2015/11/05

夢が知らせてくれること①

~ うつし世は夢 夜の夢こそまこと ~
                     by江戸川乱歩


『夢』とは、もうひとつの世界のことである。

夜、私たちの肉体は睡眠と言う名の休息を取る。
休息を取ることは、
物質としての肉体を維持するために必要不可欠なことなので。

睡眠を取ることによって、成長ホルモンが分泌されたり、
傷んだり、問題を抱えた箇所の「修復」が自動的に行われる。
(自然治癒力つーか生命維持活動とゆーか)


肉体が、そのような作業状態にある頃、
私たちは夢の世界へと旅立っていく。

端的に言うと、
物質体である肉体の意識がoffになることによって、
心のある場所としての体・・・
俗に幽体とも言われる感情体のほうに
意識が移行する状況に入るというもの。
(一方が遮断されることで、
普段意識できない世界を感じることができるだけ)

その感情体の意識が作り出した場所が、
「夢」と呼ばれる世界だったり。

※正確ではないけど、頑張ってわかりやすく言うと、そんな感じ。

幽体離脱をすることもあるけれど、
それをしなくても、「夢」を見ることは可能だ。
それもそのはず。
それはその人の「心」が創り出したものであり、
他の誰かが「創造」したものであるから。

物質的なレベルでは、
物質が「移動」するためには、そのための手順というものがある。
例えば、私が自宅から東京駅に行こうと思ったら、
歩いて駅まで行き、電車に乗って移動しなければ、
東京駅に着くことは出来ない。
けれど、「夢」の世界、感情体の世界では、
私は東京駅をイメージするだけで行くことが出来たりする。
それはもう、瞬間に。

だから、「夢の世界」には色んなものがある。
今まで想像(創造)してきたすべてのものが・・・

過去に考えたこと、思ったこと。思い出など、
忘れられないもの、忘れたいもの。
テレビや映画、小説やマンガを読んで、
心に強く残ったこと、そこから想像したこと。
妄想、印象、消えない傷、憧れの人物、
過去の恋人の幻影、妄想の恋人に至るまで。
そして現実に存在する、思い入れや行きなれた場所も
風景として心に刻まれ。

そう、
エレメンタルと呼ばれている想念体に
この世界では自由に「会う」ことが出来る。
肉体の目では決して見ることのできないもの。
私たちの心の体が創りだしてしまった、
醜いモンスターから美術的な創造物に至るまで。

得てして、私たちの考え方は常に善に悪に引き裂かれ、
美的センスのあることや素晴らしいことも考えたりすると同時に、
浅はかで愚かな考えや感情に支配され、悪しき想像をすることもある。
物質レベルの世界では決してそれらを「視る」ことは出来ないけれども、
物質の目が遮断され、感情の目に意識が移行したとき、
自分が創り出した「すべて」の創造物が存在する世界に、
人は迷い込むことになる。

そこは、今生だけでなく、
過去生すなわち魂としてこの世に誕生したその日から、
感じたこと考えたこと、行動したことの結果として創り出してきたもの、
それらが山のように累積した世界。

さて夢の世界は実に支離滅裂。
荒唐無稽で、筋道のない展開、一貫性の無い物語、意味の無いセリフ、
理解不能で様々なものが入り混じったステージ、
脈略の無く瞬間的に変わる場面、不可思議な登場人物、
カメラワークも視点も一定しないし、コマ割も滅茶苦茶。

それもそのはず。
それはその人の「心」が創り出したものであり、
他の誰かが「創造」したものであるから。

なおかつ、自分だけでなく、
他人が創り出したものも同時に存在していたりする。
この物質の世が、個人一人だけで
成り立っているわけではないのと同じように。

そういう意味では、現実としての物質の世界は、
自分と他人との敷地(家や土地)には境界線というものがあるから、
自分のものを勝手に他人の敷地に置くことは出来ないし、
何か、建物ひとつにとっても食べ物を作るにしても、絵を描くにしても、
先に出した例のように、
時間と空間の法則に従うという「手順」を踏まないことには、
何をどうすることも出来ないのだけれど。
「こころ」といった感情が創り出すものには、
そのようなルールも手順を遵守する必要はないので、
夢の世界では、あらゆるものがごちゃごちゃに、
互いの領域を侵食いやさスペースを共有しながら存在していたりする。
そして、考えたり、思いついたりした瞬間へと、私たちを誘うのである。
心が瞬間瞬間で違うことを考え、
くるくると視点が移動し、変化するのと同じ理由で。

そんな風に。

「夢の世界」では、
同時に入眠している、
生きている別の人間に会うことも勿論あるのだけれど、
生きている人間だけでなく、「人間」の形を取った存在とも遭遇する。
ほとんどの人は区別がつかず、
それを「人間」として認識しているのだけれども・・・
ほとんどが「創られたイメージ」であり、
人間の形骸をとったエレメンタルだったりする。
だから、ボキャブラリーが貧困で、セリフの辻褄が合わないことも多い。

そして、「夢の世界」では・・・そうした存在との出会いだけでなく、
かつてこの世に存在していて、
「肉体」だけを失ってしまった人間、
すなわち霊(死人)に出会うことも、時にあったりする。



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その種の夢を見たのは、後にも先にもこの一度きりだった(と思う)。

まだ学生だった頃の話。

ある日、「夢」に、見知らぬ少女が出てきた。
その子は、当時の私よりもちょっと下で、妹って感じの世代の少女。

初め、たわいのない遊びや会話をしていたのだけれど、
やがて彼女は私の家に遊びに来て、
下を向いて、つぶやくように語り始めた。

「私ね、ディスコに遊びに行って、踊ってたら、ナンパされたの。
 で、バカだから信用して着いていったら、殺されちゃった。
 ちょっとしたことでケンカになって、首絞められちゃってさ」

隣でびっくりしている私に、なおも少女は続けて、

「私を殺したのはね、○○ってヤツ。
年は○○で、○○をしてるって言ってた。
それがホントかどうか分からないけどね。
でも、しょうがない。殺されちゃったのは私のせい。
信用してついてった私がバカだったから。
だけど、私って親不孝だよね・・・」


その後の続きがあったかどうかは覚えていない。
ただ、起きた瞬間、ものすごくリアルで、
なんともいえない余韻があって、
冷や汗かいて「ハッ!」として起きたことだけ、覚えています。

あー そういえば、
親と確執があったこと、親に対する反抗心?とか
学校や大人に対する不満とか
そういう話をしたというか、聞いたのであった。

で、起きてから気がついたのだけど、
その少女は当時、新聞を賑わせていた殺人事件の被害者だと。

その事件というか、彼女の遺体が発見されたのは、
地元(千葉)の某団地の川辺。
確か、絞殺死体として遺棄されていたのではなかったかな?(うろ覚え)


同じ千葉市内と言っても全然近い場所ではなかったし、
その場所には行ったこともなく、知り合いも住んでいず・・・
彼女と私ではまったく共通点とかなかったので、
何故私の夢に出てきたのか、ものすごく謎でした。

とはいうものの、
犯人の名前とか特徴とかその他教えてもらっても、
(車の中で殺されるシーンの映像とか見させられた)
当時の私にはどうしようも無かったです。
警察に話すったって、「夢で見ました」なんて、そんなアナタ・・・

「ミディアム(TVドラマ)」のアリソンじゃあるまいし、
ガキンチョの悪戯電話として片付けられるのがオチです。

結局、そのまま。
それに、彼女は夢の中で私に話したとは言っても、
「お願い、犯人を捕まえて!無念をはらして」とは一言も。
殺されたというのに実にあっけらかんとしていたのでした。
なんていうか、サバサバした子だったのね。

ちなみに犯人は捕まらず、事件は迷宮入り。


もう昔の話で、
今はもう、彼女が教えてくれた犯人の名前も忘れてしまった。

うーん? どうすればよかったんでしょう?
当時の私はまだ子供で、この「夢」に対してはとまどいのほうが大きくて。
警察に相手にされなくても、電話するべきだったんだろうか?
とはいうものの、
やはり、根拠が無いことなので悪戯電話扱いにされてしまったと思うし、
「夢で被害者が教えてくれた」なんて理由で、逮捕するのも不可能な話で。


もともと事件史とか読んだり、
そうした番組を見るのが好きだったから、
それがきっかけで、
様々な犯罪史とかプロファイリングに興味を持つようになった。

テレビの犯人が見つからないっていう事件のニュースを見るたびに、
行方不明者の捜索番組とか、情報番組とか・・・

あの頃見たあの夢のように、
被害者と夢の中で出会って話をすることが出来たなら、
犯罪捜査の助けにもなれて、
被害者や遺族の無念を
少しでも晴らす手伝いができるかも知れないのに・・・と
『TVのチカラ』なんかの番組を見るたびにも、思ったものでしたが。

残念ながら、その才能は私には無いわけで。
あれはたまたまの「まぐれ」的偶然の出来事だったから。


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なんでも、この地上で霊的なオシゴトをさせよう、と霊界が画策するとき、
その人がどの分野に最も適しているのか、
まずいろんなことをちょろちょろっとさせて、「お試し」をするのだそう。
やらせてみてから、
「ああ、これはダメだな、向いてないみたいだ」
「これはもう少しやらせてみよう」
とかとか・・・
「このタイプはこういう形で霊能力を使わせよう」
「ここだけ得意のようだから、こうした使い方に限定しよう」などなど。

つまりは、まず、色々「やらせて」みて、適性を判断するわけ。
ダメだと思ったことは、霊界側の人間はサポートを引き上げてしまう。
なので、一度あるいはしばらくの間できたことも、
出来なくなるなど、「取り上げられて」しまうことは多々ある。

そして、
「上手く出来たから、次のステップにいこう」
「怠けているし堕落したから、取り上げよう」
なんてのも。

沖縄のユタさんなんかはこの「お試し」の時期を
ダーリィと呼んでいるみたいですが


以前、江原さんがメディアに積極的に出ていた頃、
「霊能力があって、霊と話すことが出来るなら、
犯罪捜査に協力すればいいのに」
「もっと社会的意義のあることに霊能力を使え」
なんて具合に、彼を批判する人がいましたが、
それって、本人がやりたくて出来るものでもないんですけどね。

江原さんも美輪さんも亡き丹波さんも、同じ霊団(会社?)に属してて、
霊界の宣伝部所属広報担当というか(それだけでないけどそれも兼任で)、
お役目や担当が決まっているから(生まれる前の契約ですけんど)。
本人の意志も多少は尊重されるけど、意志だけではどうにもならない。
この手の仕事は。

「あなたはこれをやりなさい。これがあなたの役割。他は違う」
ってなもんで、はそれ限定で手伝ってくれるだけなので。

残念ながら、全部が出来る人はいないし、
全ジャンルでそれが出来るようになるのは不可能です。
マルチサイキック、オールジャンルの霊能力者なんて無理無理。


そういえば、この夢を見る以前、
やはり千葉の隣の市で、行方不明の子供を捜索するのに、
超能力捜査官が来日したことがありました。
新聞の一面に大きく取り上げられたその事件は、インパクト大で、
強烈な印象を心に残したものでした。

その事件がきっかけで、超能力捜査に興味を持ったり、
エドガー・ケイシーに行き着いたという経緯がありましたっけ。

確かに、サイコメトリーに対する「憧れ」はあります。
でも、そういう力を有するとしたら、いつかまた別の人生で、とも思ったり。
いまは・・・まずムリ(悟りました。失せモノ探し、苦手だし)。

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