2015/11/05

あの世とこの世と守護霊様のハナシ②

さて、続きです。

とりあえず、ガイドさん。
守護霊さんたちですが、彼らもまた修行中の身だと申しておきましょう。
(ただし、過去生パーソナリティとしてのエレメンタルは除きます。)
個人の担当をしている彼らは、私たちの指導教授?をしながら、
自らもまた学んでいるわけです。
私たちを通じて、人生のシュミレーション、
疑似体験をしているといいますか。

だから、何でも知っているわけではない、とだけ。

NPO)透明なヘルパー軍団(なんか石原軍団みたい?)は縦型組織です。
このあたりの説明は
あくまで分かりやすく例えていっているだけですで、念のため。

会社組織に例えてみると、
物質社会にて、物理的肉体を所持して生きる存在としての私たちが、
ヒラ社員だとしたら、
守護霊さんたちはその上司。係長とか課長みたいなものです。
で、私たちの上司のそのまた上には上司がいます。
部長とか、次長とか・・・
そして、
そのまたさらに上には、常務とか取締役とか会長とか相談役とか。

なので、ガイドさんチームにはちゃんと上司?がいます。

そのずっと上のほうにいる人?たちは、
基本的に転生の輪廻から抜け出して(解脱か)いる存在ばかりなので、
よくアセンテッドマスターとも呼ばれますね。
この言葉は聞いたことがある人も少なくないかも知れません。
直訳すると、昇天した師、という意味。

でも、転生の輪廻から抜け出した人も、上から指示出し?するだけでは

「それぢゃあ、らちがアカンぜよ!」

と、思ったか思わなかったかは知りませんが、
その人個人の人生としては、
物理的社会でもう一度生きる必要性はないのに、
わざわざ生れ落ちて、
物質社会の住人として、頑張っている人たちもいます。
その数は決して多くはないですが。

勉強なども、
人に教えることでよりいっそうの学びを得ることが出来るように・・・
親が子供を生んで、子育てをする過程に置いて、
自らを育てなおし、人として大きくなっていく機会を得るように・・・
上司が、部下を指導育成することによって、
人間的器を磨いていくように・・・
ガイドさんたちも、そういう経験を積んでいる人たちだったりします。

そういう意味では、ギブアンドテイクの関係といいましょうか。
双方に利点、学びのあるシステムです。
でも、管理職は辛い・・・といいますか、
(実際の管理職や新人教育指導係など、
その立場の人は分かるでしょうが)
自分たちが手を出してやってしまった方が早いことを、
本人が出来るようになるまで見守ったり、
それが出来るように誘導したり、
その人の良さを伸ばして、短所をなくして・・・
どうすれば、いいのか、あれこれ考えて智慧を絞って悩んで、
そうやって、一人前に育てるのがどんなに大変なことか・・・。

まあ、ガイドさんたちはそれをしているわけですね。
見えないところで・・・

本当にご苦労様なことです。

「ホントだよ!」

と、今この瞬間にも、うちのガイドさんが背後でつぶやいてそうです(笑) 


ちなみに、余談ですが、
19世紀末にイギリスで起こった、スピリチュアリズム運動も、
そうした、NPO)透明なヘルパー軍団の人たちが、
計画して準備して・・・起こしたことだったりします。
物理的な次元において、
それを具現化するのは、とても大変なことなんです。
(※高い次元から働きかけて、
 低い次元にそれを事象として起こすまでには
 かなりのタイムログが生じる。
 また、物理的次元との連携が必要であるし、
 そのためには媒体となる人間の育成もしなければならないので。
 充分かつ周到で念入りな準備、年月が掛かってしまうのです)


そんなこんなで、ガイドさんたちというのは私たちに対して、
「働きかける」存在でしかなく、
絶対的な力を持って、
私たちをコントロールしようとする存在ではありません。

そのような利己的な目的のために働いている人たちではないのです。

また、彼らのもたらす影響は残念なことに微量で、
物理的次元にいる私たちのほうが、圧倒的な力を持っているので。


そうそう、ちなみに
死んで「あの世」と呼ばれるところに行った人たちすべてが、
NPO)透明なヘルパー軍団に参加するわけではないです。

一般に成仏と呼ばれる状態にならない人もいるし、
(この場合、この世と言われる物理的次元より
低い次元、階層に囚われて、
それ以上の階層にいけない人たちってところです)
直前の人生を振り返って反省モードに入る人もいるし、
転生の準備をして新たな人生を選択する人もいるし、
それはもう人それぞれ。
その人の魂の状態が、
どの階層の状態にあるか、というのもありますので。

輪廻すなわち転生の輪を終結した人たちの中から、
同胞のために奉仕する道を選ぶ人もいるし、
もう一度、新たな人生をスタートさせる前に、
ウォーミングアップ?か、事前の勉強や修行の道のりとして、
ガイドさんとしての道を選ぶ人もいたり。
(志望してもなれない人もいますし)

その理由もまた、まちまちです。


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余談。
エレメンタルは死にません。
ひとつの人生のパーソナリティのコピーとしてのエレメンタルも、
単なる想念体としてのエレメンタルも。

でも、三つの体はいずれ崩壊します。
肉体、物理的な次元での肉体が一番先。
死後100年以内くらいなら、地上にて「幽霊」として目撃されるものは、
物理的肉体を失くして、後の二つの肉体だけを所持している人間、
というものが多いのですが、それ以上の年月だと、
エレメンタル(コピー)が居残っていて、幽霊として目撃されたり、
その場を悪くする残留思念として、そこに在ったりします。

だから、その人生を生きた人がすでに生まれ変わっていても、
その人の遺したエレメンタルとしての
パーソナリティーや残留思念が残っていて、
過去生とご対面?もあったり、
本人生まれ変わっているのに、
幽霊が出る・・・なんてことがあるのです。

で、成仏?したエレメンタルで使えるものは、
生まれ変わった当人のガイドになることもある、というわけ。
有益なデータなので。


さて、霊界という次元は、
さまざまな階層が折り重なって紡がれた世界。
死んだ人(物理的肉体を失くした人)のみ住む世界にあらず。
私たちが創りだしたエレメンタルも知覚、認識することの出来る場所。
なので、神や仏、如来や観音、妖怪や妖精、神獣など、
私たちの想念が「創りだした」様々なものもいる世界だったりします。
それらは結局エレメンタルなんですけれども、
その性質は陰陽五行の混合比率で決まります。
どのような想念が格になっていて、どんなものでミックスされているか。
人のために働く善の念なのか、人に害をなす悪の念なのか、
それだけの違いです。

で、それらの力を得るというのは、
彼らと波動をあわせられるか否か、ということ。

陰陽道も道教も密教も鬼道の呪いも、
世界各地にある原始的宗教のシャーマンや
司祭たちがやってきた方法は、
そうしたものを利用するための方法であって、違いこそあれ、
原理にさほどの違いはありません。



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それから、
私たちのために「働きかけて」くれている存在は、
ガイドさんたちだけではなかったりします。

上記にも書いた、人間たちが創り上げ、
育ててきたエレメンタル、もあるし。
地球外生命体もまたそのひとつ。

この場合、宇宙人というと、
ハナシが変な方向に行きそうなんですけれど、
転生の輪を抜け出して、
物理的肉体を持って生きることの必要のなくなった、
人生の先輩たちには違いなく、
ただ地球卒業生ではない人たち、というだけです。

この人たちのことを宇宙意識とか、そのように呼ぶ人たちもいますね。


天使もまた、その存在ではありますが、
彼らは一般に考えられているような存在でもありません。

別に天使の頭の上には輪っかなんて浮かんでないし、
羽も生えていません。
彼らは、世の中をひたすら「創造」しているだけです。
「いのち」を創り、この世、
物理的次元の世界すなわち物質を創っているだけ。
もちろん、肉眼では見えません。
死んだからって、天使が見えるようなことはなく、
物理的肉体以外のあとの二つの肉体の目でも見えません。
三つの体以外の「死なない」体を成長させ、
あるレベルに達した人なら、見えるかも知れませんけど。
また、
天使は私たちが発する言葉を用いてコミュニケーションをしません。
彼らの意志を感受することができる人がいるのも、事実ですけど。

何よりも、彼ら天使は、私たち人間の
個人的な願望や世俗的な欲望を叶えるために
存在しているわけではないです。
そうしたことからはもっとも無縁のところにいる存在です。

金髪碧眼の美男子で羽が生えている天使は、創ったイメージであり、
知覚できるものとして在るのは、人間が創った天使のエレメンタルです。
森永エンゼルの天使みたいな、可愛い赤ちゃん天使もそうですね。

ただ、私たち人間のためにひたすら奉仕してくれているのは事実です。
彼らはせっせと仕事をしてくれている。
私たちが「生きられる」のは、
彼らが働いているから、といっても過言ではないし。

だって、私たち人間は「いのち」は創れませんから。
天使は「無」から「有」を生む存在だけど、
人間は「有」を加工する能力だけです。

なので、
天使たちがしている仕事と、
透明なヘルパーさんたちの仕事は無関係です。
交流がない、というよりは、仕事や目的がまったく違う。

天使は人にあらず、なので、
智慧はあっても感情とか思考とかないですし。


まあ、こうした話はにわか信じがたいことだと思いますし、
別に信じなくてもいいと思います。
非科学的で常識外れと片付けるなら、それもいたしかたなく。

だって、思考で理解できることでもないので。
「分かれ」というほうが土台無理というものでしょうし。
こうした哲学(オカルトか)は、
私たちの「生きる能力」とは、別のものですから。


※神は人が創ったものという言い方をしていますが、
創造主という役割としての神が存在しないということを
言っているのではないです。
私の考えるところの神というのは、創造の力そのもので、
私たち一人ひとりそのものの存在、人間も含む命すべて、
自然や宇宙、物質世界そのものなど、
それらすべてという概念で捉えています。
だから、神という言葉を使ってしまうと何か違うというか、
とりあえず私は「絶対存在」という言葉を使うようにしています。
なので、この場合の神は、
人が人象化してパワーを与えたもの、という意味で、話しています。


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さて、真面目でお堅い?難しい話が続きましたので、
柔らかい話といいますか、身近なエピソードをば。

サイキックな能力のある人と一緒に居ると、その周囲にいる人も、
自然とそのような体験をすることが多くなったり、
霊感やサイキック能力が高まってくることがよくあったりします。
こうしたことをその道では「道が開く」とか「開いてくる」といいます。


その方・・・Iさんは、もともと素養のある方で、
過去生ワークショップなどのときから、
ご自分の守護霊の方の幾人かとコミュニケートできたり、
過去の情報にうまくアクセスの出来る方でした。

臼井レイキのアチューンメントを受けてくださっていたのですが、
セカンドまでの段階では、
まだメインのガイドさんとは
ダイレクトにコンタクト取れていなかったのですね。

で、サードのアチューンメントのとき、
講義でガイドさんとか、霊界とか、
ハイヤーセルフの説明をするのですが、
その流れで、
「Iさんのメインのガイドさんは、巴御前みたいな人だよ」
と、メインガイドさんに対する私の印象をお伝えしたんですね。

その後、
ガイドさんとコンタクトをとるための瞑想の実習をして頂いたんですが、

「決して私は巴御前のような者ではないが、
師の言葉であるから、褒め言葉として受け取っておく」

・・・と、早速Iさんのガイドさんから彼女に伝言が(笑)



で、その後、夕飯に行こうという話になったとき、
その方の別のガイドさんで何故か
ペルー人の男性がいたりするんですけど、
「じゃがいも食べたい!」と・・・(笑)

なんか、こういう話、電波さんみたいで、ちょっとはばかられますけどね。
(いくら体裁を取り繕っても、このブログ自体が充分電波ですね・・・汗)


まあ、そのように、ガイドさんたちは体が無くて、
自分たちは食べれない(味覚を味わえない)のにも関わらず、
好きな食べ物を要求してくることがあったりします。
別に彼らが食べるわけでもないんですけど・・・
彼らの好きな食べ物を食べると喜んでくれたりもします。
(食べるように仕向けられることも?)

自分が死んだことが分からない、
俗に言う浮遊霊としての不成仏霊も良くそういうこと仕向けてきますけど、
(酒飲ませようとしたり、煙草すわせようとしたりなどなど)

ちゃんとした役目を担う、ガイドさんたちもそうなんだ・・・と、改めて。

でも、まあ 確かに
彼らはしごく人間的(だって人間だもん、と言われそう)で、
個性豊かでユニークな存在ではありますが。


で、そのペルー人の彼は、とっても食べるのが大好きだった人みたいで、
「とうもろこし~ トマト~ チーズ~ ジャガイモ~ 美味しい~ すきー」

君は食べ物の話しかしないのか?? みたいな、

そんなノリの人だったり・・・。


その時、ついで?で、うちのガイドさんにも、何が好き?と聞いたのですが、
私の精神修養の担当をしてくれているインド人のMは、
当然のように「カレー最高」
メインガイドのSちゃん(日本人)は、「野菜、山菜」

なんかここまでで、私がカレー好きで山菜うどんばかり食べてるのは、

「君たちが食べたいからなんだね?」

ジャマイカ人のRは、「肉、酒」
うーん・・・

ネイティブアメリカンのW・Eは、「・・・七面鳥」

し、七面鳥ですか? うーん・・・日本では、む、難しいな。
サブウェイのターキーサンドじゃダメかしら?

って、どうせ本人食べれないし。関係ないか。


そうそう、どうでもいいことですけど、
うちのガイドさんたちは女性三人を除いて、ほか全部おっさん(涙)。
しかも、色黒率高いです・・・みんな顔が黒い。
ネイティブのWEはまだ白いほうなのか・・・? でもロンゲだ。
インド人とかジャマイカ人とか、はあ~
(他にもいますけど、全部おっさん。御爺さんもいるし)

しかし、むさい。


だから、私はおっさん臭いのか・・・ため息。

やれやれ


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とはいうものの、
あまり「見えない声」、ガイドさんに依存するのも考えものです。
相談するのはよしとして、
それはあくまで第三者の意見であり、アドバイスであると知ること。
大事なのは自分の意志であり、
自分で決められるようになるべきなので。

なので、始終話している状態も好ましくありません。
何か迷ったり、不安が生じたりするときに相談したり、
意見を聞く程度でしょうね。

上記では、くだらない質問をしてしまっていますが、
基本的に私もあまり話しかけたりはしないほうです。

また、なりすまし、もいますし・・・
ガイドさんのフリをして近づいてくる低級な霊もいますので・・・
見極めることも必要ですが、
そうした存在に振り回されないことが肝心です。

ガイドさんたちは、
自分たちの存在に私たちが気付くことを、別に望んでないですし。
感謝も求めてはいません。
いつだって無償の愛を私たちに向けてくれています。
そして、その人が自分の人生をちゃんと生きて、地に足をつけて、
いろんなことに悩み、思い、考えながら、
傷ついたり、回り道をしながらも、
人間力ともいえるものを身につけて、
人として一回りも二周りも大きくなって、
成長し、豊かな心を手に入れることを切に願ってくれています。

言えているのは、見えないところから、
自分を見守ってくれている存在がいることに感謝することでしょうか。

人は一人で生きているのではないということ。

この現実の世の中においてでさえ、
私たちは多くの人々の支えあって、
毎日を便利に、豊かに暮らせているのです。

それが家族であれ、他人であれ、
自然の恵みであれ、社会のシステムであれ・・・
霊だとか神だとか、
不可思議で見えない力添えだったとしても同じことです。

私たちは、「生かされている」のですから。

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