでいうところの画商だった。
画商といっても、今の時代とは少しばかり違うみたい。
といっても、
画商の仕事がどういうものか、私にはよく分からないのだけれど。

彼女、いやさ、男性なので、とりあえず彼としよう。

この時の彼の性格は、とても優柔不断で、
今のTさんとよく似ているところがあった。
というか、Tさんが、この彼の影響を強く受けている、といったところ。
(外見も似ていたり。※いまは女性に生まれているのに、
男性の時の要望と似ているというのはあまり嬉しくないことかもネ)

さて、
その彼ははっきりいって商売が下手。
正直ものと言えば、そうなんだけど、
大して儲かっていないのに、若い画家に同情して、
二束三文でしか売れないような絵を高い値段で買い取っちゃったりとか、
そんなパトロンのようなこともしちゃうもんだから、
万年赤字・・・みたいな生活。

交渉下手で商売が不得手の彼が、なんでそんな仕事を?とも思うけど、
当時の仕事はほとんどが世襲制。
先祖代々、親がそうした仕事をしていたなら、
適性の有無、向き不向きに関わらず、自然とやらざるを得ない。
そんな「職業選択の不自由、あはは~ん」な時代ですから。

そんなんで借金は膨らみ。
請求書の山に頭をかかえる日々。

ある日、親の代から付き合いのある、
某お貴族様から呼び出しがあって、
ある画家に絵を発注して欲しいのだが、
その仲介?口利きをして欲しい、と・・・。
(当時の顧客ってほとんど富裕層。
この彼の人生を通して知りえたこととしては、
画商の仕事って絵描きの売り込みだったみたい。
お宅の肖像画にこいつどうですか?
居間に飾る絵、こんなんどです?みたいな)

その画家は、老人で偏屈で、
気に入った依頼でないと描かないよっていうかなーり気まぐれな変人。
お貴族さまは、その絵に惚れたというよりも、
そんな滅多に作品描かない人の「絵」を持つを、
ステイタスとしたかったみたい。

何故、彼にそんな話が言ったかというと、
彼の親が、まだ若かったその画家の世話をしていて、
恩があるというか、
繋がりがあったので、その子である、
こいつにまかせりゃ、何とかするだろう・・・
みたいな、そういう目算があったみたい。

でも、彼自身はその画家とは繋がりなし。
親が世話したからといって、それは親とその画家の間のことであって、
彼の代になってからは、一切のご縁がなかったりした。
なので、依頼を受けさせる自信ナシ。

だが、しかし・・・

彼は断れなかった。
前金として用意された多額の謝礼金を前にしたとき、
いま抱えている請求書の支払い・・・借金などが目に浮かび、
依頼が失敗したときの現実よりも、
目の前の問題が片付く現実のほうを選ばざるを得なかったのだ。

信用第一の商売ではあるけれど。

彼は画家のところに律儀に通って、
それはそれは熱心に、必死に、彼に依頼した。
いつもなら、すごすごと引き上げるところを、
かたくなに断わられても、毎日のように通って、懇願した。
けれど、画家のほうは、彼の親に恩と義理はあったとしても、
その子である彼には恩も義理もないと感じていた。

そうこうしているうちにも、依頼者である貴族からは催促がくる。

「まだか?」
「いえ、もう少しです。いま説得している最中で・・・」

「で、どうなった?」
「大丈夫です。承諾してくれました。
ですが何しろ年寄りですので、体調が今すぐれないとのこと。
回復したら、取り掛かるそうです」

みたいに、ごまかし、引き伸ばし、引き伸ばし・・・

彼自身、追い詰めながら、何しろ先に「大丈夫です。まかせてください」と
謝礼を受け取ってしまっているので、是が日にでも、という気持ちで、
何とかして、説得して、依頼を受けてもらわないと、と・・・必死で。

でも、ずるずる延ばしてても、月日は無常に過ぎ去る。

貴族であるその主も、いい加減、腹に据えかねるというか、
忍耐にも限界が来ていた。
「たばかったな!」
憤ったその貴族は、彼を殺すよう命じた。

日の暮れる頃、川のほとりを歩いていた彼は、
ふいに背中から腹部につらぬく、激しい痛みを感じてひざまずいた。
そして、振り向きざまに、もう一突き。
倒れて、自分の命の火がもう無いことに気づいた彼は、
それを誰が仕向けたのかを悟った。

そんな予感はあったので。

仕方ないか・・・とも。

殺されたことを恨む気持ちは彼にはなく、
自分はそうされて当然だと、
殺されても仕方のないようなことをしでかしたのだ、
という気持ちが残った。
相手の貴族にも申し訳なく、自分が不名誉なことをしたために、
家名に傷をつけてしまったことにもひどく後悔をした。
まだ払えていない借金のことも・・・
払えないことで相手に迷惑をかけてしまって、すまないと。

そして、彼の中に、
受け取るべきでないのに受け取ってしまったお金、
ようするに、仕事をしていないのに先にお金を受け取ってしまった分を、
自らの人生のツケとして、借金として、ちゃんと返さなければ・・・
という意識が強く残ってしまった。

その「意識」が、彼女の仕事に対する価値観に反映されていて、
無意識の中で知らずと影響を与えられているのだった。


この人生の話をすると、Tさんはボロボロと涙を流されて、

「ずっと、自分はお金をもらっちゃいけない人間なんだと思ってた。
 お金をもらうことに罪悪感があって、
 自分はそれだけの価値のある人間じゃないし、
 自分からお金を請求してはいけない、
申し訳ないって気持ちがあって・・・」

「私ね、いま姉○さん、すごく叩かれてるけど、
 きっと、何かあんなことをせざるを得ない事情があったんじゃないかって、
 めちゃくちゃ感情移入してしまって、
 他の人にそんな話すると、なんでって理解してもらえないんだけど、
 私は姉○さんのことをどうしても他人事には思えなくて、
 自分のことに置き換えて、いろいろ考えちゃってたの。
 そして、今のそのイタリア人の画商の人の気持ちがすごくよく分かる。
 そうせざるを得なかった彼の追い詰められた気持ちが・・・。」


泣くことは一種のカタルシスを得ること。
それも大切な癒しの道程の一歩で、とても欠かせない部分でもある。
彼にとっての未来の自分である彼女が、過去の自分を思って、
自分のこととして、また他者のこととして、
両極面からの理解と共感で涙を流すことは、自分を「許す」行為であり、
自分に縛り付けた呪縛を説き、
過去のエネルギーを解放する儀式のようなもの。


自分の考え方や価値観、思いグセのルーツを知ることで、
それですべてが解決するというほど、物事も人間も単純ではないけれど、
自分の罪悪感が何処から来ていたのか、何を克服するべきであるのか、
それらを知ることによって、進むことの出来る一歩は決して小さくない。
長いようで短い、人生の中では。

Tさんには、その時点でもまだまだ克服すべき点とか、
鍛えていかなければならない精神的構造とか、
向き合っていかなければならない現実的な問題もそれなりで、
自分を見つめなおす時間ももっともっと必要だったけれども、
それでも、
長いこと抱え込んできた重荷のひとつを手放すことが出来て、
心の中はいくばくか軽く、次のテーマに進んでいくだけの
勇気が得られて、何よりだったと思う。


どうしても、ひとつの問題が解決したからって、
それだけで一兆二反、一足飛びにはいかない、それが人生だけれども、
この後、理性的かつ合理的な手段をきちんととったことで、
役員の立場からも抜けられて、
正当なる「報酬」を要求できるようにもなり、
その後、期限付きではあるものの、
ちゃんと「お給料」も支給される某大学での仕事につけて、
「お金」を受け取ることの罪悪感から解放されて、
何はともあれ、良かったかと・・・。

2010年現在、
多忙すぎるのが、ちょっと気になるところだけど、
以前みたいな、タダ働きでもなく、本人そこそこ充実してるから、

まっ、いっか・・・


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人は、弱いものだから、その弱さゆえに罪を犯してしまうことがあります。

その罪とは、何も現在の法律で「罪」と定義されていることばかりではありません。

知らず知らずに人を傷つけたり、他人を踏みつけにしていたり、
それとは知らずして、何かしらの罪を犯していることがあります。

犯罪と定義されていることだって・・・
今の人生でたまたまそうしたことをしていないだけであって、
何度も繰り返してきた過去生のいくつかでは、
何処かしら、罪を犯していたりもするものです。

何故なら人は、様々な経験をするために人生を繰り返し、
その経験をして、その立場に立たされるとはどういうことなのか、
他人の気持ち、心情をも理解しようと、感情を学ぶことが
存在意義としての大きな課題であるからです。

ある意味では、すべての人が、
加害者と被害者の立場を経験するようになってる。
また、
過去に人殺しと泥棒と売春婦をしたことのない人もいないといえます。
この場合の人殺しとは、戦争も含みますけど。

だから、罪を犯した人を責める前に、人はまず己が罪を見なくてはいけない。

キリストが、
「これまで罪を犯したことのないものだけが、この女に石を投げよ」
といってますが、
誰も、誰一人として、他人に石を投げる資格を持っている人なんて、
この世にはいないのです。


付記:
今回取り上げたTさんのケースでは、
「不当にお金をもらってしまった」
ということだけがトラウマになってしまっていて、
この人生の経験(失敗)で得た教訓(学び)を、生かして、
自ら過ちを招くことになった性格的な弱点や愚かな行動を、
その後にも繰り返した人生で克服することができなかった、
というのがあります。

結果として詐欺みたいにお金を使い込んでしまったことの
申し訳なさを感じるより、
出来そうもないことはきちんと責任感と誠意を持って断って、
もしくは、やっちゃった行動に対しても、
それが過ちだと気がついた時点で、正直に話して謝罪して、
潔く責任と処罰を受ける覚悟を示す勇気とかね・・・。

Tさんが、「出来る」ようにならなくてはいけないのは、そのあたりなので。

そんなこんなで、
彼女が本当のカルマを乗り切るまでは、
同じことが繰り返し続いていくでしょう。

それを見守り、ナビゲートするのも、仕事のうちですが。

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