2015/10/31

S・C・F番外編「捨てられぬもの」

人のオーラの本当の大きさは、地球一個分。
驚くことなかれ。
私たちはすべて、ひとつであり、
ハチの巣のように連結してつながっているのです。
要するに、私たちはひとつの大きなマンションの
一個分の部屋を割り当てられているにすぎないということ。
マンション自体が地球であり、ひとつの魂のかたまり。
集合体無意識とか、神とか、光や命の源とか、そう呼ばれることもある。
宇宙船地球号という名の生命体。
私たち一人ひとりが、この地球を構成するパーツであり、
地球をひとつの生命体としたときに、
どこかの部位を形成する細胞(セル)なのです。

そのマンションがおおまかなエリアに分かれていて、
さらに細かく分岐して、どんどん小さなエリアに。
そして最終的にはコンパートメントともいえるプライベートルームがあり、
その部屋こそが個人そのものなのです。
このマイルーム、プライベートエリアが、
一般的にはオーラとして理解されているもの。
オーラは私たちを包むものでもあり、私たちが発しているものでもある。
ようするにオーラは私たち自身であって、
肉体も含めて、それすらも私たちなのである。
でも、広い意味では地球そのものも私たちであり、
他人もまた私たち・・・なのである。
別の私、別の個性を持った私、というべきか。

さて、オーラを私室とするならば、
その部屋はひとつひとつに違いがあり、実に様々な個性がある。

そういう意味で、オーラを部屋としたとき、
その人の現実の部屋を見れば、
オーラの状態を推察することも不可じゃない。

人はその部屋を実に様々に飾る。
必要最低限の、生きるに必要なものしか置かない
(所有しない)人もいれば、
ごちゃごちゃと生活感のあふれるもので
足の踏み場もなくしている人もいる。

趣味の良い家具で飾り立てている人、少女趣味な人、本ばかりの人、
安っぽいものばかり並べている人、ヲタグッズでいっぱいの人など、
部屋は住人の嗜好をいやおうなく知らしめる。
他人に見せるための内装やコーディネイトを工夫している人もいれば、
自分以外の誰も入れようとしない人もいる。

部屋ひとつ取ってもそうであるように、オーラも十人十色である。

趣味がコロコロと変わる人は、
部屋のコーディネイトもそれに合わせて変わるものだ。
この間まで夢中になっていたものが、別のそれと入れ替わったりして。
その都度、いらなくなったもの、新たに購入したものが出てきたり。

しかし、部屋にはキャパシティがあるので、
新たに何かが加わると、
古い何かを処分しなくてはいけなくなってしまう。

なのにも関わらず、「もったいない」といってモノを捨てられず、
いつかまた使うかもしれない、
必要になるときがくるかもしれない、とか・・・
高いお金を出して買ったものだから捨てるなんて・・と、
執着してしまう人のなんと多いことか。

二年間出番が無かったものは、
この先も使うことなんてないのがセオリー。

人がモノを捨てられないのは、そんな理由が多いみたい。
だが、それ以外の理由で
その役に立たないものを後生大事に取っておく場合がある。

お金には換算できない「想い出の品」だ。

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あるクライアントさんに、
ヒーリングをしている時、左手に触れたなら、
その人の手が固くかんざしを握り締めている・・・のを感じた。
もちろん、物質的な肉体の手でも、物質的なかんざしでもない。

どうやら、過去生で恋人からかんざしをもらったことがあったらしい。
そのかんざしを恋の思い出として、とても大事にしていた様子。
彼女のエネルギーの「手」がそのことを覚えていたんだ。

もしくは私がその時の風景をキャッチしただけかのいずれか。

かんざしはこの場合、エレメンタル(注*)なんだけど。


初恋は成就しないからこそ、
美しいままに残り、宝石のように、永遠の輝きを失わない。
現実を知ることで「幻滅」していないから。
彼女にとってのその恋も実らなかったからこそ、
いつまでもその手に握っていられたのかも知れない。

そんな淡い恋の思い出が、誰でもひとつやふたつはあるはずだ。

別のクライアントさんのオーラをチェックしていたとき、
ブロンズ像のような、石膏像?のような、
巨大なものがあって、ビックリした。

まあ、物質として、そこにあるわけではないけど、
これって、巨大な銅像を背負って歩いているようなもの。

「重そうだし、肩が凝りそうだ」・・・と、私は思った。

最初、なんでこんなものが?と首をかしげたのだけれど、
それはその人にとって、やはり思い出の品だったもよう。

この方は、過去生でギリシャ人だったことがあって、
エーゲ海の見下ろせる小高い丘に家を構えていた。
ちょっとした金持ちって感じで・・・。

その人はその家の主の奥さんだったんだけれども、
当時はまだ肖像画を描く文化ははないようで(推察するに・・・)、
自分の石膏像?のようなものを彫刻家に受注し、
作成してもらうのが、金持ちの道楽?だったよう。
※本当のところはわからないけど、リーディングする際に知った情報

とくに窓もない、オープンな感じの簡素な家・・・
とはいうものの、当時としては豪邸だったのだろう・・・
の見晴らしの良い部屋で、彼女はとある若い才能あふれる彫刻家に
自分の彫像を彫ってもらっていた(そう見えた)。

夫とは年が離れており、
情熱的な恋愛というのではなく、家同士の決めた型どおりの結婚生活。
また、娯楽の少ない当時のこと。
退屈でアンニュイな日々を過ごす人妻が、
年下のなかなかどうしてイケメン彫刻家に恋をするのは、
当然のなりゆきかと・・・(昼メロっすか?)

しかし、不倫かというとまったく違って、単純な片想い。
2人とも、いい感じではあったが、何しろ家は窓無しオープン。
密室になりようのない昼間の家では
使用人とか路上からの人目がてんこもり。
(何とかなりそうなものだけど、
本当にそういう家の造りだったのだろうか??)
なんとなく相通じるものがあったとしても、
2人は空間を共有するだけで、それだけで終わってしまった。

作品が出来れば、もう会う機会を作る理由もなかったし。

彼が彼女に残したものは~♪

彼女の姿をかたどった彫像だけだった・・・・

というわけで、彼女はそれをとても大切にした。

自分の姿をかたどったそれを大切にめでるなんて、
ずいぶんナルシストだねーと思った人もいたかもしれないが。
彼女は、彼と過ごしたわずかなあのドキドキする時間、
彼が自分のを見つめるときのまなざし、
そして彼が触れ、ぬくもりを封じ込めたかのようなその像を愛したんだ。

結果、転生するたんびに、オーラの中にちゃんと所有して、
彼女はその像のエレメントを背負って生きてきた。


思わず、

「えーっと・・・もうそろそろこれ捨てませんか?」

と聞いてしまいました。

もちろん、なんでこんなものがあるのかの説明をしたあとでしたけれど。

これって、粗大ゴミ処分・・・・でしょうかねぇ?
大きさ的に。

粗大ゴミ処分シールは必要ありませんけれども。
爆破(始末)するのに大変な労力を有したことはいうまでもありません。

それ以外で、今までにセッションを通して見た
過去の思い出の品をエレメンタルとして作って、
持ち越してきている荷物?は、
キレイな装飾のほどこした箪笥とか葛篭とか、座鏡とかあったなあ・・・。
嫁入り道具のよう、とも思ったけれど。
クシとか花束とかアクセサリーはポピュラーで。

ああ、あと、変わったものでは、なんていうのかな、庭におく花台?
しかも、石で出来たデカイやつ。

18世紀くらいの貴族の庭園に置かれていたような、
装飾のキレイな2mくらいの高さの・・・を見たことありました。
なんでこんなもの?とも思ったんだけど、
恋人といつもそこで待ち合わせしてた思い出の場所なのね。

でも、だからって、
「別にわざわざこれを選んで持って来なくても・・・」と思ったり。
もっと他に小さいもの、あったと思うんですがね。


さてさて、エレメンタルってなんぞや?って思われた方も多いでしょう。
ずばり言ってしまうとエレメンタルって「想念体」のこと。

人が考えること、イメージすること、
言葉に出したことはすべて、「形」を持つのね。
肉眼では見えないけれども。(でも、心の目では見えるもの)

つまり、私たちは色んなことを考えて、想像してイメージ膨らませて、
何か言葉にするたびにエネルギーを吹き込んだ「モノ」を生産している。
「想念」ともいうが。

欲しい!って思うだけでも、それを別の次元に創ることができる。
きちんとイメージできればの話だけれども。
で、想い出の品ってのは得てして愛着があって、
何度も眺めたりして、とても大切にしているから、
目を閉じても細部をイメージすることは難しくなかったりしてね。

そうやって、
人はオーラの中に今は物質としては存在しない、
過去の所有物をも創り出すことも出来るし、
肉体が滅んでその人生が終わってしまった後も、
エレメンタルは死なないので、
まるで引っ越先(新しい肉体)に以前使用してた荷物を持っていくように、
そういった過去の遺物的「思い出の品なんかを持ち込むことがある。

まあ、持ってて、気持ちが幸せなら、
それはそれでいいじゃないかと思うけど。

でも、時に「思い出」の品は、
その人を過去に縛り付けてしまうだけのこともあるから、
セレクトして、整理することも必要かと・・・。
今生きている人生でも私たちは日々、様々なものを所有し、
たくさんのエレメンタルを生産しつつ生きているのだから。

でないと、オーラの中はあっという間に、
ゴミダメ汚ギャル部屋になってしまう。
のだめカンタービレ状態である。

想い出の品・・・
それは一瞬で心を懐かしい、甘く酸っぱい胸キュンへといざなってくれる
かぐわしい媚薬や麻薬のようなものかもしれない。

でも、オーラ=魂の小部屋のクローゼットには
許容量というものがあるのだから、
くれぐれも小さくてコンパクトなものだけにしたほうがいい・・・
と思ったりした出来事でありました。

なぜなら、
維持するにも電気代というかエネルギー(氣)が掛かってしまうので、
トランクルームや土地・家屋の維持管理費は、
なるべく低燃費いやさ、節約して安くすませるが、よろしいでありますよ。

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