2015/10/31

スピリチュアル・カルテNo,25「罪と罰」

ケースファイルNo.25「Aさんの場合」


これは経過観察をしたケースではないから、
番外編のほうに書くべき内容なのかも知れないと思いつつ。

占いの仕事で占い館というところに出ていた頃、
人気があり、行列の出来ている同僚のブースに
ゴキブリを置いておいたり、
呪いの札をわざとらしくその人の荷物に隠したり、
そんな風に嫉妬深く、同僚の足を引っ張ったり、
嫌がらせをする人たちを見て、
悩んでいる人々の話を聞き、
人生のアドバイスをする占い師だからといって、
必ずしも他人に愛や思いやりがある人たちばかりなのではなく、
人間的にバランスが取れているわけではないことを思い知らされた。

それは霊能者も同じだし、ヒーラーにしても同じこと。

ヒーラーは、残念なことに「私のほうがすごい」みたいに、
実力を競うというか、いかに自分のほうが秀でているのか、を
誇示したがる人が多い、かなぁ。


といいつつも、まあ、そんなこと言ってる私自身も、
人間的な欠陥や問題(トラウマやコンプレックスとか)を抱えたままで、
社会性や協調性も欠如していたことから(常識力もか)、
若い頃はヒステリーで角があってあちこちにぶつかり、
周囲には散々迷惑をかけた口なので、
他人のことを言えた義理ではありませんが。
まだまだ未熟で思い切りダメっぽ(今回自分のことは棚上げ)。


・・・・・・思うに、
占い師にしても霊能者にしても宗教家も
ヒーラーもセラピストも精神科医も、
何も問題がなく、人として一歩先を行っている人だからという理由で、
悟っているとか、高いステージにいけたとか、そういうことはなく・・・
その仕事を「させられている」わけではないということ。
むしろ、罪人の足を拭くように、
あまりにも人間臭いおのが罪の清めとして、
自分自身や業というものを知るために、
その業の深さゆえに、その仕事に就いている人が多いような気がする。

同時にそれは彼らにとって、「学び」のステージにもなっているわけで。

『他人のフリ見て、我がフリ直せ』的な意味合いとして。

人間の底深い心の闇、依存心の強さ、無責任さ、怠惰な行動パターン、
愚かで浅はかな考え、嫉妬や羨望といった醜い感情、
誘惑に負けやすい心、果てしなく尽きることの無い欲望、
支配欲、性欲、物欲、金銭への執着・・・等

様々なエゴイズムや人間が織り成すドラマを見、
他力本願で周囲に翻弄される人々や
因果応報的な災いを知ることによって、
そうした出来事の本当の意味を考えたり、
人の行為の無意味さを知ったり、
他人の中におのが姿を重ね合わせるなどして、
「何か」を学び取るために、過去の自分のような人たちをして教えられ、
なおかつそうした人々をサポートすることで、一種の「償い」のような、
カルマの返済を当人は意識しないうちに、
ガイドから仕向けられているようでさえある。

でも、
とても残念なことに
その「学び」に気づけてはいない人のほうが多いようだけど。


さて、『癒し』の仕事というと、人はどのようなイメージを抱くのであろうか?
人を癒す仕事と言えば、文字通り。

けれど、「人を癒したい」といううちには、
その人は誰も癒すことなんて出来ない。
そういう人は、「人を癒せる自分になりたい」だけなのであって、
「人を癒す」仕事をすることによって、
自分には人を癒すことが出来る力がある、と、
そう外に向かって証明したいだけだ。

「ヒーラーになりたい」なんてのも、
「ヒーラー」になった自分に憧れているだけ。

「小説家になりたい」と言っている人もそう。
小説家になって周囲から認められ、
チヤホヤされている自分をイメージしているだけ。
本当の小説家になれる人というのは、
「こういうことを伝えていきたい。こうしたテーマ、文章を書きたい。」
という、まず書きたいこと、表現したい世界が先にあって、
その手段が小説という文章に表すこと、というだけなので。

まず、自分がしたいことありき。
こういう人たちにこういうことをしていきたいといとか、
こういうことを提供していきたい等、
自分が喜びを見出せる社会参画の形や、
他人に奉仕するときの好きな方法があって、
それによって業種が決まり、
そうしたことをしていくためには、
自分はどのような表現方法を選ぶべきなのか、
どうすれば自分が提供したいと思うことを一番、
適切な形で他人に与えられるのか、
自分の素養とか素質とか、性格や才能とか、今持っている技術とか、
そうした得意方面とすり合せた結果、
具体的な職種というものが見つけられるのだと思う。

「好きこそものの上手」ではあるものの、
ただ「なりたい」という気持ちだけでは、
人はその職業において、すぐ花を咲かせられるものではない。


「我々のしようとしていることは、ボランティアではない。
技術に対して、料金を請求する商売です。
その技術が結果的に人を救うことがあるとしても、
それを目的とするべきじゃない。
そこらへんを間違えると、肝心の医療行為を謝りますよ」

・・・とあるコミックの中にあったセリフ。

何をするために、何をしたいがために、その職種であるのか・・・

(自分がその職業をするために何が足りていて、何が足りないのか、
ということを客観的に知っておく必要もある。)

そうした初めの目的意識、
何故その仕事なのか、何故その仕事をするのか、
といった『動機』の部分がしっかりしていないと、
多くのスピリチュアル的な職業の人が陥りがちな錯覚に陥り、
エゴイズムという罠に絡めとられてしまう。

「私は人を救うのが使命だ」なんて、勘違いを看板にして。


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紹介でいらしたその方、Aさんは・・・
ボディワークの仕事をしているとのことでした。
50代の主婦でしたが、とてもお元気で、若々しくて・・・
自宅を活用して、そこでサロンを開かれているとのこと。

ものすごくしゃべる人で、明るくて、威勢が良いというのか、
活力に満ち溢れた、というべきなのか・・・そういう方で。

初めていらした人には、
最初ヒーリングの説明とかを色々とするのですけれども、
そのときの印象といいますか、Aさんの受け答えから、
「ああ、自分が話したいことばかり話す人だなー」と・・・。

うーん、自分が浮いてることに、
周囲の空気と噛み合ってないことに、気づかない人か~とも思いつつ。

(実際、オーラ(氣)が完全に上に上がっていて、
足元がスカスカになっちゃってました。
そうですね、
氣が上がっちゃってると、
足元が見えなくなるというか、周り見えなくなりますね)


施術に入って、ハンドヒーリングその他をしていると、
まもなく、彼女のいくつかの過去生が見えてきました。


戒律の厳しい修道院に修道女として在籍していた人生が
瞬間的に通り過ぎていき、
次に視えたのは、彼女が日本で男性で、武士(浪人)だったときの人生。

それは江戸時代で、すでに世の中は太平である様子。
いつもながら具体的な場所とか、年代は分かりませんが。

武士としての彼女、
Aさんは、武士とはいっても浪人のようで(現代でいうところの失業者か?)、
髪型的には、さかやきではなくて、ボサボサのまんま浪人ヘア。
時代劇のセオリー通りの汚い着物で脇に差してある刀だけが、
身分を表していたり。

とはいうものの、時代劇みたくオンボロ長屋に住んでて、
病弱の妻を養うために傘貼りとかヤクザの用心棒はしてませんでしたが。


その浪人のいるところは都会ではなくて、
どちらかというと田舎の農村地帯。
刀を差してブラブラと蟹股で田舎道を闊歩しながら、
働かずに、農民のものは武士のものだと、
人の育てた果実を勝手に盗ってはむさぼりつき、
農民たちを脅しては飯を奪い、暴力をふるったり、
手向かうと切り捨てて、
そして、お腹がくちくなったら、次は性欲を満たすため、
手ごろな娘っ子を手篭めにして・・・

やりたい放題です。

まさに欲望の趣くまま暮らし。

いくら武士だからって、許されるのか? 
農民に既成するニート?みたいな・・・

イメージとしては「七人の侍」の野武士ですけど、
あんなワイルドな感じではなかったです。
それにAさんの場合は、個人行動で集団では活動してなかったので。

でも、果たしてそんな彼にも、天罰の下る日は来たようで、
その日、いつものように、
「オレのものはオレのもの、農民のものはオレのもの」と、
お腹がすいたからと、我が物顔でそこにあった、
農作物に手を出したのでした。

しかし、それはいつもの単なる農作物ではなかった。
特別に栽培されたもので、「将軍さま」への献上品だったのでした。

彼の悪行三昧に手を焼いていた百姓たちと名主は、
この機を逃すはずはなく、
土地を収めるおエライ人(代官?)に、このことを訴えでました。
常日頃から、皆の訴えを身分制度もあって、スルーしてたその人ですが、
さすがに、「将軍家」の献上品に手を出したとあっては、
いくら某藩に仕えていた浪人と言えど、見過ごすわけにはいかず、
重い腰をあげてようやっと、
夜盗化していたAさんを処罰することになったようでした。
それは反逆罪という名の重罪で、しかも切腹ではない、
恥とされた磔刑で、浪人ではなく夜盗扱いでの死刑でした。
(そんなことホントありえたんか?)


さすがに、この情報を知りえたからといって、
このことをAさんに言うつもりはありませんでした。
とくに本人が何かに「気づきたい」と切望してない限り、
伝える意味も必要性も感じませんでしたし。


起き上がって、

「気分はどーですか?」
「スッキリしました」

とお茶を出しながら、そんなたわいの無い会話をしていると、
Aさんのほうから、

「私、絶対にヒーラーになるべき人間だと思うんです。
それが私の使命だと思ってるんですよ」

・・・・・・と。


すると、その言葉に反応するかのように、


「このたわけものっ!!」


白髪頭と白い髭をたくわえた、細身の厳しい面相をした老人が、
ババーンッ!と、私とAさんの間の上、
私からして右上のほう(部屋の鴨居くらいの高さのところに)、出てきたり。

なんかもう、怒っているというか、あきれてモノが言えん! みたいに、
すさまじい剣幕で、くどくどと・・・
でも、言ってる言葉が時代がかっているというか、
「・・・・であろう」とか、そんな言い回し? 
とにもかくにも何言ってんだか分かりにくいんだけど、
しかも分かりにくい言葉なのに、弾丸みたいに早口だし。
とにかく、めちゃAさんに対して、激怒していて、
それだけは解るというか何と言うか。
まるで、私が怒られているような気分になって、
恐縮、萎縮してしまったりなんかして。

「ひぇえぇぇぇぇぇぇええいっ! 
このジーさん、きょわいっっ! は、迫力ぅっ!」

って感じ?

そうですね。
まるで、小泉元首相がかもし出す、
あの周囲に有無を言わせない、シャープな殺気みたいな威圧感。

でもって・・・
この熱血ジーさん(失礼)、
いやさAさんのガイドの内の一人のご老人が何を言いたかったかというと、

「過去の自分のしたことも忘れて、
自分は特別で選ばれた存在なぞと、自惚れるのもたいがいにしなさい。

何故、今の仕事をしているのか、
それをしたいと思ったのか、原点にもどりなさい。
今の仕事は、お前にとっては人としての修行の一部であり、
過去に犯した罪の償いそのものなのだ。

確かに今の仕事は肉体労働で、
50の齢を過ぎた己には辛かろう。しんどかろう。
けれども、
その苦労、肉体の辛さを押してまでも、
奉仕するのがお前の贖いの証なのだ。

何故、女性の肉体を癒すことをしているのか。
それをしなければならないのか。

お前は過去、罪の無い人々からたくさんの物を奪った。
その中にはたくさんの命もあった。たくさんの女性も犯した。

働かず、自分は苦労せず、楽して生きようとした怠惰の結果が、
人としての道に背き、欲望のままに生き、
人から奪うだけ奪う人生を作った。

今回、お前が出会っているお客さんの中には、
お前が強姦した女性もいる。
お前がやったのではないけれど、
過去に強姦の被害にあった女性もいる。

何故、お前が女性にサービスする職業を選択したのか。
女性の肉体の疲れを癒し、そ
の身体を労わってあげる仕事に就くことになったのか。

それはお前がかつて女性の肉体を、おのが肉欲を満たすためだけに、
相手を人としてではなく、
まるで公衆便所のように、モノのように粗雑に扱い、
ことが済むと相手の人生を考えずに、ボロ雑巾のように切って捨てるなど、
そのようなことをしたからだ。

今度の人生ではお前は、かつてそのように扱った女性の体を慈しみ、
相手の心と体を心底労わり、
優しく壊れモノのように扱うことをしなければならぬ。
まるで女性の身体についてしまった汚物や膿を
手で丁寧にぬぐっていくように、
そのものの身体に溜め込まれた疲れを、
すべて自分の手で引き取るような気持ちになって、
一人ひとりの体を誠心誠意込めて、トリートメントしていきなさい。

それをすることで、おのが手についた手垢、
罪とこびりついた血糊が洗い清められていくのだと、知りなさい。
それが今回、お前に与えられた道だ。
それをしてお金を稼ぐことが、お前に与えられた職だ。

それもできないで、安易で、
身の程知らずの道に進もうなどと思うものではない」


一言一句正確というわけではないですが、上記のような内容でした。

最初に、

「このばかっかもんが、身の程知らずがっ 自分のしたことを顧みなさい」
とか散々、お叱りの言葉の数々・・・もー色んな言葉でなじるわなじるっっ
その後で、くどくどと・・・でしたね。


はっきりいって、Aさんにこれを伝え終わったときは、もう一気に脱力感。

自分が叱られている気分だったので。

もう、やだ! こんなの・・・ってな、
情けないけれども、そんな気分でもあり。


Aさんは、少し押し黙って、考え込んでから・・・

「分かりました。私は自分の罪の償いのために、
アロマの仕事をしているんですね」と。


正直、分かってくれたのか、混乱しているのか、
どんなふうに解釈したのか、そのあたりは分かりません。
その時の私はただ、伝えるのに必死で。
ガイドさんの代弁(通訳?)をしただけで。

Aさんの来訪はそれきり、だったので、
その後どうされたのかは、分からないままです。

今も頑張って、多くの女性を癒されていると良いのですけれども。


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過去に自分が犯罪を犯していたことがある・・・なんて知るのは、
誰しもが気分の良いものではないと思います。
その自覚のある人ならまだしも、
たいていの人はショックで、ガーンだと思うし。

とはいうものの、過去生なんて証拠もないし、
現実としては証明できないことですが。

でも、そうですね。

人は誰もが、罪を犯したことがある存在です。
それが小さなことでも、大きなことでも。
これからも、未来においても、罪を犯してしまう可能性を誰もが持ってる。

でも、
過去生で、自分が誰かに対して罪を犯したことがある、と気づけたら、
それは今の人生では誰にも裁かれないことであるかも知れないけれども・・・
その人生のうちや、その後の他の人生で、
すでに「禊」とも言える、償いをしているのかも知れないけれども・・・

自分の犯した「罪」の重さを思い出して、それを忘れないで欲しいのです。
それは自虐的になることとは違うと思うんですよね。
いつまでも罪の意識と償いに縛り付けられることでもないと。

加害者である自分の魂も苦しんで、反省して、
その罰も受けてきたのだろうけど、
犯罪被害者のほうも、その人生でだけでなく、
その後の人生でそのことがきっかけというかトラウマになって、
PTSDな人生を何度も繰り返していたりもするのですから。

傷が癒されるまでに、何千年もかかって、
それを現在の人生に引きずっている人も少なくありません。

レイプの被害にあった過去生を持っていることで、
男性不信に陥ったり、Sex恐怖症になっていたり、
恋愛や結婚生活が破綻する原因の種になっている人もいます。
それが過去生に原因があると気づけずに、
理由の分からないところで苦しんでいる人も。
そして、パートナーの傷が原因でそのパートナーもまた、傷つくんです。
たった一人への罪は、
結果的にその周囲にいる人をも傷つけることになります。
(逆に性的嫌悪を感じることなく、
自分は汚い存在だと、自己否定の気持ちが強くて、
性的なモラルが崩壊して、体を売ることで、自分の肉体を売りにしたり、
汚すことでトラウマが現れている場合もありますけれども。)

それが何世代も繰り返し、繰り返し、
負のスパイラルになっていることがあるんです。

たった一度の罪ではあるけれど、
そのたった一度、自分が犯した罪のせいで、
相手は一度の人生だけでなく、何回もの人生、
苦しみと傷を引きずることになります。

一人の命を救うことはその後に続く、
たくさんの命を救うことであるっていう、
まさにその逆パターンなんですね。


何千年か何百年かして、加害者と被害者が再会した時には、
被害者は加害者の罪をすでにもう許しているのかも知れない。

けれど、相手が自分にしたことを、罪を「許して」いるからといって、
「傷」までもが「癒えている」とは限らないんです。
まだ、恐怖は続いているのかも知れない。
許していても、生理的な嫌悪感とか、
肉体的な拒絶反応が出ている場合もある。

昔のことで、過去生なんてそんな証拠もないことだけど、
加害者が被害者の前で、その自分の過去の罪を語るとき、
反省のない、罪の重さのひとつも感じてないような口ぶりで語られたなら、
それが被害者である人をどれほど傷つけることであるのか・・・
相手に怒りと悲しみを覚えさせる瞬間であることも、
知っておいて欲しいのです。

それは多分・・・
現在に起きている事件なんかでも同じだと思うんですよね。
刑務所に入っている犯人が反省の言葉も見せないというのは、
被害者の遺族にとって、屈辱的でやりきれないことだし、
まるで顔をゲタで踏まれるような気持ちといいますかね。
被害者に畏敬の念も払ってもらえないというのは。

笑いながら、殺したさまを人々に語ったり、
事件のことを他人事みたいに、
振り返りや反省としてならともかく、ネタのように語られるのは、
まことやるせなく、身の置き所なく、腸煮えくり返ることなんですから。

そう・・・いくら当人が罪を償っていたとしても、
犯罪被害者や遺族は、
加害者が楽しそうにしているだけで、笑顔ひとつ見せるだけで、
傷つくことのできる存在なんです。

だから、
架空の出来事であるかもしれない過去生に犯した罪と言っても、
何か、自分が犯したかもしれない「罪」について語るときには、
その罪の重さを改めて真摯な気持ちで受け止めて、
被害者に対する労わりの気持ちを忘れないで欲しいと、
切実に思うのでありました。

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