2015/10/31

スピリチュアル・カルテNo.16「母と子の縁(えにし)」

ファイルケースNo.16「O・Sさんの場合」

家族や親子として生まれてくるのには、それなりに意味がある。

すべての魂はひとつであるという
ワンネスの考え方は脇においておくとして・・・
いちおう親子というの魂の上ではあかの他人として考えるべき。

「血」や「家」に縛られる必要はなく、
ギブアンドテイクの関係を築くべきなのだ。
何故なら、魂は合意の上で、その環境、その親を、
自らが必要とする経験を与えてくれる関係として、
保護者として選んでくるのだから。


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さて、
ダンサーであるその方は離婚されて、
小学校一年生になる娘さんと2人暮らし。

この娘さんとの関係で彼女は悩んでいた。
娘さんはとても難しい性格で、何かというと自分に絡んでくる。
2人はいつもケンカばかり。
彼女自身、娘さんのことを生まれた時から「可愛い」と思えずに、
そんな自分のことを責め続けていた。

娘のことを「憎たらしい」と思い、
愛することができない自分をどうしてなんだろう、
母親なのに・・・と思う、と。

最初から、良い母親になれる人なんていない。

女だから、子どもを産んだから子供を愛せるなんてのは、
彎曲した母性神話もいいとこなんだよね。
母性に多大な期待を寄せすぎてる、
男性社会の誤った観念というのかな。

すべての母親が子どもを最初から愛せるわけじゃない。

とにもかくにも、
彼女にはそうやって自分を責め続けたことでオーラがひずんで、
離婚の傷もあいまって、ボロボロだった。
「男なんて、もうこりごり~」って思いもあったし・・・。


オーラに触れた瞬間、ふと・・・過去が見えてきた。
彼女と娘さんの過去生だ。

ロシア・・・だろうか? よく分からないけど、
寒いほうのヨーロッパということは解った。

彼女は貴族の男性だった。
過去生の娘さんは貴族の女性。

2人はこのときは、あかの他人として社交界で出合った。

まだ独身でプレイボーイだった彼(Oさん)は、
今の人生とはキャラクターというか、
パーソナリティがかなり異なっていて、
とてもクールで、淡白というか・・・感情的には冷淡な面もある男性。
シニカルっていうのかな、人と距離を置き、少し斜めに世を見ている。
退廃的な貴族社会においては、
そうした「あきらめ」は環境が培ったものというか、
処世術として必要というのか・・・
当時の彼らが誰しもかぶらざるを得ない
「仮面(ペルソナ)」だったのかも知れない。

彼・・・当時のOさんは恋愛を遊びとして楽しんでいた。
本気の恋愛はかっこわるい・・それがその社会の常識だったよう。

いつものように誘惑して、頂いたら、さようなら・・・そのつもりだった。

けど、
彼女(今の娘さん)はプライドは高いけれど、
中身はまったくうぶな娘さんで彼に本気になってしまった。
(そうさなあ、
性格はツルゲーネフの「はつ恋」のヒロイン、ジナイーダみたいな感じ?
負けん気が強くて、他人にはちょっと残酷で、情緒不安定で気まぐれで。
ちょうど、あの作品もロシアが舞台でしたね)


彼はそんな彼女を鬱陶しいと思い、冷たく傷つけて捨てた。

その時、彼女は妊娠しているのに気づいた。
独身の、結婚前の女性が妊娠なんてのは大変なこと。

でも、彼女はどんなに親に咎められても、
相手の名前、彼が相手だとは言わなかったんだよね。
困り果てた親は、彼女を田舎の領地に引っ込ませて、
そこで彼女は子どもを産んだ。

そして、子どもは体裁のため、養子に出されたんだ。
わがままで気の強かった彼女だけれども、そんなことがあったから、
親のいいなりになるしかなくなって、
適当な相手のところにその後、嫁入りさせられてしまったみたい。

そんな2人が、今生では親子・・・
母と娘として関係を持って生まれることになってしまった。

彼は、今生では女性として生まれ、
かつて自分が冷たく捨てた女性の母になった。
彼女は、今生で再び女性として生まれ、
自分を誘惑して冷たく捨て、
私生児を産ませた男・・の娘になることを選んだ。

でもって、彼いやさ彼女が別れた元ダンは、
その人生の時の彼の親友で、彼が彼女にしたことを責めたり、
彼女と彼の仲を取り持とうとしたりした人物だった。

なんかフクザツな関係だ。


そんなワケで、娘さんの中には過去生の彼女の思いがあるので、
母である人の中に彼の姿を見て「責め」てしまうのです。
母である彼女の中には、自分が捨てた女性への負い目がある。
だから、どう接していいのか判らない思いも存在していて・・・ややこしい。

実は~過去の彼は無自覚だったのだけれど、
「ボクには愛なんて関係ない」「誰も愛さないし、必要ない」と
いっていたのにも関わらず、彼女のことを愛していたんだよね。
自分の気持ちに気づいていなかったようだけど。

だから、彼女が子どもを産み落としたらしい・・・というのを噂で聞いて
かなーり動揺したりしてたんだけど。ポーカーフェイス貫き通したらしいの。
そういう彼を当時は親友だった元ダンナが、
「お前ってヤツは人の心がない」「感情というものがないのか」
と、よく言ってたらしくて。

で、
「お前って、ホント人の気持ちがわからないやつだよな」
が元ダンナの口癖だったとか。


この人生
彼女が彼であったときに、元彼女だった今の娘さんにしてしまったこと
・・・を聞いて、彼女は泣いた。魂の涙だ。

今度は彼女の母になることで、
彼女を愛して守っていく人生を選んだのだと、納得できたのだろう。
そう、彼は彼女に対して「償い」をしたかったのだ。

だから、母と子を捨てた自分を、その環境になぞらせて
バツイチで一人で子どもを育てる母親の経験をする人生を選んだ。
自分へのバツ、彼女への償いとして。


その後、定期的にセッションや各種アチューメントをしに訪れてくださって、
イナンナマザーレイのアチューメントをしたあと、
「初めて娘をいとおしいと、
なんて可愛らしい存在なのだと思えるようになった」
との感情が芽生えたとのことである。

最近では2人はめったにケンカをしなくなって、
親子の仲も良好だとのこと。

それは何よりだなあ、と思った。


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子育てに悩みの無い人なんて、おそらくいないと思います。
もっとも、「私の子育ては絶対で、これでいいのだ!」
な~んて思ってしまう母親がいたら、そっちのほうがよっぽど心配です。

望んで産んだ子にしても、望まずに産まれた子にしても、
それぞれがひとつの個性である以上、相性というのはありますしね。

親子関係といっても、基本は「人間関係」ですから。

苦手意識、好き嫌いの感情、意見の相違、価値観の違い・・・
それがあって当然です。

結局、親というのは、
子育てを経験しながら、時間と年月をかけて親になっていくのです。

親子というのは、産んだから、育てたから・・ではなく・・・
産んだ瞬間に「親子」という関係が出来るのではなくて、
共に向き合い、係わり合いながら、
歴史を積み重ねて、「親子」になっていくものなのですね。

親側にとっては、その子だけでなく、
自分自身の中の子供の部分をも育てていく大プロジェクトで、
子供を通して、自分ととことん向き合っていく作業をしているだけで。
大きな、自分を成長させるための「プログラム」なんです。
この場合の、子供の存在は親を育てる「教師」なんです。

「親」だから完璧というわけでなく、
人を養育できるほど「大人」だから、「親」になれるわけでもない。
残念ながら、資格試験があって、
子供を育てる許可をもらえるわけでないので。

ときに最後まで「親」になれない人もいますけどね・・・。

また、「血」の繋がりが、すべてでもない。
その人が親と思う人が親で、子供と慈しめる存在が子供なのです。



でも、ジェンダーに関しても同じですけれど、
母親だから、父親だからといった、「こうあるべき」というステレオタイプを
皆、求めすぎるんですよね。
子供に対してもそう。

動物の世界での母性は、
時に人間以上に濃密で豊かで、繊細であるけれど、
そんな動物の世界でも、子捨て、子殺しは当たり前なわけで。
ハーレムを形成するような動物の群れでとくに、
ボスが変わると、それ以前のボスとの間に生まれた子を殺し、
母親もそれに習って、新しいボス(夫)に従い、
子を見捨て、新しい子を産もうとする。

人間も・・・動物なんですよね。
子殺しの話とか、「ひどい」と言うけれど、それは昨今になってからで、
その昔は口減らしとか、間引きとか、当然のようにあったし・・・

まあ、その話はおいておいて。

父と子、母と子、兄弟姉妹など、現在の関係は身内で愛すべき対象でも、
過去生を紐解いてみると、敵同士だったりとか、恋人や夫婦だったりとか、
そういうのは意外と多いというか、あったりするのです。
時に、お姑や舅といった義理の関係、おじおばとか・・・もありますし。
また、お嫁さんやお婿さん、義理の家族としてかつての娘や息子などが
今生の家族として、やってくる場合もあったり。

過去に義理の関係だった場合だと、
血が繋がっていれば愛することが出来るかも知れない、という期待から、
実の親子という関係を選んでくる場合もあるようです。

今度こそ、理解しあおう・・・今度こそ仲良くしよう・・・
なんて目的意識を持って。

でも、胎動を通ったときに、すべてを忘れてきていますからね。
結局、
「やっぱり、またしても同じところで躓いてしまった」
という人は少なくないのでした。
覚えていないところで・・・
忘れたところからスタートさせる白紙の関係だからこそ、
やり直しの意味があったりするので、アレなんですけどね。

他人だと、友達同士とか、仕事で出会うような第三者だと、
その場限りにすることも出来るし、自分から切ったりもできるけど、
親子というのは・・・血縁関係だけはそうはいきませんからね。

よく、「頼んで産んでもらったわけじゃない!」
「生まれたくて、あなたたちの子供に生まれたわけじゃない」
という人いますけど、
生まれる前に納得して、親として選んで生まれてもいるし(自分で了承して)、
親になる人も、自分の子供として生まれてくるその人を、
すでに自分が生まれる前に受け入れて、
子供として「引き取っている」わけです。

肉体の親子と言うのは、
魂レベルで双方納得しての養子縁組を結んだ結果、
親子として成立する・・・というところなんですよ。

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