2015/10/31

S・C・F番外編「飽食と消費、物あまりの時代」

戦争が終わって 僕らは生まれた
 戦争を知らずに 僕らは育った
 おとなになって 歩き始める
 平和の歌を 口ずさみながら
 僕らの名前を 覚えてほしい
 戦争を知らない 子供たちさ

 若すぎるからと 許されないなら
 髪の毛が長いと 許されないなら
 今の私に 残っているのは
 涙をこらえて 歌うことだけさ
 僕らの名前を 覚えてほしい
 戦争を知らない 子供たちさ


             「戦争を知らない子供たち」 byジローズ


この歌を知らない人のほうが、今は多いんだろうなぁ・・・遠い目
(今年で終戦65年目、80%の国民が戦争を知らない世代になってしまった)

で、
この歌が流行ってた頃の日本では学生運動とか反戦運動が盛んで、
「戦争を知らない子供たち」は
ベトナム戦争に対する反戦歌の代表歌でありました。

そして、全共闘と呼ばれた人々・・・
学生運動に加わったほとんどの人々が、
太平洋戦争で亡くなった人たちの生まれ変わりだったりする。
(大きな事件で亡くなった人々は、
グループになるし、転生サイクル早いから)
彼らは、「国家」に騙され、
偽りの思想や教育を施された経験と恨みから、
国に対する不信感が強く、教育に対する「疑問」を持って生まれた。

(ちなみにこのジローズって、
生まれたときは可愛くて小さかった息子が、
だんだんと荒れていき、それを悲しみの目で見る親の視点を歌った、
「ANAK (息子)」の作者杉田二郎氏のいたバンド。
あの頃は校内暴力とか、まあ、学校も荒れていて。それまた遠い目・・・
作詞者の北山修氏は、「帰ってきたヨッパライ」の、
ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバーで、精神科医でもあり。)


とはいうものの、
この歌を引用したからといって、
戦争と平和についての話ではないのがミソ。


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日本人は、平和ボケしていて
危機管理意識が低いとか(確かにそれは事実)、
国家権力や政治家に対して従順で、飼いならされた羊とか、
ぬるま湯につかっていて、偽りの平和を生きている、だとか・・・
いろいろ言われていたりしますが。

でも、たとえ偽りの平和だとしても、
今の状態は決して悪くはないと思うのです。
過去の時代、歴史を思えば、
今の時代ほど、平和で世の中で公平が保たれている時代もないから。
(とりあえず日本に関して)

とはいうものの、
私という個人の歴史においては(つまり過去生ってやつね)、
文明や文化、科学は今の時代に比べてはるか劣っていても、
それで人々が平和かつ幸福に暮らし、
上手くいっていた時代はありますけれども。
(アメリカインディアンの某族だった頃のハナシ)
それはそれで置いておいて。


ちゃんと法律があって、
それが正しく作用しているかどうかはともかくとして、
人々の生活や暮らしの秩序が保たれるために使われようとしていて、
悪が悪として裁かれ、
罪人の人権についてさえ考える人たちがいて、なおかつ守られていて、
情報も基本的に開示されていて、
汚職をした人が非難されたりとかもするわけで、
政治的な思想を持っているからといって特高に処罰されることもなく、
女性も男性も法の上では平等で、
民主主義で、民衆も政治には参加できて、女性にも参政権があって、
不倫や浮気をしたからといって、皆に石を投げて殺されることもなく、
すべてを女性のせいにされることもなく女性もお葬式を出してもらえて、
道徳の教育があり、差別はいけないとされていて、
障害者の人権も守られてて、
生活保護や年金や福祉制度もあったりとか、
医学も進んでいて、薬も医療費も、庶民に手の届くものであり、
子供たちも教育も受けられて、売られたり、
過酷な労働を強いられることもなく、
職業も世襲制でなく、好きな仕事を選ぶことができて、
街は衛生が保たれていて、
水も電気もガスもスイッチや蛇口ひとつで使えて、
何キロも重い荷物を持って歩く必要もなく、
車も電車も船も飛行機もあって、
お腹が空いたら、いつでも何処でも食べ物を買うことが出来て、
何しろ飢えることもなく・・・簡単に殺されたり、死ぬこともなく・・・

書き連ねたら、キリがないけれど。

私たちが当たり前のように思っていることが、
当たり前ではなかった時代があって、
今の私たちの生活は、過去の苦しみや犠牲の上に成り立ち、
改善しようと努力しつづけた人々の汗や涙があったからこそ、
手に入れられているわけで。

過去に生きた人々・・・それは自分だったかも知れないが・・・
その人々の未来に掛けた「想い」が、
今の世の中を作っている礎になった。

そのことは紛れも無い事実。

汗と血と涙と、屍を踏み台にして、
私たちは「今」を生きる自由を与えられている。

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ちょうど同じ時期に、似通ったメッセージを伝えることになったりした。
三ヶ月くらい前のこと。
別々の人にだけれど、ほんの二週間くらいの間で。


「私たちは・・・
あなたの先祖である私たちは、
それはそれは貧しい生活をしていた。
毎日食べることで精一杯だった。
今日食べ、生き抜き、
明日の食べものの心配をすることがすべてだった。
生きることでとにかく必死で。
これ以上家族が増えては食べていかれないからと、
泣く泣く生まれた赤子をその手で殺すものも多かったし、
子供がお腹を空かせていても食べさせるものは何もなく、
飢えて弱っていくのをただ何も出来ずに見ていくしかなく・・・
お天気の心配をして、それを伺って、日照りや雨に泣かされて・・・
最悪、身内の死体を食べて、飢えをしのぐことまでしなければ
生きていけないこともあったんだよ。
あれは本当の地獄だった。

それに比べたら、何を悩もう? 
今のお前のどれほど恵まれていることか・・・
帰ってこいといってくれる家族もいる、支えてくれる友もいる。
美味しい食べ物も、着るモノも、仕事も見つかったじゃないか?
何故、自分に与えられている恵みに気づこうとしないのか?」

その方・・・Yさんのガイド(主護霊)は、彼女の祖先。
小作農のまとめ役をしていた家(庄屋?)の、しっかり者の娘さん。
面倒見のとても良い人だったようで、
多くの人に慕われていた人だったよう。
彼女の周りには、いつも農民?の人たちが数人、
彼女(ガイド)を守るようにして、現れる。


東北・・・の人だから、
この言葉を聴いて、ああそうなんだろうな・・・と思った。
本当に辛い現実、時代を生きた人なんだな・・・と。

「食べていけるだけで幸せじゃないか」

ものすごく重みのある言葉だと・・・
私に対してではなく、伝言として託されたメッセージだけれども、
私自身の胸にも響いた言葉だ。



東海地方からわざわざ通ってきてくれているOさんは、
家族のことで悩みを持っているのだけれども、
彼女には、過去に今と同じ県に住んでいたことがあったりした。
そんなに古い時代ではない・・・まだまだ新しい過去の話。

貧しい農村に生まれた彼女は、
どうにもならない貧乏生活の中で、
その当時では珍しくないことだけれども、
口減らしで、幼いうちに親元を離れ、奉公に出されることになった。
女の子だったから、
「女郎」として花街に売ったほうがお金にはなるけど、
せめてもの親心というか、廓よりはマシと、商家の下働きへと。

女郎だと借金を返して年季が明けても、
性病にかかってしまったら終わりで、
生きて戻れたとしても嫁ぎ先が難しい。
その後の人生を考えての、親の愛情だったんだと思う。

でも、奉公に出された家での労働はとても厳しくて、
白いご飯は食べられるものの、
殴られたり、朝から晩までの重労働。
おまけに、その家の子が親に可愛がられ、
親と一緒にいるのを見させられ、
まだ小さかった彼女は里心がついて、親が恋しくて恋しくて、
毎日泣いてばかりいた。
泣いては、うるさいと殴られて、押入れに閉じ込められたり・・・

「どんな親でもいい。可愛がってもらえなくてもいい。
同じ殴られるんなら、父ちゃんに殴られたほうがいい。
冷たい水で手が血だらけになっても、家でなら、
家族みんなで暮らせるならば、母ちゃんと一緒に暮らせるなら、
どんな辛いことも我慢できるのに。
お腹が毎日空いていてもいい、どんな暴力的な親でもいい、
一緒に暮らせるんなら、本当の親と暮らせるんなら、
どんな環境でも我慢できるのに」

彼女はそう毎日毎日考えた。
そう強く思って過ごした。家族と一緒に暮らす夢を見ていた。

「どんな親でも家族でも、一つ屋根の下、一緒に暮らせるんなら・・・
どんな親でも自分のこと捨てないでいてくれるんなら」


その強い願い、彼女の夢が叶ったのが今の人生だったりする。
今の人生は、過去の彼女が夢見た未来。
自ら望んで選択した道。


過去生の彼女が言う。
泣きながら、彼女に訴える・・・
あなたの悩みは贅沢だと。

「いいじゃない。
ひどい親っていうけど、一緒に暮らせてるじゃない。
あなたのこと、決して捨てない親じゃない!?
あなたのこと、殴ったりもしないし、
いやさ殴られたって、いいじゃない。
親子で暮らせてるじゃない? 
ちゃんとご飯食べさせてもらってるじゃない。
あなたのこと捨てずに、育ててくれてるじゃない。
家があって、自分の家で暮らせて、両親揃ってて、いいじゃない!
キレイなベベ着て、楽しいこともあって、
皸で手まみれになることもなく、
笑えることもあって、いいじゃない」



自分が望んだことが現実になってもなお、
人はあれこれ満たされぬ想いを、現実の中に見つけようとする。


確かに、いったん飽食の時代の果実になれてしまった後では、
今がどれほど恵まれているか、なんてこと・・・
気づくことは容易でないのかも知れない。

もっと、もっとと・・・貪欲に、尽きることなく欲望を膨らませて。
際限の無い、物欲に呑まれながら。

隣の芝生を青く見て、無いものねだりを繰り返すだけ・・・
いま、目の前にある平凡な幸福に気づこうともせずに。


そんな風に、人はいったい、何処まで行こうとしているのだろう。
欲しいものを手に入れても、なお。


生きていくことだけで精一杯だった頃には、
人はもっと心が豊かだったような気がする。
物質至上主義という価値観に支配され、
恐怖から逃れるために、モノやお金を稼ぐことに必死になり、
見捨てたり、見過ごしてきた多くのものの中に、
私たちがもっと大切にするべきものが、多分たくさんあったはずだ。



「ふん 三年前この男に憑いて驚いた
 田を耕すこともしない 
 土地をめぐって戦うこともしない
 狩りもしない 漁ることもしない
 妻もいない

 食べる物 着る物 住む所・・・
 すべて親が用意してくれる

 この年になってもだ・・・

 そして 考えていることといったら
 その女のことばかり
 そのことだけに苦しみ 心は醜く歪んでいる」


「・・・私が憑いていた男もそうでした。
 何不自由のない暮らしの中で
 ただひたすら高校を恨んでいた」

「ふん・・・衣食足りると心の闇はかえって深くなるのかもしれぬな。」

                        「真・カルラ舞う」より

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