ほんのちょっと触れるつもりがダラダラと続けて書いちゃいました(笑)
戦争という大きな人類全体のカルマ・・・
それらは巨大なグループエレメンタル(集合体無意識)が
存在し、力を持ち、活性化することによっての、
負の記憶の狂信的刷り込みと洗脳による、
(同調した人への)無意識レベルでの意識操作なんですけど、
自意識がきちんと育って確立していない人ほど、
それらの影響を受けやすく、取り込まれてしまいやすいんですよね。
・・・というところまで詳しく書く予定は無かったのですが、
まあ、戦争のカルマはこんな風に、こんな形で表れてますよ、とか、
次の世代に必ず持ち越されて、
蒔いた種は確実に悪しき植物としてはびこってしまうものだとか・・・
その程度で終わらすつもりだったんですけど、
あちこち話が飛んで、しかも中途半端な解説になってるなともっっ汗
いつものことですが。
文章の組み立て方が上手くないんで、
我ながらイヤになりますねっっ(苦笑)
所詮義務教育レベルの勉強しかして来なかった
教養も学も無い人間の、メモ書き程度の駄文ということで、
お目汚し勘弁してくださいまし。
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さてさて・・・。
カルマについてですが、これまでも何度も触れてはいますけれど、
大きなものから小さなものまで、たくさんあったりします。
個人としての思いグセや考えの偏り、性格的な長短。
・・・みたいなものから、
他人を傷つけたり、嘘をついたり、怠惰だったり、
集団のルールを護らなかったとか、家族を棄てたり、
モノを盗んだり、人を裏切ったり、他者の命を殺めたりetcetc・・・
集団のカルマは全体が犯した罪とも言え、
そこに属するもの、同調したものたちが追うべき罪ともいえますが、
基本的には、個人がしたことであるのか、
複数以上の人が関わっているか・・・という違いだけど、
その行為(思想や思念)がカルマとなってしまうか否かの、
「判別の剣」には、ほとんど差異は無いのです。
じゃあ、どんな行為がカルマになるのかというと、
ぶっちゃけ、
「愛」の欠如した行為、考え方、想い・・・であるかどうか、なんですね。
そこに愛はあるのかい?
という、魂(その人の中にいる神)からの問いかけが、
カルマというレッスンプログラムを作り出し、人生に織り込む。
ホント、それだけ。
逆から言えば、エゴイズムからしたことなら、すべてがカルマとなる。
仕組みとしてはとても単純なものです。
「個人のカルマ」の記事に
事例として出させて頂いたマリリンの場合、
確かに望まぬ妊娠をして子供を堕胎したとか、
自分の身体を大切にせず、お金と取引する材料にして、
愛のない行為に溺れたとか、
確かにそういった小さなカルマはたくさんありました。
けれど、彼女がもっとも取り組まなければならなかったのは・・・
何度も繰り返し課題として突きつけられ、
学ばなければいけなかった大きなカルマ(人生最大のレッスン)は、
~歴史は夜(閨)作られる~
("歴史の陰に女アリ"も当てはまりますネ)
という状況において、
その歴史を作ることが出来るポジションを得ていたというのに、
その能力を善きことのために、行使しなかったことなんですね。
前記事にも引用しましたが(スーザンの言葉)。
他者のために、人々のためになることを出来たのに、
それをしなかったこと・・・という罪は重いのです。
何故、他のたくさんのカルマより、
このカルマの方が罪というほどに重いカルマなのか・・・
集団のカルマもそうなんですけれど、
善か悪かという二元論で短絡的に裁定してしまった場合、
その動機が、
小我のためであったのか、大我のためであったのか。
つまり、
小我を守るためにやったことなのか?
大我のために行ったことであるのか?
が、すべてなんです。
それによって、天秤の傾きが違ってくるのです。
噛み砕いて言うと、
自分の感情や欲望を満たすことしか考えなくてそれをしたのか?
他人のことを想い、考えて、他者のためにそれをしたのか?
難しい言い方、スピリチュアル的な観点からいうと、
絶対存在の意志あるいは宇宙の神聖な計画に
沿うことであったのか? そこから外れたことであるのか否か。
人類全体の、世の中の・・・社会全体のためになることであったのか、
自分をも含む他者をも幸福にし、他者に貢献することであるのか否か。
やはり「戦争のカルマ」の記事で例題に出した、
航空機事故の犠牲者の人たちの場合もまさにそうで。
何故、彼らがあのような形で、
自らの身体を人類(飛行機)の安全性技術の向上のために、
犠牲とする形で捧げなければいけなかったのか・・・
そのようなカルマの清算をすることになったのか・・・
その理由もここにあります。
戦争というのは、「破壊」行為そのものです。
単なる諍いやケンカではなく、
地球上の陸海を荒して不毛な土地に変え、
都市や建築物を壊滅させ、人や動物などそこに住まうもの、
生けとし生きるものの命を奪い尽くします。
これはもっとも「愛」のない非創造的な行為なんです。
愛の力は創造力すなわち「愛」は創造そのものです。
ですが、戦争のような破壊行為の中に愛は一片も存在しません。
ここに大我はなく、小我(エゴイズム)しかありません。
人類のためにもならないし、世の中のためにもならない。
創造の流れに反することで、宇宙の神聖なる計画にも沿いません。
飛行機は本来、遠くの土地へと移動するためのもので、
鳥のように空を飛びたいという人類の夢を形にしたものです。
そういう夢を持った人々の
愛という創造性によって生まれたものでもあるし、
遠くの土地と土地を結んで、人々や荷物を運ぶなど、
そのような目的のためにより良い進化を遂げていくべきものでした。
人を殺す武器を運んだり、ましてその武器をつけて、
大勢の人の命を奪う兵器として誕生したものではないんです。
なので、そのようなことを考えた人、開発した人、
実際にその作業をした人、乗務員として
兵器としての飛行機を操り人の命を奪った人が、
人類に対しての集団としての重いカルマを背負うことになり、
一度や二度の人生では返しきれないその負債を解消するために、
今度は「未来の人類のため、他者のため」になるような、
あのような悲惨な、亡くなり方を選んだのです。
戦争というのは確かに、
個人の意見や思想などが通用しない非常事態です。
国の判断が正しいことになってしまい、
非国民や国賊になりたくないならば、それに従うほかないので、
このような非常事態においては、
正常な善悪の判断も、理性的かつ人間的な判断も困難になります。
生きるか死ぬかの状況では、本能剥き出しになりますし、
集団心理やヒステリーに流されやすくなります。
だからこそ、
「その行動は人としてどうか?」「本当にそれでいいのか?」
「それは本当に自分にとって正しいことなのか?」
「自分の正義はどこにあるのか?」
・・・ということを、多く問われることになります。
誰だって死ぬのはイヤです。
集団のルールや輪から逸れて、仲間外れにされるのもイヤです。
(この場合、ハブにされることやボッチになることより、
攻撃の対象になることや不利益を被ることを誰しも恐れるわけで)
けれど、
流されずに己が正しいと思った道を貫けるのかどうか、
ものすごく試されます。
そうした選択の動機がカルマになります。
人としてのお試しの結果、ですね。
戦争は、そこに巻き込まれた人、
すべての人に否応無く、そのような「お試し」を持ちかけます。
人類への最大のクエッション?です。
それが、
他者に奉仕し、多くの人々を幸福にすることであるのか?
人類の未来のためにいいことなのか、
地球のためになることであるのか?
個人の行動(人生の選択や思考)にせよ、
集団の行動や選択にせよ、
このような観点で物事を量ることが、
自分の選択や行動の誤りをチェックし、
負のカルマを作り出す種となるかどうかを見分けるポイントになります。
んでもって、
個人としての小さなカルマ(ちょっとした性格の問題や些細な罪)は、
その人が何かとてつもなく、人類のためになること・・・
多くの人のためになるスバラなことをしたりなんかしたならば、
そちらでポイント稼げる?ので、
帳消しとまでいきませんが、お目こぼしにはなっちゃいます。
しょーもない、ぐうたらで家族泣かせる怠け者であったとしても、
全人類のために、犠牲になって命を落としたり、
物凄くたくさんの人のためになるような、
後生にまで残る世紀の大発見や発明、偉業を成し遂げたなら、
それでOK~!
みたいな感じでしょうか。
ただし、逆はダメなんですよ。
どんなに良い人であったとしても、
自分は手を汚さずとも、多くの人を巻き込む戦争を仕掛けたり、
無責任に立ち回ったりしてしまったならば・・・大借金この上なく。
そして、何もしないのもダメ。
自分が置かれている立場、環境、状況で、
自分がするべきこと、取り組むべきことにベストを尽くすこと。
他者のために「愛」を実行すること。
これをしないといけません。
どんな立場に置かれていても、出来ることは誰だってあるわけで。
別に使命とか、天命とか、そこまで大げさなことではありません。
全体のことを考えて、常に自分の働きをするってのが大切なんです。
その働きが大きいとか小さいとか、
目立つとか目立たないとか、
他人や世間から見て評価されることなのか否かなど、
そこはまったく関係ありません。
何もしないことも「カルマ」になるんです。
それを知っておいてください。
して、唐突に質問。
今あなたがしている仕事は、
「世の中のためになる仕事」ですか?
集団のカルマは、戦争のカルマをはじめとして、
国や民族、家(家系)や宗教や思想的団体だけでなく、
特殊な理念や関係性で結ばれた団体、
同じ目的に向かって努力するチーム、
派閥や企業なども、当然創っていくことになります。
あなたが働いている会社は、社会に貢献している会社でしょうか?
多くの人々のためになることをしたり、
人類の未来のための創造をしている企業なのでしょうか?
社員に対して、「愛」のある会社ですか?
社員含むすべての人々に、「愛」を還元している企業ですか?
人類全体を豊かにするための技術開発をしていたり、
人々の生活を便利にするための事業ですか?
(イメージUPのための活動、寄付は関係ありません)
他者を助けたり、消費者や従業員を幸福にする商売ですか?
もしそうでないのなら、あなたは
会社が行っている人類のためにならない破壊活動に、
賛同して手助けをし、「加担」していることになります。
あなたがその法人の一員であること、
その企業の利益のために労働しているということは、
あなた自身も会社の集団のカルマに参加しているということなのです。
あなたも、今属している会社のカルマを創っている一人で、
会社が人類に対して行っていることへの責任を担っているのです。
それが悪しきものにせよ、善きものにせよ。
仕事や働く企業の選択も
「集団のカルマ」に参加することなのだと、覚えておいて下さいね。
今の人生では回って来なくとも、
次の人生、またはその次の人生でブーメランとして戻ってきますから。
そのことを知って、踏まえた上で、
職種や仕事内容、そして働く場所をも選択してください。
とはいうものの、
今の経済構造は全体を考える経済にあらず、
営利主体で社員還元率の低い、なおかつブラック企業ばかりですが。
少なくとも、
自分の倫理観を疑い、罪悪感を抱きながら、
生きていくためだからと自分にも他人にも言い訳しつつ、
世の人々から搾取し、社員を粗末に扱い、
消費者を騙したり、粗悪品をつくり続けるような、
企業とは早めに手を切ることです。
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余談ですが、タロットカードというのは、
もともと「教義」を書き写して持ち歩くための絵本であり、
占いの道具にあらず、だったりします。
教義とはまさに心霊科学であり、
古くから伝えられてきた秘教的な教えのことです。
私たち人類が何故、この物質社会に生まれてきたのか、
最終的に目標とするところ、行くべきところは何処であるのか、
どうやって考え、生きていくべきであるのか・・・など、
そんなことを図柄で示したものなんですね。
で、エジプトに伝わって、一般には公開されず、神官たちが守り、
神殿の壁画に描かれていたこの図柄を、
モーゼの出エジプト記のときに、
奴隷であったユダヤ人たちが書き写して持ち出したんです。
彼らは正式な教義を学んでいなかったので、
知識は完璧ではなく、写しは抜けのある不完全なものでした。
順番もバラバラになってますしね。
この教義を彼らが独自の解釈をして、
カバラの教義が生まれたり(オリジナルの生命の樹と違いアリ)、
持ち歩くために手軽な大きさに印刷されたものが、
いつのまにかプレイングカードと使われるようになったのです。
異端尋問に引っかからないよう、
キリスト教を取り入れて隠れ蓑にしたり、
あれやこれやカモフラージュしたり他知識を吸収したりしつつ。
本当は教義は78枚ではなく、もっとあるんですが、
写されたのはどうやら78枚だけなんですよね。
まあ、それはそれとして。
で、本題。
タロットは
大アルカナと小アルカナに大分類することが出来るんですが、
この小アルカナは、エレメンタルという想念体が、
四つのエレメントのエーテルバイタリティー(氣)から、
どのように形成されて育っていくのか・・・
ということについて描かれたものです。
四つのエレメンツのそれぞれのエレメントの特徴というのかな・・・
これらエレメントのうち、どのエレメントを中心にして育っていくかで、
エレメンタルの特徴が決まり、人や事物に対しての働きかけ方など、
そこに差異が出るのか、現実世界にどのように具現化されるのか、
そうしたことの解説なんですよ。
つまりはエレメンタルの創造と具現化、特徴についての図表。
大アルカナは私たちが、絶対存在の一部から分離して、
この分離の世界に降りてきた経緯とその後、物質社会において、
どのようにしてワンネスの世界に回帰するべきか、
霊的成長のためのレッスンにどういうものがあるのか・・・
そうした事柄についてとカルマの法則についての図表です。
テーマとはちょっと外れるお話になりますがっっっ
てかー
うちの生徒さんとか、前知識のある人でないと判りにくい話でしたねっっ
分からない人は、へっー! と流して済ませてくださいな。
とはいうものの、なんていいますかね。
どうして、このタロットの話題を出したかといいますと、
絶対存在の神聖なる計画とカルマの法則
(愛が欠けている行動や思考を矯正するための学びのレッスン)
・・・を理解するためには、
エレメンタルがどういうものであるのか、
どのようにして創られ、どんな影響を与えるのか、など、
エレメンタルを理解することが必要不可欠だからなのです。
個人の創ったエレメンタルにせよ、
集団の創ったエレメンタルにせよ、
そのエレメンタルが誕生した創生からの年月や大小に関わらず、
エレメンタルそのものについて深く考察し、それを知ることが、
人の運命や宇宙を創造しているものを知ることになりますので。
なので、心霊科学や真理のお勉強を始めようというときには、
このエレメンタルについてお勉強することが、
初めの一歩になり、基本的な知識の礎になります。
エレメンタルを知らずして、
カルマの法則も引き寄せの法則も分かることはない・・・というところでして。
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