2015/11/05

歴史は繰り返す~個人のカルマ

地球カレンダーによると、
人類が誕生したのは、地球元年12/31のことで、
私たちはまだ12/31のわずか数時間しか、
この世に生存していないのだそうです。
(カール・セーガン博士「コスモス」より)

その数時間の間で、
人類は何度「争い」を繰り返してきたことでしょう。

そのわずか数時間の間に、
一人の人の魂は・・・古い魂では、
数百回も人生やっているというのに。

道具を使うようになって、都市が創られ、文明が生まれ、
芸術や文化が生まれて、科学や技術が進歩しても、
人の精神や感情はなかなか進化しません。

他の天体へとロケットを打ち上げ、海底にトンネルを掘ったり、
地下に電車を走らせることが出来るようになっても、

そこで繰り返される「人間劇場」
人のドラマは昔も今も対して変わらないのです。

感情を害されては相手を憎み、
お金欲しさや私怨や自分勝手な理由で人を殺し、
他人のものを欲しがったり、どうでもいいことで人を嫌ったり、
自分の感情の憂さを晴らすために他人を誹謗中傷して、
裏切ったり、貶めたり、人の幸せを呪ったり・・・



負のスパイラルに陥ってしまい、
そこからなかなか脱却できないのは、
国家や民族や団体などの集団
(グループエレメンタル)ばかりではありません。

個人もまた同じこと。

ひとつの人生が終わって、
転生の前に、サイキカル界(一般に中間生と呼ばれる)にて
先の人生を振り返って反省し、今度こそはと勇むものの、

結局、あらあらまたやっちゃったのね~
ノルマクリアできなかったばかりか、
新しいカルマ増やして、負債が増えちゃいました、エヘ・・・

なんてことはザラ。

ええ、クリア(解消して学習すること)できなかったという、
それだけなら、まだいいんですよ。

一番厄介なのは、どんどんねじくれて複雑になり、
新たな課題(カルマ)がひたすら増えてややこしくなること。

「なぜ、どーしてこーなった!」
「こんなはずではなかったのに・・・??」

という状況が一番頭の痛いこと。

そうですね、霊界が学校だとして
人の霊的成長を学年で例えたとき、
落第はないんですけれど、留年はアリなんで。

一つの人生が終わって、霊界(サイキカル界)に戻ってきたならば、

A「ちぃーす! またお世話になります」
B「うわ、またお前ここのクラス?」
A「オレだって戻ってくるつもりなかったし、
 いい加減10回目だと飽きたし。早く上のクラス行きたいけどさー」
マスター「・・・・次こそ、な! 頼む、ガンバレ!!」
大天使「ニンゲンハマナバナイイキモノデアルナ・・・」
守護霊「・・・私、もうダメです。担当替えてください。
 自信ありません。無理です・・・うううう」

ンな感じの会話があちこちで交わされているわけですよ(笑)



で、前回の記事でハリウッド全盛期のスターの中には、
かつての王侯貴族たちの転生してきた姿が多い、と書きました。

この方に関しては、近年ではあるものの外国の方であって、
彼女の近しい友人で姉妹のように仲の良かった、
女優スーザン・ストラスバーグが退行催眠にて、
マリリンとの関係性などについて明らかにしたときの様子が、
公の著書として出版されていますので、
ここで書いちゃってもいいか・・・なのでした。

直近の人生が日本人である人の事例に関しては、
著名人であっても、ちょっと迷うところ。
(遺族は一般人だろうし)
さて、どうしたものか・・・なので、しばらく保留。
レッスンの場ではともかく、
ブログでは止めたほうがいいんだろうと思いますが。




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1926年6月1日にアメリカに生まれたノーマ・ジーン・モーテンソン、
後に女優マリリン・モンローとして知られるこの女性は、
1793年12月7日(出生は1743年8月19日)に
フランスでギロチン台によって処刑されたデュ・バリー夫人こと
マリ=ジャンヌ・ベキューでした。

デュ・バリー夫人といえば、
「ベルサイユのばら」でのマリー・アントワネットとの対立で有名ですが、
実際の、彼女の性格は陽気で、漫画とはかなり異なる人のようです。
(最近の漫画だと「イノサン」の主人公サンソンの息子が、
彼女の処刑を行った人物なので、劇中登場するかも知れません。)

デュ・バリー夫人としての人生が幕を閉じたときと、
マリリンとして誕生したときの間は約170年。
この間には3つの人生がありますけど、それは置いておき。

そして、有名で調べるに資料のことかかない、
この2人の人生を比較したとき、
共通点がたくさんあることに、皆さん気付かされると思います。

ちなみにスーザン・ストラスバーグは、
マリリンがデュバリー夫人だったときの弟です。
その後、ジプシーの旅芸人だったときにも姉妹で。

2人のこの2つの人生での共通点は、

・私生児だったこと
・売春婦として生活していたことがあること
・権力者の愛人であった時期があること
・子供は持たなかった(持てなかった)こと
・体型はふくよかで決して痩せ型ではなかったこと

ちなみにマリリンは本来、赤毛ですが、
女優になるときに金髪に染めているのです。
彼女がマリリン・モンローになるためのメイクをしたとき、
肖像画に描かれているような、
デュバリー夫人の過去の容姿をなぞっているような気がするのは、
私の思い込みやうがちすぎでしょうか。


さてさて
彼女がデュバリー夫人だったときのカルマ(レッスンでありノルマ)は、
当時のフランスにおいての貧しい人々の暮らしに、
王侯貴族が目を向けるように、権力者に働きかけることでした。

彼女は私生児(庶子)で貧しい庶民出身です。
生活のために、貧しい生活から抜け出すために、
貴族さまの妾になる道を選んだわけですけど、
そこに罪やカルマがあるわけではないのです。

庶民出身だからこそ、貧しい暮らしを経験してるからこそ、
知ってる生活があり、それがどういうものか身に染みてるはずで、
自分は抜け出せたけれども、
未だ貧困に喘いでいる人々がいるってことで、
自分に出来ることをするべきだったんです。
けれど、彼女はそれをしなかった。

時の権力者、国の最高トップの王さま・・・ルイ15世の
愛人に、寵妃になれたというのに。
贅沢にあけくれ、愛欲の日々に溺れてしまったのですね。

そして、民衆に憎まれ、
一度はフランスを脱出したものの、宝石を取り戻しに戻って、
ギロチン台へと送り込まれることになりました。

マリリン・モンローとしての人生は、
そのやりなおしの人生だったんです。
デュバリー夫人だったときのカルマの負債を返すための、
前の人生でトライできなかったことにトライするための、
再チャレンジの人生。

けれど、結果は皆さんもご存知の通り。

ちなみに彼女の死因はアカシックによると、
自殺でも事故でもないです。
犯人はアルファベット三文字団体ということでっっっ
(ケネディも同じ犯人)


マリリン・モンロー、ノーマ・ジーンとしてのカルマに関しては、
デュバリー夫人と重なっているので、重複しますけれど、
くだんの著書から、スーザンの言葉をして引用するとします。


「あの人は、
ケネディ大統領に気に入られていましたでしょ。
ですから、国民を助けられるような情報を
彼に伝えられることもできたのです。
それを使うも使わないも、
人生には人々の生活に影響を与える機会があるのです。
でも、マリリンはその機会をつかむことが全くなかったのだわ。
・・・・
あなたはこの子が生まれながらの世界的人物で、
アメリカ大統領と同じくらいに有名になったことをお忘れだわ。
マリリンの背景、つまりフランスでの生涯を考えれば、
それほど驚くことではなくてよ。
彼女は大人物を操る術を直感的に知っていたのですわ。
・・・・
彼女は今生でも誤りを犯したのだわ。
前と同じ力を持っていたのに、まるで自分の言うことを、
何もかも聞いてくれるほど深く彼女を愛してくれる権力者が、
この世にはいないかのように振る舞い続けたのです。
そんなつまらない、移り気な態度が、
結局は自分に返ってきてしまったのです」


はてさて、現代に生きる、
かつてデュバリー夫人でありマリリン・モンローだった人物は、
今度はどんな人生を送っているのでしょうか?
今の人生では自分のするべきことに取り組めているのでしょうか。
今度こそレッスンをクリアできているといいのですが・・・

どうでしょうねぇ。


こんな風にね、みんなレッスンを何百年も持ち越してしまって、
なかなか先に進めないものなんですよ。

前の人生の過ちをどうしても繰り返しがちなんです。

一度や二度ではなかなかクリアできず、
同じこと、似たような人生、何度も何度も繰り返してしまう。

追試、追試で、いい加減、同じ問題に向き合ってばかりで、
飽きないかなあ・・・と思いつつ、
一歩進んで二歩下がって、二歩進んで一歩下がって、

マジメに牛歩の歩みです。


ガンバレ~って感じですね。

何しろ他人が解いてくれるわけではないので。
誰かが代わってくれるわけでなし。

自分で判るまで、解けるまで取り組むしかない。
何度も何度も時計を逆回しにするかのように、
似たようなバターン、同じような人生をひたすら生き続ける。



あ・・・自殺したら、追試や留年どころではないです。
通常の転生では平均して数年で次の人生に行けますけれど、
今は加速しているので(数週間、数日の人もいる)
自殺の場合、時間が凍結する状態に陥り、
何十年以上、時に100年近く転生できません。
そしてやり直しどころか、逃げ出した問題よりも過酷な状況、
もっと輪をかけて悲惨な環境の人生に取り組むことになります。


こういうノルマ(レッスン)って、誰が架しているかというと、
誰でもないその人自身、その人の魂であり神たる部分なのです。
第三者や神仏が架したり、与えている罰ではないのです。

カルマは業にあらず、学びのレッスンであり、
単なる自らに架したノルマですから。


追記
ちなみに、マリリンと同時代のハリウッドに、
ルイ14世の生まれ変わりの人物もいました。(ルイ15世ではなく)
シャンソン歌手で俳優であったイタリア人(笑)

彼の場合、王さま時代のカリスマ性生かしての職業選択だったけど、
カルマのレッスンはちゃんとクリアできてた人。
そこがマリリンとの違い。

当時の俳優女優さんの過去生関係図を見ると、めちゃ面白いデス。
なんかワイドショーっぽいネタですけどね。

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