2015/10/31

S・C・F番外編「発達障害とカルマの考察」

ひとつの事例の背景について書くと、
そのようなケースのすべての背景や原因が、
さも、そうした理由から派生している・・・
というような誤解を生んでしまうこともあるので、
このような話を他者に伝えるにはとても難しいといつも痛感する。

当方としては断定はせず、あくまでも
このようなケースではこうした傾向があるようだ、と
ひとつの見解を指し示しているだけのつもりなのだけど。

それでも他人に情報を伝え、印象を与えるという意味では、
文章にして、誰しもが読めるところに公開する行為は、
本当に責任の重いことだ。

文章に書き起こして開示するのは、
それが誰かの(その人が物事を解するのに)役に立つという、
信念のなせるわざではあるが・・・。

もし、そうであっても、
いたずらに周囲や他者に先入観ばかり植え付けて、
題材となる人々の尊厳を傷つけ、人権を無視した、
罪深い行為であるならば、その罪は潔く背負って行こう。



数百年も前、中世よりも前の頃であったか、
私は欧州のある国で男性だったとき、学者であり、
天文学者たる占星学者であり、
医師の真似事のようなことをしていた人生があった。

とても閉鎖的で非社交的な人間で、
およそ親切心とは無縁の人間であった。

他人を信じず、他人の意見や学説に懐疑的で、
自らの発見した法則や発見に固執し、
自分とは異なる意見にはとことん批判的。
弟子は取らず、長年の臨床と研究の成果を他者や後進に伝え、
他者と分かち合おうなぞと考えることは皆無で、
一言でいうならば知識の出し惜しみ、ケチを絵に描いたような
偏屈でイヤなコチコチの石頭の学者で、
醜い、醜い、醜悪な老人だった。

その時の教訓、反省から、
今生では、他人に持っている「知識」を分け与え、
知っていること、前任者の知識を伝え残すことを、
おのが使命であると、それがカルマのレッスンでもあると、
後任者を育てることがライフワークなのであるが・・・

とはいえ、臨床の場には患者たるクライアントが存在する。

疾患名や臨床データという数値だけならいざ知らず、
私が扱うのは、「人」そのものの人生である。
その人の人となりであり、生きてきた道程であり、
魂の足跡たる過去であり現在のことである。
実名や個人を特定する情報は無くとも、
極めて個人的な情報であり問題について文章に起こすこととなる。

また、科学ではなく、非科学的な眉唾的なことではあるものの、
言葉にして、記録のように残すことには責任がある。
人に伝えること、情報を発信するということはそういうことだ。
その重みを常にこの身に刻みつつ、
臨床例として書かせていただく、当事者への感謝と畏敬の念、
その人という存在、人生への尊重を忘れることなきよう、
真摯に綴っていくことを改めて決心し、襟を正したいと思う。



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先日、派遣先にて とある人に出会った。

同じ班にあとから合流した人なのだが、
とにかく後ろ向きな発言が多く、
何かと「すみません、申し訳ありません」を連発。
腰が低い謙虚な人と言えばそうだが、
「ありがとう」というべき場面でも、
ひたすら「すみません」と暗い顔で言われると、
言われる側としては、まるで加害者の気持ちにさせられる。

あげく「私なんか来ないほうが良かったですね」
などと、注意や間違いを指摘したことの返信がそれなら、なおさら。

実際、その人は困ったことに典型的な仕事が出来ない人、だった。
とんちんかんで的外れな質問をするも、
何を言っているか判らないので、お互いに頭の上が「?」
はっきりいって、日本語が通じない。
何度教えても覚えないし、仕事も信じられないほどめちゃくちゃ遅い。
かといって丁寧というのではない。
人のミスを見つけると意気揚々とするが、ミスの量はハンパなく。
行動が非常識というのか、
とにかく予測不可能なありえない行動や言動をして、
妙なこだわりが強くて、協調性は皆無。

今まで働いたことがホントにあるの?って、
疑いたくなる実務能力の無さ低さ。

見た目は結構な年に見えるので、
たんなる加齢による衰えかもと思いつつ、
実際はさほど年でもないわけで、
他の人と比較したとき、単なる老化ってわけでもないみたいで。
(同じ班に、既にジャイアンとスネ夫がいたので、
私的にはネガティブのび太と、勝手にあだ名つけてました。
心の中で・・・全員オバサンですけど)

みんなして理解不能に陥ったけど(正直仕事にならない)、

もしかして、これって・・・アスペ?いやさ発達か・・・

この人、発達障害であることを当人も周囲も気付かずに、
今まで来たケースでは?と・・・。

たぶん、すぐに「ごめんなさい」「すみません」と、
口にするのは、それまでもたくさん人に迷惑掛けてきて、
何度も誤らなければいけない状況に陥ってきたからなんだろう。
そのクセというか、習性というか。


ちょうど、その少し前に友人になった、
臨床心理士(スクールカウンセラー)の人から、
発達障害やアスペの話を聞いていたあとだったんですね。
彼女は職業上、その対応の専門家なんで。

その前から、アスペや発達のことは耳にする機会はあったわけですが、
話を聞きながら、
「どうして発達障害とかアスペとか、なるのかなあ?
 その背景というか原因って・・・因果関係はナンだろう」と、
漠然と考えていたわけです。

そして不思議なことに、その職場において、
年を取ってのボケ? というのではなく、
どう考えても、発達障害・・・ですよね、という人に数人
まとめて遭遇することになってしまいましたのです。ハイ。


で、前述の女のび太さん。
別に意図的にその方のリーディングをしようと思ったわけでなく、
過去に興味を持って勝手に盗み見したわけでもなく、
ふいに入ってきたというか、私の疑問に答えるかのように、
頭の中に情報が入ってきました。
「この人、おそらく発達障害なんだわ」と理解した瞬間に。


まず見えたのは、小公女セーラのような寄宿学校。
その人はとても厳しい女教師で、
何かにつけ、生徒たちに辛く当たっている人でした。

とくに「何であれができないの、これができないの!」と
できないことを責める。
生徒たちがミスしたり、ちょっとした規則違反をすると、
鬼のように「それみたことか」と折檻を加える。
(リアル・ミンチン先生)

そしてお金持ちに対する妬み、僻みのすごさ。

たぶん、自分自身が貧しい生活をして苦労したからなのか、
親のお金で何不自由なく生活できている生徒たちに、
やっかみというか、嫉妬の炎を燃やしていたわけですよ。
そして世の中とお金持ちを恨んでた。

一言で言うと、性格悪く、心醜いオールドミス。

で、何で今この人は発達障害なの?という回答としては、

他者の些細なミスを許さず、
未熟で発達途上にある子供たちに対して、
教育者として忍耐強く教えることせず、
「できない」ことをひたすら責め続け、あげつらい、
自分の思い通りにならないとヒスを起こし、
「心」を重視せず、厳格で心無い規則を守ることを人に課した結果。

自分が何をやっても「できない」人になり、
規則とか当たり前のことを「守れない」人になり、
他人を理解しようとしなかったので、
誰にも理解されない人になる・・・

そしてお金を憎んでいるのでお金から愛されず・・・

かつてたくさんの生徒たち(本来は愛すべき子供たちだった)を、
力で支配し、屈服させ、畏怖を植えつけ、
「すみません」「すみません」を何度も言うことを強要した結果、

何をやっても、「あーあ」とあきれられ、怒られ、
誤らなければいけないハンデを、彼女は背負ってきたのでした。
かつて自分が子供たちに対してそうしてきたように。

でも、今生の半世紀生きてきた人生にて、
そういう自分について心底悩み、
人との違いについて謙虚に考えることができていれば、
このレッスンから得ることもあったんでしょうが、
残念ながら彼女は、
まだまだカルマのレッスンには気付ける状態ではなかったです。
過去につくった、意固地で偏屈なエレメンタルにコントロールされてて。

でも、そのエレメンタルに支配されたとき、
完全に肉体を操られないようにするために、
あえて脳の機能障害というものが存在するのだと・・・

脳が正常であったのなら、
過去と同じ行動をきっと繰り返すことになったでしょうから。

それを「させまい」としての、
阻害するための今生の発達障害なんですね。
彼女の魂はそれを選択して生まれてきたのでした。


いつか彼女が、学ぶべきことに気付き、
次のステップに移行する日が早くきますように・・・祈るばかりです。


この彼女のように、
他者の感情や行動原理を理解できない人、
自分と人との差異に鈍感な人、自分が出来ることを
他人が出来るとは限らないことを判ろうとはしない人、

そういう人が鬱病になることで、
「できない」状況を経験させられるケースがあるという話を
以前どこかの記事で書いたことがあります。

たぶん、発達障害やアスペルガーみたいなケースは、
その次の段階というか、そのような軽度の経験をさせても、
判らなかった人、学ぶことが出来なかった人への、
最終コースって感じでしょうか。

けれど、もちろんすべてのケースが、
そうしたカルマの傾向を持っているということはないのです。
ケースバイケースというのはありますし、
私自身、すべての発達障害の人に会ったわけでもないし、
統計データ出せるほどの数の事例を見たはずもなく。

あくまで、数人のケースから「教えてもらった」だけなので。


過去生ミンチン先生で今生は野比のび太さん・・・のケースだと、
過去に自分が他人に与えた痛みを知るっていうような、
ある意味因果応報的な学びの一貫的レッスンではありますが、

どうも、「学び」とはいえないケースもあるのだと。

それは一部の性犯罪者や
性欲をコントロールできない性向を持った人が、
身体に障害を持ち、その欲望を簡単には果たせない
肉体に生まれてくるケースがあるのと同様で・・・

自分が過去、どれほどの悪行、非道で残忍なことをしたのか、
または
そのような非人間的(サイコパスとも)な趣向を持っているのか、

それらの記憶(エレメンタル)を削除されて、
転生してくるケースがあるのだと。

これは慈悲のなせる業でもある。

思い出すとかいう以前の問題で、
とにかく無かったことのように、記憶というよりは、
肉体的な行動パターンのクセを「喪失」されている状態だと。

このあたり基礎知識の無い人に説明するのは難しいが、

ふつう人は何回も人生を繰り返して、
感情の喜怒哀楽を味わい、失敗や成功を経験して
体験したことから知識や智恵を身に付け、
精神的にも感情的にも成長していくもので、
そこにはもちろん負の経験も正の経験もあり、
どちらも必要な記憶で、それがあるから、
その人なりのパーソナリティが確立し、今生の個性がある。
それが今の人生の土台となる。
この土台があるから、上手くできることと出来ないことがあったり、
今の人生で経験していないことでも、
過去生の経験を元にして想像したりすることができる。

考える力、感じる力、肉体を動かし使う力、
言葉の使い方などなど。

たくさん人生を生きて、多彩な経験をしてきた、年寄りの人ほど、
経験のストックも記憶のストックもあって、複雑だ。
けれど、あまり人生を生きていない若い魂は、
記憶も経験のストックもなかったりする。
(そういう人たちはグループエレメンタルや周囲に染まりやすいが、
ここでは別の問題になるので話はまたの機会に)

で、かつてサイコパスなど
非人間的な行動パターンの多かった人が、
人とのしての経験をイチからやり直すために生まれるとき、
ごっそりと、その人生そのものを無かったかのように、
データから削除されることがあったりする。
すると、その人生で身についた能力とか、
生活で培った行動パターンとか、
そういうのもごっそり欠落することになる。

なんていうか、人として「必要なデータ」も
一緒くたになくしてしまうケースがどうやらあるようだ。

どうも、ただの発達障害でなく
アスペとかサボン症候群とか、
知的障害とは少し異なる軽度な脳の障害の場合、
あくまで一部の人であるが、
そのように自分を封じる意味で、
機械的に今生を生きるために、その選択をした人がいるようである。

そして自閉症に関しては、
若い魂というか、今回初めて人間として生まれたがために、
三次元の世に馴染めず、戸惑っているといった人が多いようだ。
三次元の事象を認識できないというのか・・・
はじめて三次元に遭遇してしまい、どうすればいいのか判らないというか、
人間デビューしましたけれども・・・みたいな。


こういう事実?を知るにつけ、

やはり人間は面白いし、興味深い事例がたくさんあるな・・・と
ついつい思ってしまう私なのでした。

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