コラム『霊感体質と霊媒体質と憑依体質のこと』
ひとくちに霊感っていうのは、目に見えない霊を感じる能力のことです。
何となく、誰もいないのに誰かがいるような気配を感じる・・・とか、
そこの角のあたり、なんかいやだなあ・・・とか
ここって、薄暗いなあ、ちょっとおかしいなあ、居心地悪いなあ、みたいな
この道行くの、イヤだなあ・・・なんだか嫌な予感がする・・・とか
そんなことを感じ取れる人のことですね。
そういう人のことを霊感体質っていいます。
気配に敏感っていうのかな。
こういう人は、少なくともKY(もはや死語か)ではない。
霊感体質の人は、大体「空気」が読める人。
かといって、
すべての空気読める人が霊感体質とも言えませんが・・・。
まあ、場の雰囲気が変わったことや、
座が白けたり、空気が張りつめたりしたことに対して鈍感な人は
霊感体質ではないってことだけは言えますね。
霊視能力は、霊を視ることの出来る能力。
肉眼というより、姿を捕えて、認識することが出来るなら、
それも含むって感じです。
(頭の中で、そんなイメージ、ヴィジュアルが見える、感じるなど)
そもそも、「霊」と呼ばれている存在は、
肉眼(物理的な肉体の目)のほうで捉えられるものでもないですが。
霊聴能力とは、霊の言葉を聞き取ることの出来る能力。
実際の耳で聞いてしまった、とか・・・もあるし。
心の中に言葉として、メッセージが響いてくる場合も含みます。
霊が鳴らすと言われている音声的メッセージ・・・
人の声とか言葉だけでなく、ラップ音とか、鐘や鈴の音とか、それも含みます。
で、霊感と霊視と霊聴。
それぞれはベツモノですね。
ふたつあるいは全部備わっている人もいるし、ひとつのみ所持という人もいる。
かといって、
どれが備わっているから、能力が秀でているってこともない。
どの能力を有しているから、その手の能力が優れているとはいえない。
霊感とか、第六感とか、直観とか本能とか、
それは本来すべての人間に備わっているもので、
人間が進化していくうちに退化させてしまった能力を
その人がたまたま、まだ保有していて、使うことが出来るってだけですし。
この現代の文明社会において、
あまり必要でないというか、その能力の他に代替できる道具とか、
いろいろあるから、無くても困らないし・・・という程度のもの。
あったら、便利な場合も多々ありますけど。
霊感があるから、
霊視ができるから、霊聴があるから・・・といって、
その人が霊媒とも霊能者としての素養に優れているともいえません。
なぜなら、霊能力はそうしたものでは測れないし、
どのレベルの次元に波動があっているか、
どの次元のものを視ているか、聴いているか、感じ取れているのか、なので。
低い次元のものと波長があって、それらを感じ取れていたり、
それらを視たり、聴いたりしていても、
それはとてもレベルの低い能力でしかない。
はっきり言って、恥になりこそ、まったく自慢になりません。
むしろ、高い次元と波長をあわせられる人は、
逆に低いものがキャッチできない(というか取るに足らないものとして捉える)ので、
低い次元のものを捉えている人が視ているものを視れなかったり、
感じることができない、というのはよくあることです。
(低い次元と波動が合っていて、それがその世界のすべてであると
時にそう錯覚してしまった人は、自分より高い能力の「能力」が見えず、
その人の「すごさ」がわからなかったりします。
なぜなら、低いところからは高いところにあるものが見えないから。
※便宜上、比喩として高いとか低いとかって言葉を使ってるだけなので、ご理解を)
感じる、視える、聴こえる・・・ということでは単純に判断できません。
なので、それらが出来たといって、騒ぐほどのことではないのです。
肝心なのは、どのレベルから広範囲に物事を見ることができるか否か。
霊のレベルに合わせて、物を計ったり見たりしても、詮無いことです。
で、霊媒体質のこと。
霊媒体質は、霊を感じるだけでなく、
その霊とピントがあっちゃう人のこと。
英語だとミディアムという。
そして、そのピントがあっちゃう状態のことを、
チャンネルが合う、という言い方もすることから、
別名チャネラーともいいますね。
宇宙人と交信できるのじゃ~!という人たちだけが、
チャネラーという肩書きなのではないです。
あーイタコは霊媒です。
宇宙意識と言われる存在と交信するチャネラーさんのことを
誰かが宇宙イタコと言っていたけど、「言いえて妙」かも。
霊媒は昔風の言い方といいますか、
基本的には、体に霊を降ろす人のことをいいます。
つまりは、自分の体を霊にレンタルしちゃう。
「どうぞ、お使いになって」という具合に。
いや、実際にはそんなこといいませんけど。
肉体(声帯という声を出す機能)を持っていない存在に、
一時的に体を貸すことによって、
彼らの言いたいこと、伝えたいことを
物理的な言葉にしてあげる・・・って、そんな職業。
太古の昔はそんな職業があって、
近代まで、世界中のあちこちで行われてたことですね。
もちろん、日本でも。
その国の文化によってもやり方は違うけど、原理は似たりよったり。
日本だと、霊媒一人で仕事をすることはなく、
サニワっていう、司会進行係といいますか、
主導権を握って問答をする人とセットで行われます。
霊媒は霊を降ろす道具でしかなく、
様々なこと(降りてきた霊の正体など)を「見極める」ことは出来ないので、
霊能者としての力を持った人がいないと危険でもありますのでね。
それに霊を降ろしている間、自分の意識を保てない人も多い。
「ん?いま何が起きてたの?誰が来てたの?」みたいな。
催眠状態というか、寝てしまってるかのように覚えてないことが一般的。
よしんば意識を保てて、自分がしゃべっていることを覚えてても、
それをコントロールすることとか、霊を祓うとか、浄化させるといったことは
まったく別の能力になるので、おぼつかない。
前にも言ったけど、
霊媒程度の能力者が自己を過信して、
霊能者のやる仕事をすることは、とても危険です。
まれーに、霊媒でも、交流することの出来る対象が高いところの存在で
そうしたところからのサポートで、霊能者のようなことが出来る人もいますケド。
そういう人は、今の世の中にはほとんどいないですね。
昔はいたけど。最近はいなくなっちゃった。
(シャーマンは、巫女という意味だと霊媒だけど、
ネイティブアメリカンなどの原始的文明における
神官的な役割を担ったシャーマンの場合は、
どちらかというと霊能者になりますかね。
区別の基準は極めてあいまいなんですが、似て否なるもの)
さてさてさて
霊感体質であることも霊視能力も霊聴能力も、霊媒体質も
それらを特質として所持していたからといって、
全然特別でもすごくも何でもないんですけどね。
それらの能力が、
人としてのその人の人間性を保障するものではないし。
霊的な能力は、精神性の高さや霊性のレベルとは関係ないというか、
まったく比例しませんからね。
能力は磨けば伸びるものだし、努力次第で身につきますから。
その人の人となりを判断したり、見ようという時、
人はその人の周囲の人、人徳を図ると思うんです。
どんな人がその人の周りに集まっているか。
類は友を呼ぶわけで。
霊的なものも、同じですかね。
どんな霊がその人の周囲に集まっているか。
コンタクトとっているということは、波動があっているということだから。
霊は「見えない」から、その人の周囲にどんな霊が集まってきているか、
確認しようないと思うんですけど、
現実のその人の人間関係とか、周囲の人間を見れば反映されていると思います。
その人の「能力」をすごいと持ち上げる人より、
対等な人間関係を築けている人が、どれほどいるか。
能力や利害関係のないところで、その人のために尽くそうという人が
どのくらいいるか・・・かも知れません。
あ゛ー 私友達少ないな(笑)
おまけに人徳も人望もないですね。ダメだ、こりゃ。
さて、単なる霊媒体質程度ならいいけど、
憑依体質は霊に支配され、マインドコントロールされてしまいやすいので、
あまり状態としては良くありません。
憑依体質は、波動が低い、霊的レベルが低いということでもあるので。
で、霊媒体質と憑依体質の違いですけど、
霊媒は霊をキャッチして、コンタクトとる存在を選ぶこともできるとしましょう。
とりあえず、現代の霊媒は拒否権があるというか、意識喪失にはならず、
自分を保ったまま、存在の意志を受信できるということで。
対する憑依体質は、一口にいうなら、なすがまま子。
乗っ取られて、操られて、思うが侭に、好きにしてちょーだい・・・みたいな。
その家の主であるのにも関わらず、居候に主導権握られて、
いいようにされてて、どこからどこまでが自分の心で霊の意志なのか、
そうしたことが判らなくなってしまいやすい人のことです。
マインドコントロールとか催眠術に操られているようなもの。
完全に霊の支配下にはいっちゃう人のことですね。
こういう人はマズイです。
(ちなみに、霊媒体質の人は元を正せば、霊感体質です。
でも、憑依体質なすがまま男、いのまま子状態になってしまうと、
肝心の「感じる」というアンテナは役に立たず、敏感どころか鈍感になって、
ネガティブが居心地よくてポジティブが気持ち悪い・・・という
危険を察知する能力は逆作用して、良いものから自分を遠ざけ、
悪しきものに近づける能力になってしまいます。困ったもんだ)
憑依体質である人は、霊媒体質の素養高しって人です。
一時的な憑依の場合は、
その人がたまたま取り付かれ易い状態だったという人もいるでしょうが、
慢性的憑依といいますか、いつも何かをくっつけている人、
始終違う霊が出たり入ったり、あるいは長期的ご滞在者がいる・・・
みたいなのは、自分の人生ぜんぜん生きられません。困ったことに。
憑依体質の人は、せめてそんな状態からは脱出して、
単なる霊媒体質のレベルまで行くことを目指すべきかと。
とはいうものの、
霊媒体質というのははっきりいって治りません。
となると、どうするべきか。
改善するしかないです。
もしくは、封じ込めるか、否か。
でも、「封じる」ことが出来るのは、それなりの能力持った人のみ。
いわゆる霊能力者だけですね。
が、霊能力者も千差万別だから、すべての人がそれできるわけではない。
なので、封じられない場合は、
下記の二者選択のうち、ひとつを選ぶしかないです。
その①
体質改善すなわち低い波動をあげる努力をするしかないです。
そして、かかりつけのお医者さんをもつがごとく、
非常時に頼れる人(浄霊できる人やプロの霊能者)を確保しておくべきかと。
その②
その能力を高める道を選ぶ。その先には極める可能性も含めて。
(ただし、霊媒はあくまで霊媒でそれ以上にはなれないこと理解しないといけません)
ちゃんと自分のウィークポイントを知って、弱い部分を強くする。
つまりは波動をあげる、霊性を高める努力をする。人間力を鍛える。
このあたりは①と同じです。
ちゃんとした知識を持って、自分が遭遇してしまいやすいトラブルに備える。
ふりかかる火の粉を最低限掃えるように、基本的な対処法を身につける。
それでも、そうやって努力した最後の最後、
自分ではいかんしがたい状況に遭遇したときのために
頼れる人を見つけておく。
ですかねー。
そのどちらもイヤだったら、
とにかく気をつけて生きるしかないです。
危ないところには近づかない。
オカルトや心霊的なことには一切関心を持たず、聞く耳も持たず、
とにかくそうした情報をシャットアウトして、
自分の感性や第六感が反応することを徹底的に無視し続ける。
現実的に、何か夢中になれることを見つけて、
朝から晩までクタクタになるまで働いて、忙しく過ごすと。
あ、あともう一つだけ方法があります。
「体育会系」になること。
スポーツをしている人は、ほとんど憑依体質、いないんです。
(反対に右脳を使うことの多い、芸術家タイプは、
霊的な道が開いてしまうことが多い。役者さんも)
なので、体を鍛え、肉体を使って物事を表現する道を
探求するのもひとつの方法なんですね。
とくにオススメなのが、武道をすること。
剣道、柔道、空手、合気道、少林寺拳法、古武術など。
礼節を重んじる精神修養面の強い武道は、
体だけでなく心も魂も鍛えられますので、はい。
精神性を高め、波動をあげるには、もってこいなんです。
ただ、マラソンみたいな、孤独と闘い、自分を追い詰める感のあるものは
逆効果になることが多いので、憑依体質の人には薦めません。
マラソンランナーは他のスポーツに比べて、内的で繊細な人、多いです。
自分の体をいじめる苦行的なものは、いくらスポーツでもよくないけど、
とにかく運動は、心身のバランスをとるためにも必要不可欠なので、
霊媒体質、憑依体質の人は、生活に取り入れるべきですね。
で、波動をあげる方法、霊性を高める方法は
別に特別な修行をしなくても、宗教なんかに属さなくても出来ます。
人としてまっとうな生き方をしようと思うことです。
ネガティブなことを口にしないとか、怠惰でダラダラした生活をしないとか。
規則正しい生活をして、毎日「ありがとう」とか「大好き」とか
ポジティブな言葉を口にして、人や物事にたくさん感謝して、
家を掃除して、いつもキレイにして・・・
人のためになることを頑張ったり、自分を大事にしたり、
後ろ向きなことを言わない、考えない、とか・・・
活きた食事を取って、睡眠をきちんととって、運動をして、
健康に留意する・・・とか。
テレビを見過ぎない、PCの前に長時間いない、ゲームをやりすぎない。
電気製品に頼り過ぎないとか、電子レンジを使わないとか。
自分の人生をちゃんと考えて、日一日を無駄にしないで過ごすとか。
マジメに努力しつづける・・とかとか。
まあ、簡単なようで実はこの手のことが、一番難しかったりしますけどね。
うちにいらっしゃるクライアントさんとか、スクールの生徒さんとかは
もともと、そうした憑依体質で悩まされている人も多くて、
(本人が全然気づいていなかったこともありますが)
時にそういう人に、臼井レイキのアチュを勧めたりすることもあります。
レイキのアチュ受けたからって、
すぐにそうした問題が解決するということもないのですが。
少なくても多少は波動があがるし、
最低限の対処法を身につけることにはなるので。
(初歩の初歩くらい)
ただ、万能ではないし、受けたことでの好転反応とか、そうしたものもあるから、
あくまでひとつの方法でしかないです。
ヒーラー養成講座とか、その上のスクールもまた、
たくさんある道の中にある、
そのうちのひとつの方法を、教える場だったりするかな。
(憑依体質の改善が目的ってわけじゃないですが)
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