2015/11/05

Dark Dimension

Moonlight Shadow

彼女が彼を最後に見たのは
月影にさらわれる姿
彼は彼女のことを心配しながら、案じながら
月影にさらわれていってしまった
土曜日の夜の不可解な出来事の中
彼はいってしまった。遠い向こう岸の世界へと
彼は無謀な争いに巻き込まれてしまった
彼女にはそれをどうすることもできなかった

夕闇の中でささやく木々は
月影にさらわれて
切ない悲しみの歌を奏でる
月影にさらわれながら
彼女に見えたものは拳銃の影だけだった
彼はいってしまった。遠い向こう岸の世界へ
彼は逃亡中のならず者に6発も撃たれて
彼女にはそれをどうすることもできなかった

遠い天国であなたにあえることを祈り続けます
いつか天国であなたにあえることを祈り続けます

午前4時
月影にさらわれて
あなたの姿がぼんやりと見えてくる
月影にさらわれて
銀色の輝きの中で星がゆっくりと動いていく
遙か遠くの向こう岸で
今夜私とお話ししに帰ってきてくれる?
でも彼女にはどうすることもできなかった

遠い天国であなたにあえることを祈り続けます
いつか天国であなたにあえることを祈り続けます

遠い天国であなたにあえることを祈り続けます
いつか天国であなたにあえることを祈り続けます

彼女が彼を最後に見たのは
月影にさらわれる姿
多くの人々が彼に別れを告げに集まってきた
月影に誘われて
105人の群衆の真ん中でたたずみながら
夜は重苦しく、空気が動いている
でも彼女にはどうすることもできなかった
月影にさらわれて・・・・
 
                  by マイク・オールドフィールド


※訳詩はこの方のサイトのがとてもステキに訳してくださっていたので
引用させて頂きました⇒マイク・オールドフィールド・レビュー

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近年、高年齢層のストーカーが増えているのだそうだ。
特にそれは男性に顕著で、
年を取って、家族や配偶者がなく、仕事などもなくなった、
孤独が彼らを追い詰めているのだという。

本当にそうなんだろうか?

環境がストーカーという行為へと、その人をして走らせるのだろうか?

孤独に耐えている人はたくさんいるし、
それを楽しんでいる人もたくさんいる。
仕事がなかったとしても、他にやることを見つければいいだけのこと。
燃え尽き症候群に陥る人もいるが、無趣味で退屈だからといって、
自分を相手にしてくれる人が誰もいないからといって・・・
誰かに迷惑行為をして、つきまとう必要性はない。

何かを言い訳にしていいことじゃない。

そんなのは自我の押し付けでしかなく、
誰かに「甘え」て、頼ろうとしているだけの我がままなかまってちゃんだ。

まあ、でも、女性よりも男性のほうに多いというのはなんか頷ける。

女性のほうが、行動半径に制限をされることが多く、
歴史的に見ても、制約の多い人生の中、
たくさんの我慢と忍耐を強いられてきた経験上、
「ひとり」の時間を活用する術を知っているからなのかも知れない。
また、発想の転換、切り替えが早く、
いざというときに根性が座っているというか、逞しいというか、
自らが生き抜いていくためにその場所としての人間関係を築き、
コミュニティを形成して適応する能力が男性よりも秀でているし。

日本人の男性は、日本の子供を中心とした家族の在り様の中で、
母子癒着や母親依存が強く、自我が確立しないまま大人になって、
夫や父親になっても自立できないでいる人が圧倒的だから。

誰か自分の面倒を見て、
相手をしてくれる「子守」がいないとダメというか、
自分の感情的要求を満たしてくれることを
母親的存在およびそれを投影する人に求めてしまいがちなので。

とはいうものの、
マザコン=ストーカーというのではなく、
マザコンだからストーカーになるのではない。

他者と自分との区別(境界線)が曖昧で、
他人が自分とは別個の意志や個性、
感情を持った存在であるということを
認識することができないほど自我が膨張している、
他人の感情や意志を想像して理解する想像力と理解力が
著しく欠損情緒障害の人・・・って感じなのかなあ。


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ストーカーという言葉が生まれて、世間に広まり、
その行為が異常であり、犯罪であると、
認識されてから、どのくらいたったろう?

セクハラやパワハラにしても、
そうした行為を定義する
「言葉」があるというのはとても大きい意味を持つ。

ストーカーという言葉が生まれる前には、
同等あるいはそれ以上の迷惑行為があったとしても、
そのような事実を「犯罪」であり、「異常行為」として、
世間は認識しなかったから。

ストーカーもセクハラもパワハラも、
言葉が生まれるよりずっと前から、
有史以前から存在していた行為なので。

けれども、被害者が何をどう訴えたって、
「気のせい」だとか、単なる「痴話げんか」とか「求愛行動」だとか、
軽く済ませて、
被害者の自意識過剰だとか考えすぎだので片付けられ、
真剣に話を聞く人など、どれほどいたろうか?



ストーカーまで行かなくても、
相手の気持ちなどお構いなしに、自分の感情優先で、
気持ちを押し付けてくる人はたくさんいる。

そんなのは決して恋愛とは言えないのだけれど。

単純に振られても振られてもくじけず、
何度もしつこくアプローチするくらいならまだいい。

その程度なら、鬱陶しく、迷惑ではあるものの、
まだぜんぜん可愛いものだ。

相手に好きになってもらうための努力をしないとか、
相手が求めるような人になろうとしなかったとしても。
好きだ、好きだと、告白してアプローチする程度なら、マシ。

けれども、

自分が好きになった相手が、自分のモノになって当然とばかりに、
まるで物品のように手に入れようとする自己中な輩というのは、
太古の昔から中々撲滅されることなく・・・


オペラの「トスカ」しかり、バレエの「ラ・バヤデール」しかり。

両方とも惚れた女を手に入れるために、
その女性の恋人を殺したり、罠にはめたりして、
手に入れようとする話だったりするけれど、

そんな風に、横恋慕するまではいいものの、
その女性の心を手に入れようとするのではなく、
邪魔もの(彼氏)を殺して、犯してしまえば、自分のモノになるー
・・・みたいな、阿呆が出てくる話は、
古典にも現代にも、ほんといとまなく。
スタンダードでよくある話だったり。


何かね。
そんなのは「愛」ではなくて、独占欲と執着でしかなくて、
その女性に嫌われ、憎まれ、軽蔑されることはあっても、
絶対に愛情や恋慕はおろか、同情さえも生まれないやり方なのに、
人間てのは学習しないもんだと。

自分のことを人としてではなくモノとしてしか見なしていなく、
意志も感情も無視して、幸せを壊して奪う相手のことを・・・
自分から愛するものを奪う相手のことをどうして愛せよう?

勝手に自分を好きになって、気持ちを押し付けてきて、
好きになれない相手だからと、断って。
それだけのことなのに、
受け入れないことで恋人や家族を殺され、辱めを受け、
所有物のように扱われなければいけない罪が
何処にあったというのか?


そして何百年経って、生まれ変わって、
かつて自分の愛する人を殺して、陵辱した相手を目の前にしたとき、
どうすれば許すことができるだろう?

もう過去のことと・・・
忘れるには十分すぎるほどの時間が経った昔のことと、
笑って、フラットにその相手と触れ合うことが出来るかっていうと、
それは難しい。

だからこその、慈悲として、
過去生の記憶を持たないでの転生なのだ。

けれども、覚えているからこそ、キツイ。

許すことはとても難しい。


私のような仕事をしていると、クライアントさんで、
転生して、かつての被害者・加害者と対峙せざるを得ない
状況に置かれている人、
それなりにケースとして見たりするわけです。

うん。なんていいますかね。

そういう自分勝手で自己中な人が更正しないで生まれ変わると、
また同じことを繰り返す。

中には、何度か生まれ変わりを繰り返す中で、
様々な経験をさせられて、
更正というか変わることができている人もいるけど。
変わってないなーって人もたくさん。



ここではあんまり多くを語れないのですけれど、
色々考えさせられることは多いです。

でも、その「困ったちゃん」の考えを変えていかないことには、
新たな被害者は増えるばかりで、
悲劇は続いていってしまうのです。


とても難しい課題です。

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