2015/11/05
自死・彷徨える魂~終わりのない旅(中)
情け知らずな人の口から
私は聞いた
死の知らせを
そして私もまた
情け知らずな顔をして
耳を澄ました
byツルゲーネフ「はつ恋」より
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自分の人生に対する無責任さや怠惰さ、
卑怯な現実逃避から来る無為の、
自己に対する「殺人」・・・命を粗末にする行為が、
現代に多いのは否めないが・・・
人が自ら死を選択するに至ったのには、
それぞれに已むをえない理由というものがあるのだと思う。
他人には伺い知ることの出来ない苦悩や現実が。
それでも・・・
その「死」によって、傷つけられ、
当人以上に辛い現実に突き落とされる人がいるのは事実だ。
遺されたことによって、様々な重荷を突きつけられ、
世間からの同情さえも煩わしく鬱陶しい立場に立たされ・・・
見捨てられた想いや、罪悪感を植えつけられ・・・
手を下したわけでもないのに、
まるで自分が加害者であるかのような、
奈落たる深淵に突き落とされるものもいる。
死に行くものは、自らを殺すことによって、周囲を加害者にし、
他者に途方もない、負の財産を遺してしまうことを気づくよしもない。
「死ねるものは幸いだ。
わしら死ぬことも選べやせん。
死ぬることができたら、どんなに楽か・・・
死ぬこともできず、生きていくしかない地獄もある」
むかし見た映画の中で聞いたセリフだったように思う。
日本は先進国で、経済大国ではあるが、
同時に自殺大国でもある。
2009年の統計で、世界の第五位につけている。
(ちなみに一位は韓国)
そして、男性は女性の倍以上。
おんな、は・・・何かあったときでも、
開き直る強さがあるけれど、
精神的に男性は女性に比べてはるかに弱い。
右脳(女性脳)と左脳(男性脳)の使い方にも、よるのだろうけれど。
状況や環境に対して柔軟性のある女性に比べて、
男性は柔軟性が乏しく、
ひとつの道が閉ざされてしまうと、
その先が考えられない傾向にあるようだ。
おんなは守るために生きようとし、
おとこは守るために死のうとする。
男女の役割分担・・・
身体や脳の構造がそうだと言われれば、仕方がないが。
それしか道がないと、視野狭窄に陥らせずに、
別の可能性を見極めることのできる、
心の強さや精神の耐久性、
そして智恵や生きる力を身に付けることを・・・、
ただ競争社会の中で立ち回ること、
良い会社と言われるところに就職し、高い給料をもらうこと、
いわゆる勝ち組になることが理想で
そこから逸脱したものはオチこぼれと
決めてかかる学力偏重主義をどこかで止めて、
もっと社会が必然性を持って、
道徳教育もさることながら、
人を単純に振り分けて、勝ち負けや優劣で差別する
歪んだ社会のシステムを改めるところから
人間教育をしていかなければ、
負の連鎖の悲劇というのは、
いつまで経っても、無くならないのだろう。
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「おとうさん 見ーっけ!
何してるの?」
「空を見てたんだよ」
「真っ赤だ!
火が燃えてるみたいだね」
「うん。 火宅だ・・・・・・」
「カタクって何?」
「この世のことだよ」
その晩だった・・・
とうさんが死んだのは。
by近藤ようこ「火宅」より
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自殺は遺されたものだけでなく、
それを目撃してしまったものの心にも大きな傷跡と影を残す。
飛び降り自殺した人の体の下敷きになって、
大怪我どころか、命まで奪われてしまった人もいる。
飛び散った血や肉片の欠片を浴びてしまった人・・・
駅のホームで、見たくもないのに、
人の身体が分断されるさま、を見てしまった人。
都会の鉄道会社では、あまりの多さに感覚が麻痺して、
もう慣れっこになってしまった人も少なくないようだが、
自分の運転する電車に飛び込んできた人の姿を、
夢に魘されて苦しむ人も多い。
重い車体であるから、感覚としてわかるはずも無いのに、
その人、の身体の上に「乗って」いて、分断しているという感覚。
また、そのようなことが起きるのではという恐怖とともに、
駅に近づくと緊張して、身体が硬直する人もいるのだとか。
知り合いのとある人が、会社の車で移動中、
たまたま踏み切りで足止めをくらっていたとき、
見たくもない光景を見ることになってしまった。
何のためらいもなく、カンカンと音のする中、
遮断機を潜り抜けて行く人を。
「あっ!」と思ったときに、咄嗟に顔を下に向けて、
そのまま動けなくなってしまったそうだ。
電車が通り過ぎて、後ろの車の男性が、
「大丈夫?」と声を掛けてくれるまで。
「私の車の横を通り過ぎていくときの、
その人の横顔と遮断機を括り抜ける時の姿が、
もう目に焼きついてしまって、頭から離れなくて・・・」
その踏み切りは都内では自殺が多いことで有名な沿線。
彼女は二度と、その踏み切りに近づくことができず、
踏み切りで止まるたびに、その時の恐怖が蘇るのだと言っていた。
人の死を見るのは・・・
それが事故であっても、決して気持ちの良いものではない。
死体を処理するのが仕事という人ならまだしも、
ただ、たまたまそこに居た・・・という理由で、
不本意なことに他人の死に巻き込まれたり、
恐ろしい光景を目撃させられてしまったりなど、
それはショックを通り越してトラウマとなり、
ときにPTSDも引き起こす、とてつもない心の損傷を産んでしまう。
自らを殺す行為を考えるものは、
自らの「死」によって、他人を傷つけることが目的なのであろうか?
見ず知らずの他人を傷つけ、苦しめ、
一生忘れられない悪夢を植えつけるために、
自らの人生にピリオドを打とうというのか?
第一発見者である家族の脳裏に?
通行人や電車の運転手や鉄道会社の人に?
アパートやマンションの所有者に?
彼らに見るも無残な遺体の姿を見せ付けることで、
彼らの精神や生活を崩壊させるために、
その死を望むんや否や?
多くの他人の人生を狂わせるがために、
自分の命を犠牲にし、
肉片となり、腐敗した骸を置き土産にするのだろうか?
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「ねぇ!
譲ってよ、その命!
死にたいって言うんなら、
一年でもいい、数年でも、
ううん、たった数ヶ月でもいい。
私に譲ってよ、その命、あなたの人生を!
だって不公平だと思わない?
私は生きたいのに、やりたいことがまだまだいっぱい、
たくさんあるのに・・・
私、生きたくても生きられないのよ!
私のこの体は、もうダメなの・・ポンコツでもたないの!
でもあなたは生きられるのに、健康なのに、
生きていたくないっていう・・・
いますぐ死にたいという
私からすると、贅沢よ! 不公平よ!
私は生きたいのに生きられない
けど、あなたは生きられるのに死にたいという
だったら、譲ってよ!
あなたのその健康な体、その命、
残りの人生ぜんぶ、私に頂戴よ!!」
とあるコミックより
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