ファイルケースNo.18「Tさんの場合」
医者にも「科」という専門があり、
学問にもジャンルがあるように
ヒーリングの分野にもそれがあるのだろう。
私はたまたま、過去生ヒーリングが得意なよう。
ヒプノセラピーとは違うスタイルの、前世療法になるのかな・・・
※当時は一方的に『読み取る』ことしか出来なかったけど、
今はヒプノセラピー(トラベル)で、
クライアントさん自身に見てきてもらうほうが早いので、
ヒプノをすることのほうが多くなっています。
(他人が見たものを客観的に説明したほうがいい場合もあるが、
自分で体験してもらったほうが納得する人も多いのです)
その人のこころが負ってしまった傷の原因として、
過去生の情報を引き出すのが得意ってだけ。
だから、その人の「現在」の心の中の秘密とか、
部屋の中とかを見るのはまったく得意でないので、
私にそういうのを覗かれる心配はないと思って下さい(笑)
ちなみに霊の姿は、今はもう肉眼ではほとんど見えないし、
メッセージもらうことも稀ですから。
(20代以前は見えてましたけど、今はただの人です。
思うに、見えないほうが人生は無事平穏だと思います。)
魂も傷を負う。
そんなことを知ったのは、
ヒーリングの仕事を始めてから、セッションを通して、である。
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その方は、先にいらしていた身内の方の紹介で当方を訪れた。
とても内気で、物静かな人だった。
本人も言うに、人前が苦手で、表に出て行くのが好きでないという。
かといって、ニートなのではなく、ちゃんとお勤めもしている方。
でも、周りからの無言のプレッシャーで
「このままではいけないのでは?」と思い始めていた。
もっと、外に出たり、人と交流を持ったり、
男性とお付き合いをして、結婚をして家も出ないといけないのでは?と。
確かに世間的には、とっくに結婚をしても良い年ではあったから。
さて、オーラに触れるまでもなく、
その人が繊細なのは、様子から伺い知れたけれど、
触れてみると、
その人の中に「人間への恐怖」のエネルギーが大多数を占めている。
今の人生ではない。たぶん、何か過去生に関係あるもの・・・。
「家の外に出るのが怖い、外の世界は怖い。男の人は怖い。」
そういう叫びであり、想い。
見えてきた場所はアメリカ・・・西部開拓史の時代だ。
移民として、新天地にやってきたプロテスタントの集団。
彼らは仲間として、ひとつの集落を作った。
町というほど人数はなく、村というほどにも程遠かった。
家を建て、簡易な教会を作り、家畜をかい、畑を耕し、
人々は貧しかったが、船で共に旅をした仲間同士、
助け合いの精神が根付き、家族同様に仲がよかった。
その人生での彼女はやはり女性で、
結婚をして、敬虔な信仰を持ち、妻として家族に尽くす毎日だった。
けれど、ある日、主だった男たちが、村を留守にしていたとき、
無法者たちが女性と年寄り、子どもばかりの村を襲ったんだよね。
彼女は乱暴された挙句、頭を斧でなぐられてしまった。
で、無法者たちは白人で同じ移民だったのだけれど、
これを先住民・・・インディアンのせいにしようと、偽装工作してね。
当時は、そういうのって意外とあった出来事かもしれない。
クライアントさんを通して過去の歴史に触れる時、
語り継がれている事実や記録としての歴史は一面の情報でしかなく、
本当はこうだったんだろう・・・というのを知るときがある。
さて、彼女は頭を殴られて瀕死の重傷を負ったものの、
死ななかった・・・
ある意味では生き残った唯一の女性になった。
死んだと思われたから、とどめをさされなかったという。
でも、よくなかったのは、その後だった。
植物人間に近い状態で意識はあるけれど、言葉は話せない。
まあ、食事や排泄はできるから寝たきり老人て感じか。
今と違って、医学は発達していないし、
まして西部開拓史の時代。医者も病院も、いないところにはいない。
村に戻った男たちは、家族が殺さたことを哀しみ、
インディアンを憎みつつも(実際は違うのだが)、
働き手(家を守り、整え、家事いっさいを行う)を失ったという
現実的なことを考えなくてもいけなかった。
決して、深い愛情で結ばれたとはいえない夫婦ではあった。
だが、こんな事件がなければ、
強い愛が無くても、穏やかに過ごせる良い夫婦でいられたかも知れない。
しかし、寝たきりで四肢も動かせず、言葉も話せず、
うつろに宙を見つめるばかりで
意志すらも表現できなくなった妻に、夫は困り果てた。
それは村人も同じで、
彼らは、彼女には何も聞こえず、半ば死んだも同じ、と思っていたから、
それと知らずに、耳元で色んな事をいう。
でも彼女の耳(片耳は聞こえなくなっていたようだが)
は色んなことを聞いていた。
人々の本音、夫の本心を・・・。
男たちは、すぐに新しい女たち、
自分たちの世話をし、子を産み、
畑仕事をしてくれる勤勉な妻を探してきた。
夫もそうだ。
妻が生きている以上、重婚は宗教上できないが、
事実上の妻となる女が押しかけてきた。
いやいや仕方なく、義理として世話をされる屈辱の毎日。
自殺したくてもできない、自分の状況を彼女は呪った。
聞こえてくる人々の言葉がイヤだった。
人間は醜い、人間はいやだ、と心から思った。
自分を襲ってこんな目にあわせた男たちと、
仲間だと、家族同然だと思っていた人々は
たいして違いがあるわけではない。
中身は同じだ。
それに気づけたことがこの人生での収穫だったのかも知れない。
この時の傷の形跡は、しっかりと頭と耳に残っていた。
(物理的な肉体にではなく、霊体のほうに。
彼女は片方の耳の聞こえが悪く、
原因不明の頭痛にいつも悩まされていた)
彼女の中にはしっかりと男性不信が根強く残っていて、
男性だけでなく、人の本心が怖いと、
それを知りたくないと思うようになっていた。
まあ、彼女の魂の傷はこの人生だけではないんだけど・・・
そんなわけで、今生の彼女は「ゆっくりと休む」ことが目的。
今のままでいい。
無理して人と関わる必要もないし、
誰かと結婚しなければいけないわけではない。しなくてもいい。
今の暖かい、優しい家族と一緒に住んでていいのだ。
生涯独身でもいいんだよ。
もし、結婚したい・・・恋をしたい、と自然と思えるようになったり、
誰か特定の人を好きになって、愛されたい、一緒にいたい、と思ったら、
そのときに、そのことに向かって、努力すればいいだけのことだ。
それまでは、
何もかもがある飽食の時代に、平和な日本という国で、
安全な場所で、家族の住まう家で守られて、
無垢な赤子のように、ゆっくりと心を癒すといい。
今回の人生はある意味でリハビリの人生で、
ただ、好きなことをして、時間を過ごせばいいだけ。
手芸とかが大好きなのだから、1日中それをしてていい。
いつか年取って、誰かの手を、助けを必要とするまで、
心ゆくまで一人の時間を楽しめばいい。
うん。
リハビリをして、こころに刻まれた傷が治って、
嫌なことがもっともっと記憶の彼方に消えてしまうまでは、
ただ時間を貪ればいい。
何かしなければいけないなんてことはないし、
やらなくてはならないことなんて何もないのだから。
頭の傷は3回のヒーリングで治った。
(物理的な、のではないです。あくまで霊体やエーテルダブルのダメージ)
「今のままの私でいいのね。なんだか、肩の力がぬけた」
といっていた彼女、
それ以降はいらっしゃらなかったけれど、
その後に紹介いただいた身内の方が言うには、
「大丈夫、元気にしていますよ」とのことなので、心配ないとは思うが。
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古い世代が言うところの世間一般の価値観では、
「女性は結婚するものだ」
「女の幸せは結婚して、子供を生むことだ」
みたいな・・・のがあって、
そういうのはもう、今の時代にはそぐわないというのに、
人々を未だ支配していたりするのですよね。
とくに日本人は、右に倣えというか、
独自の生き方をすることを世間が快く思わないというか、
自立心にかけているので、
そういう世間が決めた常識にすべての人が迎合しやすく、
マニュアルに従って、無個性に生きることがよしとされたり
多数派の生き方や価値観に左右されがちです。
自分にとっての幸せが何なのか、ということを追求して、
自分の要求に従うよりも、
世間一般が要求すること(親の期待を叶えることとか)に
自分を合わせようとしがちです。
だから、皆、誰かに「指示」をされたり、道を決めてもらわないと、
何も出来ない、決められない、依存心の強い、
アダルトチルドレンだらけになっちゃってるのが日本人の現状だったり。
さてさて、
人生って言うのは、
必ずしも「何か」をするための人生ばかりではないのです。
誰もが成し遂げないといけない「使命」を持っていたり、
克服しなければいけないノルマ的「カルマ」を背負っているわけではない。
この人生、「有給休暇」のように、休むために、自分を甘やかすために
生まれてきている人も中にはいるのです。
いろんな人に優しくされて、大事にされ、愛され、与えられて、
癒されるための人生が、今生であるという人も少なくありません。
家族のために、身を粉にして働いて、働いて・・・
それこそ物心ついたころから、遊びもせず、働かされて、酷使されて、
ろくに楽しみもせずに、人生を終えた人、
歴史の片隅にいる庶民の中には、そんな人生を生きた人、少なくないです。
人類の歴史を振り返れば、人生仕事ばかりって人、多いでしょう?
そういう意味で、「命の洗濯」のために、生きる人生もあるってことです。
たくさん、恋をした、結婚もした、子育てもした、苦労もした、
お金もたくさん使った、ギャンブルも遊びもやり尽くした・・・とか、
そんなんで、今回はもう恋愛いいです・・しばらく食傷気味で、とか
結婚はもう結構、子供のために生きる人生ももう結構、とか・・・
人それぞれなんですよ。
でも、だからって、何もしたくない人が
「今回の私の人生はだらだらするための人生だから」って
自分で勝手にこじつけて、言い訳にしてはいけませんがね。
・・・あ、それは私のことか(笑)
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