2015/11/05

スピリチュアル依存と中毒⑤

アダルトチルドレンや共依存は、
 「機能不全家族」を背景とした病理的現象とも言える。


 アダルトチルドレンは、「嗜癖」を症状として呈する場合がある。
 また、アダルトチルドレンは、「嗜癖」の家族に育っていることが多い。
 
 「嗜癖」(アディクション)とは『強迫的行動』のひとつであるが、
 現代人は襲い掛かる不安を打ち消そうとして、
 「嗜癖」へと走っていく場合が多い。
 現在、嗜癖臨床の領域では、

 「嗜癖」を
 「物質嗜癖」(サブタンス・アディクション)
 「過程嗜癖」(プロセス・アディクション)
 「関係嗜癖」(リレイション・アディクション)
                  の三つに分類している。

 第一の「物質嗜癖」には、
 アルコール嗜癖、コカインやクラックや覚せい剤などの薬物嗜癖、
 ニコチン嗜癖(タバコ中毒)、カフェイン嗜癖(コーヒー中毒)、
 拒食症と過食症の摂食障害、などが挙げられている。

 「過程嗜癖」には、
 マージャンやパチンコや競馬などのギャンブル嗜癖、
 セックス嗜癖、仕事中毒(ワーカホリック)、貯蓄嗜癖、
 エクササイズ嗜癖、世話焼き(ケアテイキング)嗜癖、
 コントロール嗜癖(支配嗜癖)、恋愛嗜癖(愛しすぎる女たち)、
 消費嗜癖(買い物しすぎる女たち) などが挙げられている。

 また最近問題になっている、宗教に過剰に強迫的に信仰するのは、
 カルト嗜癖や宗教嗜癖と呼ばれている。
 その他に、強迫的にスピード狂になるスピード嗜癖や危険嗜癖、
 活字中毒になる読書嗜癖、
 テレビを強迫的に見ているテレビジョン嗜癖、なども挙げている。

 「関係嗜癖」には、
 シェフは夫婦や恋人などの男女関係や親子関係などを挙げている。


                       「アダルトチルドレンと共依存」
                             緒方明著 誠信書房

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自分で物事を決められない人がいる。

自分の人生に、自ら責任を持とうとしない人たち。


「私にとって、何が一番良いことなんですか?」

「どうすればいいですか?」

「どっちが私にとっての幸せですか?」


こういう仕事をしていると、昔から多々聞かされる質問。


マニュアルを求めているというのか、
指示されたり、保証がないことには動けないというのか、
他人にレールを敷かれることに慣れすぎているのか、
世間一般でいうところの正しい道、世の中の規範から外れたくないあまりに、
自分にとって、何が良くて悪いことなのか・・・
誰からも認められる「正しい生き方」をしなければという強迫観念から、
(道に逸れてはいけない、いい子でいなければという刷り込み等)
何が正しくて間違っていることなのか、
自分で考えられることができなくなってしまった人々。

行過ぎると、情緒障害にも似た、
何が好きで嫌いなのか、
自分が楽しいこと、楽しくないことの判別もつかなくなって、
五感障害というか、感覚麻痺を起こしている人も少なくない。

それは自分と向き合うことをせず、
誰かしらの顔色ばかり、窺って生きてきてしまったツケだろう。

親を満足させ、その期待を裏切りたくないがために、
他人に好かれたいがために、
常に周囲のリクエストに応えることばかり優先して、
自分の本心を偽り、誰でもない
自分自身を裏切って、ごまかして生きている人の何と多いことか。


これは日本の教育制度や家庭での躾といった、
個人の自主性よりも周囲に合わせることを美徳とし、
協調性というよりは右に倣うこと、長いものにまかれることを教え、
決して個性を伸ばそうとはせず、
生きる力を与えるよりも、その創造性を奪うばかりである、
社会全体の責任であるようにも思う。



さて
学問や哲学としての運命学にしても、
偶発性や啓示としての占い(ト占)にしても、
スピリチュアルな視点からのアドバイス、
はてまた心理学を礎とした正当なカウンセリングやセラピーにしても、

ようは使いようで、決して無用なものではなく、
その時々の問題に応じて、
有益に役立てるべく、使い分ければいいだけのこと。

方法はなんであってもいい。
やり方の違いは大して問題ではなく、
自分自身および自身が抱える問題と対峙して、
第三者の意見を得て、客観的かつ多角的に状況を捉えるため、
そうしたことに取り組むための時間を持つことが重要なのだから。

つまりは、いったん足を止めて、
状況を振り返ったり、過去からの見直しをしたり、
他人に心情を話したり、第三者からどう見えるのか人の意見を聞いたり、
そうやって感情を整理して、理由づけもして、
自分の身に起きていることがどんな意味を持っているのかを考えたり、
他人との関係性におけるポジションの見直しや
価値観をチェックしなおすなど、

生きているうえでは、そうした行為は必要不可欠なのだから。

自分ひとりの頭の中で、ぐるぐる反芻していても、
新しい視点や視野、発想が生まれてきそうにもない場合、
自分が受け入れることができる、信頼できる人や
専門的な知識を持った人のサービスを受けることは、
それなりに必要な投資であるとも言える。


ただ、補助的なサポートを求めてではなく、
すべてを丸投げして、自分で考えることの責任も放棄して、
何もかもを相手に決めてもらおうとするような、
そういった依存的な頼り方は、極めて不健康であると言わざるを得ない。

問題を解決したいというよりは、
自分が「期待」している理想の未来を告げられることを夢見てる人は
まったくもって問題外であるし。


また、そのような頼り方をする人にとって、
占いやスピリチュアルというのは、
残念ながら、役に立つどころか、自ら考える力を失わせ、
人格を損ない、自立を蝕む、
実害のあるものになってしまっていることのほうが多い。
占いはあくまで占いで、
未来予測に至っては、天気予報のようなものでしかないのに、
その結果に左右され、振り回される人がいる。

相手の気持ちさえも、自分で確かめることもせず、
占い師が告げる言葉を真実と錯覚する人がいる。

良いことだけを期待して、何かが起きるのをひたすら待ち構えて、
積極的に運を切り拓こうとは一切しない、受け身の人たち。

自分の運はいいのか、悪いのか・・・

そういうことを気にする人がいる。

努力もしないで、運だけを期待する人。

つまりは「運」が回ってくることを待ち構えているという意味で。

宝くじが起きるような良いことが、
誰もがうらやむような素晴らしい容姿の良い、自分好みの人が、
ある日突然現れて、自分のことを好きだと言ってくれる・・・

そんな「良いこと」があるよって、
占いが・・・スピリチュアルなメッセージが、
いつか伝えられる・・・そんなことを夢見る人たち。


でも、

「運」は努力したものにしか与えられない。

「運」は性格にあり、
その性格、その考え方が
今の人生、状況という現実を創ってきたのだから。

あなたが選択した未来が現在である。

その性格が故に、引き寄せたものたちに囲まれているのである。

結果として現れていること、引き寄せたものに不満なら、
まず、自らの性格を見直し、歪んだ思いや誤った考えを知り、
これまでの価値観や選択の間違いに気がつかなければいけない。

つまり「現在」を変えなければ、
「未来」など創造できないのである。

「性格」と「思考」を変えていかなければ・・・
問題を手放すことをしなければ、
新しいことなど何も起きないし、
「運」なども手にいれることができないのである。



しかし、

いつまでも受け身でいたい人は、

「こうすればよくなるよ」
と、

改善点、変わるべき点、どう努力すべきか・・・

ということを伝えても、

「難しい」というばかり。


占いに依存して、
占いを上手に活用しない人の中には・・・
そんな風に努力をすることはイヤだといい、
ただ「幸運」が訪れるのを期待して待つだけの人が圧倒的で。


100万円のものを欲しがるなら、
100万円がないことには手に入らないのに・・・

一億円の価値がある恋人が欲しいのなら・・・
その相手に見合った、
一億円分の価値のあるイイ女にならなければ、
その恋人の心を魅了することなんてできないのに・・・

自分の価値はそのままで、100円の安い人間のままで、
一億円の価値あるものを欲しがる人間が多すぎる。

幸福になりたいと願いながら、
その幸福を得られるだけの、
価値ある人間になろうとはしない人が多すぎる。

そのことの努力は放棄して、
自分で自分を幸せにしようとはせず、
誰かが自分を幸せにしてくれるのを期待して、

与えられることばかり夢見て、自らは何も人に与えようとはせず、
他人に求めるばかりで、自分には求めようとせず、


そして、そういう人に限って、

自分にとっての「幸せ」が何たるかをわかっていない。

どうすれば自分が満たされるのか、

自分が幸せを感じることができる瞬間が何なのか・・・

他人に問われられても、即答できる人はほとんどいなかったりする。



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 まず、「共依存」が生まれる第一の重要な段階は、
 不健全な機能不全家族や機能不全社会が存在することである。
 そのような家族や社会に住んでいれば、
 子供は健全な人に出会うことができない。

 第二の段階では、そのような機能不全家族や機能不全社会に育つと、
 「見捨てられ不安」が出現する。
 次いで「屈辱感」が出現する。
 さらに、その他の種々の心的外傷体験を経験すると、
 子供の心には傷つきが生じ、
 「真の自己」(トゥルー・セルフ)は姿を消してしまう。
 そして慢性的に「空虚感」が持続してしまう。
 
 第三の段階では、子供はその「空虚感」を埋めようとする。
 人生を「偽りの自己」(フォールス・セルフ)で生きていくか、
 外からの力を借りて「空虚感」を埋めるかの方法を取るようになる。
 これが「アダルトチャイルド症候群」と呼ばれる初期の、
 「一次共依存」(ブライマリー・コ・ディペンデンス)を生み出すという。

 
 そして「空虚感」を、人、物、行動などで満足させようとする。
 それが挫折すると多彩な症状や行動となって、
 海面上に出てくるようになる。
 
 それは、抑うつや不安、物質依存、摂食障害、
 ストレス性障害、関係嗜癖、強迫症状の六つである。

 アダルトチルドレンは初期の「一次共依存」を形成するとされるので、
 アダルトチルドレンは、
 その後に、成人の「共依存」へ移行することになる。


                              前出の本より


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モノに依存する行為もそう。


これをすれば「よくなる」

これを身に付ければ「よくなる」

やれ開運だの方位だの、アクセサリーや大安吉日、縁起をかつぐことも。

ときに迷信には根拠があることもあるし、
縁起をかつぐことは別に悪いことではない。
それで気持ちよくことが進められるのであれば。

モノに依存するエネルギー~開運のハナシ
にも書いたけれども・・・

パワーストーンのアクセサリーにしても、なにがしかの幸運グッズにしても、
モノが「幸せにしてくれる」といわんばかりに、
それに頼り切るのは・・・執着するのは、とてもよくないことだ。

とても醜いことというのかな。


そんな風にモノに頼り切って、
「こうすればよくなる、ああすれば幸せになれる」みたいに、
依頼心と依存心の塊みたいな人のエネルギーは、正直とても見苦しい。

肉眼で見えないからいいようなものの、
エネルギーが人にすべての人に見えたなら、
その人が、汚物まみれの状態で、
特撮モノに出てくる醜い怪人、はてまた怪獣や宇宙人のごとく、
恐ろしいものであったりして、本人も自分の姿に耐えられなくなるはずだ。

「こうすれば、よくなる」「これが自分を幸せにしてくれる」

なんて考えは、煩悩であり、欲望と妄執というモンスターそのものだから。

(だから、視えなくて幸いなのである。
人が、この物質界(三次元)以上のものが視えないのには理由があって、
視えていたら、もし視えてしまったならば・・・
人間が毎日大量に作り出している、
恐ろしく、醜い・・・欲望から生まれるものを直視することに耐えられず、
絶望と狂気の中に引きずり込まれるかも知れない。
だから、軽い気持ちで視えるようになりたいなどと思うべきではないし、
まずは己の心をキレイに磨き上げることのほうが、先であると思う。
今まで創ってきた汚いものを断捨離するべきだ)

そうしたモンスターを身体の外にも内にもはべらせていて、
そんな汚らしいエネルギーの状態で、
美しいキレイなものがよって来るわけはない。

幸せ・・・は、とても美しく、波動の高い、ピュアなエネルギーだから。

ンコとクサヤとドリアンと、腐敗した死体の臭いプンプンさせて、
それで幸せを引き寄せられるなんて・・・

まず無理だってことに気がついて欲しい。


ヒーリングセッションの現場では、
まずそういった、その人が今まで創ってきた、
「おぞましく汚い」醜く歪んだエネルギーのお掃除から始まる。
それがスタートで、基本中の基本ともいえる。

だって、それをしないことには、どうにもならないから。

汚れまくって、ものすごいことなっている部屋に
キレイな家具やインテリア、ファブリックをあしらうことはできないし、
鼻が曲がるほどの臭いで、臭くてたまらない人に、
素晴らしい芳香の香水をつけても、
元の臭いで消されて台無しになってしまうわけで・・・

そんな風に、

汚れた醜いエネルギーまみれの汚染された人に、
波動の高い、良いエネルギーをいくら注入(らぶ注入?)しても、
・・・なので。

それが実状。

そして、ヘドロは後から後から湧いてくるものなのですよ。
そこに巣食う虫とともに・・・


                 で、このテーマシリーズまだまだ続く。

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 子供時代を、
 子供として過ごすことができなかったアダルトチルドレンは、
 周囲に気を使い、自分の感情を抑えて子供時代を過ごしている。
 したがって、
 大人になっても、素直に自分の感情を表現することができず、
 自分の気持ちを言いたいときに言い出しかねたり、
 抑えすぎて急に感情が爆発したりする。
 泣くときに泣けなかったり、
 ひとりぼっちで声を立てずに泣いていたりする。
 その抑圧された感情が、怒りになることもある。

 さらに、特定の感情経験に反応して、
 転職、結婚、離婚などのときに、
 「白か黒か」の決定的な決断をしてしまいやすく、
 「生きづらさ」を自らも体感している。

 また、大人を信用できない子供時代を送ってきたので、
 他人を信頼する力が弱い。
 したがって、他人を信頼していないので、
 援助や助けを求めるのが下手である。
 同時に、
 甘えたくても甘えることができない子供時代を送ってきたので、
 依存したくてもできずに、
 自分の心をコントロールしたがったり、支配をしようとする。
 さらに間接的に相手の心もコントロールしたがり、
 支配しようと一生懸命になる。
 しかし、相手のコントロールや支配が失敗すると、
 相手を恨み、信頼しなくなる。

 子供時代を寂しく暮らしてきたアダルトチルドレンは、
 大人になっても得たいの知れない寂しさにさいなまれたり、
 抑うつ的になったり、不安になったりする。
 結婚や恋愛をしていても寂しく、家族を持ってもなお孤独なことがある。
 そして相手から見捨てられることに過剰に敏感であったり、
 自分が相手を見捨てるのに過度に鈍感であったりする。
 また、両親の葛藤や家族関係の歪みに、
 自分が関連しているのではないかと感じて子供時代を過ごしていると、
 自責感が強く、自己評価も低くなりやすい。
 夫婦関係や家族関係が悪くなると、
 自分を責めてしまい、自己卑下してしまう。

 感情表現、信頼、依存、支配などに問題のあるアダルトチルドレンは、
 上記のように、家族や会社での対人関係に微妙な問題を起こし、
 「生きづらさ」を感じながら、人生を送ることになる。


 
                               前出の本

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