新興宗教の勧誘目的だったり、
印鑑やに何やらを売りつけるための常套手段としての、
路上での手相占い(勉強中なので手見せてくださいってヤツ)
やら、
辻占(ふつーの占い)の商売文句のお約束として、
「あなたはこれまで本当に大変な苦労をされてきましたね」
なんていうと、たいていの人は、
「そーなの!どーしてわかるの~」
となるのだそう。
それはまあ、ある一定の年齢を超えた人に限ってのことで、
あまり若い子には通じないセリフですが。
そんな単純なセリフで、
「この人、私のこれまでの人生が見えてるんだわ」
なんて思っちゃう人が多いほど、
世の人には、自分の人生は本当に大変な苦労の連続で、
何一つ実りが無く、努力しても報われてこなかった。
・・・と、思い込んでいる人ばかりだってこと。
そして、
それ(自分がいかに苦労してるかってこと)を他人に理解されたい、
同情して欲しいって人も多いってこと。
日本人は人の不幸話も噂話も大好きだけど、
同じくらい浪花節も自らの不幸自慢も大好きで、
演歌の歌詞に自らを重ね合わせて感情移入し、
自分の不幸に耽溺して酔いしれたがる人はマジ多かったりする。
「自分の中で勝手に、
ドラマを創りあげて浸るのはやめなさい」
「外で起こる現実には何の意味もない。
すべて中立なんだ。
君が・・・・・・・・
それに意味をつけて、一喜一憂しているだけだよ」
君が、いつも
自分に与えた意味を受け取っているだけだ」
by有吉京子『まいあ』より
もうずっーと昔のこと。
某大の某研究会のオトコの子たちと知り合いになって、
そのうちの一人から、悩みを打ち明けられたりなんかした。
彼は養子で、
実の親に育てられたのではない・・・
ということに、コンプレックスと深い哀しみを感じていたんだよね。
でも、実の親ではない養親たちは、
彼をとても可愛がってくれたそうで、
お金の上でも不自由をさせたことがないという。
実際、東京の大学にも行かせてくれているし、
生活費やら家賃の負担やら、バイトもしなくていいくらい、
好きなこともさせてもらっているわけだし。
いくら育ての親に大事にしてもらっていても、
しょせん彼らは生みの親ではなく、
実の親の顔(愛)を知らない虚無感は消えず、
生きていることの意味を見つけられないとか何とかかんとか・・・
それに対して、私は、
たぶん「は? あんた、何甘ったれたこといってんの?」
的なことを言ってしまったのではないかと思う。
(私もまだ若かったし)
すると、彼は
「実の親に育てられた人に、
僕の気持ちがわかるものか!!
あなたのように恵まれた人は・・・
高いところから人を見下ろせる立場にいる人には、
僕の苦しみは判らないんだ!!」
という捨てセリフを吐いて、
激昂して去ってしまったのでした。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
その時はもう、目が点状態になるしかなく。
「なに、コイツ、自分の不幸に酔いしれてるんだ?」
って感じにあっけに・・・。
仕事としての相談だったら、
プロ失格な対応以外の何モノでもなく。
うーん。
確かにその時の私の態度というか、物言いも問題あった。
しかし、ある種、
実の親に育てられた=恵まれた人
という単純な図式で物事を判断できるのは、
すごーい幸せなことだ。
それ以上の不幸や辛酸を知らないという意味で。
おめでたいことだというか、
そんなふうに単純に考えられるなんて、ある意味羨ましい。
実の親だからこそ、縁が切れなくて苦しんでいる人もいるのに。
その親に殺されたり、
ヘタに生かされて苦しめられている人もいるのに。
その親から生まれたことを、呪って、
自らの出生や親を恨んで、血筋を憎んでいる人も少なくないのに。
自らの出自を消したくて、でも消せなくて、
苦しんでいる人もいるというのに。
時おり、
「子を思わない親はいないよ」なんて、
わかりきった口調で
したり顔に説教する人に会ったこともありましたが、
そういう人たちって、
どれだけ世の中のことを知らないで生きているんだと思う。
実の子だからって、可愛がってくれる親が、
子供を大事に育てる親がすべてなら、
子捨ても子殺しも起きないし、断絶する親子関係もないでしょうに。
血は水より濃いなんていうのは、嘘っぱちで、
最初から親になれている人なんて、ほとんどいないですよ。
資格があって、誰もが親になるわけでなし。
子を育てる過程において、人は親になっていくのでしょう。
自分が産んだ子しか愛せない親は多いけど、
自分が産んでない子でも愛せる親もいるわけで。
私の身近にも、
実の親の性的欲望の対象にされたり、
生活費のために売春させられたり、
酷い抑圧や暴力を受けた子もいたけれど。
しかし、シンプルに実の親の顔を知らないってだけで、
それが自分の人生の最大の不幸ってアータ・・・
それを言ったら、戦後の戦災孤児の人たちなんて、
どれほど、身の不幸を嘆かなければいけなかったんでしょうか。
いやさ、それが大したことではない、というつもりはないです。
他人から見て、とても些細なことでも、
当人にとっては、自分を苦しめる悩みには違いなく、
同じ問題だとしても、その重さは、人によって異なりますから。
私がそのとき、呆れてしまったのは、
彼がそのことで何よりも苦しんでいることでも、
そのことを自分の人生の最大の問題として捉えていることでもなく、
自分以上の不幸な人は存在しない・・・と、
自分自身の事実に酔いしれて、思い込んでいるところにありました。
勝手に、私のことを
「自分よりも恵まれた人」と決め付けてもいましたしね。
産みたくないのに産まれてきちゃった子として、
私が妊娠したことで離婚できなくなったと、
自分の不幸はお前が出来たことだよ、と、
さんざん実の母から罵られ殴られ蹴られ、殺されかけ、
家族の中で孤立させられて、
幼少期から家政婦みたいにこきつかわれてきて、
あげく最終的に家を追い出された私が恵まれてる?
ビックリだ・・・・!
・・・まあ、性的な虐待まではされてないし、生きてこれたし、
日本ていうモノあまりの戦争の無い平和な国に生まれて、
もっと最悪な状況に生きている人たちと比較すると
めちゃくちゃ恵まれてるし、超幸せモノですけど。
まあ、そんな風にね。
自分だけが苦労してる、大変な想いをしてる、
この世で自分ほど不幸な人間はいない・・・って、
思い込んだり、
甘えた考えに酔いしれるのは個人の自由なんですけど。
その思い込みや勘違いから、
勝手に他人を妬んだり、羨んだりするのは止めて欲しいです。
前述した彼のことで言うならば、
ぢゃあ、私と入れ違ってみる?・・・と、言いたくもなる。
実の親の元で育つことが人生最大の幸せと思い込むなら、
その憧れの実の親から毎日暴力を振るわれ、
人格を破壊されるほどの暴言をはかれながら、
家畜並に扱われる経験をするといいかもよ・・・と思ったり。
一見、幸せそうに見えて、苦労の無い環境にいるような人でも、
そういうのを表に見せていないだけで、
実際のところ、修羅の嵐の中にいたりとか、
まったく努力をしないで成功したように見える、
運だけに恵まれたように見える人でも、
白鳥の水かきのように、見えないところで人一倍の努力をして、
そうやがって成り上がっていった人というのは多いものです。
その人の苦労はその人にしかわからない。
苦しみも哀しみも、他人の目からはわからない。
一見幸せそうに見える人だって、本当のところはわからない。
本人がどう感じているかなんて・・・
人生が順調にいっているように見える人だって、
何の障害もなく、物事が上手く進んでいるかのように見える人だって、
これまでどれほどの努力と苦悩があったかなんて・・・
そんなこと、他人には図れやしない。
他人が、どんな想いを抱え込んで毎日を過ごしているのだとか、
どのような道を歩いてきたのだとか、
笑顔の裏に隠れているものを見ようとせず、
ただ表面的に自分のところから見えている、
今の情報だけでその人を判断して、
それだけで、その人のことを自分よりも恵まれていて、
不幸も苦労も無い人と決め付けて、
私はこれだけ辛酸をなめて苦労をしているのに、なぜあの人は・・・と、
そんな風に言ってしまったり、思えてしまう人は、
実際のところ、苦労なんて何一つしてきていない人なんだと思う。
自分で人生を良くしようとする努力をしなかっただけで、
自分では何一つ決めず、変えようとはしなかったというだけで。
そういう人は、真性のあまのじゃくで、
自分は何一つ努力してこなかったという怠惰を認めたく無いがために、
他人の平穏や自分より恵まれていると思うところや幸運を、
自分とは違うといって、うらやみ、妬むのだと思う。
他人の苦労は他人からは見えない。
他人の悩みは、他人には理解できない。
その人の人生を、他者が生きたとて、
同じように躓いたり、苦しんだり、悩んだりはしないだろう。
捉え方、選択のしかたも異なるだろう。
何故なら、まったく別の個性であり、
心の耐性も、感じ方も、精神性も同じではないからだ。
それはさておき。
家を出て一人暮らしをして、親のありがたみがわかった、とか。
出産して子育てをして、初めて親の苦労がわかった、など。
自分がどれほど恵まれているかってこと、
その中にいるとわからないことがたくさんある。
「今どきの若い子はすべてを与えられて育って、
なんでもインスタントコーヒーのように
あっという間に手に入れられるのが当たり前と思っている。
だから、ちょっとでも苦しいことがあると、
すぐにへこたれてしまうけれど、
あなたはそうじゃないし、
あなたのジークも違うはずよ」
byヘレン・ブルックス「イブの魔法」
自由は、不自由さを知らないと味わえない。
幸せも、不幸を知らないと気づけないものだ。
ちょっと視点を変えて、自分の居場所を眺めてみれば、
自分のポジションが、いかに楽しめる場所かってことが判る。
足りないものもあるし、余計なものもあるだろうけど、
足りないなら足りないなりに、
それなりに楽しむ方法はいくらでもあるものだ。
持っていないものを羨んでも仕方がないし、
自分に不足しているものに執着しても始らない。
自分にないものではなく、
まず自分が持っているものを知るべきだ。
己が不幸を嘆くよりも、自分の幸いについて喜ぶのが先だ。
「どんな現実もそれ自体に意味はないんだ。
出てくる感情がプラスかマイナスかで
外のすべてが違って見えるというだけの事だ。
自分の夢を実現させたいなら、
もっと柔軟な気持ちでいなさい。
自分の思考のクセやパターンを知って、
まず物事をプラスに受け止めることから始めるといい。
それから自分の本当のパワーを信じること」
by有吉京子『まいあ』より
時々、私の資質(性格ではなくて特技である部分)を羨む人がいる。
一般の人より少しばかり秀でているサイキックな能力は、
私の資質であり、それはこれまでの私の過去生も含めて、
重ねてきた人生や経験の賜物であるわけだが、
そういう資質を有していることが、
「ずるい」みたいに言ったり、単純に羨ましがる人には、
時おり、
「では、私がこれまで生きてきたと同じ人生を生きてみる?
親兄弟一族を惨殺されたり、
目の前で恋人を八つ裂きにされたり、
友人や仲間と、隣人と信じていた人たち、
自らが助けてきた人たちにお金のために裏切られて、
拷問を受けて首を切られて死ぬとか、
小さい頃から神の仕事をするために
普通の子供としては育てられず、甘えも許されず
結婚も恋愛も出来ずに、常乙女として生きるとか・・・」
なーんてイジワルを言いたくなったりもする。
みんな、簡単に人を羨ましがって、
それがモノにせよ、才能や容姿にせよ、環境にせよ、
人が持っているものを単純に欲しがるけれど・・・
それを得るために、必要な努力や経験はしたがらないモノ。
他人がそれを得るためにどれほど、汗や血を流したかなんて、
そんなことには興味がなく。。。
自分がそれをすることはイヤがる。
努力は何一つしたがらず、
美味しいトコだけ、欲しがるんだものね(笑)
まあ、そんなこんな、
隣の芝生はいつだって、青く見え・・・な話でした。
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