2015/10/30

チャクラヒーリング体験談「わたしの青空」

7つのチャクラのトータルヒーリングを受けられた、
Aさんから全体を通しての感想を戴いたので、
体験談として掲載させていただきます。
※以前に施療者である私立場からの視点で書いた、
チャクラヒーリング:ケースファイルNo.1のご本人目線、体験談です。



『チャクラヒーリングの感想』

7つのチャクラのトータルヒーリングを
個人的に受けようと思ったのは、
スクールでの実習を終えたあと、しばらく過ごしてからでした。
習ったことをセルフヒーリングで行っていたのですが、
うまくいっていないような気がしたのです。

スクールの実習では、ふたりひと組になり、
お互い交代しながらヒーリングさせていただきました。
その時私が感じたのは、私の中にある過去の記憶が、
偏っていることに対する違和感でした。

七個あるチャクラひとつひとつ、
1日1回ごとに実習はすすんでいき、毎回パートナーになる方も
ちがう方というかたちで進んでいったのですが
(私は第7チャクラはスクールで出来なかったので
個人セッションになりました)、私の中に眠るものは、
私自身の姿しかありませんでした。
誰に対してどんな思いがあったのか、その部分がなかったのでした。

ほとんどが、おうへいな男の人がふんぞり返っていたり、
武器を持って硬い表情をしていたり、
戸惑ってかくれていたり、何かを隠そうとしていたりしていました。

ひとつひとつ進むたびに自宅でセルフヒーリングをしてみると、
何かの残骸やヘドロのようなものしか見えず、
またはおとぎ話に出てくるような易しいストーリーで終わるものが多く、
それ以上は何も分からない状態でした。

第7チャクラを個人セッションで受けたときに、
ひとつの情報を教えていただきました。
神に仕える女性を、
男性だった過去生の私が、卑しめて殺めた情報でした。

その方がどなたなのか、私は自分で確認しました。
とてもお世話になっている方でした。
この出会いが、
その方との最初の出会いだったということを教えていただきました。
私たちは7回出会っているということでした。

私は、今までにも自分の過去生を知ってきましたが、
過去生を思い出すたびに、
いたたまれない思いをどうすることも出来ないでいました。
自分自身にがっかりし、絶望する気持ちを、整理できないでいました。

出来ることならば、セルフヒーリングのなかで、
ひとつひとつゆっくり受けとめて進んでいきたかったのですが、
最初に書いたとおり、あまりうまく進んでいきませんでした。
思い切って、
もう一度すべてのチャクラのヒーリングを受けることにしました。



●第1チャクラのヒーリング

ここに、生まれたときからの私の記憶がありました。
私は、なんとなく家族との関係がうまくいかないことについて
自分を責めている感触がありましたが、
身体的な障がいを私が抱えたことで親せき(母方)との関係のなかで
母が苦しんだことが分かり、私のなかで納得がいきました。
また、母や父のカルマを知ることで、
なぜ私が今の両親の元で
障がいを待って生まれることになったのかがわかり、
小さな偶然も偶然ではなく自分で選んできていること、
それはお互いであることを知りました。
また、この家に生まれたことによって私が出来ることも知ることことができ、
社会的な常識や価値観に囚われなければ、
今の知識を活かして自分の役割をはたせるということを知りました。

これはこれから残りの人生を生きるときに
私にとって必要な知識だったと思っております。
第1チャクラに関する気になるキーワードとしては、
「帰属意識」が気になりました。
この言葉に関したことでチャクラ内にあったのは、
「自分だけ特別にあつかって欲しい」と言う意識と、
周りを下に見る「賤民意識」でした。
すべて捨てました。
「今日の日にベストを尽くせば、帰属などいらない」
この考え方を大切にしようと思いました。


●第2 チャクラのヒーリング

チャクラヒーリングは2週間ごとに第1チャクラからひとつずつ進みます。
1回の時間は3時間。
私にとっては毎回、貴重な、濃密な時間でもありました。

第2チャクラを視ると、
始めにごちゃごちゃした泥のかたまりのような茶色い物がみえました。
かたまりをすべて下に流すと、
果てのみえない海に黄色いボートが浮いていました。
こどもの私がボートの番をしていました。
誰に頼まれたのかと聞くと、おとうさんの友だちと答えます。

つまらない仕事だけど、頼まれたからしかたないというのです。
「やりたくないことも頼まれたらやるのか、
人に言われたら殺人もするのか、ものごとは自分で判断し生きること、
人に言われてその通りにすればいいということではない」
アルマさんの言葉を伝えると、子どもは黄色いボートを捨てました。

ボートがあった海面の下には、
がたいのいい男の人が沈んでいました。
そばには金色の冠をかぶった男性がいて、
「私を庇っている」といいます。
沈んでいる男性は私の過去生が殺した方でした。
ずっと、ずっと、海の底に居続けていたようでした。
謝罪して、あがっていただきました。

もうひとり、子どもが海に沈んでいました。
私はいつかの過去生で、
通りすがりのその子をあやまって海に突き落とし、
そのまま何もせずに逃げるという行為をやっていました。
彼を必死になって助けるという行為をイメージし、
彼に謝罪し、あがっていただきました。

まだ海は澄むことはありませんでした。
金色の冠の人は私の過去生であることを
アルマさんから教えていただきました。
非道な行為をした王さまでした。
最初に沈んでいた男の人は、
この王さまに親身になって意見してくれた人でした。
この王様に殺されたのでした。
つまり、王さまだった過去生の私に、殺されたのでした。

王さまは、冷たい目をしていました。
人を海に沈ませたまま、隠し通すことをする、
愛情を理解しない人でした。

私の話は通じませんでした。
自分の過去生なのに、どうにも出来ませんでした。
自分の過去生を××に送ることになりました。
こんなことになるなんて、このときまで想像もしなかったことでした。

海に沈んでいた二人は、どんな思いでここにいたのだろうと思いました。

そのあと、私の子宮にある筋腫のヒーリングをしました。
家族への愛と、まわりへの感謝が足らないことを、
私の子宮は指摘してくれました。

●第3チャクラのヒーリング

[「無責任」という言葉でみえたこと]
たくさんの子供と女性の死体。血の海。
過去生の私がこのとき人生で決めたことにより、
たくさんの人が殺され、土の中にそのまま埋められた、
というイメージがみえました。
過去生の私は、事が終わった後に、首を切られていました。
口封じのためでした。

私がもしここで、ひとりでも助けるということを考えていれば、
もしかしたらひとりかふたりは助けられたかも知れません。
人はどんな状況になったときでも、
心持ちひとつで結果が違うということを、
この過去生を視ることで学びました。

この過去の私の中には、人に対する慈愛はありませんでした。
仕事を遂行するだけの、冷たい心の持ち主だったのです。
自分の行動に自分で責任を持とうとしていませんでした。
人の命令のままに受け身で生きていたのでした。

二度とこんな哀しみを生まないで…
埋まっていた人々はそういいながら、あがっていきました。
アジアのある国の出来事、2600年ぐらい前のようでした。

[「批判」という言葉でみえたこと]
貧しい家庭。妻は出て行って、無気力で孤独な男性がひとり。
それが過去生の私でした。
2人の可愛い娘。2人ともとても私を愛してくれているのに、
私は気付こうともしません。ただ義務として娘たちを育てていました。
私の中には、妻の裏切りに対してと、お金のないことに対して、
不満と怒りと無力感が貯まっていました。

アルマさんのアドバイスで、
イメージのなかでその人生での私の祖母を呼んで、
「妻が出て行ったのは、愛する気持ちがなかったからだ」
と祖母から説得してもらいました。

少しでも妻の話に心を傾け、
理解しようと努力していたらこんなことにはならなかったと。
自分に責任があるのだと。

ふたりの娘を置いていってくれた妻に感謝しないといけないと、
アルマさんのアドバイスに基づいて、伝えました。
ふたりの娘は愛を教えてくれようとしているのだから。
娘を愛することで、愛を覚えて欲しいと。

私(男性)はだんだん優しい顔になり、明るい家になっていきました。


[「権威、自我の強さ」という言葉でみえたこと]
○の時代の国。大きな城の前で、
痩せた男が馬車を動かしていました。
男は過去生の私でした。
子供が働かされていました。
いうことを聞かない子供が
体格のいい女性に引きずられながら城の中に入っていきました。

馬車には体格のいい他国の男性たちが、
泥にまみれたまま乗っています。
その男はその光景を見ながら、かわいそうと想うことはなく、
こんなふうに人を動かせばいいとか、そんなことばかり考えていました。
男は、広い農場で怠けてねているときに、
聞かなくていい話を聞いてしまい、
支配者につかまって、今の仕事についたようでした。

雇い主の城の奥には王がいて、
きらびやかで格好いいと男はその王のことを好意的に思っていました。
この王の姿にあこがれてしまったのだということでした。
つまり見本にしてしまったのでした。

過去生の男は××の反省部屋に送りました。
この男は、なぜ××に送られてしまうのか、理解できていないようでした。
王のイメージ(エレメンタル)は取りのぞき、光で埋めて、
今後は尊敬できる人たちをたくさん見つけることにしました。

その後、
母の化身の猿たちや、ネトッとした気持ちの悪いエレメンタルを
アルマさんに処理していただきました。

●第4チャクラのヒーリング

テーマを決めないで視てみると、
まず、澱んだ何だかわからないものがあったので取りのぞきました。
そのあとで、次の光景がみえました。

クリスマス。とても憂鬱そうな男の子がいました。
とてもドキドキしていました。
これから訪ねてくる人と会わなければならないからです。
この男の子は、第2 チャクラにいた冷酷な王の子ども時代でした。
誰も接見の方法など教えてはくれなかったのですが、
訪ねてくる人々はこの男の子の言葉を聞きに遠くから訪ねてくるのです。
男の子に、話を聞いてあげればいいことを教えて、
やり方やその意味を伝えました。

そのあとで愛についてのアファーメションをしました。

この日のセッションのあと、第5チャクラのヒーリングを行う前に、
日常生活の中で大きな気づきがありました。
私は自分の行動してきたあることについて
「自分はまちがっていない」と思って生きてきましたが、
実はそうではなかったということに気がついたのでした。
私は「自分はまちがっていない」と思うことで
相手とはちがうとどこかで思っていましたが、
私も同じ発想を持った仲間だったと自覚したのです。
とても痛かったけれど、わかってよかったと思っています。


●第5チャクラのヒーリング

[「言葉」というテーマでみえたこと]
十代の時から飼っていた九官鳥に思いを馳せました。
なぜ愛せなかったのか。そのことで頭がいっぱいになりました。
きれいに流していきました。

[「信頼」という言葉でみえたこと]
黄色いねとねとした膿のような液体のしたに、
血肉のついた人骨が埋まっていました。
組み立てると、私の過去生の友人たちで幼なじみでした。
私に殺されていました。
友人たち(男女)は飢饉の時に穀物を植えることをすすめてくれました。
私は戦争を選び、反対した友人を殺したのです。
私がそれを選んだのは、友人の知性と自由に嫉妬したからで、
女性の方に気があった私は、
その女性の気を引くことが自分にはできないこと、
明らかに男友だちよりも分が悪いことに嫉妬していたのでした。
後で考えたら、
女性は第7チャクラのところで私の犠牲になって残っていた、
あの方の生まれ変わりのように思えてきました。

過去生の私が選んだことで、たくさんの人が戦争でまた死にました。
友人だったお二人に謝ったら、「本当にわかったの?」 と言われました。
この経験を活かし、多くを学びます、と私はあやまりました。

このあとヒーリングで、
言葉の鋭い矢が束になっておいてあると教えていただきました。
使われなくなったけれども、いつ使われるかわからないので、
ハートのかたちのきれいな飾りに変えていただきました。

●第6チャクラのヒーリング

大きな石造りの橋がありました。
真実の橋だというのです。
橋の上には、馬や人の死骸のグループエレメンタル。
さぐっていくと、この時代の私は王に仕える側近ということでした。
王は民のためにならない王で、その王を暗殺する計画がありました。
それを一緒に企てた友を、私は裏切って殺していました。
橋はその時に爆破したものでした。
それも正々堂々とやったものではなく、
卑怯なやり方で橋を爆破したのでした。

私が裏切った友人は、第5チャクラの時に出てきた犠牲になった友人、
第7チャクラでも逢った方の過去生でした。
この橋の事件で、私は「信頼」を失いました。
私があやまると、彼は、もうぜったい裏切るんじゃない、と言いました。
この橋を友情の橋に書きかえました。

[「境界線」という言葉でみえたもの]
太い縄が地面をどこまでもはっています。
これは私の心理的な心の線で、他人と自分の境界線。
線の先端に血のかたまりがみえました。
私が殺した妻の血だということでした。

妻はあたりまえのことをいっていただけなのに、
その時の私はかっとなり妻に斧を振り下ろしたのでした。
私たちにはこどもがふたりいました。
この過去生の私と子どもは第2 チャクラにいた親子でした。
第2 チャクラを視ていたときは、
私は全部をわかっていなかったのです。

私はようやくこのときの過去生のすべてを観たのでした。
妻だった人は現在も逢っていて、
とても身近にいる大切なひとのひとりであるBさんでした。
Bさんは時代が変わっても私と縁をつくり、
私に対して何も諦めていないのだと思いました。
Bさんへの感謝の気持ちがわいてきました。
それと同時に、人の心がわからない自分への絶望を味わいました。

第2 チャクラのなかで育んできた親子関係のイメージを一緒に混ぜて、
また最初からいいイメージ(親子のポジティブな関係のイメージ)を
第6チャクラで育てることにしました。
Bさんにはヒーリングをさせていただきました。
傷は深く、そのセッション時間だけでは足りませんでした。

お世話になった方々の気持ちが、痛いほど伝わってきました。
こんな思いをさせてはいけないと思いました。


●第7チャクラのヒーリング

最初に掃除をし、たまっていたものを捨てたように思います。
黒い石のようなものがたくさん落ちていきました。

[テーマを決めずにみえたこと]
青くて深い空と、王冠が見えました。
王冠はよくみると汚れていました。
青い空から何を思うかと聞かれて、
思いを馳せると、次のような話が思い浮かびました。

青い空を仰いでいた遠い昔、
私は大好きな人たちを幸せにしたいと思っていました。
力を持つことでそれが叶うと思っていました。

大好きな人たちは、
いつも自分の境遇に対して文句を言っていました。
私は何も知らないまま、
ただその人たちに幸せを味わって欲しかったのでした。
本当にただ純粋に、大好きな人たちを幸せにしたいと願ったのです。

幸せにしたいという気持ちと、
そのために力を持ちたいという気持ちは、
まちがっていなかったと、アルマさんは教えて下さいました。

ただ知らなくてはいけないことが私にはありました。

人は自分を幸せに出来るけれど、誰かを幸せには出来ません。
導くことが出来るだけなのです。
その人が本気で自分の幸せについて考え、行動をしないと、
人は幸せにならないのです。

そのことを知るために、
そして導いていくために必要な経験をするために、
私の5000年の人生が始まりました。

その経験は、
多くの人たちの命を投げ出した行動のおかげで成り立っています。
私は多くを間違えてしまって、そして理解をしなかったので、
より多くの方々の犠牲を生んでしまいました。

私は何も考えなく、何も知らないまま、学ぼうとしなかったからです。
王冠は私が数々の過去生で手にした権威の象徴でした。
王冠をすてて、愛情をいただくことにしました。
王冠はもういらないと心から思いました。


[「意識の低さ」からみえたこと]
イタリアのオリーブ畑があらわれました。
妻と別れた、男の人でした。
その男は、農家をやめて定職に就いたのですが、
時折、今もオリーブ畑で働く妻を見に来ていました。
妻は30年連れ添った人。男は妻に何も伝えずに家を出ました。

この人生で体験しなければならなかったのは、
意識は経験により少しずつ育っていくという経験でした。
私はこの男を生きている時に、
勇気を出して妻と話さなければいけなかったのです。
愛している人には、愛していると伝えること、
気持ちをわかってもらえるように工夫をすることが
とても大事なことなのです。

何も行動しなかったら、意識は高くならなりません。成長しません。
ひとつひとつ経験し、そのたびに悩み、自分なりに相手を思いやり、
相手のことを考えて行動することで、少しずつ意識は高くなり、
その選び方について自分なりの自信がついていきます。

この回のヒーリングの最初のイメージで、
文句を言っていた大好きな人たちは、そこがわからない状態でした。
自分の幸せを、自分でみつけようとせず、誰かに求めていたのです。

私はこの5000年の間にさまざまな人生を経験したことで、
文句を言っていた人たちに、
「自分で行動しなかったら何も始まらない」
と助言することが出来るようになったのでした。

イタリアのこの夫婦については、
男が勇気を出して妻に謝り、愛を語っていく、
そして妻の気持ちを受けとめる行動に出るという
エレメンタルに書き換えました。

そのあと第七チャクラにある、
パーマネントパーソナリティとつながるアンテナを掃除して、
連絡が出来るようにしていただきました。
アンテナのまわりには、
イメージとしては木のくずから始まって椅子とか机とか、
その時代時代の産業廃棄物のようなものが
ありったけたまっていました。
その量は4トントラック100台以上というイメージでした。


●チャクラのバランスを整える

最後の回は7つのチャクラのバランスを整える時間でした。
第1チャクラからゴミを順番にとっていき、
それぞれのチャクラの回転を同じスピードに合わせていきました。
私のチャクラの回転はどれも速すぎたようでした。
本来のゆっくりした速度に調整していただきました。
たまっていたゴミ(エレメンタル)は、
チャクラによって形状もちがい、特徴があることが印象的でした。
全てが終わった後、人生のいとおしさと、感謝の気持ちが残りました。
長い旅のあとに、
たくさんの方々に助けていただいた思い出が残ったような、
そんなすがすがしい気持ちでした。

●チャクラヒーリングを終えて

チャクラのトータルヒーリング前は、わたしの心の中には、
日々の生活から生まれる怒りや不安が多くあり、
ともすると自分の世界に没頭してしまう傾向がまだまだありました。
また、何年もグノーシスの勉強をしているにも関わらず、
そして自分の過去生を幾つも知ったにも関わらず、
いまひとつ視野が広がらず、悩んでいました。
受けていくうちに、たくさんの引っかかりを捨てました。
そしてその中で、私にとって大きなことに気がつきました。

まず、
自分の人生を人のためにつくそうという生き方をする方々の存在です。

私は、自分の過去生を知るたびに、
自分は誰かの犠牲になったことがなく、
いつも加害者側であることに落ちこみ、今年に入ってから、
自分自身が、誰かのために生きることを選んでこなかったこと、
結果的に加害者側になる生き方しか
選んでこなかったことに気がついていました。

誰かのために生きること、被害を受けること、
誰かの犠牲になることを含めて、
そのような人生を選んでこなかったということです。

チャクラヒーリングの時間は、
私の行動により何度も何度も犠牲になったかたがいらっしゃいました。
過去の私からひどい目にあったのにも関わらず、
また私の人生に関わり、
助けてくれようとしている方がいらっしゃいました。
人生を自分の欲のためでなく、誰かのために生きるということは、
このような方々のように生きることなのだと思いました。
そしてそれは、人に興味を持ち、理解したいと思うことで、
自分も今日から努力できることでした。

私のさまざまな経験は、
そのたびに自分の身を投げ出してくれた人たちの
身を削った行動によって成り立っています。
そのことに対して、感謝せずにはいられませんでした。

また、一度人生の目的を持ったときから、
新しい人生が始まるのだということを知りました。

第7チャクラのヒーリング時間にみた、青い空の下で、
過去の私が思い描いていたことは、
「大好きな人を幸せにしてあげたい」という願いでした。

その願いを叶えていくための人生が始まったのです。

それが、多くの方々の命をかけた協力の下で経験させていただいた、
私の今生までの5000年間でした。
その目的を持つ前の時間も、無意識に、本能的に生きてきた私は、
この5000年の間も、ひとつひとつの人生にどんな学びがあるのか、
ほとんど気がつくことが出来ないままカルマを大きくしてしまいました。
それでも、今すべてがわかったことで、私はようやく姿勢を正し、
ようやく本来の目的のスタートラインに立つことが出来たのでした。

何も知らなかった私は、たくさんの時間を費やし、
関わって下さった方々にたくさん迷惑をかけてしまいました。
気がつくことが出来た今に感謝し、これからの時間を無駄にしないよう、
人生を楽しんで生きて行きたいと思います。

そしていつか、自分が抱いた目的を叶えられるような生き方のできる、
視野と勇気と智恵を持つ自分になりたいと思います。
人を助けられる、心から愛している人と
時を分かち合える人生を選べる自分になりたいと思います。

このような機会に、心から感謝しています。
本当にありがとうございました。

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