2015/10/31

S・C・F番外編「愚かな制度と悲しい風習」

チャクラ・ヒーリングのセッションではなく、
通常のスピリチュアルセッションでの出来事なので、
チャクラヒーリングのケースファイルには該当せず。
かといって、スピリチュアルカルテにまとめる気力は無いので、
こちらに。


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最近のセッションでのこと。
そのクライアントさん・・・仮にXさんとします。

Xさんの仕事に関する怒りの根源を何とかしましょう、と、
彼女のエネルギーフィールドの情報をリーディングして、
問題を起こしているエレメンタルをサーチしていると、
頭の周辺にある過去生絡みの頑固なエレメンタルのほかに、
第一チャクラの中に、ご先祖の怒りを見つけたので、
それを浄化・解放しようと、アプローチを始めてみました。

ちなみにそれは、「五人組」制度により、
トラブルメーカーだったとある人が、
Xさんの先祖を含む他の人たち(4つの家)に、
いつも迷惑をかけていたのにも関わらず、
何度も繰り返し、しかも悪びれないことに対する憤怒の念でした。

※五人組・・・江戸時代にあった村などでの連帯責任制度
 詳細は調べるとすぐ分かります、歴史で習ったかと。


とりあえず、

いいや先祖の怒り全部流しちゃえ~ 

第一チャクラからクリーニングしてまえ~

とばかりに処置していたのですが。


したならば、

「助けて・・・助けて・・・」 というとてもか細い声が。

なおかつ、
水中からゴボゴボと、上へ上へともがきあがく女性の姿が視える。

まるで排水溝の穴に吸い込まれていく水の流れに逆らって、
吸い込まれてなるものかと、必死に上昇しようとする姿が。


すると、Xさん。

「む、胸が苦しいっっ・・・ 
 なんか下から、この辺からぐぐっーと上にあがってくる感じが・・・」


よく視るとその女性、Xさんに似ているような似ていないような?

一瞬彼女の過去生?かと思ったのですけど、ちょっと違和感アリ。

そして、その女性。

「いやだ! いやだ! いやだ!
 こんな風に、他のものとごっちゃにされて、
 十羽一絡げで一緒に捨てられたくない!!」

そんな悲痛な叫びを訴えてきます。
(言葉は正確なものではなく、私の中でそのような意味合いで
響いてくる・・・変換されて聞こえてくるというようなものです)

どうも、第一チャクラにあった、
先祖の残留思念と一緒に、処理されてしまうのが、
彼女的に不快というか口惜しい感じで、そこから飛び出てきたようです。


とにかく、Xさんもですが、その女性も苦しそうにしている。
そして、この時Xさんはその女性と意識が同調していたりします。


こういう場合、一般的にはあまりお薦め出来ませんが、
私は感応している人を媒体として、
審神者(サニワ)に徹することになります。

(とくにその技術を誰かから教わったり、
そのような修行を積んだわけではないので、
なんちゃってサニワ、かも知れません。)

さて、最初見えたのは水中でしたが、
紅葉見事な水面が見え、「T湖」という名称が。

※Xさん曰く、実家(他県)の隣町にある湖とのこと。


どうもこの女性、人柱として湖に沈められたようでした。


詳しい問答まではここには書きませんが、

要約すると、この方はXさんの先祖の身内(親戚の女性)。
名前は田鶴(たづ)さんという。
水利に関することの争いの収束のための贄として、
いくつかの村から選ばれてしまった女性らしい・・・。
両親は納得いかず、抗議したことで殺されてしまった。
また、このときに恋仲だった人に裏切られた(見捨てられた)こと。
自分が犠牲になることで家族がその後、村で厚遇されるとか、
そのようなことがあればまだしも、
結局両親は自分が沈められた直後に殺されていたこと。

そんなことで精神的混乱の中、成仏できず・・・だった模様。


Xさんは彼女のそんな混乱、深い哀しみ、やるせない慟哭、
なんとも表現しようのない傷み、辛さ、悔しさに感応して、号泣。


こういう場合は、とにかく話を聞いてあげること。
共感を持って、慰めと癒しをもたらす状態へと導いてあげること。
それにつきます。

あとは彼女の気持ちが落ちついて、準備が整ったら、
道を作って、お迎えを呼び、本来行くべき場所へと見送るだけです。
(生徒さんたちにはその内、レッスンで手順とか方法教えますネ)


何度も何度も、繰り返し、

「ありがとう」をいって下さいながら、
そうして田鶴さんは上がっていかれました。


そして、Xさんは身体軽くなったものの、
ヘヴィーなもの「デター!」(抜けた)ということで、一気に脱力。


私もそうですね。
実は最初の段階で、久しぶりに一瞬白目。
(これをガラスの仮面状態という)

ていうか、別に珍しいことではないものの、
このようなパターン・・・第一チャクラからダイレクトにご先祖さまが、
飛び出てくるのを体験したのは始めてだったもので。
(言い方悪いけどテレビ画面から這い出てくるリアル貞子っっ汗)

まあ、でも、こういうので驚いていてはこの仕事出来ませんが。


とにもかくにも、彼女・・・田鶴さんが上がってくれてよかった。
「ありがとう」って感謝してもらって、感無量。
お役に立てて嬉しゅうございます。


ほんと、ずっと水の底で苦しかったんだろうなって思いました。

私も溺死経験は数度あって、その苦しさは知っていますけれど、
(船ごと沈んだり、自殺やったり、海水浴で溺れたりとか・・・)

人身御供ですもん。

重しつけられて、水に沈められるなんてっっっ 

何よりもその精神的苦痛とショック。

悔しかっただろうなー 苦しかっただろうなー

それを思うとやるせないです。


ていうか、そのような犠牲は神代の昔から、
世界中のあちこちでたくさん行われていました。

愚かな悪習です。

人を生け贄にするなんて・・・

それが動物であっても、ですが。

こんな辛い死に方をした人が、まだまだたくさん居て、
浮かばれずにその場所に縛られていたり、
子孫の潜在意識の中に癒着しているのかも知れない・・・


何か、タメイキがでます。

これまでに一体、何人の人が犠牲になったのでしょう。
歴史に埋もれた人々の中に、
何人、何千人の田鶴さんがいたことでしょうか・・・。


恨みを残した人もいたでしょう。悪霊になった人もいたでしょう。

人を悪鬼に変えるのは、いつだって人。


神が神であるならば、人の命を我が身に捧げることなんて、
望むはずあるわけないじゃありませんか・・・。

近年まで、このような風習が日本にもあったこと、
とても悲しく思います。


そしてふと、泉鏡花の「夜叉が池」を思い出しました。

※「海神別荘」も海へと流された人身御供の話ですね。
 「天守物語」は違うけれど、君主の犠牲という意味では近いかも。
 鏡花は全部読んでないけど、そうした主題のものが多いのかな。


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「鯉七、これからどこへ行く?」

「むう、ちと里方へ用がある

 わが姫様の御住居
 夜叉ケ池に この頃百姓共が集って
 やれ 雨を降らせの 水をくれろとうるさい。
 この旱だからな

 それだけなら まだよいが
 供物だというて 鉄釘、鉄火箸、錆刀
 しまいには犬の首、猫の頭まで投げ込むので
 掃除に手がかかって迷惑だ」

 『降らぬ雨なら 降るまで降らぬ
  道理の分からぬ人間どもめ
  向後、汚いものを撒き散らすなら、
  そのままおかぬと里に触れてまいれ』

 と、姫様の乳母殿よりのお申し付けじゃ」




「お百合、神妙にいたせ
 六ケ村を救うためにお前が選ばれたのじゃ」

「叔父さん・・・・」

「お前も知っておろうが 絶対絶命の旱の時には
 村一番の美女を裸体に剥いて黒牛の上に荒縄で・・・」

「ええ?」

「なに、命はとらぬ
背に裸身の美女を乗せたまま池のほとりで牛を屠る
その角ある頭と尾を龍神に供えるのじゃ

さあ、八千人のために雨乞いの犠牲になりませい」


「だめだ 命に変えても妻は売らん
八千人がどうした
神にも仏にも恋は売るものか!」


  ↑
 このセリフ好き~

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流石に今の世には、このような悲劇的な風習は、
日本やら先進国では廃れて久しいのですが、

未だ迷信的で愚かな考えに支配されている地域もあるわけで。

本当に1日も早く、そんなことが世の中から淘汰されて欲しいと願いつつ、

犠牲になった人たちの、その時の傷(過去生)が癒されて、
悪夢の呪縛が解けて・・・今生に与えているよしない影響が
消える日が訪れますようにと、祈らずにはいられないのでした。

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