さて、神社マイラーでありながら、
それまで何となく抵抗があって
敬遠していた靖国神社に去年ふと思い立って行ってみたのですけど、
(確かこのブログにも書いたかな)
「ああ、なんだ、良い神社じゃない。偏見もってたかも~」と思いなおし、
でもって、何を思い立ったか、今年、
「そうだ、終戦記念日だから、お参りに行ってみよう」と。
仕事はたぶん15時前には終わるだろうから、
帰りにちょこっとよってくかーと気楽に考えていたんですね。
で、夜には「神保町で呑みましょう♪」という話になっていたので、
「昼間、靖国にお参りにいってくるねー」と予告してあって。
したらば、
一緒に呑みに行く予定のAさんも、急遽お盆休みになったとのことで、
「私もご一緒しま~す!」となり、現地で待ち合わせにしたのです。
するってーと、私の予想では14時半に仕事終わるかと思いきや、
その日に限って、帰れないっっっ ひぃー(涙)
神社に16時過ぎに行くのは、
”汚れモン”が溜まってるからイヤだよーん、なんですがね(汗)
一瞬、今日は行けないかなー 別に今日でなくても明日とか、
もっと時間のあるときがいいんでは?
という考えが頭をよぎったんですが、
でも何かよくわかんないけど、今日行かないといけない気がする、と。
16時ちょい前に終わって、「ひぃー!」とメール打ちながら、
清澄白河から九段下まで慌てて移動。
なんだかんだで16時半より少し前には着けたのかな。
その前にAさんから、
「ダメです! 恐ろしいことになってます。
私一人ではとてもここから先に進めません!」
と、謎のメールが。
ど、ど、ど、どうした!
九段下に着くと、とにかく人が多いのにビックリ。
「え?今日、武道館でコンサートの日、ちゃうやろ?」
なんて勘違いなことを一瞬思ったものの、すぐに現実に戻される私。
そっか、8/15の靖国はこんなんなんだ~、と、改めて。
右翼はうじゃらげだし、旗持った人とか、ビラ配ってる人とか、行列とか、
不思議なコスプレの人とかとか妙ちきりんな唄歌ってる人とか・・・
とにかく異様な光景というかなんというか。
普通に御参りして帰ろう、なんてのはめちゃくちゃ甘い考えでした。
そして、たまたまなんですが、地上に出たとき、
なんか周囲から拍手喝さいで迎えられている、
旗もった団体さんの列の中に紛れ込んでしまった私。
「いえ、違います、
私たんなる一市民でして、この人たちのお仲間じゃありませ~ん!」
一緒に迎えられてしまって、申し訳ないというか、恐縮です。
スンマセンのス。
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そして、一の鳥居をくぐったとき、
「わあお! なんじゃこりゃ!!」
Aさんのメールに納得。
肉眼では勿論見えるものではないです。
普通の人、いやさ普通は見えないと思う。
つか、見えてたら、逃げ出してるみんな。
たまに漫画で、一場面に統一性のない、つーか・・・
違う時代のハチャメチャなものが、
同次元に存在しているシーンなんか見たことありますが、
まさにそんな感じ。
この世の、実際の風景とだぶって色んな風景が重なり合ってるの。
三次元に存在する我々(生きている人々)と、別の風景。
それは、戦場の様相。
累々と転がる死体。壊れた戦車や爆撃機の機体。
穴ぼこだらけの焼け爛れた大地。
単なる肉塊となった、バラバラの死体、
上向きになってカッと目を見開いてたり、
うつ伏せになってたり、眠るように死んでいる泥まみれの死体。
たぶん助からないであろう息も絶え絶えの死に掛けている人。
そういうのを「踏みつけて」歩いている感覚でした。
中には、「こっち」に気づくのか、
手を伸ばして足にすがりついてくる人たちがっっっ。
それらを振り切ってとにかく前に進む私。
「み、水をくれ」
「オレは助からないから、コイツを助けてやってくれ」
「せめてこれを・・・」
「腹いっぱいメシが食いたい」
「これって、なんなのー!」
(心の中で思いっきり、ムンクの叫びのポーズ)
おーまいがっっっ!
以前に来たときには、普通の神社だったのに。
まさにパラレルワールド。
(しいていうなら過去にタイムスリップした感覚に近いかも。
それともだいぶ違うけど)
何故か地上なのに戦艦まで飛んでいたりする。
んていうか、飛行機や船の幽霊ってのもあるんだー(ビックリだね)。
いやさ、確かに幽霊ではないですけどね。
これらは確かにこの世にかつて存在したものではあるけど、
残留思念みたいなもので、三次元にはないけど・・・ってもの。
でも、今までセッションで過去生セラピーするとき、
クライアントさんの体験した記憶をリーディングとかで見たことはあったり、
その土地で起きたことの「過去」のビジョンを見たことは確かにあるものの、
そこで起きたことではないことを見させられたのは初めて(ゲロッパ)。
様々な前線の人々の断末魔の光景を見させられて、
とにかく胸が締め付けられるほど苦しくなった。
痛ましいというか何というか。
人間魚雷になった人とか、とにかく何ていうかもう悲惨で。
しかも、「肉眼」で見ていないだけに、眼を背けようがないというのがあり。
※目を閉じても見えるから
二の鳥居をくぐると、また少し風景が変わり・・・
(ここでようやっと、お手水場のところに避難していたAさんと合流)
「もうこの状況にはびっくりです。
ひとりではとてもこれ以上は無理・・・なんなんでしょう? これは」
今度は戦場と死体というよりは、たくさんの兵士、兵士、兵士・・・・
参拝に並んでいる現実の人々の顔を一人ひとり覗いている。
それが覗くっていうよりは、
グイグイっと、顔を思い切り近づけて、調べるっていう感じで、ハイ。
その顔が鬼気迫って、正直コワイ
(必死の形相なんだろうけど。
てか、死んだ人だからある意味ゾンビっぽくもあり)
ああ、彼らは肉親を探しているんだ。
御参りに来る人の中に、知っている人、懐かしい人の姿を。
ともに闘って散った、友を探しているんだね。
でも、地方在住で靖国に来れなかった人もいるだろう。
待つ人はいたのに、
終戦の前に空襲や飢餓、病気で亡くなった人も多いだろう。
今ここで必死に人探しをしている英霊たちは、
現実の時間で60年以上経過しているというのに、
いまだ逢いたい人に逢えていない人々だ。
そんなことを考えると、かなり切ない。
気がつくと、右斜め後ろに重彦いたり。
何故か、兵士の服着てて、若い容姿に戻っててピックリ!
(重彦=母方の祖父。フィリピン、マレーなど南方戦線に出兵経験あり。
満州からシベリア抑留になって四年後帰国)
ちょっと前まで、姿あらわすときは、
よれよれのじぃじの姿だったのにっっっっ!
(確かにここでヨテテコ&ももひき姿は浮きますが)
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そして最後の鳥居をくぐって、本殿へ。
するとまた景色が変化。
ここにはまだ入れない人、というかたどり着けないも多いようで。
一の鳥居、ニの鳥居のとこの状況と比べると、
だいぶ落ち着いているというか、何というか。
身なりもちゃんとしているし、明らかに質が違う。
ある意味で、鳥居っていうのは、
そういう「何か」を分けるゲートなのだな、と。
一の鳥居とニの鳥居の間にいる人々は、
いまだ「死」の状況を受け入れられていない人々、
死した時間・・・いまわの際の感覚や想いに囚われ、
過去に縛られているものたちだ。
成仏には程遠い。
ニの鳥居と三の鳥居の間にいる人々は、自分の死を受け入れたのか、
その先の時間、状況に進めたものの、
心残りがあって、その次の段階に進めていない人たち。
そして、ここはあともう少し。あるいは、遠慮している人たち。
ここに至る「友」を待っている人たち。
手助けのため残っている人たち・・・など。
それでもまあ、上空には色んなものが飛んでたりするから
(空飛ぶ戦艦と戦闘機がうようよ)、
私の頭の中は「だぁーっ!」って感じでしたけどね。
ここにきて少し「現実の人々」を見る余裕が出来たので、
ふと参拝客に目をやると、
ここに来たかった人(もしかしたら身内)を連れてきている人もいるし、
自分が奉られているという人もいたりした(過去生が軍人)。
うーん・・・
過去と現在が交差している。
なんかヘンな気持ち。複雑というかなんというか。
まあ、おかしいのは私の頭の中だけか。
二人で御参りすませて、力尽きて参堂の某所で休みながら、
私達の心の目が見ている風景が、時間の経過とともに、
ゆっくりと溶けるように、元の安らぎを取り戻していくのを
ボッーと眺めていたりなんかした。
たぶん17時半頃からかな?
それら・・・は
スッーとフェードアウトしていくみたいに徐々に消滅・雲散していって。
気がつけば、いつもの神社に戻っていて・・・。
なんか夢を見ているようだった。
決して、楽しいものでも、見て気持ちのいいものでもないんだけれど。
この日、靖国神社は、
あの戦争、過去の時間・・・戦場と繋がっていた。
こんな体験初めてだ。
なんかねー
私たちの時間、現実では
戦争はとっくに終わった過去の出来事なんだけれども、
まだあの次元では終わってなくて、
未だに囚われて、脱出できない人が多いのだと、
つくづく。
慰霊も遺骨収集もいろいろとしているだろうに。
九段下の駅に着いたとき、あまりの混雑ぶりに、
「何で今日みたいな日に来ようと思ったかなあ?」と、
自分の無謀さをめちゃくちゃ後悔したんだけれども、
その日でないと「体験」できなかったのよね。
(普通の人は見れないから体験できませんが)
・・なんか・・・は、図られた?
呼ばれたのか、なんだか、知らないけれど。
でもまあ・・・ひとつ「知識」が増えた出来事でした。
(それを知って何に役に立つのかわかりませんが)
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余談)
この後、スクールの前日、
「あげてくれ」って大人数のグループがまたやってきて、
「疲れてるし、勘弁してよー」って思ったので放置していたら、
結局スクールのレッスン中に対処するしかなくなってしまったのだった。
その中にアメリカの軍人さんが一人いて、どうしても話をさせてくれと。
聞いてみると、
その人は戦闘機から機銃で
大勢の日本人を撃ち殺したことを謝りたいとのことだった。
操縦席からも、自分が撃っている人々が
罪のない民間人であることはちゃんと見えて、
それはちゃんと知っていたのだけれど・・・
良くないこととわかってはいたけれど、そうするしかなくて・・・と。
何故かこの日の私は「戦争」の話題になると、
ふにゃふにゃで役立たずだったので、
ダメだ、どうしようか・・・と思っていたら、
そこは重彦登場で、じーちゃん流の、
同じく国の命令によってイヤイヤ戦場に行って
銃を持って闘うしかなかった一卒の兵隊目線の会話で説得?
をしてくれたので、なんかよく判らないけど、
それであがってくれたようなので、
まっいいか。
うん。
殺されたほうも辛いけど、殺したほうも罪悪感で、
死した後も辛くて、
後悔であがるに上がれないってこと、多々ある。
彼は死ぬまで辛かったと、
死んでからも、申し訳なくて申し訳なくて。。。
そして、自分がしたことの重み、人を殺した感覚を背負って、
許して欲しいというより、せめて謝りたくて謝りたくて、と。
戦争は、加害者も被害者も、みんな傷つく。
みんなが犠牲者になってしまうんだよね。
チャップリンの「殺人狂時代」のラストシーンに、
「同じ人殺しなのに、
戦争でたくさん殺せば英雄で勲章がもらえ、
ひとりを殺せば、殺人犯として裁かれる」
といったようなセリフがあったと思うけど(かなりおぼろげ)
本当に戦争というのは人間の愚かが行き着いた罪悪で、
誰でもない自らを滅ぼす、究極の罪悪だと、そう思い知らされる。
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