祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。
驕れる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし。
猛けき者も遂には滅びぬ、 偏に風の前の塵に同じ。
~平家物語より~
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『驕れるものは久しからず』
と言われちゃったのはご先祖サマ。
ホント、末路は哀れナリ・・・だし。
まったくもぉ~!と落人子孫は嘆いてみたりするっっっ笑
平家一門が陥っちゃった勘違いって、
栄枯盛衰を知らずして、
一時の栄光を未来永劫続くものと錯覚しちゃったこと。
"everything must change"で、すべては移ろいやすく、
形あるものはすべて滅びるの摂理のごとし、
いつまでも変わらないものなんて何もないのにさ~
「平家にあらずんば人にあらず」
な~んて阿呆なこと言っちゃった平時忠は、
世間知らずっちゅーか井の中の蛙もいいとこでサ。
自分たちには何も備わっていないのに・・・
(自分らの実力でなく清盛が偉大だったってだけなのに)
まさに『虎の威を借る狐』で。
武家の成り上がりが、昨日今日でお公家様の真似をしたとて、
所詮猿真似ですぐモノになるわけでもないし、
本分を忘れて、役得や利権にしがみついたならば、
後は腐敗して、追い落とされるだけなのにね。
壇ノ浦から逃げ延びて、大切に守ってきた平家のプライドも家宝も、
1000年頑張って守ってもそんなもの・・・
戦争の前に刀や鉄具は溶かされて兵器にされちゃって、
空襲を逃れさせた豪華絢爛な家財道具も雅楽の楽器たちも、
戦中戦後の飢餓状態と混乱の中では、薪にするしか使い道はなく。
家柄や家系のプライドなんて、
歴史に出てくるか出てこないか、
古くまで遡れるか遡れないかってもんで、
続いていようが滅んでいようが直系だろうがなんだろうが、
ルーツや家系図にしがみつき、
民に圧制をしいた人殺しのプロな祖先を持つことが自慢だなんて、
ホント馬鹿みたいだ。
そんなものより、大事なものがたくさんあるというのに。
人はいろんなモノにしがみつきたがる。
そして、何か自慢できるものを手に入れたと思ったときに、
それを誇示して、まるで自分が他人より優位に立っていて、
『ちから』を持っているかのように・・・
周囲とは違う、特別な何かであるかのように振る舞いたがるようである。
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私たちのエゴイズムの殻は、中心に自己があり、
その上に無知による分離間の意識があります。
分離されているという意識が、空虚感と恐怖を生み出します。
そして次に不満足の殻ができ、
その不満足をなくすために欲望が生まれてくるのです。
これがエゴイズムが満足して完全になろうとするプロセスです。
しかし、エゴイズムが完全に満足することはありえません。
これらのことが発生する順番に書いてみましょう。
(これらは同心円状になっています)
1,無知
2,分離感
3,空虚さ
4,恐怖
5,不満足
6,欲望
7,充足感
~略~
私たちは、自分のエゴイズムについて分析しなくてはいけません。
普通、エゴイズムには次の五つの要素があります。
しかし、実際にはその人が創るエレメンタルによって、
エゴイズムの質は一人ひとり違ったものになります。
エゴイズムの1つ目の要素は"所有欲"です。
所有欲は恐怖から生まれるものです。
人間は誰でも恐怖から抜けて、安心した生活をしたいと思っています。
物質的なものを自分のまわりに集めると、
満足して安心できると思い込んでいるので、
そこから強い所有欲が生まれます。
人間には欲望についての2つの状態があります。
1つは自分の欲するものを手に入れて、満足している状態。
もう1つは手に入らない時の不満足の状態です。
満足を得るために、自分が欲しいものを手に入れようとします。
しかしそれが手に入っても、さらにもっといろんなものが欲しくなります。
ここが大事なポイントで、
このようにして人間の欲望はどんどん大きくなります。
欲しいものが手に入った瞬間には満足しますが、
それは一時的なもので、また不満足の状態に戻ります。
所有によって一時的に満足を感じることはできても、
最終的に恐怖から抜け出ることはできません。
2つ目のエゴイズムの要素は、
自分の能力や、持っている物を人に見せたい、自慢したいという、
"自己顕示欲"です。これはとても強い欲望で、
そこから"プライド"が生まれます。
プライドは自尊心のことで、自分の自慢をすることです。
人間にはなぜ自己顕示欲があるのかというと、
ほかの人から自分のことを賛美されたいからです。
自分を評価する方法を知らず、自分のことを評価できないので、
他人の評価を欲しがります。
良く評価されると、自分が何か特別な素晴らしい人間だと思い込みます。
これが不幸の始まりになります。
また反対に良い評価をされない場合には、
感情を害して自信をなくし、落ち込んだり、嫉妬心が生まれたりします。
3つ目のエゴイズムの要素は、"支配欲"です。
これは家族や仕事場でよく見られます。
なぜなら自分の意見に他の人を従わせることによって、
自分のしたいことを自由にできるからです。
また、自分は他の人より偉いと思わせたいからです。
しかしそれかできないと、怒りや暴力に走ることもあるので、
支配欲というのはとても危険なものです。
4つ目のエゴイズムは、"野心"という要素です。
誰でも人生で"成功したい"という気持ちがあります。
例えば、政治家になりたい、医者になりたい、芸術家になりたい、
という人がいますが、それをよく分析すると、本当の目的は、
仕事を活かして、成功して、お金持ちになり、
有名になって人々から賞賛されたいという
エゴイズムの下心が隠れている場合があります。
もしもその野望が叶わなかった時には、
自己憐憫、不平不満が生まれます。
成功すると満足しているので、一見優しくて心の広い人に見えますが、
もしその地位を失ったら、また元に戻ります。
5つ目のエゴイズムの要素は、"誤った解釈"をすることです。
エゴイズムは、正しく考えて正しい評価をすることができず、
また比較能力もありません。
ギリシャ神話に、
頭が雄牛で身体が人間の姿をしたミノタウロスが出てきますが、
これは、エゴイズムは牛の頭ほどの智恵しかないということです。
しかしエゴイズムは、自分の野心を叶えるためには、
とても利口で悪賢く、雄牛のようにとても力があります。
またいろいろな異なったマスクをかぶって、私たちを騙します。
しかし、
現在のパーソナリティが少しでも正しい考え方ができるようになると、
エゴイズムの力が弱くなり、縮んで消えてしまいます。
ですから、正しく考えることを毎日練習しなくてはいけません。
エゴイズムの要素の1つ、自己顕示欲の中で、
最も気をつけなくてはならないのは、"ナルシシズム(自己陶酔)"です。
ナルシシズムを持つと、プライドが強くなり、
他の人を愛したり尊敬したりすることができなくなります。
人間は、自分の得意な所や良いものを、人に見せたい、
自分に有利にするために利用したいという気持ちがあります。
そして自分は他の人より優れて、特別だと勘違いします。
例えばインテレクチャルな人、きれいな人、有名人、金持ち、
社会的な地位がある人などは現実というものが見えなくなります。
もう一つ私たちが気をつけなくてはいけないのは、"自己憐憫"です。
自己憐憫はエゴイズムの目的が叶わなかった時に現れます。
それはエーテル・バイタリティを大量に消費するので、
私たちが病気になる大きな原因でもあります。
どのように自己憐憫が生まれるかというと、
エゴイズムは次のように考えるからです。
「私はこんな素晴らしい人間なのに、
どうして成功しないのだろう?
どうしてみんな認めてくれないのだろう?」
自分が可哀想だという思いは、プライドから生まれます。
プライドがなければ、成功しなくても回りから注目されなくても、
自己憐憫になることはありません。
実は、自己憐憫は隠れた誇大妄想なのです。
プライドは、自分についての間違った評価、
自分に対して不誠実であることから生まれます。
このようにしてできた欲望-思考型エレメンタルは、
エゴイズムの力をもっと強めます。
そしてこのエゴイズムは、
私たちの現在のパーソナリティに影響を与え、個性となっていきます。
一つひとつのエレメンタルは、良いものでも悪いものでも、
私たちの現在のパーソナリティに直接影響を与えるのです。
パレットで絵の具を混ぜると様々な色が出来るように、
いろいろなエレメンタルが混じり合って、
色々な異なった現在のパーソナリティができていきます。
真理の探求者にとって最も危険なものは、プライドです。
(過去にたくさんの宗教戦争がこのために起きています)
やはり、「謙虚で正直」であることがいちばん大事なのです。
謙虚であれば、
人に憧れてほしい、よく見せたいという思いがなくなります。
しかし、謙虚であることを自慢する人もいます。
「ヒーラーになって人の病気を治したい」という思いも、
プライドから生まれることがあります。
自己満足のために人助けをする場合もあるので、
そのことを内省しなければいけません。
人を愛してヒーリングするのと、
自分の利益のためにヒーリングするのとは全然違います。
後者を「エゴセントリック(自己中心)」といいます。
エゴはギリシャ語の自己、セントリックは中心的という意味で、
世界は自分を中心に回っていると思っている人のことです。
エゴイズムが一番得意な考え方は、
「自分の間違いは小さな間違い」
「他人の間違いは大きな罪」
「自分はいつも正しい」というものです。
すると自分が非難されると、すぐ感情を害して、
怒って復讐したくなります。
真理の探究者の心の中には、
たとえほんのわずかな怒りでさえも、残してはいけないのです。
なぜなら、怒りは復讐につながり、黒魔術に走る道だからです。
「私は何のために生きているのか?」
ハリー・ランバート著 ナチュラルスピリット刊より
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