森薫さんの「乙嫁物語」七巻を読んでふと思い出したこと。
ちょっと?・・・かな~り昔のこと。
中学の頃。
家が近所で小学校から仲の良かった子がいた。
仮にKとする。
親友と呼べるほどではないと思うけど、
まぁまぁ気が合っていたのかな。
Kはおとなしい、女の子女の子している子であった。
対して私はがさつなおてんば(死語)
中一でも同じクラスで中ニは違って、中三でまた一緒になった。
なので必然的に一学期は共に行動することが多く、
二年生のときにクラスが同じだった子もいたので、
そうした友達も含めて数人でまあ、グループになってた。
すると、そこに「い・れ・て!」みたいに、Yさんがやってきて。
それはそれでまあ、さほど人格的に問題のない人物なら、
排他的なことをする理由はなく受入れ。
気がつくと、YはKにものすごく粘着するようになってた。
つーか、2人で仲良く、他の人が割り込めない世界創ってた。
何か知らないけど、
周囲はKと私は親友という認識を持っていたらしく、
私とKの間にYが割り込んで取った。。。みたいな?
そんな風に思われていたらしいが。
私的には、いやさ、それはちょっと違う~ではあった。
だって、人ってモノじゃないし。
それに女同士であって、恋仲じゃないんだからさ。
私はいつも一緒っていうのが鬱陶しくてどうにもダメで、
他のクラスにも友達いたし、単独で行動することも多い人。
Kとは学校への行きと帰り(部活の無い時)が一緒だったから、
その時に話すわけだから、別にいいじゃない?
けど、Kは
「ごめんね、Yちゃんがね、
私が○○と仲良くしてるのがイヤなんだって。
○○より私のほうを好きでいて欲しいって言うの~
だからね、学校ではあんまし○○と話せない、
ごめんねー」
「ん・・・?」 目が点。
ていうかー なんかいちいちそんなこと、
私に理解を求めるようなことか? みたいな。
この時は、ちょっとKに対して、残念に思った。
まあ、Kにとって私っていうのは、
その程度のポジションであり存在だったということなのね。
あと、同性の友達ではあるが、
「好き、好き~」って独占欲丸出しで、ベタベタされて、
K的には嬉しかったのだろう<モテ期到来みたいな?
一言で言うなら、
「気が合って楽しい同士なら、いいんじゃない?」でした。
私はK以外にも友達はいたし。
Yがヤキモチ焼くから、仲良くできないというのなら、
それで別にいんですけど。
でも、Yが居ないとこでは仲良くしようって、
それもなんだかなって感じ。
結局、高校に進学してから、Kとの付き合いは切れた。
お互いの高校が遠かったのもあるし、
よく考えたら、さほどの共通点はなかったわけで。
他の中学の同級生とは、大人になってからも
数人とは親しく付き合ったけれども。
何しろ、小学校にしても中学校にしても、
狭い行動半径の中で知り合った人間関係。
自我や自立心もまだ確立しきってない、
人格形成も出来上がってない過程において、
ムリクリ側に居て、何となくで関わった無難な付き合いだから、
価値観や趣味や好みなんかが一致する仲間や、
一生付き合えるほどの友情を築ける人を見つけるのは、
砂漠に落ちたナントカを見つけるようなものなのです。
(ちなみに私は、少年漫画にあるような男同士の友情に憧れた。
力石とジョーとカーロスの友情に血がたぎって悶えたクチ。。。
梶原一騎漫画のあんなのとかこんなの、たまりませんでしたっっ)
でも、YのKに対する粘着ってすごかったなあ~
女同士のああした執着、独占欲。
トイレタイムまで連れションで、手を繋いだり組んだり、
私を一番好きでいてね、他の人と仲良くしちゃダメよ、な・・・
いつも一緒でやることなすこと同じなベタベタした関係って、
私にはとても理解できないものであったが。
(生理的に受け付けマセヌ)
でも、最近「乙嫁物語」の最新刊を読んで、
もしかしたら、コレか~って思ったワケ。
「姉妹妻」
正しくは、縁組姉妹(ハーハル・ハージャ?)ね。
なんでも話して、
互い以外の人と仲良くしてはダメよん。。。てさ。
親友っていうより、恋人同士。
まあ、アジア人は欧米人に比べて自立心が脆弱なので、
依頼心、依存心強い人多く、
同性との関係が限りなく同性愛的傾向なトコあるけど。
もしかして、過去生でこうした文化に馴染んで、
根強く刷り込まれていたら、
今生でもその性質が強く出てるかも知れない。
そしてそれは環境によって、強調されて発揮されるかもネ。
欧米だったら抑制されて、アジアだったら復活する。。みたいな。
もしかしたら、
YさんとKさんはそういう過去生を持った繋がりだったのかも。
今となっては知る由もありませんが。
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てなわけで、もしかしたら、
過去生において、「縁組姉妹」という風習を経験した人が、
そんな同性愛っぽい同性(あくまで恋愛ではない)との関係を、
築きやすいのかも知れない・・・
なんかなー
そしてもうひとつ厄介なのが、
過去生で「男と女」であった2人が、
同性同士で出会ってしまうことなのだった。
かつて夫婦、恋人同士・・・がね。
過去生の関係って、なんだかんだ厄介です。
簡単ではありません。
過去の関係を考えたときに、
「ああ、そっか・・・なるほどな」って納得することも多いですが。
ちまたでは、ソウルメイトだなんだとありがたがる人もいますけど、
そんな生易しいもんじゃありません。
いいものばっかりではないのです。
とても恥ずかしクサイです。
覚えてないほうがいいこともたくさんあります。
忘れてたままのほうがいいなっても思います。
まあ、ソウルメイト=過去生でご縁があった人ではありませんが。
(ソウルメイトとは、
目指す方向性が一致している同士みたいなモン。
魂の同胞?とか、後は性別を越えた深い愛情で繋がれてる関係)
私も過去で、
性別は当時と同じだったり、逆だったり、
同性同士だったりの関係性で(職場での同僚や知人、お客さんとして)
兄弟姉妹だった人、親だった人、子供だった人・・・とは会ってる。
友だった人とも。自分を殺した人や陥れた人とも。
どうしても引き寄せられてしまうときもあるので。
母親だったことがある人は、世話焼きで干渉しぃで鬱陶しかった。
自分が産んだことある人も複雑だった。
なまじ、覚えているばっかりに、
どう関わっていいのか判らなかったし、とまどった。
結果的に、過去は過去、今は今なんで、
過去の関係性に囚われるのは不健康なことだ、と、
過去の関係で今の関係を築くのは奇妙なことだと結論づけ、
現在のその人と関わり合いたいのか否か?で判断するが一番と。
で、かつて恋人同士だった人・・・とは三人ばかし会ってしまった。
一人の人は、今生では同性でした。
して、その人は占い師だった(笑)
同僚として、同業者として会ってしまったのです。
再会したのは、もう25年も前のことですがね。
私が働いていた某店に、ある日
「私を雇ってください」と飛び込み的にやってきた彼女。
(そこは基本的に紹介だけだったので)
とても人懐っこい明るい人で、
なんか最初から、めちゃくちゃ話しかけてきて、
まあ打ち解けて仲良くなったんだけど。
いわゆるお嬢様育ちでちょっと世間ズレしたとこのある人だった。
音楽家(演奏家)でもあり、才能豊かな人で。
何かと私に対して友好的で、ちょっと暑苦しいとこもあり、
どうしてこの人はここまで私に良くしてくれるんだろう?と、
クビを傾げることもあった。
して、彼女には彼がいたのだけど、
その彼が私にヤキモチを焼いたり張り合うほど、
彼女は私に何かあると駆けつけてくれたりとか、
友情の度を越していたのですよ。
(風邪を引いて寝込んだなら、二時間もかけて来てくれて、
枕元でフルート吹いてくれたりとかっっっ汗
看病というより、そこはちょっとズレてるお金持ちお嬢様)
ある日、彼女んちに遊びに行ったとき、
「アルマさん、どんな曲が好き?」とピアノを弾いてくれたのね。
したらば、何故かその瞬間、不意に記憶が蘇ってきた。
「あれ? この場面、シュチエーション・・・どこかで??」
激しいデジャブが襲ってきたわけですよ。
彼女とは、すごーい大昔に駆け落ちした仲だった(inギリシャ)。
なんてか、親の決めた婚約者との結婚がイヤで、
家庭教師だったその人と、逃避行をしたわけですよ。
けど、なんてかすぐに私の気持ちが醒めて、
別れて家に戻ったと(つまり私が相手を捨ててた)。
まいった。
ちょ~赤面した。
あまりにリアルなこと、思い出してしまったんで。
だって、相手オンナだもん。やだーん。
はぎゃあ~!って感じでした。
でも、そうすると、彼女の私に対する態度もなんか納得いくわけ。
まるで、レディファーストする紳士みたいだったし。
(ちなみにその人は艶やかな美人で背も高かった。私はどブス)
しかして、思い出してしまったからには、
もー どう接したらいいのかっっっでしたよ。
キレイに別れた相手ではないし、
気持ちが無くなって、離れた相手ですもん。
ありがたいことに、思い出したのは私だけでしたが。
彼女は、千里眼的な能力は秀でていたけど、
過去生に関してはリーディングする人ではなかったので助かった。
そんな彼女も今は人妻らしいので、
お幸せだといいなあ・・・
てな風に、
過去生で夫婦だったり恋人だったりした人との出会いというのは、
必ずしもドラマティックでロマンテックなものではありません。
妙に生々しいときもあるし・・・(体験者は語る)
うん、決していいものばかりではない。
今の人生で男と女だったとしても、
ハッピーエンドとは限らない。
カルマの清算で再び結婚したり付き合うことになる人も多いけど。
ロミオとジュリエットみたいに、
お互いのこと良く知る前に(相手の悪い面を見る前に)
悲劇の別離をしてしまった恋人同士は、、
お互い心残して未練たらたらなコトから引き寄せられても、
現実結婚したら、「こんなはずではなかった!」
「こんな人だったの? だまされた~」
と、相手に幻滅して別れちゃうことも多い。
ていうかー 人って変わるし。
いやさ、気持ちの問題ではなく、成長するわけなので。
如何せん、成長の度合いって、人それぞれだから、
どちらかが精神的に相手を追い越して、
もうお互いに同じところからはモノを見れなくなねってのもある。
♪会えない時間が、愛育てるのさ~♪
という歌もあったけれど、
お互いに別々の場所と時代で人生を生きている間に、
様々な経験をすることによって、
趣味とか嗜好とか、価値観とか変わってきますのでね。
他の人にも会うわけだし。
するとね、再会したからって、昔と同じ気持ちで、
相手を必要とはしなくなるわけなんです。
もちろん、肉親に対してもそうですが、
親しみとか懐かしさはあります。
情は・・・どうしても湧くし、
どうにも説明のしがたい感情を覚えることも。
そしてやっぱり、
過去の感情に振り回されるといいますか、
過去のしがらみや違和感、恨みだのなんだの、
当時のエレメンタルが騒ぐので、
まーとにもかくにも厄介です。
余談ですが、
過去生で自分を殺したり、自分に害を与えた相手とは、
時に「恋愛感情」と間違えるような強烈な引力的磁力で
引き合うことがあって、それを一目惚れと勘違いする人も多いかな。
確か、ブライアン・ワイス博士の著書にも出てたケースですが。
被害者と加害者は、親子や兄弟姉妹、
嫁姑などの血縁あるいは義家族として縁を結ぶケースも、
実に多いのですが、異性同士で出会ってしまったとき、
半分くらいが、何故か男と女として恋愛関係を結ぶんですね。
何故か。
そして、憎みあったり、傷つけあったりしてしまう。
でも、出会った目的は、主に「和解」
復讐ではなくて、理解しあおうと出会うわけですが。
なかなか過去の感情に支配されて、
相手を許すことができず、わかりあうことも叶わず、
上手く行かないケースばかりです。
けれど、夫婦として恋人同士としては上手くいかなかったけれど、
友達としてなら、良い関係を築ける人同士もいる。
その逆もあって、過去の感情に邪魔されて、
同性愛っぽい独占欲で上手くいかないケースもある。
それは親子でも兄弟姉妹でも同じこと。
かつての夫が息子である場合、
かつての娘が娘である場合、
・・・ちょっとビミョーな関係。
過去に嫁いびりをしていた姑とは、
今度は母と子という実の血縁関係で生まれた人も。
実の娘なら、優しくできる? 愛せる?
という問いがあるがごとく。
そんな親子の関係でやり直すパターンもある。
いずれにしても、
過去は忘れていたほうが上手く行く・・・かな。
思い出したほうが納得いって、
付き合いやすくなるケースもありますが。
いずれにしても、精神的に成熟しているほうが、
過去のしがらみを理解して、その事実を昇華して、
寛容に譲歩出来る場合なら、知っても問題ないけど。
てなわけで、
過去を覚えていないことは、慈悲なのであります。
あ゛ー ちなみに性同一性障害とか、同性愛傾向とか、
それはそれでまた色々あります。これも単純ではない。
過去生の性別に未だ支配されてる人もいるし、
カルマの法則が働いている場合もある。
ケースバイケースなので一緒くたには語れないのでした。
ちょっとデリケートな問題なので、ボカシますけど。
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