2015/11/05

『死』というトラウマ(番外編)

既存の記事に書き忘れたことの補足。


たまに、

「自分にはあまり時間が残されてはいないように思う」
「そんなに長生きしないような気がする」

とか・・・

老後の人生など、未来の自分の姿をイメージできない人がいたりする。


男性の場合、自分の親・・・とくに父親が早世していたりすると、
自分の人生を父親とだぶらせたり、比較するクセがあるので、
(カタチを替えたエディプスコンプレックス)

父親が死んだ年齢や死亡原因に過敏に恐れを抱き、
無意識的の刷り込みで、自分の寿命=父親の寿命となってしまい、
下手な厭世観を持ってしまったり、その年で自分は死ぬのだ・・・と
自分を死に向わせてしまう人がいたりする。

(父親の影を振り払うことが出来たのなら、
それはその人にとって大きな成長に繋がるが、
縛られてしまうと、寿命に関わらず、
自分の人生を鋳型に押し込めて、可能性を閉じてしまうことになる)

ちなみにこうした「刷り込み」による、思い込みの決め付け、は、
物理学的な遺伝ではまったくないのだけれども、
まずいことに子孫に影響を与えてしまうことが往々にしてあったり。
ときに因縁と呼ばれるものの中には、
このようなタイプのよくない「思いグセ」も含まれていたりする。

子孫や身内に与えてしまう良くない影響とでもいうのかな・・・
その人を直に見て、接していない場合でも、
身内にそういう人がいた・・・とか、
顔かたちが似てるから性格や生き方も似てしまうに違いない、とか・・
それだけの情報からでも洗脳されてしまう人はいるもので。


さて、話戻って。

これは人によりけりだけれども、

その人の今生の人生において、
もっとも強く影響を及ぼしている過去生の人生の死亡時の年齢、
あるいはインパクトの強い死に方をした時の年齢に差し掛かると、
ひどく「死」を意識するなど、
いいようのない死の不安に囚われてしまうときがある。
自分は死ぬのでは?などの漠然とした不安に襲われ、
下手をすると自分を死に至らしめた病や怪我など、
それらを再発させてしまう場合もある。

その逆で、ある年齢に差し掛かったとき、
その年齢のときに死亡した人生の影響を強く受けてしまうなど。
「年齢」がキーワードになって、過去生の人生が蘇る場合もある。
※環境や状況が過去の記憶を誘発するというもの

得てして、負の感情やパターン。
人格がガラッと変わるということはないけれど、
ポジティブな感情よりネガティブな感情(人格)が浮上して、
表面化してしまうほうが圧倒的。
まったく困ったもんだ・・・



頭が痛いことに、自殺した人ほどその影響が顕著で。
自分は「死ななくてはいけないのだ」
という思いに囚われることもしばしば。

やれやれ・・・という感じ。

自殺は、前にも書いたけど、通常の死とは異なり、
死んでからが大変な目に遭う。
次の人生に移行するまで時間がとてもかかるので、
転生するまでの地獄の日々の記憶もまた辛く・・・
死にたいけど、死ぬのが怖いという矛盾した葛藤も生まれやすい。
そうすると、「私を殺してください」みたいな、
こんがらがった感情も出てくるから、
そういう厭世観を引きずってしまうとホント厄介。

そういう気持ちを持っていると、引き寄せてしまうからね。
被害者になる経験を。


ちなみにどうでもいい話ですが、
私も過去生において二度ほどしたことあります<自殺
一度目は自分の仕事の重責に耐えかねて餓死。
単なる無責任な現実逃避でした。
二度目は、先に逝った家族の後を追っての入水自殺。

自分の人生をさぼったというツケは自分で払うことになるから、
絶対にオススメはしません。経験してイヤというほど染みた。
つーか、懲りた。もうイヤだ。冗談じゃない。
同じところをグルグルやり直すのは・・・。
出口のない迷路を繰り返すのはマジメに地獄です。

自分で死を選ぶくらいなら、殺されたほうがマシ。

出来れば、誰かのためになる死を選びたいですね。


過去の亡霊に悩まされるよりは解き放たれたほうがいいけれど、
とにもかくにも、今を感じながら生きて、
今目の前に問題から逃げずに取り組んでいれば
たぶん過去の影響も受けずに済むんだと思います。

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