ときどきこの世は、
思いやりなどまるでなく、 自分のために相手を利用しようとする、
自分本位な人であふれかえっているように見える。
彼らは、自分の欲求は他人の欲求より重要で、
何事も自分の便宜がはかられて当然と考える。
思い通りにならないと、暴君のように怒り狂ったり
気の毒なほど落ち込んだりする。
そのため、波風を立てないほうが無難に思えて
彼らの欲求に応じてしまうことも多い。
わたしたちはみな、そのような人を知っている。
自分の親や兄弟や子供かも知れない。
配偶者や恋人や友人、同僚や上司、
あるいはクラブや会のメンバーかも知れない。
彼らはどこにでもいて、
彼らの人生とわたしたちの人生が絡み合うほど、
惨めな気持ちにさせられる。
~略~
その病はその本質ゆえに、
わたしたちをお互い同士遠ざけるだけでなく、現実からも遠ざける。
そして、
私たちが手に入れたい、こうありたい、と願うものの実現を妨げる。
その病の名を自己愛(ナルシシズム)といい、
多くの社会悪の裏に潜んでいる。
自己愛はいまに始まったことではない。
虚栄心が強く、貪欲で、他者を操ろうとする人間や、
慢心し、思いやりのない人間はいつの時代にもいた。
現代の文化で厄介なのは、
これらの欠陥が広く世間の承認を得ていることだ。
by 「結局、自分のことしか考えない人たち」
サンディ・ホチキス著 草思社:刊
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私もその一人ですが、
スピリチュアルな仕事をする人間にとって、
ある種の依存的な人々に対して、
どのように対処していったらいいのか・・・
ということについて考えるのは、
仕事上必ず突き当たる問題で、考えざるを得ないテーマだったりします。
どうしても避けては通れない問題といいますかね。
数としては決して多いわけではないのですが、
この種の人たちは、トラブルや頭痛の種を持ち込むのがお約束で。
まあ、スピリチュアルな仕事だけでなく、
心療内科や精神科の現場の人たちも、常に直面している問題ですが・・・。
中毒も依存も、どっちもどっちで似たようなものですが、いろいろあります。
恋愛依存、セックス依存、物質依存、買い物依存、仕事依存、共依存、
地位や名誉に依存したり、家柄や学歴、肩書きに依存したりとか・・・
なんでもかんでも占いや迷信、お告げだの心霊の力だの、
スピリチュアルなことに頼ったりする、
占い中毒やスピリチュアル依存という問題も、
まったくもって、困ったことのひとつです。
そのくせ、依存や中毒にかかった人は、
アドバイスに頼ったようでいて、実のところ、
自分が望む「答え」を言ってくれることを期待していたりするのです。
自分が求めるものを与えられるまでは、
占いジプシーやスピリチュアルジプシーをして、
次から次へと、当てのない放浪を続ける人のなんと多いことか。
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スピリチュアルな事柄・・・
スピリチュアリズム(霊的なこと)というのは、
社会に適応できないことの言い訳に使われるための道具ではありません。
まして物質的な事柄や現実や社会を否定するために、
スピリチュアルな世界があるわけでもないです。
この物質的な世の中で・・・現実をしっかり生きていくための智慧であれこそ、
そこから逃避して、ファンタジーの世界に生きるための方法ではありません。
そういう世界(スピリチュアル)もあると知ったとき、
新たな視野・視点で、多角的に物事を考えることの出来る、
世界観と人生観を手に入れることが出来るだけです。
大事なのは、現実をしっかり見つめることです。
この世を・・・人生をしっかりと生きることだけです。
過去生を知ることも、カルマを学ぶことも、
霊などの見えない存在や、
そうした世界とどう付き合っていくか・・・ということも、
(そこから教えられること、すべて)
「いま」の自分のあり方を見つめなおし、
「これから」どうやって生きるかを、
よくよく考える手立てを得ることにしか過ぎません。
それが事実にしろ、「情報」は「情報」でしかないのです。
私は、グノーシス(霊的真理)とスピリチュアリズム(心霊科学)を
教える立場にあって、自らの経験からも、
そうした「見えない世界」を信じ、肯定する立場にありますが、
スピリチュアルな事柄が示している内容に現実逃避して、
現実をおろそかにする言い訳に使う人がいることが残念でなりません。
以下つづく・・・
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不健康な自己愛の根底にひそみ、「悪い自己」が浸透した恥の意識は、
年齢や状況に関係なくだれにとっても耐え難い感情であり、
人はあらゆる方法を用いて恥を追い出そうとする。
何より手っ取り早いのは、ドラッグやアルコールなど、
否応無く現実から逃れる方法だろう。
依存症の専門家たちは、慢性的で深く染み込んだ恥の意識が
人を依存行為や強迫行為に駆り立てると考え、
それらと自己愛とのあいだの情緒的な関連性を指摘する。
自分を欠陥のある人間として体験することは
激しい自己愛の傷つきをもたらし、
気分を変えたいという抗いがたい欲求を生む。
引用の本より
自己愛と依存症
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