最近のものですが、書き留めていたものが溜まってきたので、掲載。
チャネリングに関しては基本的にしないし、
決して推奨もしていないのですが、
それでも瞑想中に言葉が降ってきて、
それを拾うことがままあります(笑)。
覚えていられているものだけ、書き留めていますが、
如何せん、どこまで正確に覚え、思い出せているんだかっっっ汗
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"他人のためにすることが自分のためになること→×
自分のためにすることが他人のためになること→○
誰かのために生きるのではなく、自分のために生き、
自分を幸福に導くための一連の行為が
結果的に周囲の人に幸福をもたらし、
他者のために人生を捧げることでなくてはならない"
"自分を幸せにすることができなくて、
どうして他人を幸せにすることなぞできようものか・・・"
"自分がその人でなかったことを悲しむ必要はないし、
自分がその人でなかったことを喜ぶ必要もない
自分が自分であることをただ、祝福するだけだ
他人の幸福を自分の幸福として喜び、祝いなさい
他人の哀しみを自分の哀しみとして嘆き、痛みを噛み締めなさい
そしてそれを血とし肉とし、人生に活かしなさい"
"私たちは最初、何も持たずに裸のまま生まれてくるが、
実のところ私たちは最初から、すべてを持って生まれてくるのだ。
私たちはすでに与えられている。
ただ、裸であるのは、何を着るのか、何を持ちたいのか、
自分で選択する自由があるからだ"
"すべては変化するだけ。失うものは何も無い。
別れも無く、出会いすらもない。
すべては「変化」であり「変遷」である。
この地球に存在するものはもすべて変化しているだけで、
地球は何も失っていないし、何も増えていない。
私たちの命、宿り場としての肉体とて同じこと。
原始の初めより、増えたものも減ったものもない"
"最初から、何もかも、すべてが完璧に、
苦労することなく、こなすことができたなら、
人はどうしてそれを楽しめるだろうか?
ひとつひとつできないこと、
できなかったことを出来るようになる悦びに勝るものはない。
はじめからなにもかもできたならば、
それができていることすらも気づけないだろう"
"目の前になかったものを、自らの努力で手に入れて、集めて、
そこに積み上げていく悦びを知ることに、人生の意味があるのだ"
"愛と引き換えになるものは、愛だけである"
"愛のある一日を送りなさい。
たとえ何もしない一日でも。出かけない日でも。
朝から晩まで寝てばかりの日でも。誰とも会わず、
言葉を交わさない日であったとしても・・・
あなたにとって、あなたを幸せにすることを考え、思い、
あなた自身を愛する一日を送りなさい"
"疑うということは、曇りのない心で
ありのままに真実を見極めようとする手段で物事の見方のひとつ。
疑いを持つということは必要なこと。
しかし、疑ってはいけないものもある。
それは自分の心、心の願い。
あなたの願いは宇宙の愛の実現だ。
宇宙の愛を疑うことは自分の存在を否定すること。
信じる心を打ち消してはいけない"
"人は自分が愛情を掛けたものからしか、愛を受け取れない"
"真の豊かさとは、分かちあえる悦びである。
与え与えられる喜びを至福と感じられる瞬間である。
どれほどの価値ある物質を所有しているか、
どれほど多くのものを得ているかではない。
少ないものであったとしても、
そこにどれほど多くの価値を見出すことができるか、
満足を味わうことができているか、である"
"夢は一人でも見ることはできるけれど、
一人の力だけで夢を叶えることはできない。
その夢を支え、夢見る力を与えてくれる誰かがいないことには"
"全体のことを考え、他者の幸福を願う気持ちが
その人を幸福な人生へと導くことなるが、
まず自分が幸福になることをしないことには、
他者を幸福にする道には進むことができないのだと知りなさい"
"最低でも八人、その人の幸福を祈り、
その人の夢が叶うことを願うものたちがいれば、
その夢は実現するだろう。
それがヒューマンパワーというものの最小単位なんだ"
"求めるものの中にヒントがある。
興味を持ち、好奇心をそそられる事柄の中に、
進むべき道が隠されている。
心がいつも教えてくれている。宝のありかはそこにあると"
"人はすべてを持っている。
初めから、すべてを与えられている。不足など何処にも無いのだ。
ただ、それが具現化するのが、「いつ」かということだけだ。
それは、三次元の自分に「いつ」手渡すのか、ということ。
手渡すタイミングと時期に各自違いがあるだけで、
すべての人は公平に、すべてを所有している"
"生活というのは、「生」を「活かす」ということだ"
"この世すべてに溢れている豊かさを享受できるかどうかというのは、
その人の心のキャパシティ、
つまりその人の心がどれほどに豊かであるかということにかかっている。
このことを例えて言うなら、
モノクロテレビとカラーテレビが映し出すことのできる色の違いのようなものだ。
あなたがこの世に存在するすべての色のうち、
何種類の色を映し出せるテレビなのかということ。
色は無限にあり、どこもかしこも色を持っている。
豊かさも無限でバラエティ豊かだ。
あなたがそれを色として捉えるかどうか、
同じ色に分類してしまうか違う色として区別し捉えるか否か。
この色に気づくか気づかないかで世界の見え方は大きく異なってしまうし、
見えているものの違いが人々の世界の違いとなる。
無色のモノトーンの世界で暮らすのか、
極彩色の色鮮やかな世界で暮らすのか、
それが豊かさを享受する心の違いだ。
感じることの違い、受け取れるものの違い、楽しめる幅の違い
人生を味わうことのすべての違い。
あなたがテレビのごとく「何を映し出すか」
どれほどの色を色として認めるか、
それがあなたが目の前にある豊かさを豊かさとして認め、
人生からどれほど多くのものを受け取れるかどうか、
受け取ることの出来る幅、
つまり財布の大きさ、限度額の際限を決め、限界を作り出しているのだ。
そう、もう分かったね。豊かさとは何か。
それはあなたが何を所有しているかということでもなく、
何を人に見せびらかして自慢できることがあるか、でもない。
あなたが、
どれほどの満ち足りた悦びを見つけることができているかどうか、なんだ。
あなたが見つけることの出来る色がどのくらいたくさんあるのかどうか。
人生からの恩恵にどれほどたくさん気づけているか否か。
あなたはどのくらいの色を見つけることが出来ているのだろう?
豊かさはこの世のありとあらゆるところにあふれている。
あなたはこの世に毎日何を見る?何を今日見つける?
日々移り行く季節の中で、
移り変わる時の瞬間と変わり行く人の心の有り様の中に何を見つけるのか?
瞬間的な時のはざまの中で幾つの色に気づくだろう?"
"愛が身体中を巡り、全身に栄養や酸素など
生きるに必要不可欠な滋養をもたらす
血管と血液であると例えるならば、恐怖は血栓、
そして血管を閉塞させる筋肉の緊張のようなものだ。
恐怖は愛を阻害する。
恐れや疑いは、その人から愛を奪い、もっとも遠ざけてしまうものである"
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