2015/11/05

自慢は知恵の行き止まり~霊的職業の微妙な区分

スピリチュアル能力(霊性のレベル)とサイキック能力(心霊能力)は
別物であって、イコールではなく、残念ながらこれらは比例しない。
両方を兼ね備え、伴っている人格者もいるにはいるけれど、
決して多くはなく(むしろ少数派)、
霊能力の高さがその人の霊性の高さを証明するものではない。

また逆に、霊性は高いが、心霊能力を特に顕していない人も大勢いる。

従って、
能力の高さとその人自身は切り離して見るべきであるし、
いかに秀でた能力を備え持っているからといって、
霊性の高い、愛にあふれたヒューマニストで、
良識ある人格者とも徳のある人とも、過大に期待してはいけない。

最近そう痛感させられる出来事を改めて経験して、今更に思う。



さて、以前どこかにも書いたと思うけど、
私は霊媒体質(ミディアム)であるけれど、
霊能者としての素養はまったくもって有していない。
そのことは誰に言われるわけでもなく私自身が一番自覚している。

今の人生でも、過去の人生でも、
そのような職業に就いたことはないし、
鍛錬を重ねたこともないからだ。
そしてそのようなバックボーンも持っていない。
霊能者のような仕事をすることは私の道ではないので。

(過去生では、ちょっとした神事を行ったり、神託や占いをしたり、
巫女やシャーマンが行う程度の術をしたりとか、その程度)


でも、一般の人は霊媒と霊能者の違いがわからない。

さらに言えば、
呪術師と祈祷師、占い師と預言者と運命学者、
シャーマンとメディシンマン、巫女と霊媒、ノロとユタ、
ヒーラーと治療師、チャネラーとイタコ、透視と霊視、
透視能力者とサイコメトラー、霊能者とサニワ、
そしてこういうのと宗教家の違いも判らない人がほとんどだろう。

当然というか、それがしごく当たり前で普通のことだと思う。

でもって一般の人たちだけでなく、
誰でもないこれらの職業に就く人々自身が、
実のところ、自分の属する世界や自分の職業領域、
自分が出来ることのテリトリーやボーダーなど、
自分がやっていることや類似の職業の差異について、
よく判っていないという人も少なくない。

それぞれの職業は似通っているし、共通する部分、
重なっているところもあるし、兼用しているところもあるから、
きちんと領域を分けて区別し、説明するのは難しい。
ものすごく曖昧なボーダーなので。

例えて言うなら、同じ業種でも職種が違うとか、
大まかに分類されるときには同じ業種に区分けされ、属してはいても、
やっている仕事の内容とか、作業エリアが異なっているといったところ。

私の実家・・・の業種たる建築業を例にして言うと、
同じ建築業の職種であっても、大工と建具職人、左官職人は、
「建物を建てる」ということに関わる作業をするが、
それぞれの作業内容は違っていたりする。

大工も建具職人も左官職人も、
お互いの仕事についてもちろん知識があり、
それらをよく理解していて、互いが家(建物)作りにおいて、
どの段階で関わるのか、どのパートを受け持っているのか、
それぞれが何をするのか、どういう作業をするのかなどは熟知しているし、
知識があるから、
時に簡単な作業なら彼らの代わりをすることも出来たりする。
でも、技術としては専門ではない。
あくまで、簡単な作業の真似事くらいが出来るって話。
そして仕事の基礎は似てるから、トレーニングすれば
一般の人たちよりは習得が早く、それらに転職するのは楽だけれども。


して、大工も建具屋も、
青写真(設計図)を読めるし、家を建てる図面も描ける。
だから、自分の家を建てたりも出来る。
けれど、専門の建築士ではないから、
計算されたこだわりの家などを作るのは無理。
木造の、ごく簡素な、昔ながらの小さい家が精一杯だったり。

逆に建築士の人は知識はあって、技術に通じていても、
自分でその技術を駆使して、こだわりの家を建てることは不可能。

それぞれの分野の専門家、
適材適所の有能な技術者が集まってこその、家作りになる。

時に、設計士としても一流で大工の腕も持ち、
建具も左官も、配線工事もすべて一流で何でも出来る人もいるだろうが、
なかなかそういう人はいない。
大体の人が一芸に秀でるというか、極めることや得意なことは絞られる。

もう少し一般的で身近な職業でいうと、
一口に事務といっても、いろいろあるわけで。
総務事務、営業事務、経理事務、貿易事務、
英文事務、特許事務、治験事務、人事事務etc・・・。

事務とひとくくりにされると同じなんだけど、それぞれの専門性は違うし、
基礎は同じでも、仕事の内容は同じではない。

営業事務が出来るからって、貿易事務が出来るとは限らない。

接客とか調理の仕事をしている人が事務の仕事をするよりは、
一般事務の人が経理事務の仕事をするほうが、
オフィスワークの基礎がある分、取っ掛かりがいいというか、
仕事を理解しやすく、入りやすくはあるって程度で。
して、やってることは大体わかるけど、
細かいところは判らないってのはある。

霊媒も霊能者も呪術師も祈祷師の違いもそんな感じだ。

お互いがやっていることは判るし、かぶるところもあるけれど、
専門としているところや問題や物事に対処するアプローチの仕方が違う。
技術を有するために必要な力とか、技術とか。
それらを得るために特化した鍛錬をしてきたか・・・とか。
素養やら向き不向きもあるし。

同じ「業種」に属しているので、素人の人よりは知識があるし、
何を根拠にそれをしているのか、どういうやり方をしているのか、
そういうことは判るし、理解も出来る。
だから、さわり程度のことなら、
専門外でありながらも時々まぐれに、出来たりすることもある。
(ただし、簡単なことなら。素人よりは、の範囲で)

けれど、あくまで専門ではない、のだ。
それに特化した技術やノウハウは所持していない、ということ。


私も、稀にまぐれで専門外のことが出来たりすることもあるけれど、
それはとても「簡単」なことだったり、
タイミング的にそうなっただけのこと。
いつでも安定して出来るわけではないので、
確実に提供できる技術ではないと、自覚していたりする。

それをしてしまうのは・・・
腕が無いのに実力以上のことをするのはとても危険なことだし、
自らだけでなく、お客さんとか関わった人、すべてを巻き込んでしまい、
さらなる悪い状況を作り出してしまう結果に得てしてなりがちだ。

だから無責任なことはしてはならない。

出来ないことは出来ないと、自分の分をわきまえておくことも大切。

(うん、そう。そういうのをよく判っているから、
だからこそ、判るけれども出来ないことが目の前にやってくることに
「?」になり、疑心暗鬼というか、専門外の案件が何故私のところに?
と、その道の達人・専門家にヘルプを求めたのだけどねー
よけい頭の上が「?」になる結果で。だめだこりゃ、でした。)


ちなみに祈祷師は祈祷をする人のことで、
拝み屋は、文字通り、神さまに拝謁して「お願い」をする人のこと。
神さま仏さまと、人の仲立ちをするような職業になる。それが専門。
拝み屋や祈祷師が宗教家としての開祖になる場合もある。

呪術師は、まんま、まじない師で、呪術をする人。
魔術といわれる魔術師もほぼ同じ。
原始的なやり方か、格好つけた気取ったやり方かの違い。

シャーマン=巫女といってもいいけど、
巫女は文字通り女性のみ、シャーマンという言い方だと男女とも。
巫女もシャーマンも神さまなどの高次の意識を体に降ろして、
その言葉を託宣として告げるもの。

神官や祭司というと儀式を執り行う人ってことになるし、
宗教的指導者の意味をもつ。

預言者は、人類や民族の未来に関する預言を行う人。

占い師は、基本媒体となる道具を用いて、
そこに現れる象意を読み取り解釈をして、人に告げる人。
(ト占、兆学とか相学)

運命学は、占いのようで占いにあらず。
それを行う人は学問的な思想体系の考えから、
人の運命を予測する人。(星読みとか陰陽道とか易学など、命学)

太古の昔や原始的な文明では、
シャーマンや巫女が占いも行ったものだけど、現代社会では違う。

現代の占い師と運命学を学ぶものは、
それらの技術や学問的知識を使った上で、
カウンセリングやセラピーをして、一般の人の相談に乗るのが仕事。
して、運命学を学ぶ人は得てして、
占い研究家の肩書きを持ちやすい。


霊媒はその特性から何かの意識を感得しやすいので、
共感したり憑依させることが得意。
だから巫女やシャーマン、サニワなどの職業につくことが多い。
で、自らは力がないけれど、憑依する霊とタッグを組むことになるので、
どんな霊がサポートにつき、降ろすことが出来るかで、
出来る仕事の範囲・質が決まってしまう。
医師の霊が背後につくと、優れたヒーリング能力を発揮する。
ただし、当人の力ではないので霊能者的なことは出来ない。


霊能者は、呪術師的なことも出来る人もいるし、
祈祷師的なことが出来る人もいる。
日本の行者的なイメージだとそうなるかな。
除霊とか浄霊が出来るのが基本で、
目には見えない次元のトラブルにアプローチできる人。
密教系の僧侶とか、修験道の行者さんとかは
この仕事が出来る人がそれなり。
霊的なことが原因の病気に対してもヒーリング能力がある。


で、霊媒の情報の得方は、霊を憑依させてその意志を感じたり、
対象物と共感することで、残留思念物から情報を読み取る方法が主。
なので霊視能力は必要ないというか、発揮しない人も多い。
だから、サイコメトラーは霊媒が多くなる。
ちなみにエドガー・ケイシーも霊媒タイプだし、イタコも霊媒。
媒体を使った占い師も霊媒タイプが結構多い。


霊能者は霊の姿を視て、直接対話したり、
その存在の意志や意図を汲み取ることが出来る人。
だから、霊に操られにくい。


ロマも魔女(ウィッカンやヒーザン)もシャーマンも呪術はするし、
それぞれの属する宗教に従っての祈祷はするし、
儀式も占いなんかもやったりするから、
区別するのは難しいんですけどね。


まあ、医療の分野でも、同じ医者といっても、専門があるのと一緒かな。
外科と内科、薬学の専門とか、あれやこれや。
同じ外科でも心臓専門医とか循環器系とか、整形とかあるでしょ。
そんな感じなんですよ。

全体としての医療、医学は判るけど、得意なことがあり、苦手もあり、
特化している能力が違うってところです。


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で、私もたまに自分のことで迷ったり、悩んだりすることがある。
とくに専門外のことでは。

専門外のことに関しても知識はあるけれど、
そちらに関しては私は批評家か解説者といったところで、
対処する「技術」を持っていない事を良く知っているから、
やはり「餅は餅屋」ということで、その道の人に頼るしかなかったりする。

けれど、困ったことに信頼できる人に会えていないのが実状で。
なんていうか、ニセモノが多い世界であるし、
技術も確かで人として信頼できる人というのはなかなか難しい。

(いやさ、私が会えないだけで、素晴らしい人はいるはずなんだけど)

例えば除霊やら浄霊やら呪術を解く能力はすごいんだろうけど、
確かにそういうスキルは物凄く高い人なのは判るんだけど・・・・
如何せん、こういう人は対人スキルが高くなかったり、
説明が下手だったり、あとやっぱ威圧的で上から目線かな。

確かに、彼らはカウンセリングが「専門」ではないわけです。
何しろ「ワザ」を駆使する人たちだし、人間的にも甘いとダメというか、
精神的に強く、厳しさがないと除霊やら浄霊やら出来ないのは事実。
悩み相談がメインではない以上、お客より、の姿勢ではなく、
故に態度が横柄に見えてしまうのも仕方ないんですけどね。
性格がきついつかー、
言い方が高圧的になっちゃうのも判るっちゃ判るけど。

うーん。

去年お会いした人も、
スキルが高いのはすごくわかるけど、
上から目線だし、守秘義務守ってくれてないし・・・
(私もこのブログでぼかしているとは言え
ケースファイルで事例を書いてるから人のことは言えませんが)
私の説明や質問の仕方が悪かったといえばそうなんですが、
霊視をして得た情報に、どうも個人的解釈(先入観)入ってるようで、
話がかなりズレてしまった。
お会いしたことを後悔はしてないのですが。

すべてを求めてはいけないのだというか、
相手の話をきちんと聞いて、そこから何を悩んでいるのか、
当人が何を問題と考えていて、何を解決したがっているのか、
そういうのを紐解くのが苦手な人なんだと、ハイ。

たぶんこのあたりが専門の違いなんですよね。
霊能者さんはやっぱり「ワザ」の人だから、
カウンセリングやセラピーは違うのだと。
だからそこ求めちゃいけない。

それは占い師やサイコセラピーの領域だし。
そこはそれで割り引いて、正確性のある情報だけ頂くしかない。
それに人には得意不得意、色、個性というものがあり、
その人なりのやり方があるし、相性というのがあるから。
自分に合うか、合わないのか、そこだけであると。



でも、やっぱり私は「人格」を求めてしまうなー
謙虚さとか、思いやりとかね・・・愛のある人がいい。

自分はどれほどすごいんだって、
いろんな人に認められてる、有名人に知り合いとか、
崇拝者がいるって、そういうのを自慢してばかりいる、
傲慢でエゴイズムの虜になっている人には、
いくら「スゴイ」人でも、私はお金払いたくないや。
値段の問題でなく。

なんてかー
営業事務やってる人間に、経理のスペシャリストが、
「私はあなたよりすごいし、能力が上なんだから」って、
そうのたまわられても、
そもそも仕事が違うというか、やってることが違うんだから、
見下されたり、自慢されても困るんですけど・・・

そんなかんじでがっくし。


本当はね、業種は同じでも専門が違うからこそ、
「ああ、この人はちゃんとした仕事している人だな」
と認められる人がいたならば、
ネットワークで繋がって、協力しあえたら一番いいんだけどね。

医療業界だとそういうの当たり前じゃない?
「この手術だったら、○○病院の○○先生が専門で」とか、
「これは診療所でなくて設備の整った総合病院に」とか、
自分の手にあまること、もっと別の、
専門かつ高等なテクニックを持った人に、患者さん紹介するのは。


けど、霊的な仕事・・・スピリチュアルな業界はそうはいかないんだ。

それが出来たら一番いいんだけど。

自分の専門外のことは、
信頼して、紹介できる人が欲しいとこなんだけれど、
なかなかいないというのもあるし、
皆プライドが高いというか、自分が一番という人が多いから。
(他人を認めず否定する人が多いのデス)


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そうですね。
そして、自分がクライアントとして、彼らに会うことになるたびに、
彼らを写し鏡として、自らの姿をば省みて、
色々と反省材料にさせていただいています。

私もこんな、高圧的で上から目線なのかなー・・・とか。
こんな言い方してるかもなー・・・とか。
確かにこの説明ではわかんないよなー・・・とか。


あれやこれや。

貴重な経験ですから、
自分をして、お客さん側の気持ちになってみたりして。

まあ・・・でも、確かに私もお客さんを叱り付けたり、
強い物の言い方をすることは多々あるな・・・わははは

他人のふり見て我がフリ直せ、ですねぇ。
ええ。
私も話のさわりだけ聞いて、
もしかしたら、個人的な思い込みや決め付け、
経験から来る先入観だけで、
自分の主観を入れてしまって判断したり、
「そうに違いない」って、
ガイドさんたちからのメッセージを、色をつけて、
湾曲したり曲解して伝えてしまっていることがあるかも知れない。

それをしてしまっている他者を目の当たりにして、
我が身を深く振り返ってしまいましたヨ。

とても力のある、才能のある人なだけにそういうとこだけが残念で。

改めて、傲慢とエゴイズムの罠は怖いなあ、と思いつつ。

おのが才覚や腕に溺れず、
謙虚さがほんのちょっと、
人としての腰の低さなんか、あともうちょっとあれば、
そうした読み間違いや誤訳も起きないだろうにと・・・

あたらもったいない。

そんな風に他人の姿をして、学ばせていただいたり。

あ゛ーでも、こういう視点で他人をチェックしちゃうことも、
批評でまたジャッジ。批判以外の何物でもないかしら。

結局のところ、知ったふりの上から目線なんですよね。
自分のほうがさも判っているというような態度ですもの。


ホントにねー

互いの見れるところ、得意なとこ、苦手なとこが違うからこそ、
協力しあって助け合っていければ、大きな力になって、
もっと効果的に、効率的にたくさんの人の助けになれるんだと思うけど。
(チームメディカルドラゴン?みたいに)

欧米ではそれをしているスピリチュアリストたちは多いけど、
日本て国は難しいのかなあ、やはり。
出来ればそれが叶えられれば、とは切望している。

でもホンモノに出会うためにはまず自分がホンモノにならなければ。


謙虚になるのって、すごく大切だ。
けど、毅然とした態度も大事。

私は私以外の何者にもなれないし、
私には私にしかできない仕事があって、
他人の仕事をする必要もなく、
私にしかできないことをすればいいだけで、
他人のやり方を真似する必要もないのだけれども・・・

自分がお客になることで、見えてくることがいっぱいある。
それすべて勉強。

生涯、勉強だなあ~と実感させられますね。

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