2015/10/31

伝授メニュー解説∞レイキ及びその発展系①

【ヒーリング用アチューンメント(伝授)メニュー】発展系レイキ①

アチューンメントとは何か、という説明とか、
アチューンメントとヒーリングセッションの違いについては、
サイト(ホームページ)に掲載しているので、そちら参照のこと。

でもって、
各種メニューについての概要も、サイトに掲載しているので、
こちらのほうでは、
セッションでの使い勝手といいますか、使ってみた感想とか、
お薦め度といいますか、自分が受け取ったときの印象など。

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臼井レイキ・・西洋式

これについては、
「ハンドヒーリングのススメ」のタイトルで書いた記事がありますので、
そちらを参照ください。
氣の補充がメインのハンドヒーリングで、
マグネティックヒーリングになりますが、
発展系レイキやその他のヒーリングエネルギーの基礎が学べるので、
一番最初のとっかかりとして、便利かつ手軽なものだと思います。

日本で生まれたものですが、戦後、日系人の方を通じて、
海外(ハワイ→アメリカ→カナダ→ヨーロッパ)を経て、
日本に再び戻ってきた流れを
西洋式臼井霊氣(ラディアンスシステム)といいます。
日本国内だけで受け継がれてきたものを直傳霊氣といいます。
あと、現代レイキという流れもありますが、
こちらは発展系とも言えるので、同じには語れないということで。

西洋式と直傳は、伝授の方法や回数が異なっています。
料金は西洋式のほうがリーズナブルに設定されていますが、
直傳が均一固定制なのに対し、西洋式はティーチャーの自由価格。

あくまで個人的な感想ですが、エネルギーの特徴として、
直傳は濃密で重たい、分かりやすいエネルギーです。
もともと「病気」に対してアプローチしたい、
という意図から生まれたものなので、
そういう意味で「肉体」に強く作用するエネルギーです。

それに比べて西洋式は、軽くて精妙です。
海外で様々な人種(民族・宗教)を経たせいか、
グローバルな広がりがあります。
アチューンメントの手法に
キリスト教のとある宗派の洗礼の方法(ポーズ)が
取り入れられているので、
キリスト教のエネルギーが入っているというのかな。
そのせいか、肉体よりも、
メンタルや精神にアプローチするエネルギーです。

直傳は仏教的思想からスタートしていますが、
(毘沙門天と千手観音、薬師如来のエネルギー)
西洋式はそれにプラスして、キリスト教のエネルギーが入っています。
この二つは、どちらが優れているなどという、優越では語れません。

私が思うに、それぞれ長短があるので、
組み合わせられればベストかも、と。
かといって、両方を受けるには金銭的にそれなりかかりますので、
とちらか一つ受けていれば、充分とは思います。

【浄化と好転反応】

私の場合、ファーストを受けた後、三週間位寝込みました。
でも、そういう酷い浄化が出る人は稀ですので、ご安心を。
受けたのは9月だったのですが、
16年前の交通事故のときの痛みが、
再現されてしまった、といいましょうか・・・
事故のとき、加害者に逃げられて、相手をひどく恨んでしまったので、
そういう抑圧され、消化されずにいた感情が、
フラッシュバックのように、症状を伴って出てきてしまったんですね。
セカンドでは大丈夫だったんですけど、サードは再びダウン。
でも、「氣」のめぐりがものすごく良くなって、
元々冷え性が酷かったのにこの年の冬は、
なんとストーブいらずでした。
サードのアチューンメント当日からしばらくは、
身体中がほてって暑くてたまらず、
布団をけっとばして寝てしまいました(11月でしたが)。

人それぞれですけどね。

ちなみにアチューンメント中は面白いビジョンがたくさん見えました。
大きな雲の上に乗った、
カラフルな色をしたヒンズー教(何故?)の神様たちが、
どんちゃん騒ぎをしながら、降りてくるところ(笑)
なんだかー?って感じでしたが。

どうでもいいことですけど、
サード修了後三ヶ月くらいしてから、
人生の節目を迎える人が多いようです。



カルナレイキ (R)

パワフルなエネルギーです。重くて、ダイナミックで分かりやすい。
ただ、臼井レイキが、雲や真綿や綿菓子みたいに、
柔らかいもので包まれているような、
心地よい感覚を受け手に与えるのに対し、
カルナレイキは、受け手にとって、
あまり気持ちのよいエネルギーではありません。
そういう意味では、リラックス感はなく、リラクゼーション効果はナシです。
臼井レイキは眠れても、カルナでは寝れないですね。

セッションで使うときもクライアントさんは、
ゾワゾワざわざわと落ち着かないらしいし、
どうにも居心地の悪さを感じるみたいで。

というのも、
臼井レイキは「入れる」エネルギーですが、
カルナレイキは「取り除く」エネルギーだからです。

確かに輸血や点滴など、
入れる行為は多少なりとも気持ちのよいものですが、
身体から何かを摘出するときって、
不快感がありますから、当然かも。

そんな風に、臼井レイキが氣の補充をするのに対して、
カルナは余分な氣(エネルギーブロックとも
エレメンタルとも)を除去してくれます。

ヒーリングは、入れることと取ることの両方があって初めて成り立ちます。

人は、心にさまざまな痞えを持っていたり、背中に重荷を背負っていたり、
胸や腹の中に抑圧した感情を溜め込んでいたり・・・なので、
「滞った氣の塊」として存在する、
それを除去し、縮小軽減することも大切な癒しの行為なのです。

なので、ハンドヒーリングを仕事にしたい(している)人なら、
持ってたほうがいいスキルのひとつに上げられるかも。

うちでカルナの受講を受けたり、私が薦めた人たちは、
憑依体質なのでせめて
自分で対処できることは何とかしたいぞー、な人とか、
トラウマやPTSD的な体験を何とかしたい、向き合いたいという人とか、
家族や周囲の人の、今以上に役に立ちたいとか・・・
そういう理由で受けられた人が多いでしょうか。

私の場合、どんなときに使うかというと、
ネガティブなエレメンタルの除去(破壊)とか、エーテルコードの切断、
生霊とか霊にも使いますし、
トラウマやPTSD、ネガティブな感情に支配されたりしている人とか、
過去生ヒーリングにも使ったりします。
チャクラのつまりとか(つまってるのはエレメンタルだし)にも。
応用範囲は実に広いですね。
ただし、単独で使うことはまずないです。
結構、荒いエネルギーなので、使いすぎるとダメージも大きい。
だから、臼井レイキと併用して用います。
それにカルナだけだと細かいところまで手が届かないので、
過去生ヒーリングだと、
クンダリーニレイキと組み合わせて使うことが多いです。
初めてヒーリングを受ける、という人には、
あまりダイレクトには用いません。
だいたい、二度目以降で手放す「準備」が出来た人に使います。

【浄化と好転反応】

ある人はあるみたいです。ドーンと、過去の傷がフラッシュバックしたり、
弱点が表面化したり、
性格的な問題や避けていた事柄と向き合わされたり、
仕事変わった~とか、人間関係切れたーとか・・・いろいろ。
私の場合は、肉体的には何もなかったんですけど、これ受けたあと、
やるつもりのなかった、ヒーリングの仕事を始める羽目になった、かな?
アチューンメントのときに、ビジョンはそれなり見ましたが、
まあ、それは内緒。

ああ、そう。
あくまで、うちで受けてくれた人から聞いた範囲ですけど、
これを受けた人は確実にヒーリングのスキルはUPしたんじゃないかと。



ライタリアンレイキTM

とても精妙でライトなエネルギーです。
カルナレイキがダイナミックなのに対し、
波動が細かく、あまりにも繊細なので、
ライタリアンだけだと、「え?」という感じで、分かる人はあまりいません。

ライタリアンは単独で用いられるものというよりも、
その他のエネルギーをライタリアンのレベルから流す、という感じです。
ちょっと分かりにくい表現なんですけどね。
ノーマルエンジンでなくて、ターボエンジンにする・・・みたいな??
臼井レイキのライタリアン版とか、カルナのライタリアン版とか?
うーん、説明が難しい。
まあ、ライタリアンのレベルから、
カルナを流すと、柔らかくなるといいますかね。
あー やっぱり説明難しいや。

ライタリアンレイキを受け取ると、はっきりいって、
エネルギーに鈍感になります。
いやさ、鈍感というのはちょっと違う表現ですね。
雑多なエネルギーが気にならなくなる、という感じでしょうか。

私は、ライタリアンを受けてから、
様々なエネルギーのアチューンメントを受けても、
感動がなくなってしまったというのが実情で、ちょっとがっかりでした。
つまらないな~という意味で。

ヒーリングのスキルというより、
「気づき」を促進してくれるエネルギーです。
私の場合は、視野が広がりましたし、
自分以外のことに目が向くという意味でも。

で、ライタリアンレイキは、
ふだんセッションで意識しては使わないです。
臼井レイキやカルナなどと違って、
シンボルがないというせいもありますが、
特別意識して使い分けするエネルギーではないと思うので。

とはいうものの、
ライタリアンのエネルギーが必要だ、というときもあります。
霊的な事柄や根の深い問題に対処するときです。
先祖霊とか、因縁とかの集団想念(グループエレメンタル)や、
呪詛とか、悪質なものに対抗するときは、
これでないとダメなケースも多々。
あー 土地の問題とかにも使いますかね。
(ライタリアンレイキのエネルギーが、
そうしたものに対処する方法だ、というのではないです。
霊的な事柄や呪詛に対処するには、
専門的な知識が技法が必要なので。
そうした基礎的な技術に組み合わせて使えるものだということです。)

とはいうものの、普段のセッションで意識して用いることは稀有です。
通常のセッション、一般的なクライアントさんの問題で
ライタリアンレベルのエネルギーが
必要なことはあまりないってことですね。

ただ、波動を上げてくれるのは事実なので、
霊媒体質(憑依体質)の人には、まあ、いいと思いますよ。
でも、受けたからといって、治るわけではないので、あしからず。

それから、
アチューンメント中(誘導瞑想なので)に
「ブッダ」の名前が多々出てくるのですが、
「聖おにいさん」を読んでいる人(私も含めて)は、「ブッダ」というと、
どうしてもそっちの方の「ブッダ」にボンッ!と、変換されてしまって、
笑いをこらえるのに必死です・・・というか、そのことが超困りモノ。


【浄化と好転反応】

ほとんどないですね。受けた後に、
出来事として色々起きてくるという感じかと。
「気づき」はたくさんあります。気づかされるというのか。
というか、このエネルギーを受けた後、「気づかない」と
気づかないことに対する運命的反動が大きい、かも知れません。

アチューンメント中は、
今いる次元で受けていない、というイメージがありました。
身体はここにあるんだけど、
別の次元にいる自分がそれを受けてるみたいな。
でも、幽体離脱とも違います。
私が見た不思議なビジョンは、天空の上に世界各国の神様たちがいて、
「よく来たね~」と出迎えられ、
酒盛り(私が酒好きだからか?)で祝宴という
そんなシュチュエーションっっっ
そして、仏陀(やたらでかかった)が「見てごらん」と雲の下に手を指し、
地上が真っ暗で闇に包まれてて、明かりがぽつんぽつんとしか無く・・・
それを見てビックリしている私に、「地上に光をもっと灯して欲しい」と。
なんかまー そんな感じでした。



で、続きはぼちぼち


追伸
私の経験として、アチューンメント時、受け取ったときの印象とか、
浮かんだビジョンはこんな感じ・・・とか書いていますけれど、

それは、あくまで「印象」に過ぎません。
例えばほら、料理の鉄人とか、美味しんぼとかのグルメ系の人たちが、
食べた料理の味とか印象を伝えるのに、
大仰な表現をしたりするじゃないですか。
音楽や美術の感想なんかもそう。
心で受け取った五感的な感覚を、
他人に伝えるときにいろんな比喩を使うわけで。
そう、神の雫でのワインの笑っちゃうような味の世界の表現なんかも。

あと、香りを嗅いだとき、それにまつわる子供の頃の記憶が蘇ったり・・・
音楽を聴いたときに、当時の思い出や色んなストーリーが頭をよぎったり・・・

そういう意味で、
アチューンメントではイマジネーションを刺激された結果、
心の心象風景として、そういうイメージ(ヴィジョン)が浮かぶことがあるって、
そんな感じですかね。

まあ、実際、そういうビジョンは、心で置き換えられたモノ、なので、
まんざら意味がないことではなくて、夢のようにメッセージ性のあるもの、
その人が自分に訴えかけているものだったり、記憶の発掘だったり、
ですかねー

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