この仕事をしていると、時々だけど、
「先生みたいになりたいんですけど・・・」
「私もスピリチュアルな仕事がしたくって」
「ヒーラーを、人を癒す仕事がしたいんです」
というような相談をされることがあるわけで。
これが
「救急救命士になりたくて」
「歌手になりたい」
「社会の役に立つことをしたい」
とかだったら、
なりたいもの、憧れの職業目指して頑張ることにエールを送るし、
どうしたら、その道に近づけるか、アドバイスのしようもあるのだけれど。
(もち向き不向きとか、適性とか資質とか、
今のその人の実力でどのくらい開きがあるか考えないとだけど)
※ただ、「私みたいに」と言われた日には、
私を指標にすることはオススメできませんぜ。
こんな邪悪で腹黒い女、目標にしたらヤバイです(自爆)
スピな仕事とか、サイキックな能力を必要とする仕事とか、
そこまでのスキルを求められない、
単なる命学としての占い師にしても、
他人の人生を左右したり、
マインドコントロールしてしまう可能性のある、
その人の思想的なものに
良くも悪くも影響力を持ってしまう職業に関しては、
安易に『あなた向いているわよ』とか
『なれるわよ』とも言えなかったりする。
※ちなみにヒーラーって、治療師すなわち治療をする人って意味だから、
広い範囲で全部を言った時に、
近代医学、中医学、民間療法の施療師全員がヒーラーになる。
鍼灸師も整体師もタイ式マッサージや指圧の人もね、ヒーラー。
私に「ヒーラーになりたいんです」と言って来る人の場合、
各種民間療法の中でも心理セラピーやカウンセリングメインの
ヒーラーのことになるかなあ。とにかく範囲が広いし。
単純にヒーラーといわれても、
「お医者さまも薬剤師も理学療法士も看護士もヒーラーですが?」
となってしまう。
何(どんな術)を用いてヒーリングをするか、なんだけど。
つまり、「○○○ヒーラー」と言わないと、です。
同じ理由で、ヒーリングといっても、西洋医学もヒーリングなんで、
どのヒーリングのこと?
どれを使ったヒーリング??ってハナシになる。
∞☆∞☆∞☆∞☆∞☆∞☆∞☆∞☆∞☆∞☆∞☆∞☆∞☆∞☆∞
うん。
最近も頂いた質問なのですが・・・
「先生みたいに、リーディングとかヒーリングができる人になりたい」
道が開いている方なら良いのですが、
その人は道は開いていない方だったのですね。
「うーん・・・向いていないから、止めたほうがいいと思うなあ」
まあ、”向いている向いていない”という短絡的な言い方でしか、
今はその人には伝えられず・・・
その言い方で返すしかなかったんですよね。
なんで「向いていないのか」「やたらいけない人なのか」ってことも、
話してもまだ理解できない段階だと思うから。
「やっぱり、選ばれた人でしかできないってことなんですね?」
と言われても、
いや、別にそういうわけではないンだけど・・・
ようするに、こういう方の認識では、
「ヒーラー=選ばれた人、すなわち特別な人」なわけ。
この人が本当になりたいのは、「特別な人」なのね。
周りから、そう尊重されて賞賛される人になりたくてたまらないの。
価値ある人として、扱ってほしいのですよ。
今までの人生が不毛と思ってて、誰にも価値を認められず、
家族に粗雑に扱われているという不満を抱えている人だったから。
そういう、周囲に「スゴイ人だ」と思われたかったり、
他人に対して何かしらの影響力を持つ人になりたがって、
ヒーラーとかチャネラーとか、
リーディングができる人になりたがる人、多いです。
それと、他人から感謝される仕事でもあるから、
その他人からの「感謝」が欲しくてなりたがる人も多いですよ。
憧れるのは悪いことではないんだけどもね~
別にスピ&サイキカルな仕事&スゴイ人じゃないし。
選ばれた人というのでもまして無い。
いやさ、なるべくしてなるといえばそうなので、
誰もがなれる職業ではなく、
確かになりたいと思ってなれる仕事ではないので、
なんちゅうか本中華です。
(一言で言えば、準備が出来た人か出来ていない人かって、
それだけなんだけれども)
どんな仕事もそうですが、
憧れや興味を抱いて、なりたいと思うのは自由だし、
目指して努力するのはいいことだと思うけど、
肝心なのは、その職業を選んだ動機の部分なんですよね。
なぜ、その『職業』なのか・・・
その『職業』を通して、何をやりたいのか・・・
でも、先に『職業』という形ありきというよりは、
どういう内容のことをして、他人に自分の能力を提供したいのか、かな。
「どんな立場」にある「誰」を、「どんな気持ち」にさせてあげたくて、
その人に「どんなこと」をしてあげたいのか・・・
それがあって、自分の適性とか得意な分野とか能力を加味した上で、
総合的に判断して、このジャンルのこの職業なら、
私が他人に対してしてあげたいと思っているサービスが、
100%ではないけれどもほぼ条件を満たしてて、
ギブアンドテイクで提供できるし、需要と供給がうまく合致している、
だからこの職業を選ぶ・・・でないと。
とどのつまりが、
その職業から何を得られるのか・・・
自分がその仕事から何を与えられたいか、ではなくて、
その職業をして、自分が何を他人に与えられるのか・・・なんです。
世の中にどんな技術を提供できるのか、
自分はどんな奉仕をすれば他者を喜ばせられるのか
なんですよ。
その仕事をすることが、自分というよりも、
他人に一番何かを与えられる仕事でないといけない。
その人の資質を生かす道であることは勿論のこと。
仕事(職業)に自分のエゴイズムを満たしてもらうことを求めても、
魂の乾きは満たせない。ますます乾いて飢えが酷くなるだけ。
自分の喉の渇きを潤し、空腹を満たすことではなくて、
他者の喉の渇きを潤し、空腹を満たしてあげようという
そんな視点から考えて、取り組める仕事でないと、
仕事で充足感なんて味わえない。
ましてサービス業、とくにスピな仕事なんてのは、そう。
自分という資質が、もっとも『喜ばれて』
役に立つってのが大事なの。
自分を役立てることの出来る分野か否か。
適性であり天職としての仕事って。
でもって、スピだったりサイキカルな仕事っていうのは、
その動機の部分がもっとも大切であって、
ここにまずエゴイズムがあってはいけないのね。
自己満足を追求して、
自分のお腹ばかり・・・自尊心ばかり満たすことを考える人は、
決してやろうなんて思ってはいけない。
また、魂のレベル・・・すなわち
サイキカル体とノエティカル体がある一定のレベルまで成長してて、
なおかつサイコ-ノエティカル体がね、
育ってないと、無理って仕事でもある。
運命学(思想体系)としての占いを勉強したりする程度なら、
問題ナシですが。
でね、前回の③の記事でも書いたように、
自分のエゴイズムを自覚していない人、
気づこうともしない人はまずダメ。
この世に肉体を持っている人は、
まだまだ転生の輪(輪廻)を抜け出していない人だから、
エゴイズムはもちろん持ってて当然なわけで、
(エゴイズムなくなって超越してたら、人として生まれる必要ないから)
まあ、完璧な人間はいないという意味で、
エゴイズムがあるのは然りなんですよ。
けれど、そこを客観的に見れるか否か、が大事。
(エゴイズムがあるからこそ、サイキカルなトレーニングや
スピリチュアルな勉強は、独学はダメで、
師匠について、グループで学ばないと・・・ってルールがある。
お互いのエゴイズムを監視しあうつーか指摘しあう必要アリなので)
それと、実のところ、『一人でする仕事』ではないんだ。
一人って言えば一人なんだけど、
霊界の人たちとチームでやる仕事。
三次元の物質世界にいる私たちは、言葉にして説明するだけの存在。
お客さんに伝えるためだけの媒体だから、
媒体に徹することが出来る人でないとというのもあるし、
(実際やってくれてるのは後ろの人たちなんで。アドバイスの出所もそう)
一緒に仕事をしよう!という、そうした人たちがいないとできない仕事。
だから、私達が『やりたいでーす!』と手を上げたとしても、
中間生で、チーム組んでないとダメなんだな、コレが。
そして、今生だけでなく、今この人生でこの仕事をするために、
何回もの人生で準備してきた人がようやく・・・って感じなの。
だから今の人生で「やりたい」と思っても、
やれるようになるには、何回も修行人生生きないといけない。
でも、いずれにしても、どんな生き方をしても、
いずれは皆他者の助けになることをするようにはなるんだから、
(霊的成長をすれば)そんなに焦ることでもない。
確かに霊界がめちゃくちゃ人手不足なのは事実だけども。
でも、人としての成長を焦っても仕方ない。
人の人生に深く関わったり、影響を及ぼす仕事には責任が伴うし、
下手すれば罪深く、どの罪よりも重い罪を作り出してしまうので。
(子供の罪は笑い話で済むけど、大人の罪はそうはいかないのと同じ)
てなわけで、『なりたがる』よりも前に、
自分の欲望や人生をコントロールできるようになるほうが先なので、
そう思う気持ちがあったら、霊的真理について勉強して、
自分のカルマとか、人生を見つめなおして、
自分ときちんと向き合って、自分の人生を作っているものが何なのか、
ちゃんとした知識を学ぶことから初めて欲しいわん(切実)。
今生でも修行人生は続いているしねぇ。
そんな風にとっても用意周到で、気が長い仕事なんですよ。
何世紀がかりなの。見習い期間も含めて。
この世でも勉強、あの世でも勉強、勉強、勉強・・・
まるで修行しろ、修行しろ、修行しろ・・・ですがね。
はっきりいって楽じゃない。
だから、あんまし薦められない。
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